日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

インドネシア拳法シラットを体験してきました

2005年12月12日 23時53分35秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)10日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)

 本日、cizmaさんの所属する、目黒のシラット道場に体験稽古に行ってきた。


 初めてお会いするcizmaさんは、目の大きな元気印の女性でした。cizmaさんはcizmaさんで、私が予想以上にオッサンだったので驚いたことだろう。ふふふ。
そうなのである。いい年して、こんなブログを書いているのである。
 この前のmomoさんといい、実際にお会いすると、事前のイメージと一致することは非常に少なく、とても新鮮である。


  インドネシア拳法というものには昔から関心があったので、とても楽しく、勉強になった。
 陳腐な言い方だが、空手にしても、テッコンドーにしても、中国拳法にしても、シラットにしても、ムエタイにしても、共通点があり相違点があって面白い。
 中には、理念は同じなのに、技としての現れ方が正反対になったりする場合もあり、人間の発想の幅広さや、文化の違いを感じる。

 
 スシロ先生の動きは、昔お世話になった和道流空手の大先生の動きに似ていたし、ユリ先生の動きは、やはり昔お世話になった合気道の先生の動きに似ていた。
 cizmaさんが見せてくれた型の中には、棒を使ったものもあり、これも「空手(というか古武道)とよく似ているなあ」と感じた。


 そうかと思うと、手のガードの位置が空手とシラットでは全く反対で、苦戦したりした。動きとしては少林寺拳法に近いだろう。
 格闘技や武道の話になると、マニアック過ぎる展開になり、止まらなくなるのでこれくらいにしておくが(でも、本当は語りたい)、普段と違った体の運用をすると、いい刺激になるのは確かである。必ず、自分がメインでやっている武道の役に立つ。
 ちょっと残念だったのは、昨晩激しい空手の稽古をしすぎて、右の肋骨が一本折れていたため、右の横蹴りがうまく蹴れなかったことである。痛くてねえ。


 実は私の自宅の近くにもシラットの道場があるということを知ったので、近いうち、是非そちらの方にもお邪魔しようかと思っている。

 
 思ったよりおっちゃんだったことに懲りずに、今後もよろしく、cizmaさん。そして、インドネシア、気をつけて行ってきてね。

 
 それでは良いお年を!(最後は日本風)