日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

苦渋の選択。そして帰る場所

2005年12月11日 07時22分43秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)9日 ヤウム・ル・イスナイニ(日曜日)

 昨晩は、空手の稽古に行くか、アラビア書道のレッスンに行くか悩んだ挙げ句、空手に行った。
 アラビア書道は前からやりたかった習い事だし、月2回しかレッスンが無い。しかも習える時間と場所が限られている。
 下手の横好きではあるが、できればレッスンは休みたくない。あの美しいアラビア文字をいつかは自分の手で書きたいという気持ちも消えていない。


 しかし…


 自分の主宰する道場も危機である。昨年、アラビア書道を習い始めるため、毎週土曜日の夜に行っていた指導を、月2回に減らした途端に道場生が激減。
 ついには高校生にまで指導を頼むこととなった。そして8月の大会での道場生の惨敗。
 人に教わらないとわからない技術、「ツボ」というものがある。我流では必ず限界がある。


 幸い、別の団体と合併することになったが、技術体系の違いや、運営方法の違いなどを調整しなくてはならない。昨晩、先方の代表と初めて手合わせをしたが、強く、人間的にも立派な方である。この人になら道場生を任せられると実感したものの、移行期間が数ヶ月かかる。


 自分の団体は、某巨大団体から独立し、「光風会」という名称を名乗っている(書道団体みたいな名前だとよく言われる)。
 光も風も強く激しくなれば、すべてを破壊する恐ろしい力を持っている。空手も武道であり、格闘技である以上、最終的にはそのような一面を持つ。
 しかし、光と風は、適度な強さなら人の心に安らぎと潤いを与え、人を生かす。
 圧倒的な強さを身につけながらも、他人に安らぎを与える存在であってほしい、そして、自分もそうありたい…そう考えて命名した。
 その名前もあと数ヶ月で消えるが、理念は守って欲しいと思う。


 考えてみると、宗教にも同様のことが言えるのかもしれない。
 自分の命を捨ててまで、すべてを吹っ飛ばす自爆テロ行為。恐ろしい破壊力である。本人たちは「正義」「神の道」と思ってやっている。宗教とは、そのような究極の一面を持つことも否定できない。
 しかし、他では得られない安らぎや潤いを得られるのも宗教の一面(というより、これが本来の姿だと思うが)。


 体はひとつしかない。同じ時間に稽古とレッスンが重なる、空手とアラビア書道の両立はなかなか難しいことだ。
 しかし、どちらも人の心に安らぎをもたらす光を持つという共通点がある限り、(教える立場と教わる立場の違いはあるが)その「難しいこと」に挑戦していくのも天命というものなのかもしれない。