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Insanity&Genius SATOSHIのBlog続編
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 毎日、暑い暑いと言っているうちに
1カ月近くご無沙汰してしまいました。

 お盆休みには実家に帰りました。

 久々に地元、四日市駅の商店街に
行ってみた。

 随分前にジャスコ四日市本店が閉店
して、さびれてしまっていると聞いていた
ので、どうなっているのか気になっていたのだが
僕の実家から行くには、交通手段が車しか
ないし、駅周辺には買い物をしないと
無料の駐車場はない。

 これでは客足が遠のくわけだ。

高校生の頃通学の途中にあったこの駅前
は毎日、立ち寄った店が沢山あった。

 中でも本屋とレコード店を兼ねていた
5階建ての白楊本店では沢山のレコードを
買ったし、最近、ライヴで使った自慢の
アコギはシャミタ楽器店で買った。

 しかし、そのシャミタ楽器店は、その後
コスモ楽器と名前を変えたが火事で焼けて
更地になっていた。



 白楊本店は6年も前に閉店していた。

 



 でも、ちゃんと生き残っている店も
あって、東京の西新宿にありそうな、
四日市には貴重な存在のRookレコードは
場所を変えて健在だったし、高校生の頃
よく洋服を買った店や、よく行った美容室
も健在だった。
 



 シャッターの閉まっている店もかなり
あったが、シャッター商店街は、
東京、横浜でもあちこちで見られるので
四日市が特別なわけではないと思う。

 けれども、僕が高校生の時には無かった
ようなマニア向けの店も何件もオープンして
いたりして、完全に死んだ、商店街になって
はいないようだった。

 何年離れていても、何年横浜に住んでも
僕にとって故郷は生まれ育った四日市だ。

 久々に見た地元の街は現在の不景気の嵐のなか
でもなんとか持ちこたえていて、少し安心した。

 



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GO!と言ってもFairWarningではない。
 
 大学生だった頃金沢で1人暮らし
だった僕はあんまり自炊することは
なくてほとんどが外食だった。

 地方でもあり昔でもあったので
コンビニがあまりなくて弁当を買いに
いくならそのまま食べてくる方が
手っ取り早かった。

 僕はあちこちの店を開拓するより
は気に入った一つの店に何度も行く
タイプだ。

 その数少ないお気に入りの店に
ターバンカレーという店があった。

 そこのカレーは独特でとても濃厚
なカレーにきざんだキャベツが
乗っている。あまりに個性的な味
に友達の間でも文字通り賛否両論
だった。

 深夜まで営業していることもあり
車で30分程かかるのだが夜中によく
食べに行った。

 メニューは
Lジャンボカツカレー
 ジャンボカツカレー
 Lカツカレー
  カツカレー
 ミニカツカレー

 など似たような名前がいっぱい
ならんでいるが、単純に同じカレー
の大きさが違うだけ。

 それでも何度食べても飽きる
こともなく大学を卒業するまで
食べに行った。

 大学を卒業し横浜に住んでから
は、もうその味に出会うことは
なかった。

 またターバンカレーを食べたい
と思いつつもカレー食べるだけの為
に金沢まで行くわけにもいかないので
僕の中ではもう思い出の味になりつつ
あった。

 ところが今年、仕事中に職場で
見ていたテレビでGO!GO!カレーを
紹介する番組が目に入った。

 濃厚できざんだキャベツを乗せた
そのカレーは社長が金沢市のカレー店
で修行して作ったと紹介された。

 そのカレーの映像は金属の皿に乗せ
フォークで食べるところまで懐かしい
ターバンカレーそのものだった。

 仕事が終わって家に帰って早速
ネットで検索してみた。
GO!GO!カレーの店は僕がよく行く
新宿などに何店舗もあるじゃないか!

 次の休みに早速行ってみた。

 間違いない!あのターバンカレーだ。

もう大学は遠い遠い昔のことだから、
味の記憶も薄れているかも知れないが
GO!GO!カレーの味はその思い出が
記憶の中で美化されているかもしれない
期待に負けない味だった。

 最近一人で外食なら迷わず
GO!GO!カレーだ。


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最近テレビをにぎわしている
結婚詐欺女のように、何やって
喰っているのかわからない人って
結構いると思う。
 
 僕はミュージシャンは夢を売るのが
仕事なのであえて秘密の部分が
あった方が聴く方に自由に想像
して頂けるのではないかと思い
実年齢、私生活はナイショにする
ことにしたのですが前々回の話の
流れよりその一部の、現在生計を
立てている職業をバラしてみよう
と思います。

 一応秘密をバラすのは今回限り
のつもりなんだけど元々嘘がつけない
性格なんで、既にかなりバレてること
だらけですけどね。

 僕は子供の頃に病気で入院したこと
がありまして、その頃に大人になった
ら、病気の人を助ける仕事をしたい
と考えたことがありました。

 ただそれはある意味で大人を安心
させる為の優等生的回答で僕の夢の
本心は漫画家→ミュージシャンだった
のですが、その当時はそんな非現実的
な夢を応援してくれる大人は皆無
でした。

 中学生になり高校進学がせまって
来るとその進路の選択をせまられ
ます。
 しかし僕には医療を仕事に
するという漠然とした構想しか
無かった。大体自分は注射とか
大嫌いで人の腹を切ったりなんて
とても出来そうにないので医者は
無理そうだし、何と答えようかと
困っていました。

 そんなある日、読んでいた忘れ
もしない新譜ジャーナルという
雑誌に前々回の風の大久保一久
さんの記事が載っていてそこに

大久保一久 薬剤師の免許を持つ

というプロフィールが、書かれて
いた。

免許を持ちつつミュージシャン!

 これだ!!
薬剤師という職業があることも
その時知った。
薬剤師なら苦手な注射などしなくて
いいし目標でもあった医療の仕事
だ。

 この時のひらめきから僕は免許を
持ったミュージシャンをめざすこと
になり、今残念ながら音楽で生活は
していないけど、仕事をしながらも
音楽を続けることが出来ています。

 大久保一久さんが薬剤師で無かったら
僕の人生は大きく変わっていたんじゃ
ないかと思う。



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世間はすっかりお盆休みも終わり
元の日常生活に戻ったようですが、
僕の地元では世間よりもお盆が遅く
毎年8月20日、21日なのです。

 年間を通して家の近所のお祭のような
ものは、その日に行われる盆踊りぐらい
しかなく子供の頃は毎年その日が待ち
遠しくて早く盆踊りの日が来ないか
指折り数えて待ちました。
 
 子供の頃の僕は“和”を感じる
ものは、カッコいいと思えなかった
ので、おみこしを担ぎたいとか全く
思わなかったし盆踊りなんて
オジサン、オバサンの踊るもの
なんて考えるひねくれたガキだったので
踊りの輪に加わることは全くなかった
のに盆踊りの日がものすごく楽しみ
だったのは、夜店で売られるおもちゃ
がどういうわけかものすごく魅力的に
見えて何を買うか悩むのが楽しくて
しょうがなかったのです。

 でもその日が終わると夏休みも
残す所10日あまりとなり始まる
時は永遠に休みが続くぐらい長く
感じていた夏休みの終わりが現実化し
まさに祭りの後の寂しさを子供心にも
感じました。
 
 その後中学生になり高校生になり
子供の頃あんなに楽しみだった盆踊り
にもいつの頃からか行かなくなりました。

 大学生の時か社会人になってからだった
か忘れてしまったけどたまたま8月20日
に帰省していたので久しぶりに盆踊りに
行ってみて愕然としました。

昔はあんなににぎわっていて踊りの輪が
2重3重にもなっていたのに閑散として
いて2~3人の人が踊るのみで大音量で
炭鉱節が響き渡る光景は今でも忘れられ
ません。
 その年を最後に盆踊りは無くなって
しまいました。

 今でも8月20日になると子供の頃の
楽しかった思い出が蘇ります。
 



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