伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

結果は重要では無い

2009-10-29 10:57:47 | Weblog
読者 :
神様にお願いはしない。神様に言うときは完了形で、すでに「合格しました。ありがとうございます。」と感謝をすると教えられたので、以前は完了形で言ってました。が、、完了形と宣言は違う印象を受けました。宣言には、自分の努力=‘やる’っていう意思が強く働くので、その意思に後押しされる感じがします。しかし完了形ですと、努力する過程のイメージがわきにくい・・・と言いますか、一足飛びに結果に行ってしまって、「自力で頑張る」感じに乏しいと思います。
完了形よりも宣言の方が、自分の腹決めができるような感じになります。

絵馬に“合格する!”ということですが“合格しました”と完了形・完成形にするのは、どうなんでしょうか?

解説 :

以前に祝詞(のりと)とは、「
神に捧げる、祝(いわ)いの言葉」だと説明しました。
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20070510
祝詞=宣りと=宣言の言葉、でもあります。
神様の前で自分の希望を宣言し、自分自身が努力する事を神様に「誓う」のです。
自分の努力する姿を神様に見て頂く態度が、神前での正しい姿です。この態度と思いが神前に反射して、自己に内在して隠れている神様を、神気と言う形で表面へと奮い立たせます。
これが「やる気」と成るのです。

神様に対して完了形で、自分の思いを示す事は、とても失礼だと感じます。
「合格させて頂いて、有難うございまし!」
「病気が治りました。有難うございまし!」
などと、実現していない事を神前で思うのでしょうか?
これの奥には、神様を使役(しえき)しようとする魂胆が在ります。これでは、ズルい魂胆が反射するでしょう。この世に近い次元の人格神が居る神社では、「この者は、何を言っているのか?」と成りかねません。
未来は不確定で在り、悩みながら進んで行く「過程」そのものが、貴重な二度と無い人生なのです
過程よりも、結果だけを求めては生けません。

工事入札に関する収賄をする時、工事に関する直接の御願いをしないで、その工事を自社が施工したと仮定した「後の話」を関係責任者に聞かせるそうです。美味しい話を色々と・・・。入札前に御金を渡して御願いをしますと犯罪ですが、工事が無事に完了して周りの様子を見てからのキックバック収賄までは、なかなか時間も経過していて立件が難しいそうです。
完了形の御参りには、これと似たモノが在ります。

そもそも、神社の神前まで自分が来る事が出来た、「現状への感謝」を神前で思う事が一番大切です。現状への感謝は、陰で現実界を支える高次元の神々を一番喜ばせます。
特に遠方の神社に参拝する時は、御金も時間も健康も揃わなければ行けません。これだけでも小さな奇蹟の連続の賜物です。遠い神社に参拝出来るだけでも、既に十分に幸福な人間です。
神様に対して駄目「押し」をしては生けません。神前では、この言葉を思うだけで十分です。
その言葉は、

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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コメント (542)
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