大学入学の為、上京し、今はなき恵比寿のミスタークラフトで購入した
Team Lotus キャップ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/4b/07415312a98eb5e5c81701d49c896681.jpg)
今から20年も前に購入したもので、もうボロボロだけど思い入れが強いキャップである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/d9/ccd8f859ccf4594af8f88e4abbb89621.jpg)
日本人初のF1フルタイムドライバー・中嶋悟選手が1987年、Team Lotusからデビュー。同時にフジテレビがTV放送を開始。日本製エンジンのホンダを搭載するウィリアムズとロータスが勝利を重ねていたことから、あっという間にF1ブームが到来。
ワタクシもそれに追随するようにF1に興味を持つ。
中嶋さんが所属していたからか、チーム・ロータスに強く惹かれた。
当時はキャメルがメインスポンサーということでケバケバしいイエローの車体だったが…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/c0/48d15e3fceda8b38b3da3151770cc714.jpg)
それでも、車体がイエロー、ロゴがブルーで統一されていたから美しかった
AUTOSPORTを立ち読みして、前年までは神々しいほど美しい
John Player Special(JPS)カラーだったのも惹かれた理由だと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/d0/8620827c8491621a2af680f58e4ef176.jpg)
1987年にアイルトン・セナが2勝を挙げ、そのセナの後釜として翌年からはワールドチャンピオンのネルソン・ピケが加入したが、急速に戦力が低下、凋落が始まる。
1990年をもってメインスポンサーのキャメルを失い、以後の参戦も危ぶまれた。
何とか踏みとどまり、1992年にはミカ・ハッキネンとジョニー・ハーバートの華麗なるドライブで復調の兆しが見えかけたが…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/03/4dbd5363cf1f09b656153bdb9d50fdff.jpg)
Castrol Lotus 107
【※伝統のブリティッシュグリーン&イエローが閃光のように一瞬だけ復活した年だった】
復調ならず、1994年を持ってF1から撤退…。寂しく、悲しく、怒りにも似た感情を抱いたなぁ…。
その後、いくつかのコンストラクターが「ロータス」を名乗ったが、それはTeam Lotusへの侮辱のようにも思えた。Team Lotusは美しい想い出のまま全世界のファンの心に刻まれているのだ。そう思っている。
僕にとってTeam Lotusは、瞬時で魅せられたのも束の間、打ち上げ花火のよう瞬時に消えてしまった、ミラージュのような…でも、とても大切で確立されたものだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/e7/7e347d5e9d662b72b72006168dcf5635.jpg)
Team Lotus my dear, Thanks Team Lotus!
※その他グッズはこちら
Team Lotus キャップ
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今から20年も前に購入したもので、もうボロボロだけど思い入れが強いキャップである。
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日本人初のF1フルタイムドライバー・中嶋悟選手が1987年、Team Lotusからデビュー。同時にフジテレビがTV放送を開始。日本製エンジンのホンダを搭載するウィリアムズとロータスが勝利を重ねていたことから、あっという間にF1ブームが到来。
ワタクシもそれに追随するようにF1に興味を持つ。
中嶋さんが所属していたからか、チーム・ロータスに強く惹かれた。
当時はキャメルがメインスポンサーということでケバケバしいイエローの車体だったが…
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それでも、車体がイエロー、ロゴがブルーで統一されていたから美しかった
AUTOSPORTを立ち読みして、前年までは神々しいほど美しい
John Player Special(JPS)カラーだったのも惹かれた理由だと思う。
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1987年にアイルトン・セナが2勝を挙げ、そのセナの後釜として翌年からはワールドチャンピオンのネルソン・ピケが加入したが、急速に戦力が低下、凋落が始まる。
1990年をもってメインスポンサーのキャメルを失い、以後の参戦も危ぶまれた。
何とか踏みとどまり、1992年にはミカ・ハッキネンとジョニー・ハーバートの華麗なるドライブで復調の兆しが見えかけたが…
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Castrol Lotus 107
【※伝統のブリティッシュグリーン&イエローが閃光のように一瞬だけ復活した年だった】
復調ならず、1994年を持ってF1から撤退…。寂しく、悲しく、怒りにも似た感情を抱いたなぁ…。
その後、いくつかのコンストラクターが「ロータス」を名乗ったが、それはTeam Lotusへの侮辱のようにも思えた。Team Lotusは美しい想い出のまま全世界のファンの心に刻まれているのだ。そう思っている。
僕にとってTeam Lotusは、瞬時で魅せられたのも束の間、打ち上げ花火のよう瞬時に消えてしまった、ミラージュのような…でも、とても大切で確立されたものだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/e7/7e347d5e9d662b72b72006168dcf5635.jpg)
Team Lotus my dear, Thanks Team Lotus!
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