外宮の社務所において、大々神楽の申し込みをしました。
代表者1名の名前のみを記入し、御祈祷の種類を神恩感謝
にしました。 次回は、国家安泰にしたいと思います。
そして、同席参列者の人数を記入します。今回は、知人一家
と一緒に御祈祷を受けました。
子供達にも日本文化の良い勉強になると期待しながら、
外宮神楽殿の待合所に入殿しました。
早朝の為か、私達だけでした。とても広く清潔感のある空間
でした。フリーのドリンク機器が常備されていて、トイレも大変綺麗
でした。 20分ほど待機していると、神官が呼びに来られて
奥の神殿へと進みました。
神官による短い御祓いの後、2名の神巫女により御神前に
神札と神饌(鰹節、するめ、昆布など)が供えられました。
この儀式が素晴らしかったのです。
奥の間から1名の神巫女が神饌を持参し、拝殿入口でもう
一人の神巫女が受け取り、神前に供えます。
これを参拝者の目前で何度も往復するのですが、2名の細
かい所作のタイミングが見事に一致します。
参拝者の目前、拝殿中央に神巫女が差し掛かると必ず1度
膝を曲げて体を沈めます。この所作は、参拝者の目前を歩く
会釈に感じられ、相方との呼吸を合わす為の動作にも思え
ました。 (これは、神前では正中「中心」を重んじる為に、
正中を通る時に蹲踞(そんきょ)をして、神への敬意を現す
意味があるそうです)
私が今回、一番感心した事は、この2名の神巫女でした。
この二十歳前に見える若い神巫女に、神霊が寄っていたか
らです。 回りは、階級が上の男性の神官ばかりでしたが、
神霊の神気が寄れているのは2名の神巫女にでした。
今どきの神社の神巫女さんは、プライベートでは色々と遊ばれ
ている方も、たまに観かけます。しかし、伊勢神宮の神巫女
は流石に違いました。 厳しい精進を日頃からされているの
が分かりました。プライベートな時間も無い様に感じました。
神霊が寄れる、まさに聖女でした。
今回、もう一つ勉強になったことは、神舞の前に奏上された
上位の神官による祝詞でした。
今までに聞いた事が無いような祝詞奏上でした。
とてもゆっくりと、物語を語る様な優しい口調の祝詞でした。
伊勢神宮の優しい波動を言葉に変換した様な発声方法で
した。
もし、伊勢神宮で御祈祷を受けたいならば、一番基本の
御神楽(おかぐら、1万5千円)で充分だと思います。
これでも私達には、大変に高価なものだと思いますが、
儀式終了後に頂く特殊な御札と、伊勢神宮の所有する海岸
で謹製された美味しい神饌は、充分に価値あるものでした。
頂いた大きな御札は、私の神棚に入りませんでした。
神棚正面の左端に木箱のふたを開けた状態で、神棚に接地
した状態で立てました。
神棚の無い方でも、御札に幅と厚みがあるので立てる事が
出来ますから、榊と水だけでも供えれば充分に神気が寄り
ます。榊が無理ならば、水だけでも出来るときに交換すれば
良いです。 (続く)
生かして頂いて ありがとう御座位ます
人類の 5% 運動を広めたいです。
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巫女さんのようにはいかないかもしれませんが、神霊がよってくれる人になりたいです。
掃除しま~す。
生かして頂いてありがとう御座位ます
こんな事を考え、お伺いするのが恥ずかしい程、私はいっぱい垢を持っていると思います。人を恨み、依存し、とんでもない罪を犯してきました。今でも、変われたのかどうか分かりません。しかし一方で、変わりたいとも思っています。
これから、どれ位生きれるのか分かりませんが、先祖供養をしながら、心を入れ替える努力をしていき、行動を起こせば、この世を去っていくまでには、この聖女の方々のように、神霊に寄って頂けるようにもなれるものなのでしょうか?
図々しい考えだと思いながらも、それでもやはり、清くなってゆきたいという思いでおります。
今日も生かして頂いて ありがとうございます。
………あのかたならシリアスタッチもお描きになれますし、実現すれば、たしかに面白いですね。☆
………ただ、あのかたがこちらの趣旨に賛同なさるかどうかは、はなはだ疑問です(笑)。
コメント拝読させていただきました。
すごく参考になりました。
ありがとうございます。
みんなで同じ山を登りながら
先に行くものは、後から来る人の手を引き、
後から行くものは先へ行くものの
背中を押す。
そんな風に助け合っていけたら素敵ですね。
これからもよろしくお願いいたします。
神札は流石にないですが…
リーマンさんでもやっぱり気になるんだ(爆)
そう神社の鳥居の横に書かれてあるのをみつけて以来、恭しく一礼をすると心底安らぎが広がります。気品が漂う感じで、その時には(おこがましですが)天皇両陛下の立ち居振る舞いを(一瞬だけでも)転写できてるようで…。
生かして頂いてありがとう御座位ます。
とても嬉しかったです^^。
「喉の渇きで苦しむ霊体は、供えられた水や御茶を飲もうと、何度でも触ろうとします。でも、御供えをした生きる人間の捧げた気持ち分しか飲め無い法則があります。
気持ちを込めずに、ただ機械的に供えられたものは、届かないのです。感謝の気持ちで捧げられたものは、最も届き易い仕組みが、異なる次元間には存在します。
飲みたいのに、飲めない。この執着の想いを受けた水には、霊的な負の波動を宿し易いです。水の分子は、霊的波動を貯める性質があります。
また、水が感謝の思いと共に捧げられて、無事に届いたとしても、迷える霊が霊的に食した御水を、お下がりとして生きる人間が飲むことは、やはり霊的な垢が在るので良くありません。
興味深いのは、執着が強くて現実界に留まる霊体に捧げられた御水は、実際に目減りすることがあります。
これは、その霊体の迷いと苦しみが大きい為に、霊体の粒子が粗いので、現実的な影響をこの世へ及ぼせる事を意味します。この様な奇異が無くなるまで、供養する必要があります。」
ここからわかるように、リーマンさんは、霊が主体であっても、「飲もう」「飲め無い」「霊的に食した」という表現を使っておられます。そればかりか、「執着が強くて現実界に留まる霊体に捧げられた御水は、実際に目減りすることがあります。」という事実まで紹介されています。
従いまして、私は、霊にとって、水は供養者からの感謝の念を伝える媒体にすぎないのでなく、それ自体が霊にとって「飲む」あるいは「食する」対象にもなっているのではないかと考えました。
もっとも、この記事からは、食物のような固体も、霊にとって「食する」対象になることができるかは、はっきりしませんでした。ただ、液体の場合との類推で考えて、感謝の念とともに捧げれば、霊的な意味で「食する」ことができるのかな、との推測は働きました(なお、先祖供養の際に食物を捧げることは、現世に対する霊の執着を招きますので、これはしないで頂きたいと思います)。
今回は、私が5%運動参加者さんに、記事を紹介する形になりましたが、私も、5%運動参加者さんや他の読者の方々とともに、同じ道を歩んでいる一登山者にすぎません。別の機会には、私が逆に、5%運動参加者さんに教えて頂くこともあるかもしれません。
ここに集う私たちが、お互いに助け合い、学び合っていくことができるとよいですよね。
「ちなみに、どんなものが入っていましたか?笑。
」
のコメがとても笑って楽しいです。
木の種類や具体的な形状も教えてほしいですね。
中身は木を細かく割いたようなものに紙が巻いてあるものが入っていました。こんな小さなものに神霊が宿っていると思うと不思議な感じでした。
わたしも そんな人でありたいし、それに感応できる人でも ありたいです。
より、お返事いただいていたようで!
(検索上手ではないので、他の方からも頂いているかもしれませんが、、お二人を見つけることができました)
気にかけてくださってありがとうございます☆
本日からお水、差し上げてみました。
感謝の気持ちを込めてお出しするというところに
力点をおきたいと思います。
でも受けとって頂きやすいように、
あくまで気楽な気持ちで続けていきたいです。
生かして頂いてありがとうございます!
・・・御札の中の空間が大事なので、再び密封すれば大丈夫です。御札も消耗品です。
次回いけるまでのものです。
ちなみに、どんなものが入ってましたか?笑。
「全体への一括くくりの発言と解釈するのでしょうか?」は
リーマンさんがブログでもご自身の本でも一番罪深きはそれぞれの人が持つ内在神を他人が食い物にする事。見返りを求めるモノの力を使って人の人生を狂わせるような事をした人の事をさして「地獄」という言葉を使われていると私は捉えています。
不思議を扱う方々、それぞれにレベルや方向性があるのですが、リーマンさんは多くの皆さんに自身で身を守る意識をつけて貰おうと危険なモノに視点を合わせて書かれているのだと思います。
「各人が内在神を通じて、神と自分の1対1の関係」
については、たぶん外の神様に依存するから起きる事と内在神から発揮される力をここでも「一括くくり」にされてる様にお見受け出来るからだと思います。芸術のお話は当事者の内在神とどれでけ通じてるか嘘をついてないかの問題だと。
ただ、「神がかり」のお話はこれも「一括くくり」には出来ず、内なる力ならいいけれど、どこかの見返りを求める大きな力を与えられて創造し、それに依存し続け色んな物を作り続け、それにより地位や名声やお金を手にいれ、外の神様に借金を続けると地獄までいくかは私には分からないけど、なんらかは見返りとして奪われるのではないかと。。。
あなたもきっと、なんとなくはわかってらっしゃると思います。
見つからない探しものは目が変わると簡単にみつかる場合がよくあります。
つたない文章ですが、探し物がみつかるきっかけになれば幸いです。
生かして頂いてありがとう御座います。
正中の所作について、ご指摘を頂き有難う御座いました。
私の思ったことですが・・
不思議で他者を導き、ましてやその方の内在神の道筋から遠ざけてしまった上に飯を食う、その時に発生することではないでしょうか?
とぼんやり思いました。
我欲の為に他者の内在神との関係までも邪魔をする。
本人はもちろんのこと他者まで巻き添えになるのでは?
芸術などは、一対一の本人と内在神との関係なので、恥ずべき行為は己に帰るだけなのだと思います。
どうかな?違ってたらどなたかご教授願います。
人の弱みに付け込む商売は儲かる という言葉を聞いたことがありますが、それは 反則なんです。儲けるなら 正々堂々と 儲ければいいんです。その 正々堂々の部分
に 本物、演技物があり、不思議分野では 後者が多いということなんでしょうね。しかも 神仏を道具として 使わせてもらうことになる訳ですから、後から請求書がくるのも 当然なんでしょう。
私は現場にいた人間ですが、リーマンさんの指摘は正しいと感じます。リーマンさんは、やさしく書かれてますが現実に起きていることは悲惨です。体験された方々の書き込みも沢山ありますので、全て読まれると良いと思います。
昨日は、回答ありがとうございした。
なぜ自分が癌に?と、恐怖でパニックでした。本日専門の病院に受診したところ、こんな初期で、よく見つけたね。
あなたは運がいいね。と言われました。
ご先祖さまのお守りを感じました。また、周りの家族や友人の愛情を感じることもできました。
これから、手術か放射線治療を選んで、治療に入ります。生かして頂いてありがとうございます。
生かして頂いて有難う御座位ます。
まず、最初に申し上げておきたいのは、誰かの足を引っ張ろうとか、ここの平穏を乱そうなどというつもりは毛頭ありません。
疑問に思ったことを「知りたい」「考えたい」ただこれに尽きます。
芸術に対して、インスピレーション云々について。
私は、日ごろの努力は言うまでも無く、した上での話をしていました。何の研鑽もなくして、無理であることは言うまでもありません。
ただ、そこで神がかり的な要素を感じる部分が、たとえば芸術にはあるだろう、ということで書きました。
それは料理でも結構です。
まったく同じ材料、同じ手順で作っても、人によって味は違います。ある人はおいしく、ある人は・・・。
その違いは何でしょう。不思議だと思いません?
それと、リーマンさんにした「不思議で飯を食うと地獄に行く」という質問で、「全体への一括くくりの発言と解釈するのでしょうか?」と答えられました。
が、残念ながら、あの時点で、リーマンさんの文章を読んできて感じたのは、そのとおりです。
私の読みこぼしと、解釈が浅いのでしょう。
ただ、そのコメントで、リーマンさんは以下に、「不思議で飯を食う方は、自分に恥じない生き方をすれば良いのです。ただ、それが難しいですよ、と私は指摘します。」とお書きになりました。
私は、それで理解しました。
しかし、そのコメント全体を読んで思ったのは、「だとすると、不思議な要素の無さそうな職業も変わりが無いのでは?」という印象を受けてました。
前にも書きましたが、「易」は東洋の自然科学ですが、商売で利用するときには気をつけないと地獄に行く。しかし、西洋の自然科学は大丈夫なのでしょうか?その違いは何ぞや・・・と。
それで、いわゆる普通の職業の中でも、神がかり的な要素を見出しやすい、芸術に例をとって書いたのです。
私の最初の質問が「一括くくり」であり、「各人が内在神を通じて、神と自分の1対1の関係」と言われて、そのような発想をしました。
また、我々は内在神を預かってますよね。
その違いというか、ボーダーが、私にはあいまいに感じて。
「毎年リサイタルを開いては大儲けをする。」について。
これは、クラシックの、しかも音大の声楽の世界での話で。私のつたない、人生から見聞きしたものです。
それと・・・・付け加えるなら、人間は主観を逃れることは出来ませんよね?どちらが、「ほんの片隅」で、どちらがメイン、普通なのか。あるいは「正しい」のか分かりません。
なので、人は「ほんの小さな・・・正確には「たった一人の」人間の業務形態、もしくは人生の話に過ぎない」こと以上の話しは出来ないと思います。
教授のリサイタルのチケットを、事実上押し売りされるのは、珍しいことではない。というのは、特にひどい人を念頭に書いてあるので、そこには幅があります。
なので、全ての人が「海外旅行云々」と言って、そうである、ということで書いたつもりは、まったくありません。
また、得た「地位」など「キャリア」「肩書き」によって、金儲けをするというのは、権力を背にして、弱いものに有無を言わせない、という意味で書いたのと、しかもそれが、神がかり的な要素があると思い、例にとった芸術を仕事としている者がして「だいじょうぶなのかな?」と思ったのです。不思議で飯を食うからです。
以上、ご意見に対して、私の考えを述べさせていただきました。
生かしていただいてありがとうございます。
以前のyumikaさんのご質問がなんとなく思い出されます・・・失礼をいたしました。
御札自体に厚みがありますので、あの白い紙に包まれた中の空間が大切なのかもと思います。
私もあの紙を開けてしまいそうになりました。神宮会館にいたのも幸いしたのでしょうか、ストップがかかりまして(?)開けずに済みました
例えるなら、母親とともに何の心配もせずに遊んでいる子供の気持ちに戻ったようでした。
実は、今朝、10:00ごろから新宿に仕事に来ていました。今は、一段落をし、17:00のアポまで間が開いているので、歌舞伎町の漫画喫茶からこのコメントを打っています。
10:00から12:00ごろまでは、道行く人の表情も和やかで、私自身も非常にリラックスしていましたが、13:00を過ぎたあたりから、いつもの殺気だった新宿に戻ったような気がします。
ただし、ひとつだけ云える事は、8月15日ごろから午前中の太陽光に母性のようなものが徐々に拡大してきているように感じます。
これは、今後、他の時間帯にも拡大していくような気がします。
すいません。今、自分の事務所でないので文章が思い浮かびません。なんか、気が散る気がします。
「生かしていただいて ありがとうございます。」
努力無き・・・そして
「インプット無きアウトプットはありません」
本当に仰るとおりだと思います。
そしてアウトプットはインプットよりはるかに難しいものです。
ここは私にとってとてもいいインプットのできる所です。毎日のリーマンさんのお話、それに引き寄せられた様々な人の意見のやりとり、経験談。さらに自分もコメントしてちょっとしたアウトプットもできるという最高の学び場です。
こんな素敵な場所を作ってくれたリーマンさんに感謝します。
ありがとうございます。
感謝供養をやって一か月が経ちます。
催眠療法にレイキとかが付いている場所も多いのですが・・ リーマンさんは催眠療法のみはどうお考えですか・・? 下らん質問ですいません。
芸術っていうととてもありがたく思う方々もいますが、全てが特殊なものでもなく、また神秘的なものでもありません。
音で表現する音楽家関連、個人的なアイデンティティを発想源泉にするアーティスト、社会的な需要やアイデンティティを発想源泉に視覚表現をするデザイナー、また広告等、クリエイターの方々、言葉で表現する詩歌、味覚で表現する料理家。
それぞれの媒体によって必要とし、磨かなければならない技術や知識、訓練し体得することも違います。
インスピレーションは降りてくるのを待ち、実際に神の仕業かと思えるほどスコンと降りてくるケースもありますし、調子のいいときは何かがとりついているような感覚もあったりします。
しかし、その時々で創造のプロセスは違いますし、特に日常の努力の積み重ねと、その時その時の苦しみすらも伴った試行錯誤を繰り返した結果、突然インスピレーションが降りてくるものであったりします。
あるレベルまでは理論化もできますが、理論化できないレベル以上は、人それぞれ、その時その時で突破しなければ突き抜けた表現は創造されません。その時、自分と向き合うことになります。
故に、リーマン氏の言う「一人、一宗教」というのはとても腑に落ちるんです。
すいません。とても横道にそれましたが、毎年たくさんのそれ系の学生たちが世に送り出されています。
才能がある人は、今や世の中にものすごく沢山いて、学校などを通して社会に出ている、ということを言いたかったのです…笑
絵描きが利益を追求してはいかんというのは、特にコマーシャルと関係ないというか、一線をひいておくべき分野において、
自分が追求している表現の軸が狂い、必要ないのに世俗に迎合することになったり、曖昧なコンセプトの基で創ることになるので、いい作品が作れなくなるということと思います。
したがって霊的な意味は全くありませんが、よく作品に魂がないと言われるように、ある意味で魂を喰われたような感じかも。
すいません、まとまりませんでした…
伊勢神宮のお参りより帰宅後すぐ、更新下さり、ありがとう御座位ます。
伊勢神宮参り、羨ましい限りです。私達家族もいつかは、、と思っております。少し、お参り方法なども学んでからの方が、良さそうですね。
最近感じた事を、記載させて頂きますね。現在、まだ1歳にも満たない娘がいます。勿論、身の周りの事など自分で出来ません。親は一つ一つお世話し、先回りして準備したり心配をしたり危険回避したり、、また、月齢毎に何か出来ることが増えたりすると、可愛くて嬉し泣きしたりつい抱きしめてしまったり、急いで写真撮影!という事もあります。そんな、親の細かい行動や気使いなど知る由も無く、子供は屈託のない笑顔で不自由無く日々、成長しています。
不自由無い日々、、これを、根源神は与えて下さっているように思いました。根源神の細かい、人間の知能を超えた大いなる配慮の海で、そんな働きの上で生きている事など知る由もなく、私達は屈託無い笑顔が出来ているのかしら、、と、可愛い娘を見ながら感じていました。子供がどんな子でも、体を張って生涯、関わろうと思います。普通の親で在れば。根源神も、同じで在られるのでしょうか?どんな歴史も一歩一歩歩みながら、魂の成長の為に、何度も肉体を下さってるのでしょうか?私は未熟故、娘が来てくれたように感じる、今日この頃です。御先祖様の心は、まさに親の心なのでしょうね。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
今までの概念にあるような高くて大きいと表現するような感じではなく、深くて太いエネルギーでした!
もちろん高く大きなものに変わりはないのですが、まさに根源に繋がるような゛深くて太い゛と言うのがピッタリでした。
とっても納得で、感動でした。
いつも更新ありがとうございます。
応援しております。
家の愛しい飼い猫は、
゛まんまるお目々の゛パ-ルちやんです〓
コメントの中から何か学ぼうと拝見している立場から
リーマンさんがおっしゃる言葉を相談者に対する解答とだけでなく、全般にわたる物事と共通点をみいだそうとするところがありました。反省です。各々内在神と歩く道ですもんね。
ただ商売目的な方々が多いため占いなどには近づかないほうがよいということですね。
昔ある人に、絵は描いてもいいけど利益のために描いてはいけないといわれたことを思い出しました。ありがとうございます。
リーマンさんのコメントにクズなどの言葉があると、相談者に対する解答とはわかってるものの、ショックを受けてしまいます。
自身が弱いせいでしょうか。理想を押し付けているのかもしれません。
いつも更新ありがとうございます。
先祖供養を続けていきます。
過去にちょうど同じことを質問しまして、リーマンさんのお答えは、
>・・・外宮の祓いを受けると頂ける大きな御札は剥き出しでよいです。
私も次回、外宮で頂いた時は、神棚の左側に剥き出しのまま外に置きます。
とのことでした。御札の箱、大きくて存在感がありますよね。
このお盆15日に私もなぜかお伊勢さんに
お参りしたい~という思いがあったのですが、
お盆に神社参拝というのはどうなのだろうか、
聞いたことがないな、と思っているうちに
機会を逃してしまいました~
リーマンさんが行ってられたなんて。。
残念です。
近々、伊勢神宮でご祈祷をしていただきたいと
思っていたところだったので、
今回の日記を参考にさせていただきます。
ありがとうございます。
ご祈祷は内宮でしかしてもらえない、なんて
母親が言うもので、どうしようと思っていたところでした。
金額がなかなか高価なので
家族それぞれがご祈祷してもらうのはタイヘンだな、と
思ったのですが、
家族の代表者一人の名前でご祈祷していただいても
よろしいのでしょうか。
またその金額を家族で折半などしてもいいのでしょうか。。
またもし代表者一人となると、
うちの家は父が亡くなっており、
母と長男と私の中の一人になるのですが、
この場合、誰を代表にしたらよいのでしょうか。
いつもは近くの大神神社で各々が勝手に
気が向いた時にご祈祷をしてもらっております。
そのお札を各部屋の高いところに置かせていただいてますが、
これも家の神棚(榊と水とろうそく、線香を母が毎日管理しております)に揃えて置かせていただいた方がいいのでしょうか。
質問ばかりで申し訳ありません。
お答えいただければありがたいです。
いつもありがとうございます。
お祓いをしてもらう時は、それなりの服装で行かないといけませんね。今から考えてしまいます。
とりあえず、8月末に、美容院に行って、頭をさっぱりさせてから、お参りしたいなー、と思ってるんですけど。
私も20代半ばの時に、「私も巫女さんを、やってみたいなー」と、思ったりしたものです。伊勢神宮の神巫女さんをされてる方って、どんな方でしょう?
もし、お祓いを受ける事が出来たら、ジーッと見ていてしまいそうです。笑。
神官さんの祝詞奏上も聴いてみたいです。声の調子、
音声の流れって、ありますものね。
後、伊勢参りまで一ヶ月くらいなので、節約して、1万5千円を、捻出したいです。苦笑。
生かして頂いて ありがとうございます。
外宮の御正宮の前で「神様の前で願い事はしないで下さい。感謝のみ捧げてください」といわれておりました。さすが外宮ではガイドさんもわかっておられますね。ボランティアさんでしょうか?どういった立場のひとでしょうか?
このGWに行った時はまだ見れてたのですが、
リーマンさんには囲いの外からもまぶしい光は見えたのでしょうね。
私もリーマンさんのお知らせを読んだ時には『伊勢参拝されるんだな』とすぐにわかりました♪
15日に、『今頃リーマンさん伊勢参りかなー』とぼやいたら
素直な主人には、『墓参りって書いとんやから墓参りやろ』と言ってました。(笑)
主人のこんなところが好きだな。
今度体験してみたいです。
料金も内容も分かって安心しました。
いい事を教えてくださってありがとうございます。
生かして頂いてありがとうございます。
昨日の朝 市バスに乗りましたら
思いがけなく 大勢の小学生で いっぱいでした。
30人以上は 乗ってた様に思います。
小学生は とても元気で
やはり バスの中はとてもにぎやかでした(笑
途中のバス停で 全員降りたのですが
付き添いの先生らしき方(20代くらいの)が 最後に降りられる時 乗客に向かって
「ご迷惑をおかけしました!」と
大きな声で はっきりと しかも帽子を取って
深ぶかと頭を下げてから 降りられました。
その様子を見て とても嬉しく思いました。
えらい!と思って観てました。
生かされる は 神(内在神)の寿命
気づかせて下さり 有難う御座いました。
生かして頂いて 有難う御座います
リーマンさまがよしりんふぁんでうれしいですわん。
伊勢神宮でのご祈祷の様子を読んで、感慨深く思いました。若い神巫女達には神霊まで寄られていたとのこと。日本になお、このような奇跡が残っているとは…。伝統を守り続けた人々のすごさ…。アマテラス オホミカミにこれほどまでに守られている奇跡の日本に生まれたことに、しみじみ感動しました。
生かして頂いて
ありがとう御座位ます
今日はコメントいただきまして、ありがとうございます。
また、このブログの場をお借りさせていただき、
お伝えできますこと、リーマン様に感謝御礼申し上げます。
コメントを拝読させていただき、私と致しましては拙いながら、タビィ様のお役に立てているように思われ、とても嬉しい気持ちです。
タビィ様ご夫妻、ご家庭が平安で、たくさんの良いことが起こりますよう、願っております。
生かしていただいて、ありがとうございます。
外宮の神楽祈祷の受付で「神恩感謝」に丸を付けて、代表者欄に私の名前だけを書いたところ、「神恩感謝でしたら、ご一緒のご家族皆さんのお名前を書いて結構ですよ」と言われたので、遠慮なく家族全員の名前を書かせて頂きました。神官の奏上の時に2度ほど家族全員の名前を読み上げてくれたので感激しました。家族の人数に限度って言うものもあるとは思いますが・・・。皆様のご参考までに。
昨夜、お弟子さんの女子高校の教師の方の携帯がお稽古中に鳴り(今年から進路担当になったそう)、それは伊勢神宮の就職のことでした。
(なんとタイムリー!)
舞女は23歳で退職ですが、その後はまったく別の職業につく方がほとんどだそうです。やはりストイックな生活を強いられているのでしょうか。
または、神宮の別の職種(事務など)に残ることも可能だそうです。
中肉中背でないとだめだそうです。
電話は、「背が低いから舞女はあきらめる」との内容だったそうです。他にも猿田彦神社や二見の興玉神社からも求人があるからそちらに・・・との話をされていました。
お正月にバイトをしている子はたまにいました。
>御神楽の種類と料金を見て どれを選べばいいのか、料金も一人にかかるお金なのか1グループでの料金なのか社務所の方に聞けばよかったのですが
料金は1グループです(御神楽1万5千円のものは15人までOK。『伊勢神宮 御神楽 初穂料』などで検索してみると、詳細がわかりますよ)。立派なお札などももちろん一組。それぞれのご家庭にと望まれるのであれば、それぞれに申し込み、ご一緒にされるとよいのではないでしょうか。待合室の大きな絵も素敵ですよ♪
今回、8月1日からの強行伊勢ー白山道の旅では、御神楽奉納は全く考えておりませんでした。朝の外宮参拝後、同行した夫(外人)が突然「受けたい。受けるつもりでお金も用意してきた」と言うので大変驚きました。
私は、神様をおまつりするにはまだ早いかなと思っていました。なので今回はご挨拶だけ…の予定が急遽変更。神様のお世話も自分でする、と豪語するので、それならと。夫はお線香によるご先祖供養はしていないのですけどね。
予備知識もなく作法もわからず少々戸惑いましたが、私以上に夫は感激していたようです。
神棚などもちろんありませんので、購入するか迷い、
旅の終盤、奈良へ向かう前にも外宮へ立ち寄り、飾ってあるかわいらしい茅葺の神棚を購入するか否か検討しました。しかし予算が…。以前のコメントで神棚でなくても空き箱でもよいとのお答えがあったのを夫へ伝え、いただいた御札の納められている箱そのものが立派なので、その箱をそのまま使わせていただいたら、と提案しました。
そこでリーマンさんにお伺いしたいのです。
神棚の戸は閉めておく、中の空間が大切と記憶していますが、この箱に納まる御札の蓋は外したほうがよいのですね。
また、このお札は、年末あるいは一年ごとにお返しして。。。といったことはしなくてもよいのでしょうか?次回の参拝時までおまつりしていて構いませんか?
教えていただけると嬉しいです。
御神楽申し込み書の記入は私がしたのですが、夫の名前を書き、同席参列者数を息子を含め3人としてお渡ししたら、「お子さんと奥さんの名前も書いて」と言われました。言われた通りにあいているスペース小さく書き足したのですが、中心にある夫の名前の周りにまとわりつく小物のようで、なんだか恥ずかしかったです(汗)
本来は代表者一人のみでよいのですね。
外宮では、夫が参拝するたび、白い布がふわ~っとずいぶん高くあがるのです。なぜ!と少々ジェラシーでした。
最近、夫が「生かされている」ことを実感しつつあるようです。振り返ってみれば、できそうもないことができていたのは、お蔭様だと。もしかしたら私などより、魂が成熟しているのかもしれない、と思うこのごろです。
茨城ー伊勢ー白山(石川県側からは残念ながら見えませんでした。白山スーパー林道から少々拝んだのみ。恐竜パークでは数時間遊ばせていただきました)ー伊勢ー奈良ー茨城
無事に戻ってこれたことを改めて感謝いたします。
憧れていた白川郷にも寄れて、本当に楽しい旅でした。
しかし・・・
いやぁ、遠かったですぅ~。茨城からは7~8時間くらいでしょうか。
帰りの東名は私が運転しました。奈良で時間を取ってしまい、帰宅が午前3時で眠かったですが、それでもまた行きたい。
次回、11月に息子の七五三詣を狙っているSolでした♪
生かして頂いてありがとう御座います
実は私も以前に。。
一見すると開封するように見えますものね。。
(皆様も頂く事があればお気を付けて下さいませ。)
私の場合は神宮に電話でその旨お尋ねしました所、
新しいお札を送って頂けるとの事で、送って頂きました。
※開封したお札は次の神宮参拝の時に持参したと記憶してます。
ですのでやはり開封した状態では好ましくは無いように
思われますが、リーマンさんのレスがあればそちらに従って
頂く方が宜しいかと思います。
お盆の間にご縁があって著書を貸してくださった方がいて読ませて頂きました。驚愕と納得とであっというまでした。
なじみがありませんでしたが、白山ヒメ神社の事を調べていくうちに
私の先祖にゆかりがあって知った丹生明神の名が出てくる文献をネットの検索で見つけてその辺りの事を御聞きしたくて投稿いたしました。
起請文なるものに書かれている二人の明神は高野山とのゆかりはわかるのですが何故、かの白山と関係があるのですしょうか?
差し支えがなければ月読尊との同一説も含めて教えて頂けませんでしょうか?稚日女命がアマテラス様の妹とされていてのことと
関係してるのでしょうか?
知っておられる事だけで結構です。
私の興味の範疇でございますので。
ちなみに外宮へは今年の6月の末に行き、光は見えませんでしたが
遷宮の予定地には何となく引きつけられてしまうのを感じました。
私は何もわからない方なのですが・・・
多賀宮は友人が撮った写真には確かに光の柱が移っており
著書との一致に驚いてしまいました。光が漏れてるようです。
そこをおりきった土宮に向かって左に行ったとこにある
小さな神輿のような社の方へ向かう話もありましたが
あそこには何かあるのですか?
何となく気になって仕方のないところだったのですが。
葉っぱは縦揺れしませんでしたが(笑
武術も習うそうです。家柄も関わってるようですよ。
私は当時O氏系S会で活動中?でしたが、義父のお蔭で伊勢には、当時より毎年何回か参拝させていただいております。外宮に初めて参拝させて頂いたのは、先回ご遷宮の前ですが御正宮参拝後、引っ張られるように多賀宮に・・・衝撃でした。ここにいた!やっと 見つけた!ううわ~ん お父さ~ん (大泣)迷子が親に会ったみたいに その場で鼻水涙 (恥) どうしてそんな風になったのか訳わからん かったですが、ここのブログに出会ってなんだか腑におちました。魂?(内在神だとウレシイ)の喜びだったんですね。生かして頂いてありがとう御座位ます。
義父さん、49日過ぎたら伊勢参拝して神恩感謝の御神楽奉納しますね!もちろん線香供養しっかりします!
リーマンさん皆さんお目汚しすいません
でした。
リーマンさん、皆さんを生かして頂いてありがとう御座位ます。
生かして頂いて ありがとうございます
また色々と学ばせてもらっているものです。
ただ今日は、四ヶ月男さんのコメントに関して
「音楽を職業にしているもの」としてちょっと一言コメントしたくなりましたので記させてもらいます。
お許しください。
四ヶ月男さんの一つ目のコメントに対してリーマンさんの答えはこうでした。。。
「それを何故、全体への一括くくりの発言と解釈するのでしょうか?」
同じように2つ目の四つ目さんのコメント・・・音楽人に対するコメント・・・に関してこう言わせてください。
「何故、音楽界のほんの片隅の話を音楽界全体の話として解釈、発言するのでしょうか?」
そして、もう一つ大事なことを音楽業界の「プロ」としてそのプライドにかけて書かせてもらいます。
「インスピレーションすらまったくの無からは降りてはこない」
ということです。
アイデアにもその降りてくる原因、要因が必ずあります。
アイデア作りやインスピレーションの感得を望むならば、まずはその「準備」「努力」が「必ず」要ります。
それを努力や準備と思わないには「好きである」ということが指針になります。
これは僕が音楽業界の一線で十五年以上にわたり仕事をしてきた中で(あまりに有名なアーティスト数多く手がけているので明言は避けさせてもらいます。申し訳ありません)ハッキリと自信を持っていえることです。
四ヶ月男さんが2で話したことは、
音楽世界の中のほんの小さな・・・正確には「たった一人の」人間の業務形態、もしくは人生の話に過ぎないのではないでしょうか。
ましてやそのことが「音楽業界」や芸術における「インスピレーション」などのクリエイティブの根幹にかかわる話に結びつくはずがありません。
さらに、その音楽人が四ヶ月男さんが言うとおりのことをしている人なのであれば、
それは音楽人としては一流とはいえないのではなのでしょうか。
音楽人に関して一流とは究極的には「キャリア」で付く肩書きではないですから。
個人的にはどんな業種でもそうだと僕は思っていますが。。。
僕の意見では
「どれだけ多くの人にそう=一流と認められるか」
が一流の証しです。
そして「認められる」とは=「人の役に立てた」という図式になります。
故にそういう人は「自然」と多くの人によってキャリアが作られていきます。
ここで何らかの結論付けをしようなどとは思いませんが、同じ音楽界で働き、生活している人間として、その名誉の為に記させていただきます。
そして、クリエーター(メジャーの多くの作詞や作曲、デザイン、映像作品も数多く手がけてきました)としてもそのプライドにかけ四ヶ月目さんにはもう一つ記させて頂きます。
四が月目さんが記したようなインスピレーションは僕らの世界ではありません。
努力無き・・・そして
「インプット無きアウトプットはありません」
インスピレーションとは潜在意識からくるものです。
潜在意識は日常のインプットから作られるものです。
その中には前世の記憶のようなものもあるのでしょう。もし前世があるのであれば。。ですが。
いずれにせよ無から有は生まれない実感が僕にはあります。
毎日どんな日常、生活を送っているのか。
その積み重ねの中から潜在意識は作られ、アイデアの原資は蓄積され、そしてある日、
「心から望んだ時に」それが顕在意識に降りてくるのです。
「毎日をどのように過ごすのか?」
プロとして何を大事に、何に時間を費やすか?
がインスピレーションの「素」になるということです。
とても普通の事です。
とても普通の努力のことです。
他の職業と何ら大きな違いがあるようには僕には思えません。
でわでわ。。
以上、ありがとうございました。
父は10年位前に亡くなり、祖母は熱心に信心しておりますが脳梗塞で半身不随です。
母と妹も熱心なほうです。
これが現実ですが、不幸とは思っていませんし、むしろ今の宗派に属し勤行題目を通し毎日生かされていることを感謝しているのか幸せなほうかと思います。
ところで、日蓮正宗のしきたりに合わせるなら私は勤行ができていませんが私自身も水をやり、毎朝と帰宅後は題目三唱が習慣付いております。
なかなか昔からの習慣が馴染んでいる為、新しいことをするには抵抗があるものです。
現段階私に出来ることを考えてみましたが如何でしょう?
今までどおりに仏壇に水やりと題目+伊勢白山道様の感謝想起と先祖供養で良いのでしょうか?
伊勢参りも時期があれば行ってみたいです。日蓮正宗を誹謗するつもりはありませんが教義から神社系には生まれてから参拝したことがありません。
もし、今行こうとすれば迷い(もしかしたら教義に背く恐れ)があり良い気分になれないです。
リーマンさんのこれからの時代に向けて提案なさっている(感謝想起や先祖供養の方法)が正しいと解っていてもです。
私なりに考えてみましたが良きアドヴァイスを頂けたら有難いです。
・・・墓参に行ってみてください。
???お墓がないのに?
と思い主人にそのことを伝えると、「昔はあったけど、そこから今の納骨堂に移った。だけどもうそのお墓も何もないはずだけど・・・今度聞いてみよう」と言ってます
休み明けのお仕事、明日から頑張ってください
義母に行かないでと伝えられただけでも、満足です
お墓は早々聞いてみます
ありがとうございました。
愛読者です。
この時期、この時にこうやってお会いすることが出来、そしてまっすぐ神道へ導いて頂き、私、私達はとても幸せと思います。
私は8月中旬に外宮、内宮、滝原宮、多岐原神社(摂社)に行ってきました。外宮はホント素敵ですね。滝原宮もとても純な感じがしてとても好きです。多岐原神社は行ったら泣いちゃった。
ところで、
私も外宮の巫女さんについてちょっとびっくり嬉しいと思うことがありました。
神宮のお札を買ったのですが、巫女さんが釣銭を多く渡してきた(300円ぐらいかな?)ことに途中で気がついて渡し返しに行きました。
それから外宮で感謝をささげ、1,2時間経ち
嬉しい気持ちの中、帰路についていました。
そうしていたら神楽殿のあたりで突然、その巫女さんに呼び止められ、先程の感謝の気持ちと神宮の手さげ袋に入れてあるお返し(神楽のパンフレット)を頂いちゃいました。ちょっとびっくり、とても嬉しかったです。
巫女さんはお返しを用意しながら、私達を探しながらずっと待ってていたのでしょうね。
礼節があり、とても素敵です。
日本っていいですね。リーマンさん。
今年の10月下旬、夫と帰国した際、日本に住む実母と3人で伊勢–白山の旅を計画しています。チャイコさんのコメントと全く同じなのですが、御神楽のお祓い(1万5千円)を3人で受けたいと思いますが、頂いた御札を海外に持って帰って、記事にあるように、お水だけでお祭りしてもよいでしょうか?そうであるならうれしい!
しかし過去記事には、その土地の精霊が寄るので止めたほうがよい、とのニュアンスだったような、、だけど御神楽(旅のクライマックス)は受けたいし、と悩みます。
もしくは母(神棚なし)に御札を祭ってもらうか。母にできるかな?との心配もあります。
以前霊○会に誘われ、息子の用事で会に遅れて参加させていただいた時(はなから入会の気は無かったのですが)女性が一生懸命話してました。
「一人でも多く、そして地域の方を巻き込んで・・・」「・・・巻き込んで・・・」「・・・巻き込んで・・・」
そこがとても印象的でした。
締めくくりのお経を読み出したとき、その声は次第に部屋中に響き気付いたら声は、前で読む人から聞こえるけど、そのものは表現できないような地面の底というかどこからともいえない底からの響きに聞こえて、次の瞬間私には会場が見たこともない黒茶色の墓場に見えたのでした。ちょっと怖かった。
ボォ~とコメント欄を眺めていたら、リーマンさん、懸命なんだなぁ・・・と思い、そしたらそんなことを思い出したのでした。昨日の様に地獄行きに悲しむ気持ちはあれからすっかり吹っ飛んで、飛びすぎて外国のスウェーデンかどこか北欧のアコーディオン音楽が頭の中で回っていました。ふとここに戻って今、そんな縁は解けてしまって欲しいと思いました。感謝でゆるゆると解かして・・・。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
(もちろん私を含めて)。これから日本の国も、世界中の国々も本当にすばらしく生って行くのだろうなー。そんなふうに感じ得ました。
生かしていただいてありがとうございます。」
14日に彩の名前で、宣言したとおり、線香供養を始めました。
お盆の間も、今まで母方の仏前にしかお供えのお土産や、熱心に拝む事はありませんでしたが、今回は、父方(実家)の仏様にもお土産をお供えし、生かしていただいて有り難うございます、と、唱えました。
実家の仏様は、私の変わりように 驚いているかもしれません!!位牌の中身を見て、祖父より前のご先祖様の名前を知り、不思議な気持ちになりました。
実は、今年の8/16日、お盆の最中に、居眠り運転の事故を起こして10年経ちました。
ずっと、母方の御先祖様が守ってくださったと思っていましたが、父方なのかもしれませんね。
顔面を強打しましたが、事故当時、あと2センチ下を打撲していたら、即死だったかもと言われました。
救急車で運ばれ、受けた緊急の縫合手術で、いい先生にご縁を頂き、顔の13針の縫合跡も、顔が変形するほどのヒキツレも起こさず、整形手術もしなくて済みました。
網膜はく離の診断ですが、普通に見えてます。
死に掛けた日から10年目にして、リーマンさんのブロ具を通じて、疎かにしていた先祖供養の機会が与えられた事を、感謝します。
○○~霊位を書くお札が小さすぎたので、改めないといけません。
なんとなく起きて、出掛ける準備をする毎日でしたが、毎朝の感謝の習慣ができて嬉しいです。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。
ぜひ伊勢参拝に行った時は・・私も大々神楽の御祈祷
を受けたいと思いました。
明日も続きのお話を楽しみにしております。
本日まで夏休みとのこと・・
まだまだ暑い日が続きそうですので、くれぐれも体調に気をつけて明日からのお仕事頑張って下さい。
生かして頂いてありがとう御座位ます
シャワーを浴びてましたらフト思いつきましたので書かせてください。
私たちのお預かりしている内在神=子が 神様=親に毎日お会いしてあいさつをするということなのかなと・・・そうであれば、神祭りはとてもあたりまえのことに感じられます。
そしてそう考えると 自分の親に孝行をするということは突き詰めていくと大親さま=根源神さまに親孝行することになるのかなと思いました。
連投失礼いたしました。
「生かして頂いてありがとう御座位ます」
初めて投稿させていただきます。
akiさん
(おくればせながら失礼します)
夫婦間に関するコメントありがとうございました。
>言葉としては、信頼の目線・包容力、許容ある姿勢・よく聞き、笑顔で分かり易い反応をする・命令調は全くなし、常にアドバイスか提案調・何事も、まずは一緒に居る現実があるから、ありがとう、ありがとう・旦那としての甲斐性、嫁としての甲斐性、お互いに出来ることを出し切る格好良さ・段々深まる尊敬の念・空気のように馴染み合う・本気なら共に白髪まで・不完璧に思うこころを許し、まずは明るく丸く収めるための言動をとる・
などの言葉が浮かびます
読みながらグッとこみ上げてきました(泣)
"格好良さ"←素敵です。
akiさんを見習って、
(真の)夫婦への道を目指してまいります。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
リーマンさんは、小林よしのり氏がお気に入りなんですネ♪
なんかウレシイなぁー☆
私も《ゴー宣》いっぱい読みました!
根源神には、天照大御神系と、国常立大神系があるという記述を読んだ時、ふと小林氏のことが頭に浮かび、「あぁ…よしりんは…絶対…国常立大神系だぁ…」と思ったモノです。
行く先々で、嵐が巻き起こりますもんネ♪
わぁー!リーマンさんと、小林氏のコラボッ!
実現したら…!?スゴ過ぎるぅー!!
その影響力は、計り知れないっスよーっ☆
ゼヒゼヒ!そうなりますようにっ♪
リーマンさんを、みなさんを、全ての命を、
生かして頂いて ありがとう御座位ます
アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ
今年は私にとっても、すごい始まりの年になりそうです。
今まで生きてきた中で一度もほとんど擦ることのなかった「伊勢」に今全神経が向いています。去年の今頃は想像もしなかったことです。
そんなご縁をいただいたことに、ただ感謝 です。
こちらのブログに出会う前に、なぜか今年は伊勢神宮にどうしても行きたくて、友達と一緒に伊勢旅行に出かけたのですが、外宮を訪れた日はなんと偶然にも夏至の日でした。
外宮の敷地内に入り歩き始めると、眼には見えないのですが、螺旋状のエネルギーが眉間の額あたりにぐるんぐるんぶつかってくるので、「わー、夏至の日の伊勢神宮ってやっぱり違うね~」と勝手に一人で関心して歩いていました。
翌日訪れた内宮では特に何もなかったので、螺旋状のエネルギーは夏至の威力と勝手に思っておりました。
が、先日電車の中で、そういえば今年も富士山に登らなければと思い、心の中で「富士さ~ん、こんにちは~!今年も登りに行きますよ~。いつもありがとね」と富士山に語りかけていたら、伊勢神宮外宮で受けたのと同じエネルギーが、額の眉間めがけてぐるんぐるんぶつかってきました。
伊勢神宮外宮で受けたのと全く同じエネルギーだったので、妙に気になります。
伊勢神宮外宮と富士山は何か関係あるのでしょうか?
何かご存じであれば教えて頂ければと思います。
神様に祈るだけの生活を何年もして、ひたすらに自分の役割をまっとうした、たくさんの年若いお姫様たちのことを思いました。
ありがたい。
生かしていただいてありがとうございます。
そういえば、結婚前の女性しか中には入れないんですよね、いまは大丈夫なのかしら??
伊勢の神様は女性に寄りやすいのかな?
天照太神が女神だからかな?
生かして頂いて ありがとう御座位ます
生かして頂いて ありがとう御座位ます
私も今年の七月に伊勢の神宮(内宮)に参拝させていただきました。御神楽のご祈祷を受けさせていただき特殊な御札をいただいたのですが、全くもって私の不注意で御札とは知らず御札の中を開けてしまいました。今その御札は部屋の高いところに立てかけて毎日水をお供えしているのですが。開けて中身を見てしまったことがとても気がかりです。このまま水をお供えして部屋に立てておいてもよいのでしょうか?よろしくおねがいします。
・・・墓参に行ってみてください。
また、教えてください~。
しかし、これからのことを考えましょう。
>あなたを 生かして頂いて ありがとう御座位ます
お返事いただきありがとうございます。
<厳しい試験と審査があるそうです。
やっぱりそうでしょうね。
それでも、全国から志願者が集まるとのこと。
すごいですね。今時の若い娘さんたちにも頼もしい方々がいることを思い、なんだかうれしくなってしまいました。
昨日のコメントに式年遷宮に寄付されて特別参宮賞をいただいた方がおられましたが、私も去年、当地のデパートで行われた伊勢神宮展に行って、そこで寄付をさせていただいて参宮賞をいただきました。(本当は神宮のお宮を建て替えるときの端材で作ったお社を頂けると言うのでそれが目的でした。)
北海道に住んでいるので伊勢は遠いです。
ただ、リーマンさんのブログで皆さんの伊勢参拝のコメントを拝見しているとやっぱり行ってみたいなーと言う気持ちがだんだん強くなってきますね。
実は新婚旅行で伊勢神宮に行っています。
ただ、外宮とか内宮とかお参りした記憶がないんです。神宮の敷地内に入っただけだったのかな?皇后様がお乗りになっていたという神馬に会ったことはとてもよく覚えているんですが。
そのお馬さんの目はとても澄み切っていて穏やかでさすが神馬は違うと思いました。
また伊勢に行きたくてしかたありません。白山にも。
今日の夜9時前でしたが、戸締りをしようと庭を見、ついでに空を見上げたら、夜なのになんとく昼のような雰囲気が感じられ、太陽が出てないのに無意識に太陽を見ているような気がして、気づいたら勝手に太陽を見てるような顔して「生かしていただいて~~」とつぶやいてました。
自分のささやきでことの事態に気づき、おや?夜で太陽見えてないのに不思議な感覚だな。と、思いました。でも、よくよく考えたら、夜になったら見えないだけで太陽はあるんですよね。
あ、いつも、感謝想起は朝も昼も夜も関係なくしています。
ただ、今夜は夜空に太陽を感じたもので・・・。
先日、舌癌であるとの診断を受けました。
私が癌になった訳は、何でしょうか?
生かしていただいてありがとうございますと、感謝でいた気になって、先祖供養を初めて二か月がたちましたが、癌と言われてからは、自分のよい子ずらしたメッキが剥がれたような気がして、呆然とした気持ちで過ごしています。
自分が、こんな弱かったのかと思うくらい、
夫の嫌な部分が我慢できなくて不満を言ったりとひどい状態です。
早期に見つかったことを喜んで感謝すべきなのに
気持ちが沈んで、前向きになれません。
お線香による先祖供養だけは、なぜか淡々と続けられています。自分が知るべきことが何なのか内在神の声が聞けません。
ちゃま様解説<内在神への道>・・・すみません、爆笑してしまいました~ リーマンさんってお茶目系? あっちゃま様系?(笑)
私は伊勢へは行ったことがありません。リーマンさんに出会ってからいつかは行きたいと願ってきましたが、昨日今日のコメントを拝見して「早く行かなくっちゃ」と焦る気持ちと御祈祷も受けたいという欲も出てきてしまいました。
過去記事に、2008年の辛酉は良くない日になりそうだというのを拝見したことがありますが、今回この時期に参拝されたことと関係があるのでしょうか?
私はここ最近の天候に「何か大きなことが起こる兆しでは?」という不安を覚えてしまいます。
9月18日は辛酉だし・・・・
私にできることをひたすらたんたんとしていきます。
昨夜主人に初めて線香供養をしてることを打ち明けました。
なので、主人に私の書いたものとリーマンさんのお答えを読んでもらいました
今横で、義母に電話をしてそのことを伝えています
なんだか、気分が悪いと寝込んでる様子です
やはり行かせないように何か働いてくれたのでしょうかね
寝込んでいる義母は気の毒だけど・・
先祖供養とお墓の掃除とありましたが、主人の実家は本家ですが、お墓は無く納骨堂です
納骨堂の自分のところの掃除をしたらいいのでしょうか?
たくさんのコメントの中で、質問ばかりですみません
本日も、心が洗われるような清々しい記事をありがとうございます。
神霊が寄るような穢れのない若い神巫女さんの所作・舞を是非とも一度拝見したい!! そのように強く思いました。
伊勢神宮の神巫女さんたちは、厳しい精進を常日頃されていて、プライベートな時間があったとしても清らかで美しい時の過ごし方をされているのでしょうね...。
「日常を丁寧に美しく生きる」ことに最高に憧れるのは、そこからとても遠く離れた生活に甘んじてしまっている自分だからだろうな~っと恥ずかしく思いました。
雑然とした日常に押し流されている感覚の中、「泥の中に蓮の花は咲く」なんて言葉を使ってみたりしていましたが、それは苦し紛れの自己正当化に他ならなかったな...と本日も大いに反省する次第です。
神霊が寄られる方は、優しい言葉・美しい動作・温かい心を使うよう自らを律し日々精進されているに違いありません。それこそ、おのずから光っていらっしゃるのでしょうね...。頭が下がります。
上位の神官による「ゆっくりと物語を語るような優しい口調の祝詞」。これまた是非是非拝聴したい!!と思いました。うわ~、どんな発声方法なんだろう?
毎朝、神棚の前で上げさせていただく大祓祝詞が、あまりにも訥々として素人くさいので、勉強させていただきたいな~っと思います。なんだかワクワクしてきました。
生かして頂いて ありがとうございます
生かして頂いて ありがとうございます
アマテラス オホミカミ
アマテラス オホミカミ
7月に伊勢で祈祷をさせて頂いたおかげで場所の細かい様子が記憶にあり、目に浮かぶようです。
外宮のお札を売ってくださる巫女さんも、たおやかな応対で心なごみますよね。最後にお神酒をいただいた、土器のかわらけを今も持ってます。
りーまんさん、よしりんの漫画を読んでたとわ。クセが強いけど面白い社会派エッセイ書ける人ですよね。自分、仕事場が念願の漫画関連になったので、しばらくご無沙汰していた漫画をまた書き始めようという心がまた起きました。…自分個人的に「s学会を止めた自分のエッセイ漫画」…生まれつきやってた宗教をどうしてやめようと思ったか、その一連の流れとその心境に至るまでを漫画にして、しかし、神様仏様事でもうけようとは思わないので自分のウェブなど立ち上げて読みたい人にはただで読めるようリンクする…というのを、やってみようかと考えてたところです。必然、内在神への道との出会いと実践した心の変化なども取り上げることになるなーと思いつつ。
単に、私の回りの会員や友人に、私の心境の変化を一番うまく伝えられる方法かなと思いついたから。
前に「人徳を積む」の質問にりーまんさんが返していたコメントで、先祖供養と神祀りをして得られた各々の境地のあと、自分が他に対して何をしてあげたくなるか… …この「何をしてあげたくなるか」の部分が、自分的には漫画を描いて人を喜ばせてあげたい、ということみたいです。
私たち家族も先日一泊でお伊勢参りに行ってきました。
不謹慎かもしれませんが、とても楽しい旅行になりました。子どもたちもスペイン村には行けないけど、抵抗なくお伊勢参りを受け入れてくれました。
私の母親から聞いた話です。母の祖母は農家でしたが、不思議な人で癇の虫が出せる人だったそうです。遠くからでも噂を聞きつけてくる人達がたびたびいて、指に墨で文字を書きお経のようなものを唱えるとクモの糸のようなものが爪の間からでてきたそうです。
当時お金をもらっていたかはわかりませんが、そういったことは今でもお寺さんなどでやっているそうですね。よくないことなのでしょうか。
また母の祖母はよく朝日を拝んでいたそうです。
生かして頂いてありがとう御座います。
自身、その方に会った時は、
怖いくらい仕事も順調でしたが、
そのときの利益は今手元に残っていません。
マイナスです。
今、ツケを払っているのだな~と実感しています。
リーマンさん式のの短冊に変えてみます。
あと、北陸方面に日帰りで行く予定が、
パートナーが泊まりがいい、とダダをこね、
予定に無かった、
白山比め神社にあさって参拝する事が叶います。
偶然にも年始に外宮でご祈祷を受けていますので、
伊勢 白山ラインご縁ですね。
(白山は比め神社さんで良かったですか?)
ありがとうございました。
リーマンさんのコメントにある
~ もし、伊勢神宮で御祈祷を受けたいならば、一番基本の御神楽(おかぐら、1万5千円)で充分だと思います ~ を読んで次回の参拝の時には御祈祷を受けてみたいと思いました。
今回の参拝時に御祈祷を受けたいなあと社務所に行きました。
御神楽の種類と料金を見て どれを選べばいいのか、料金も一人にかかるお金なのか1グループでの料金なのか社務所の方に聞けばよかったのですが
家族以外に母子家庭の親戚もいてましたので 正直、お金の事が気になり 今回は受けるのをやめました。
次回の為に ちょっとずつ御神楽貯金をしたいと思います。
私は、もともと神社仏閣など全く興味も無く過ごしていましたが、数年前から知人の影響でスピリチュアルなことに関心を持ち始め、それ以来あちらこちらへと神社仏閣巡りをしてきました。元々関西に住んでいましたが、こちらのブログを読んで、まさか伊勢がそれ程の場所とは思いもよりませんでした。そして、今年は三年振りのお盆の帰郷も兼ねてお伊勢参りを実行させて頂けました。
実家を朝五時に出発し、電車で三時間掛けて朝の八時半くらいに外宮に到着し、「ここが<あの>外宮か!」と独り興奮しながら歩いていました。実は、私が中学生の時、遠足か何かで多分外宮と内宮は一度参拝したことがあると思うのですが、当時は全く興味が無かったため、外宮では境内の池に石を投げて遊んでいて宮司さんに怒られ、内宮では追いかけっこをして鶏の止まり木らしきモノを折ってしまう、といった死ぬ程バチ当たり行為をしたことがありまして、今回はこれらのことを謝罪しながら参拝を進めました。
外宮の参拝後、月夜見宮、倭姫宮、内宮と歩いて廻りヘロヘロに成りながら内宮を参拝した後、バスと電車で伊雑宮を廻りました。伊雑宮でも「ここが<あの>伊雑宮か!」と独り興奮しながら参拝を終え、ふと、少し離れたところにある伊雑宮の田んぼにふらりと立ち寄らりましたが、この田んぼの景色がとても清々しく綺麗なので驚きました!その後、帰路につきましたがずっと電車で寝ていました。
今回はお盆に伊勢参拝となりましたが、ふと、これは魂のお盆帰りにもなったのかも…?とか考えさせられたりもしました。いつか機会があれば、白山にも行ってみたいと思っています。それでは失礼しました。
実は私も同じ日に外宮、内宮、伊雑宮とお参りさせていただいておりました。
外宮に9時半ごろ到着したので、きっとリーマン様の後ですね。
そして今回、はじめて伊雑宮にいきました。
風と蜩の声と木漏れ日。
穏やかで何度も何度も深呼吸したくなりました。
自然と心が和らいで顔がほころぶような感じでした。
うまく言えないのですが、伊雑宮のような雰囲気の女性になることを生涯目指したいと思いました。
高い目標ですが、毎日たんたんと積み重ねて生きたいと思います。
いつも、ブログの更新していただいて、
本当にありがとうございます。
明日から、お仕事がんばってください。
生かしていただいて、ありがとう御座位ます。
上の息子が1-2歳の時、家族で伊勢に行きました。
13-4年前になりますが、神楽を見て、でかでかの
お札をいただいてきました。
振るとカタカタと音のするお札で、ありがたすぎて、
今も神棚にあります。巫女さん当時も美しかったです。
今日のお話を読み、近いうちに伊勢にいき、お札を
納めてこようとおもいました。10年は長すぎますね。
・・・あなたが、伊勢から御札を受けて、実家に行くことで霊線が引かれます。
それで良いですよ。
御札は、500円の剣祓札でも良いです。
九州から普通電車と快速を乗り継いではなかなか大変でしたが、歩いて行った昔の人に比べれば楽です。
名古屋で一泊しましたが片道の交通費は4千円ほどでした。
短冊・三本線香の供養を始めたら朝、起きるのが楽になりました。以前はだるくて辛かったです。
霊感が無いので分かりませんが、何かに頼られていたかもしれません。
右側の枯れについては以前の日記を読みましたが、左側の枯れはどのように解釈すればよろしいでしょうか?
それで良いですよ。
前にリーマンさんが「神祭りをしたい理由を問うてみたい」という旨のことを書いてらっしゃったように記憶しております。その時、自分はなぜ神様をお祭りしたいのだろうか?と改めて考えました。
その時の自分なりの答えは
①どうしてもしたいからする
②神様(天照太御神さま・根源伸様)に感謝をお伝え したいから
というものでした。
そして今日何となく考えておりましたことは
③神祭りができる環境だからということ。さらにでき る環境を与えてくださっていることへの感謝をお伝 えしたい
と繋がって、感謝の環が拡がっていくのかなと感じました。
読んだだけでも、その場の空気が伝わってくるようです。
明日からお仕事なんですね。リーマンさんでも「あ~」なんですね(笑)
御神楽、伊勢デビューの際には是非私も受けてみたいです。
私は今実家を離れてくらしていますが、御神楽を受けて、頂くお札は自分の住まいに置かせていただくことになると思いますが、神棚のある実家にも、と思った場合代わりに頂いてくることは間違いでしょうか?
ほんとだったら実家の親自身が行って頂くのがベストであるとは思いますが、何せ老体、多分遠路の往復は無理かと思います。
よろしければご享受ください。
よろこんでくださるといいな♪
本日も、生かして頂いてありがとうございます。
僕は、特に水は捧げていません。というのは、用意する際、余計な感情が入ってしまうような気がするからです。
つまり、朝、非常にだるい時なんかに、面どくさい気持ちが水とかその他のものにつくことが嫌なのです。
だから僕は、自分を過信しない為にも最低限の「線香鉢」「短冊」「線香三本」しか用意せず、神棚も在りません。
でも、その最低限のことだけ出来れば◎のような気がします。
>いっしょにお水も差し上げたいなとは思いますがお線香と一緒に供えた後、お道具を片付けるときお水も一緒に下げてしまってもいいですか?
供養が終わった後に、道具を下げるのは約一時間後くらいと以前、リーマンさんのコメントを見た気がします。
その時に、一緒に下げれば云いのじゃないでしょうか。
>あんまり早くしまうと「まだ飲みたかったのにー」と
思われたら気の毒だなと思ったので。
僕は、むしろ水を捧げる気持の方を気にかけたほうがいいとおもいます。
先祖代々、家族ごとで繰り返しているパターンがあって、今もそれがこの家で繰り返されています。それを知っていて、自分の魂がその家系を選んで、そこに入れてもらって、そこに入ってきたのかなと山道を歩きながら、思いました。
私もその家族のパターンを利用して、自分の因果の現れを経験するか、魂を練るために来たのかもしれないのだなあと思いました。
そうは、思うものの、実際に、試練の最中だと、何とかこなすのに精一杯です。今も、心を何とか立て直しながら、感情にゆさぶられながらです。
それを我慢するとかだと、また、意味が違ってくるのですよね。内在神にも、我慢させてしまうのでしょうか。
淡々と、感謝をもって、受けとめる。
なんて、できたら、ああ、それが出来る人を尊敬します。まだ、自分はそこまで到達できていません。
今は、試練を与えてくれる人の名前をつけて、「生かしていただいて、ありがとうございます。」をひたすら唱えています。
生かしていただいて ありがとうございます。
まだ行ったことのない、お伊勢参りへのワクワク感がますます大きくなりました
それにしても、リーマンさんの文章の描写力は実に見事ですね。まるで映画を観てるかテレビゲームをプレイしてるかのような感覚で読ませて頂きました。リーマンさんの感動がそのまま文章になったみたいな感じがしました
そして、神巫女さんの神聖さが、NHKで放映中の韓国ドラマ【太王四神記】に出てくる女神官の様子とイメージが重なりました。
実際には全然違うのかもしれませんが・・・
とにかく、今日の記事はいつも以上にワクワクでした
生かして頂いてありがとう御座位ます
・・・いけば、先祖霊がどうのと言うでしょうね。
搾取されなければ安心できない様では、不幸の種は尽きません。
しかし、これは、先祖供養とお墓の掃除改善で霊的なものは改善されます。
あんまり早くしまうと「まだ飲みたかったのにー」と
思われたら気の毒だなと思ったので。
・・・寄り代である短冊を仕舞うのですから、全てを仕舞えば良いです。
ご先祖様にも…
リーマンさん突然失礼とは思いますが、質問してよろしいでしょうか?
14日の夕方、幅6、7mくらいの光の束のような物を見ました、虹なら光の屈折で色が見えるはずだと思います。
束の中はキラキラ光っていたのはわかりました、ほんの4、5分の間に虹が消えるように最後は伊勢の山の方向に消えたと確認出来ました。
あれが太陽柱でしょうか?
ぜひ教えて頂きたいです。
毎日の習慣になってきました今日この頃です。
ありがたいことです☆
さて、気になっていたことをひとつ伺いたいのですが。本のなかで、「お線香とお水も差し上げると良いですよ。」とリーマンさんが書かれていたと思うのですが、、そのことについてです。
私は、お線香を3本立てて感謝を行った後、
お線香が消えて30分後にはお道具をしまいます。
短冊も伏せてしまいます。
いっしょにお水も差し上げたいなとは思いますが
お線香と一緒に供えた後、
お道具を片付けるときお水も一緒に下げてしまってもいいですか?
あんまり早くしまうと「まだ飲みたかったのにー」と
思われたら気の毒だなと思ったので。
過去ログにあったら申し訳ありませんが
わからなかったのでお伺いしてみました。
今日の記事はこちらまで神聖な気分を味わえた感じです。ありがとうございます
昨日義母からの電話で、主人の実兄が左足の怪我をして、明日が手術になったとのこと。
最近義母も左足を怪我して、腰も悪くなり・・・と
災難続きだから、リーマンさんを知る前に私が頼っていた先生(線香をあげながら、お話を聞いてもらい、障りがあれば、どうしたらいいか教えて頂き、お布施をあげるという流れ)のところに、何かが障っているのではないか行きたい、と言われたのです
正直、私はリーマンさんに出会い、一生そういうところに頼らない気持ちになれたから、線香供養で生きようと思ってた矢先のことで・・
たぶん義母は私に先生のところに同行して欲しいのではないかということ。
中まで入らないにしても、家の前まで連れて行って欲しいのでは・・・
電話は途中で主人と変わり、実兄の話をして、最後は
また嫁に(私に)連絡したらいい」と切ってました。
教えて頂きたいのは、今まで先生に頼っていた私が、義母に「先祖供養のみですよ」など、困っている義母にとても言うことが出来ません。
でも、義母にもそんなところに相談に行って欲しくない気持ちは強いです。
今日明日にでも行きたい義母を行かないように気持ちを変えるには、どうしたらいいのでしょうか
義兄や義母の続く怪我に意味はあるのでしょうか
私は、人生経験のひとつの災難と思うのですが。
すみません、お願いします。
今日も 生かして頂いて有難う御座います
アマテラスオホミカミアマテラスオホミカミ
リアル路線となるとどの辺りかなぁ。最近人気の小畑健氏という描き手もかなり上手いですけど少年ジャ○プでの連載となると監修が難しそうですねぇ。
「リーマンノート」っていいですね。主人公に名前を書かれた人は急に覚醒してひたすら苦労して内在心発露。他人の為に尽くしたくなるってのはどうですか?
…リアルか…ちぇ。少女マンガは想定外ですか?いえ、ちょっと訊いてみただけです…。
過去記事はすべて読ませて頂いているので分かってる筈なのに、改めてお伺いしたくなって・・・
申し訳ありません。
ご先祖供養は先月より毎日続けております。次男に嫁いだとはいえ、御先祖様に供養したいと思っていたので、リーマンさんの教えて下さった三本線香の方法はとても自然に続ける事が出来て、毎日感謝しています。
秋頃、三重に引っ越す予定なので、その時に神様をお祭りしたいな。と思っています。ただ、御参りは喪中でも可。との事ですが、神棚はどうなのだろう?と。急がなくていいのなら一周忌が終わってから考え様な?と思っています。
御答え下さってありがとうございました。
不正行為、それを助長させる行為、見て見ぬふりをする行為・・・・厳しい世の中の荒波の中で、ここの本性(内在神)が試されています。要は、結果として「ベストを尽くしたか?」が問題であると思います。
「見て見ぬふりをする行為」は確かにいけません。しかし、そうしないと家族(一番大切なもの)が守れないのならば、それが状況の上でのベストな決断なのかも知れません。
むしろ、ナイフを振り回す輩に、「見てみぬ不利は行けない」と立ち向かい、殺されたら家族はどうなりますか?
「匹夫の勇」は、誉められたことではあえりません。場合によっては、時が来るまで「待つ」ことのほうが、「勇気」ある行動の場合もあります。
必ず、「不正な側」に立つ人間は、長いスパンでは、いつか尻尾を出します。
そのとき、「見て見ぬふりをする行為」に対する罰があれば受ければ云いと感じます。ただ、状況によっては、本来の目的の完遂で相殺(免責)されると思います。
何事も、罰を怖がって「なにもしないこと」のほうがまずいのではないかと感じます(確かに、なにもしなければ、罪が発生しないため罰は受けないでしょう。しかし、信頼関係をベースに考えると不作為の罪も頭に入れるべきです。)。
とにかく、見えない世界を出汁に金を稼ぐ行為は、「心の最後の故郷(父母)を人質にとって、強請っている行為」に等しく、万死に値する卑劣な不正行為であることに間違い無いでしょう(だって、故郷(父母)に裏切られたら人は明日から何を信じて生きていけばいいのでしょうか?)。
今日のコメントと関係ない質問ですいません。
いつもブログ読ませて頂いています。
生かして頂いてありがとう御座位ます
この内なる声というのは、まやかし?本来は、空の、無音の存在なのでしょうか…
外宮参拝のおりにはお神楽申し込むつもりです。
今日のお話とは関係ない話なのですが、
いつも車で通る河川敷の遊歩道に毎年秋になるとコスモスが咲き乱れとても綺麗で、その季節は毎日そのコスモスを見て通勤するのが嬉しくて仕方ありません。
そのコスモス畑を毎年造るために今の暑い時期に土壌を整備して種を植えているようで、先日から暑い中数人で作業をされていました。その姿を見ていたら、この方たちのお陰で毎年綺麗なコスモスを見ることができているのだと急にものすごい感謝の気持ちでいっぱいになって胸が熱くなり、その熱いものが自分の心の中にあるしこりのような物を小さくしていってるのを感じました。とても不思議な気持ちでしたが、その後ゆったりとした優しい暖かいものがこみ上げてきました。
リーマンさんがいつもおっしゃっている「感謝の気持ちで溶かす」とはこういうものなのかもしれないな・・私の心の中の沢山あるしこりの1つが日常の何気ない風景を見たことがきっかけで溶けていった事にまた新たに感謝の気持ちで一杯になりました。
今日は私にとってはとても素敵な一日でした。ご先祖様やリーマンさんのブログや沢山の方のコメントで学ばせていただいているおけげでこんな私でも少しずつ変わってきているようです。皆様に感謝です。ありがとうございます。
入所するには、厳しい試験と審査があるそうです。
完全寮生活で、全国から志願者が集まるようです。
「不思議で飯を食う2」で芸術家を例にとったのは、インスピレーションを必要とするところがあるので、書きました。
大昔のシャーマンは、政治家と芸術家と医者を合わせたような存在だったと聞きますし。
少しばかりでも、「不思議」な要素が介在する職種は、内心に恥じない生き方を要求されていて、例外ではないかな、と思って投稿した次第です。
だとすると、絵を描いたり、音楽を演奏したりするのと、(箸のような棒で)易占いをしたいりすることと、あまり違いがわかりません。
上記の場合は、インスピレーションや霊感?を必要とすると思いますが、易やカバラは、すでに体系化された学問で、知識なので、神がかった要素を芸術家以上に見出せません。
易は長い年月をかけて、自然を観察して得たものだと聞いたことがあります。カバラの成立は知りませんが、数学者が関係していたりするようです。
易もカバラも不思議な雰囲気はありますが、不思議な世界のものなのか、考えていると、そうでもない気がして・・・。神仏というよりも、自然科学的な物に見えてしまいます。
手相も、最近、脳内の状態が手のシワに現れると聞きました。人相学と言われる物も、不思議というよりも、長い年月をかけて積み重ねた、学問に思えるのですが・・・。
私にはまだ、その違いが分かりません。
何度も投稿して失礼しました。
リーマンさんいつもありがとうございます。
生かしていただいてありがとうございます。
私にもこのお巫女さんたちと同じくらいの年頃の娘がいますが、まだお若いのに神霊の寄られる神巫女さんてどんなご両親の元に生まれてどんな育ち方をして、どういうご縁で伊勢神宮で巫女をされるようになったのかなと思いを馳せてしまいました。
日ごろの精進もさることながら、きっともって生まれた魂の清らかさが違うのでしょうね。
わたしもいつか伊勢神宮に行きたくなりました。
それまでは2本線香で供養します。
リーマンさんお答えありがとうございました。
・・・できれば、そうして下さい。
その方のは、一度、仏壇から外して仕舞っておき、御自分で伊勢白山道式をやってみて、合う方を選択すれば良いです。
過去記事にある、フトノリトは・・・・天照太御神を2回奏上ですので、20音です。
20年をこれに掛けました。
今年は、天照太御神の発動の年です。
私の活動もこれに関係します。
伊勢神宮への参拝や御祈祷は受けたいなら急いだ方がいいのでしょうか?
・・・いいえ、関係ありません。
先祖供養だけは、した方が良いです。
神祭りは、したい方だけすれば良いです。
父の分まで力強く、みんなで生きていきます。
偉大な父を誇りに思い、頑張っていきます。
天国から父が安心して暮らせるように。
本当にありがとうございました。
それともう一つお聞きしてもよろしいでしょうか?
その光は見え始めたときは緑で、
去年の年末頃に気づいたときは銀色、
現在は白熱電球のような色なんですが
これは何を意味するのでしょうか?
感謝いたします。
お寺の都合で1週間早く、49日の法要をいたします。
それまでに私たちができることは
故人に未練や執着を持たず成仏してくださいと願うことだと思っていました。
母がまだ一週間しかたっていないのに。。。
ととめましたが、今日は父の靴を処分すべく、玄関の掃除をしました。
もうここはお父さんの居場所じゃないんだよ。
そう心で語りかけながら、9/14まで
家を整理して行こうと思っています。
まだ現状を理解できていない父へ
もし、他にやれることがあれば。。。
ご教示ください。
本当に有難うございました。
ふとした事がきっかけでこのブログにたどり着きました。
いつも拝見させて頂いています。
今日は伺いたい事があり、
初めて書き込みさせて頂きます。
私は、高齢の霊能者の方にここ数年お世話になっています。高額を請求された事はありません。
その方の手書きの紙の短冊に『○○家祖神命』と書いてある物を仏壇に入れて毎朝お祈りしているのですが、
やはり自身で書いた『○○家先祖代々の霊位』の短冊に変えた方が良いですか?
一緒におかない方が良いでしょうか?
ブログを発見してから、
短冊は作らずに3本供養を始めました。
なんだか今日はいても立ってもいられなくて、、、。
申し訳無いのですが、コメントを頂けると、
その方と離れる良いきっかけになるかな、と思いまして。
生かして頂いてありがとうございます。
これらと、神仏を利用した脅迫詐欺は、死後の罪の重さが違うのです。
・・・無い場合は、短冊を自分で作成して、仏壇に置きます。
検索システムで調べてね。
ぞわぞわ~ときてます(笑)
素晴らしいですね!本当に。
生かして頂いて、有難うございます。
とても勉強になります。
一つ教えて頂きたいことがあります。
仏壇で3本線香の供養を行っています。
仏壇にご先祖様各々の位牌はあるのですが、「先祖代々の位牌」があったかな?とふと気になりました。
確認しましたがないかもしれません。
字が薄くなり読めない位牌もあり、これから親に確認します。
仏壇で「先祖代々の位牌」がない3本線香はやらないほうがよいのでしょうか?
そういう人間はいずれ天罰が下るでしょう、てかそうなることを願います。
不景気で先の見えない世の中、人の不安に乗じて、嘘偽りで「商売」するような、罰あたりな輩が後を絶たないのは悲しいことですね。
生かして頂いてありがとうございます。
(ひとり暮らしの部屋で神棚がなく、御神楽や、
大々神楽でいただける御神札はどうしたら?また幾ら必要なのかしら? 神棚がない場合は御祈祷をしていただくのは無理かな? など)
知りたい事が、うかがわずとも自然に記事されている事が、多々あります。ありがたい事(^-^)です。
次回、参拝させていただいた時には、御祈祷(御神楽)をと思っています。
その時まで、御神札を置かせていただくのに恥ずかしくないよう、部屋を奇麗にしておきたいと思います。
(御神札が部屋に。。。と創造するだけで、わくわくします。そして生活がピリっと良い方に変化しそうです。)
生かして頂いて ありがとう御座位ます
私はリーマンさんの足を引っ張ろうと思って書いたわけではありませんが、「全体への一括くくりの発言と解釈」していました。
しかし、その以下に書かれた、リーマンさんのコメントを読むと、これは霊能者のように、見るからに不思議な世界でなくても、ありえるかな、と思いました。
たとえば、芸術家がそうだと思いました。
神がかっている場合もありますし、自分の才能や技術によって得た地位などを使って、金儲けをしますよね?
音楽家(声楽)に例をとると・・・
華々しい経歴から音大の教授になり、毎年リサイタルを開いては大儲けをする。
しかし、まっとうな稼ぎ方なら良いのですが、実は貧乏な音大の弟子達に、高額なチケットを何枚もノルマとして渡し、当然のように「サバケ」というのです。
師匠に渡されたチケットを全てサバクなど、到底無理な話なのです。が、だからと言って、売れ残りを師匠に返券するわけにもいかず、貧乏学生が自腹を切って、その埋め合わせをして、師匠に売り上げとして、渡すそうなのです。
師匠は、「リサイタルをすると海外旅行にいける」と、なんら良心の呵責は無いようです。
これは、音楽界では決して珍しいことではないそうです。
しかし、中には「売れ残ったらチケットもどしてね」と気遣う先生もいます。
多分、自分が学生時代に、それで苦労したのか。あるいは、学生からせびりとった金で豪遊する同僚の醜い姿を目にして、「するまい」と思ったのか。
真相は謎ですが、やはりそれ相応の音楽を表現すると思いますし、自身「音楽は内面の表れ」と、良く口にしています。
私は、その優しい先生の演奏前には「決して泣くまい」と意を決して、椅子にかけるのですが、歌い始めると、どこからそんなに出てくるんだ!と言いたくなるほど、涙と鼻水が止まりません。特に、言葉を理解できる日本歌曲は我慢できません。
その先生は、つい最近、がんを患い、幸い手術は成功し転移も無いようです。今は放射線治療を続けているようです。
が、残念なことに、がんを不安に思い始めてから、声が出ないようで、今は舞台に立っていないようです。精神的なもののようですが、早く回復してほしいです。
生かしていただいたありがとうございます。
父が子供の頃私に、えびす神社の巫女さんになったらいいな、と言ってくれてた様な、懐かしい記憶がおぼろ気に返ってきました。とんだ大違いな人生を歩んでいる私はごめんね~とちょっと後ろめたいけど、妙に今は自分が好きで、温かい胸騒ぎ。買い物時ラザニアなんか見かけたら、異国チックに浸りたい気分にまでも。パスタ、チーズ、スープ、アコーディオン音楽、笑顔、笑い声、抜けるような青空、民族衣装にダンス・・。こんなにどっぷり伊勢、伊勢神宮のブログの中で、私ってなんて変子な子。この心の動きは如何に!?でもきっと世界中に神霊を宿し、自然を大切に、慎ましく日々の営みと伝統を守る人々もいてるんでしょうね・・。少数かもしれませんが・・。関係ないコメントをスミマセン。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
先日は気になっていた日蓮の出目について教えて頂きありがとうございました。
本日は先週無事白山登拝させて頂いた折の、”お正月に外宮様と内宮様でお布団一枚
ずつ貰ったという夫に羽根が生えた?!”報告をさせて頂きます。
登山中は暑くならないよう霧が出て涼しく、見晴らしのよいところまで行くと急に晴れ渡り、
ロッジでは満天の星空...無事家族で頂上奥宮登拝叶いました。
帰り道のことです。
ロッジの方々にお勧めルートを確認した時、誰もが砂防新道と答えるのに、一人だけ観光
新道がお勧めとおっしゃる方がいました。最後はキツイと念を押されていましたが...
お花畑の景色を楽しんだ後は想像以上に急な斜面を降りるキツイ下山となりました。
子供が室堂で絵葉書を送るのを待っていたため予定時間ギリギリ。出合の17:00最終
下山バスに乗り遅れるのではないかと不安になってきましたが狭い岩場を降りるので
足がガクガク、進みません。
16:55"出合いのバス乗り場まで後1km"の標識を見た時、夫だけでも先に下山してバス
の人に連絡をしてもらうよう頼みました。すぐ真下に広場が見えているのに5分では到底
無理そうです。
以下夫の話です。
「先に下りていくと座り込んでるおばさんと目が合ってね、ご主人が岩場で転んで足を痛めて
降りられないって...。そのおばさんが”助けてください!バスを止めてください!”て言うんだ。
家族だけなら夜道を歩いて下山しようかと思ってたけどあのままだったらご夫婦とも大変だと
思って...。
何故か口が勝手に”大丈夫です!僕がバスを止めますから!”て言ったんだ。
そしたら突然リュックが何かに吊られてるみたいに軽くなってね、重かった足が勝手に動いて
ピュンピュン飛んで降りたんだ。景色は流れてるのに足元だけは何故か映像が止まったよう
に確認できて怖くないんだ。火事場のバカ力っていうのかな~?」
「よく見てるスターウォーズとかマトリックスみたいな動き方?」
「そうなんだよね~」
確かに、さっき別れたばかりなのに気がついたらもうバスの広場に居る夫のリュックが見えて
変だな~と感じていました。
何とか出口までたどり着くとご夫婦が”命拾いをしました。ありがとうございます。”と何度も
おっしゃるのです。バスは4分遅れで出発し、皆さんにお詫びをしながら無事下山しました。
我々はその後淡路島に向かいました。苗字も変わった親族が3組夫婦ごとに各地から一宮の
伊弉諾神宮に集まり仲良く参拝、そしてまた別れました。
白山登拝前に平泉寺白山神社の本殿御祭神のお名前を確認した時、そして頂上奥宮参拝時
にお宮が向いている方角に気がついてなるほど...と思いました。夫と私を受け入れてくれた
婚家を心から尊敬し感謝する、伊勢-白山道に出会わなければ、そんな当たり前の太古の
昔からのキーワードにも気づけずにいました。
リーマンさま、ご紹介くださったIさんに心よりお礼申し上げます。
皆さまを生かして頂いてありがとうございます。長文お許しください。
それらの人間と、社会競争で生きる人は、全く別です。
けっこうあるんですよね。私の好みになってしまいますが
釣りバカ日誌、ドクターコトー、ナースのお仕事もそうでした。リアルを追求すということは、こんぶ好きで汗の似合う俳優さんが必要ですねー。あっ、その前に漫画化か。
自分でも何で涙が出たのかわかりません。
生かして頂いてありがとう御座位ます
世の中不正にまみれている、垢どころか腐敗臭がぷんぷんする。
企業の不正(賞味期限の改ざん、偽装表示、耐震偽造)教育現場の不正(某県の教員採用試験)、医療現場の不正、政治の腐敗・・・・数え上げたら切りがありません。
霊能者や、占い、神様商売以上に恐ろしい「バック」がいそうですらあります。
その背後存在は・・・
直接不正を働かなくても、生活のために片目を瞑って(見て見ぬふりをして)いる人は大勢います。
良心にそって生きようと思ったら、ものすごく生き難いのがこの世の中、悲しいことですが、
営業マンをされているならおわかりと思います。
良心の痛みを感じない、または良心をもたない人が現実にいます。彼らは皆、地獄墜ちするのでしょうか?
場所に拘るよりも、あなたの「良心」が内在神です。
この『二十ふと年の伊勢参拝』シリーズ?は、明日が待てないぐらい楽しみです!
ところで『二十ふと年』というのは深い意味があるのですか?
伊勢神宮への参拝や御祈祷は受けたいなら急いだ方がいいのでしょうか?神棚も出来たら今年中に始めた方がいいのでしょうか?今年に意味があるなら、なんとか今年中に頑張りたいです。
いつも楽しく読ませていただいて、ありがとうございます。
今回の掲示から、リーマン様が神恩感謝のときの光景が、とてもリアルに伝わってきて、読んでいてとても清涼な明るい広がりを感じました。
そして、リーマン様ならではの観点で見い出される、神巫女の方々についてのコメントを読みまして、さすがお伊勢様ならではだと、いろんな意味合いで感心してしまいました。
いま神巫女としてお仕えする方々の生い立ちが、観ておわかりになったように、その立場になるまでには、様々な経験をもたれて、今この時に、お伊勢様にお仕えさせていただく立場となられた方々なのだろうなと、読ませていただき察しています。
なにか俗世間とは一線を画した、神妙な環境で生かされる方々は、見ていて爽やかな、優しい明るさを感じる方々なのだろうなと思っています。
現在二十歳位の方々とは言え、いろんな処世を通じて、こころの練り上げを経たような、玉のようなおこころの方々として、今般おそらく、神巫女に選ばれて生かされているのかと、思っています。
お伊勢様のお側にお仕えする方々には、そのような調ったおこころを持つ方々がお仕えするように、不思議と選ばれているのでしょう。
読ませていただいて、神巫女の方々を想い、何かしら自省の念もあわせて、浮かんできました。
今日もこのような気付きが与えられますのも、毎日のリーマン様の掲示のおかげです。
感謝御礼申し上げます。
生かしていただいて、ありがとうございます。
・・・ありますよ~。
私は、鬼才小林よしのりが好きでしたね。
ちゃま様は、家族内で話にでます。誰かに似ていると。笑。
伊勢白山道の漫画は、リアルなタッチの方が良いですね。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
毎日楽しみにしております。
最近内在神への道を読み返したのですが、
内在神は胸の辺りに宿るとありました。
実は僕は2年程前から時々、
または意識を集中した時に、
胸で熱いものを感じ、振動しながら光っている
ものが見えます。
これが内在神と思ってよいのでしょうか?
お盆に人生で初めて、内宮、外宮、伊雑宮にお参りしてきました。
ただ、「生かして頂いてありがとうございます。」
とい宣ってきました。
僕は全く霊感がありませんが、気取らず、飾らず、1千年の時を超えてそこにただ存在している。
そんな印象でした。
だから人は何度も「お伊勢参り」に行きたくなるのでしょう。
またいつか行きたいと思います!
1000年後もそこにただいてくれることを願います。
ありがとう!
興味ナシであればスルーで全然okです。
お体に気をつけて
お互いに頑張って生きていきましょうね
お父様のご冥福お祈り致します
・・・その相談者への返答の発言です。
それを何故、全体への一括くくりの発言と解釈するのでしょうか?
各人が内在神を通じて、神と自分の1対1の関係です。不思議で飯を食う方は、自分に恥じない生き方をすれば良いのです。
ただ、それが難しいですよ、と私は指摘します。
飯を食うために、自分に嘘をつかずに不思議で生涯生きることが。
まずそれからです。ご祈祷を受けることにどのような価値があるのか?答えが出てきません。リーマンさんのコメント(続く)が楽しみです!!!
生かして頂いて ありがとう御座位ます
父のお墓参りのあと、近くの山の頂上に本家のお墓(父方の先祖代々の墓)があるのですが
本家のお墓に行くと 妻の体調が急に悪くなり座り込んでしまいました
お墓参りを済ませ、車で帰る途中に体調が良くなったようです
思い起こせば二年前の夏、父と私でお墓参りに来た時
父が同じように気分が悪くなり休憩をとりながら山を登り お墓参りを済ませました
それから数日後 父の肺がんが発覚し 一年後(昨年夏)に他界しました
今回、妻が当時の父と同じ様な体験をしたのですが
嫁の体を借りて一緒に先祖代々のお墓参りに来たのかな?
二年前の父の意識が残っていたのかな?
それとも伝えたい何かがあったのかな?と思いを巡らせている日々です
この度お盆に父の一周忌の法要を行いました
父の古い友人から私の人生がひっくり返るような父の昔話を聞くことができました
父のあの笑顔のウラには苦悩を淡々と受入れ 生き抜いた人生だったことを痛烈に感じました
でも父の生き様はこれからの私の人生の大きな支えになりそうです
そして改めて今こうして自分が生かされている事への感謝の念が心から湧き上がります
父には「私の父でありがとう」と伝えたいです
この世で伝わらなかったのが少し残念ですが。。
リーマン様のブログに出会え心から感謝いたします
短冊供養の方法に出会え本当に良かったと思います
これからも感謝の心を線香の煙に乗せて淡々と捧げていきたいと思います
生かして頂いてありがとうございます
つまり、霊だとか、神など、見えない世界で商売をする人は魂座を食べられたり、地獄に行くんですよね?
とすると、不謹慎ですが、宗教者も同じなのでは?と疑問がわくのです。
お守りを作って売ったり、お祓いにはお金が要りますね?
葬式をすれば、お坊さんにお金を出すし。
たしかに、「寄付」だとか「お布施」という形なのかもしれませんが、それで金を稼いでいることには違いないと思うのですが。
それと、以前に高島易の話が出て、もう一つお聞きしたいことがあります。占いを商売にしてはいけない、とのことですが、「易」自体は占いではありませんよね?
ただ、占いに「易」を利用しているだけで。
「易」は古代中国の自然科学で、東洋医学の根本でもあるようですし、「易者占わず」という言葉も聞きます。
「易者」は霊感を使う人もいるのでしょうが、それよりも「人間と自然を分けない」東洋的な哲学から来る、心理学に思えるのですが。
実際、「易」を根本とした「東洋心理学」もありますし。
もし「易」自体がタブーだとすると、「易」を利用して商売をする人すべてが、地獄に行くことになってしまいます。鍼灸師や漢方医、あるいは東洋心理学を利用する心理学者や精神科医、カウンセラーも地獄に行くのでしょうか?
私も、こちらのおかげで悲しみに溺れることなく、生かして頂いてます。
お互い、強く生き抜きましょうね
生かして頂いてありがとうございます
今日の記事を拝見し、待合所と神殿の中の様子を思い出しました。
御祓い中は、ただひたすらに「感謝を」と思っていましたが、「感謝」と「申し訳ない」という気持ちが行ったり来たりしました。
穢れ多く、たくさんの罪を犯してきた私は、今、コメント欄に書き込むのも少し勇気が要ります(笑
私の年齢の半分以下の女の子達の厳しい精進の日々。
自分を恥ずかしく思います。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
相手の上手を行けるように。
次の入院もありますし、やはり弁護士さんにお願いすることに致します。
リーマンさん本当にありがとうございます。
心中お察しいたします。私自身このような投稿は
始めてで、コメントを投稿している自分に不思議に
思っています。休み前にたまたま本と出会い、ブログに到着しました。休み中に本とブログを貪るように
読ませて頂き、最初は信憑性で?でしたが、拝見する
につけ知識、能力、使命、素晴らしく、感銘しました。この盆休みから感謝想起、先祖供養始めました。
人類の5%運動に参加させて頂きます。
これからもよろしくお願いします。
登頂後、下山途中での事故でした。
あまりに突然のことでした。
人はあっけなく、日常からいなくなってしまう。。。という経験をしました。
死とは。。。非常にあっけないものです。
悲しみでいっぱいでいながらも・・・。
家族はやることだらけで。。。
でも気づくと1週間たってしまっています。
悲しみにどっぷりつかる暇も無く
時がたつことは、ある意味感謝なのかもしれません。
これから先も強く生きていかなければならないのですから。
溢れるほどの思いがあります
でも今それをすべて一言で表すとしたら、
感謝です。
父は今頃何をしてるのだろう。。。
いつかまた会えるのかな。。。
そんな思いを持ちつつ、すべての事柄に感謝いたします。
父の最期の顔は笑顔でした。
目標の登頂を誇りにした笑顔でした。
山に帰ったと思っています。
いつもこのブログから力を頂いています。
生かしていただき有難うございます。
娘さんは、痩せた方でしたね。
私は盆前に旦那と外宮→内宮→伊雑宮とお参りに行って
きました。すごく暑い日だったのですが、何だかそこだけ
涼しくもあり、空気が清んで気持いい所でした。
今度はお正月にまた行こうと思います。
そしてお盆はお盆にしか来れない迷える縁ある霊の方々を供養するぞ!!と、普段は仕事がある日は朝が早いので先祖供養は休みの日のみやっているのですが、頑張ってお盆も仕事でしたが3本線香で淡々と目を開けて声に出して(心中だとお願い事が頭を過ぎってしまうので)・・・
何故かちょっと笑顔で
特に体調が悪くなる事も眠くなる事も無くフツ~ウな
お盆でちゃんと供養できているのかな・・と思ったり、
ホッとしたり・・・供養することが嬉しかったり・・・
そんなこんなのお盆でした。
これからも先祖供養続けていきます。
生かして頂いて 有難うございます
回収出来るように、黙って頂けるものは貰えばよいでしょう。
だいたい霊能者が投資運用を相談者に出資させる時点で異常です。普通は、追加資金が貰えなければ、元金がゼロになると脅しをかける時期です。
最後は全財産を無くすパターンは昔からあります。
黙って信者のふりをして、徐々に離れれば良いです。
相手の上手を行きましょう。
読ませていただいていて、なにかすずやかな気持ちになりました。続きを楽しみにしております。
昨日質問に答えていただいた者です。また伺いたいことが出てきました。
高額霊能者には2度と会いません。と言っていた者です。もちろん、もう2度と会うつもりはありません。
1つ問題が。昨年、その人がやっている事業に投資しました。ですのでこのままですと毎年配当が入る事になり、縁が切れませんので昨日は弁護士さんを探し、その方に事務的に解約の手続きをしていただき、投資金額に満たないまでもお金を返却してもらおうと思っておりました。
今朝になり、返却してもらう事を考えず、配当を断り、もう連絡しないでもらいたい旨をメールで自分で伝えた方がいいのか?という考えが浮かんできましてどちらにすればいいのかわからなくなってしまいました。しかし、私は何をしているのだろうと思ってしまいます。
昨日家族にリーマンさんのお答えを話し、じゃあすぐ行ってくると、今日家族が水晶を掘り出しに行ってくれました。私が退院してから外出をひかえていたので私は留守番させてもらっていました。燃えないゴミの日に出します。ありがとうございました。
今日までがお休みなんですね。
明日の朝まではゆっくりとお過ごしくださいませ。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
そんなきもちを 味わえるのも 現実界ならではの ことなんでしょうね。まあ、お盆は 来年もあるはずです。
その前に お正月ありますよお!
いつかわたしも拝見したいなぁと思います。
神宮のまた別な素晴らしさを体感できるのでしょうね。
いつもブログ更新ありがとうございます。
伊勢は2度程行きました。
大々神楽(だいだいかぐら)の御祈祷(ごきとう)も受けました
神巫女さんが拝殿中央に神巫女が差し掛かると必ず1度膝を曲げて体を沈めます。
とあるのは、正中を通る時は神さまに失礼の無いようにお辞儀をしながら通らなければならない・・・からと教えられましたが違っていたのかしら?
いずれにしても、神巫女さまは、本当に所作がうつくしくて、私も何かちょっと違うなあと関心して帰ったのですが、同じような感じをもっていただいたのが
嬉しくてコメントしてしまいました。
線香3本供養を8月になってから始めましたが、毎日はできずに反省してます
明日からはもっとがんばります
生かして頂いて ありがとう御座います
気が付いたら、短冊での先祖供養を始めて一年以上が経過し、おかげさまで穏やかな日常を過ごすことが出来ております。
何よりもまだ元気な両親をに対して心から感謝出来るようになり、大したことは何も出来ませんが、自分のことより両親、それに長年連れ添った家内と2人の娘のことを第一に考えるという当たり前のことがいい歳をしてやっと出来るようになったことが本当に嬉しく思います。
16日に大阪を出発するというリーマン様とほとんど入れ違いのタイミングでお伊勢参りに行ってまいりました。
家内と2人で、大阪から一泊二日での日程になりました。
伊勢に到着した初日に内宮を参拝しました。
翌日の早朝、夜が明けてからすぐに外宮に参拝しました。
残念ながら遷宮予定の御敷地は柵で囲われていたために直接見ることが出来ませんでしたが、外宮本宮と別宮全てをゆったりと参拝することが出来ました。
本宮から多賀宮へ向かう途中、過去記事にあるような大きなミミズに遭遇しました。
参拝路の真ん中あたりをにいたため、このままでは参拝者に踏み潰されると思いリーマン様にならって手ですくおうとしたのですがどうしても出来ず、道端に落ちていた木の枝を使って安全なところへ非難させました。
帰りに気になって非難させた場所に寄って確認したのですが、非難させたミミズ以外にも大小何匹ものミミズがそこに出て来ていたのには少し驚きました。
その後、おかげ横丁での買い物も済ませ、伊雑宮へ向かいました。
クルマで向かったのですが途中で雨が降り出し、傘をさしての参拝を覚悟していたのですが、不思議なことに伊雑宮に到着し駐車場にクルマを停める頃には雨は上がってしまいました。
私達夫婦以外に参拝者は若い女性の2人連れだけで、ここでもゆったりと感謝を捧げることが出来ました。
本当に空気が柔らかく、まるで包み込まれるような感覚にとらわれました。
日頃、何も感じない、見えない、聞こえないと三拍子揃った霊感ゼロの家内が、すごく気持ちがいい場所やね、と言ってニコニコしてました。
参拝を済ませ、お社のとなりの池の近くでしばらく森を眺めながら心中で ”アマテラスオホミカミ、生かして頂いてありがとうございます”と感謝を捧げていると、お社の方角の草むらからいきなり野生の狸が一直線に私の方に向かって走って来て足元で唸り声を上げながらすぐ横の藪の方へ去って行きました。
手前に立っていた家内には目もくれず、真っ直ぐに自分の方へすごい勢いで突進して来たので噛みつかれるのかと思い本当にビックリしました。
野生の狸をあんなに間近で見たのも、唸り声を聞いたのも初めてで、ただただ驚きました。
偶然なのか?、それとも参拝にあたってなにか失礼なことがあったのか?気にしながらその場を後にしました。
駐車場からクルマを出すが早いか、雨が降り出し、5分も経たないうちに土砂降りになりました。
まるで私達が参拝する間降るのを待っていてくれたみたいやね!と不思議そうに家内が笑ってました・・・
生かして頂いてありがとう御座います。
楽しく拝見させていただいています。
じつは、私も全く同じ日に伊勢神宮の外宮に行きました。
そして、知人の勧めもあって、外宮で父親の病気平癒のご祈祷をお願いしました。御神楽を見たのではないですが(^^;)
私はトイレにこそ行かなかったのですが、外宮神楽殿の待合所に行き、始まるまでしばらくそこで待たせていただきました。大体9時前ごろでした。檜のいい香りにぼーっとしていました。
ご祈祷を終え出てきたときに、次に待つご家族の方のおひとりの年配の女性が「トイレも綺麗ね~~」と仰っていました。私はトイレは使わなかったのですが。。
ひょっとして、リーマンさんとすれ違っていたかもしれませんね
素晴らしいですね。。。
欲に埋もれきった私の魂では無限にありえないです
こうして、いろんな方のお話を伺えることが癒しです
ありがとうございます
今日のUPの時間にびっくり!
お休みだったのですね~
このブログをきっかけに私が会社の神棚を
おまつりさせていただいています。
先祖供養も毎日行っています。
今日夏期休暇明けに出勤して朝一の電話で課長が
脳出血で緊急入院したと家族の方から連絡がありました。けれど、幸いにして後遺症が全く無く2~3週間で退院できるそうです。
朝礼終了後神棚の榊を変えたら、右の氏神様の方の榊が沢山枯れていました。お盆の間水替えが出来なく水も少なくなってましたが左側はそんなに枯れていませんでした。女性の事務員さんもじんましんができたけれども、ひどくならずに済んだそうです。
大難が小難になったような気がします。
先祖供養でも神棚のおまつりでも、本当にこれからもありがたさを心にとめていこうと思いました。
生かして頂いてありがとう御座位ます。
バイト料よりもかわいい衣装を着れるのがうれしかったですね。地域の神社にも行ってて、神主さんに「巫女さんをやると、いい結婚ができるんだよ~」と言われました。さて、どうだったのでしょう?
いちおう来年で30年です。(笑)
舞を習ってるので、又巫女の衣装が着れます。
(聖女じゃなくて、すいません~お許しを~)
生かして頂いてありがとう御座位ます。
伊勢神宮の神巫女の舞、いつか私も必ず拝見したいと思いました。
所で「内在神への道」のマンガ版が出来たら、あまり活字が得意でない方にもお勧めできるかも・・・なんて思いますが、こういうことも神意にかかることですね・・・
はじめまして。いつも拝見させて頂いています。
今日はリーマンさんが一番乗りですね!今日はまだ終わってませんよ~!!残り僅かな盆休み、楽しんでくださいね~。
友人はその間に伊勢参りと白山神社に行ってきたようです。うらやまし~。
毎日楽しみにしております
明日からまたお仕事頑張って下さいね
生かしていただいて有り難うございます
今ハワイ島にいるのですがここも神聖な感じがします。自然って素晴らしいですね。
生かして頂いてありがとうございます。
言っていますが、子孫の思いだけでは何故短冊によれないのか、はっきりと氏を書かなければならない意味を今一度お教えください。辞書で調べましたが母国語での感謝の言葉もうまく言えないようです。
中国のことわざで
君子は人里離れた山奥に住み、
聖人は市井に住むと
いうものがあります。
君子というのがあやしいですが。
リーマンさままさに「聖人」ですね。
今日までお盆休みだったんですね。
更新があったので嬉しかったです。
御神楽とはどんな意味で申し込めばいいのか知りませんでしたが、神恩感謝でお願いすればいいのですね。
昨日、こんなサイト見つけました。
遠方より来られる方は利用するといいですね。
http://www.mie-kanko.jp/okagemairi/index.html?gclid=CMiLmIqNlZUCFQ6obwodSgUnfw
御神楽の様子はリーマンさんがいろいろ詳しく書いてくださったので雰囲気が良く分かりました。
次回の参拝が楽しみになりました。
秋には白山を見に是非行きたいと思います。
たしか、遠くに見るだけでも十分いいとおっしゃってらしたので、ドライブで白山スーパー林道に行って見たいと思います。
我が家は神道なので東京のお伊勢様で今度年祭を行っていただくこととなりました。東京だとまた違うのでしょうがそれでも楽しみにしております。
伊勢神宮には中々お参りもできないのですが機会を見つけてぜひ伺いたいです。
ところで、いつも私が迷うのは、見てみぬふりをどこまでするか・・・です。相手のタイミングが掴めなくて、遅れ気味か、いえないでしまうか・・・。今回もいわないで終わるかな・・・。他人のことなんかほっとけばいいのに・・まっそんな私も好きなんですけどね。
こんな私でも伊勢には言ってみたくなりました。
白山にも言ってみたいです。
立ち直りたいなー