大学入学の為、上京し、今はなき恵比寿のミスタークラフトで購入した
Team Lotus キャップ
今から20年も前に購入したもので、もうボロボロだけど思い入れが強いキャップである。
日本人初のF1フルタイムドライバー・中嶋悟選手が1987年、Team Lotusからデビュー。同時にフジテレビがTV放送を開始。日本製エンジンのホンダを搭載するウィリアムズとロータスが勝利を重ねていたことから、あっという間にF1ブームが到来。
ワタクシもそれに追随するようにF1に興味を持つ。
中嶋さんが所属していたからか、チーム・ロータスに強く惹かれた。
当時はキャメルがメインスポンサーということでケバケバしいイエローの車体だったが…
それでも、車体がイエロー、ロゴがブルーで統一されていたから美しかった
AUTOSPORTを立ち読みして、前年までは神々しいほど美しい
John Player Special(JPS)カラーだったのも惹かれた理由だと思う。
1987年にアイルトン・セナが2勝を挙げ、そのセナの後釜として翌年からはワールドチャンピオンのネルソン・ピケが加入したが、急速に戦力が低下、凋落が始まる。
1990年をもってメインスポンサーのキャメルを失い、以後の参戦も危ぶまれた。
何とか踏みとどまり、1992年にはミカ・ハッキネンとジョニー・ハーバートの華麗なるドライブで復調の兆しが見えかけたが…
Castrol Lotus 107
【※伝統のブリティッシュグリーン&イエローが閃光のように一瞬だけ復活した年だった】
復調ならず、1994年を持ってF1から撤退…。寂しく、悲しく、怒りにも似た感情を抱いたなぁ…。
その後、いくつかのコンストラクターが「ロータス」を名乗ったが、それはTeam Lotusへの侮辱のようにも思えた。Team Lotusは美しい想い出のまま全世界のファンの心に刻まれているのだ。そう思っている。
僕にとってTeam Lotusは、瞬時で魅せられたのも束の間、打ち上げ花火のよう瞬時に消えてしまった、ミラージュのような…でも、とても大切で確立されたものだった。
Team Lotus my dear, Thanks Team Lotus!
※その他グッズはこちら
Team Lotus キャップ
今から20年も前に購入したもので、もうボロボロだけど思い入れが強いキャップである。
日本人初のF1フルタイムドライバー・中嶋悟選手が1987年、Team Lotusからデビュー。同時にフジテレビがTV放送を開始。日本製エンジンのホンダを搭載するウィリアムズとロータスが勝利を重ねていたことから、あっという間にF1ブームが到来。
ワタクシもそれに追随するようにF1に興味を持つ。
中嶋さんが所属していたからか、チーム・ロータスに強く惹かれた。
当時はキャメルがメインスポンサーということでケバケバしいイエローの車体だったが…
それでも、車体がイエロー、ロゴがブルーで統一されていたから美しかった
AUTOSPORTを立ち読みして、前年までは神々しいほど美しい
John Player Special(JPS)カラーだったのも惹かれた理由だと思う。
1987年にアイルトン・セナが2勝を挙げ、そのセナの後釜として翌年からはワールドチャンピオンのネルソン・ピケが加入したが、急速に戦力が低下、凋落が始まる。
1990年をもってメインスポンサーのキャメルを失い、以後の参戦も危ぶまれた。
何とか踏みとどまり、1992年にはミカ・ハッキネンとジョニー・ハーバートの華麗なるドライブで復調の兆しが見えかけたが…
Castrol Lotus 107
【※伝統のブリティッシュグリーン&イエローが閃光のように一瞬だけ復活した年だった】
復調ならず、1994年を持ってF1から撤退…。寂しく、悲しく、怒りにも似た感情を抱いたなぁ…。
その後、いくつかのコンストラクターが「ロータス」を名乗ったが、それはTeam Lotusへの侮辱のようにも思えた。Team Lotusは美しい想い出のまま全世界のファンの心に刻まれているのだ。そう思っている。
僕にとってTeam Lotusは、瞬時で魅せられたのも束の間、打ち上げ花火のよう瞬時に消えてしまった、ミラージュのような…でも、とても大切で確立されたものだった。
Team Lotus my dear, Thanks Team Lotus!
※その他グッズはこちら