ラウル・ルイスが亡くなってから1年が経過した今年9月。
夏の入り口でラウルの寵児メルヴィルが届けてくれた「見られざる虚匠」の足跡を継承。
夏の出口に向けてアンスティチュ・フランセ東京で開かれた「見られるべき巨匠」の確認。
3週に渡って通った飯田橋で溺れに溺れる夢幻時間。
それも今日で最後かと思うと、ただただ寂しい。
勿論、底無しの敬愛が親愛として膨らむような「新しい」巨匠像がたまらなく、
掴もうとすると指間を抜ける感覚が面白くて仕方なく、
掴めないために掴むという運動に中毒状態。
最終日にも興味深い3本のラインナップを堪能。
ただ、たっぷり睡眠で臨んだにも関わらず、
前日の疲労のせいもあり、不覚にもラウル作品初の寝落ちを・・・。
まぁ、これも経験しなければラウル・ルイスを味わいつくしたとは言えないしな!
という無意味な強がりに興じることも、彼の作品群なら可能だな。
宝島(1986)は、本特集のなかでも極めて貴重な1本であることは定か。
なぜなら、無字幕での上映だから・・・それだけ「かけるべき」作品という証左。
12(13?)歳頃のメルヴィル・プポーが堪能できるのみならず、
ジャン=ピエール・レオまで出てきたりして、それだけで豪奢な渾沌館。
相変わらず可愛らしい「影使い」を味わいながら、自然美のグラデーション目まぐるしく、
空の七変化に眩暈を覚える魅了は続き、観客すらも「おはなし」に没入し始める。
ラウル・ルイスの作品にはどれも言えることだが、とりわけ本作においては、
他の作品では絶対に味わえない「感覚」を喚起するに足りる包容力が凄まじい。
波に浚われて目覚めた浜辺から、観客は物語に導かれ、やがて海へと還される。
ペダンチックな難解さとは次元の異なる、感興フェスティバルが今日も始まった。
クリムト(2006)は、日本でも公開された作品。だから、日本語字幕入。
だけど、ラウル・ルイスの作品においては、字幕の有無は小さな問題な気もするので、
もはや日本語字幕がついている方が違和感、とは言い過ぎまでも妙に不安だったりも。
言葉への依存と、それによって込み上げる困惑や不可解にのみ込まれそうで。
それだけ、私にとってのラウル・ルイス作品鑑賞は「委ねる」ことが必定なのだ。
もはや鑑賞でも観賞でもなく、干渉など以ての外で、ひたすら感傷に身をまかす。
ところが、本作は全編英語であったり、(おそらく)受注生産的だったりもして、
ラウル・ルイス自身の個性が窮屈そうな迷走を重ねている気もしてしまった。
『見出された時』では原作との相性もあってか、相乗効果的結実をみせていたものの、
本作ではグスタフ・クリムト自身の魅力との心地好い戯れが叶わなかったよう。
97分という上映時間がディレクターズ・カットなのかどうかは判らぬが、
本作も2時間超で語り尽くさぬ贅沢な緩慢を味わえるような可能性があった気もする。
やはり、ラウル・ルイスという作家には、奔放さを許容する絶対的自由が必要だ。
向かいにある夜(2011)はラウル・ルイスの遺作となった1本。
今年のカンヌで初公開されたらしい本作が、もう観られるなんて幸甚の至り。
そもそも、今年2度に渡って確信をもってラウル・ルイスを紹介してくれた日仏学院
(改めアンスティチュ・フランセ東京)というかPDの坂本安美氏には敬服しきり。
そして、赤坂太輔氏の旗振りによって「大規模な回顧上映」が本当に実現することを、
心の底より願って止まぬ。
というよりまず、この『向かいにある夜』をもう一度、いや何度も観たい!
『ミステリーズ 運命のリスボン』を経て、
デジタルという新たな玩具を手にしたルイスは、確実にネクスト・ステージに跳ね上がり、
「デジタルに魅せられる世界」を見事に建立してみせた。
フィルムを知り尽くした表現者だからこそ挑めるデジタルの必然性と偶発美。
フォーマットが違うのだから、明らかに違った美を追求し、
それでやっぱり見たことないもの見せてくれるのだ。
そこにはもう、柔らさと淡さを灯す光はないが、
明滅の危うさと背中合わせの儚い光が刻まれる。
影はもはや光の裏面にあるのではなく、ただただ暗闇を呈するのみ。
しかし、そんな世界の見え方にも、どんな世界の見え方にも、
豊穣さを見るのは人間なのだと諭された気がしてしまう。
夜はもう直ぐそこまで来てる。
ならば夜に抱かれよう。夜から眼をそらさずに。
The night in front, night across the street, into the night.
英題はいくつもの貌をもち、最後まで多面の豊かさを湛えたラウルの作品を讃えてる。
『盲目の梟』を観られなかったのは残念でならないが、
それ以外の作品を全部観られたという事実は明らかに、
ラウル・ルイスという作家の得体の知れぬ吸引力の為せる業。
6月の特集上映で見逃した『夢の中の愛の闘い』や『ファドの調べ』
(どちらも本当に本当に素晴らしい!)を観られた悲願成就の有り難さ。
大規模レトロスペクティヴが困難ならば、毎年特集組んで欲しい。
浸透までは時間が幾分かかりそうな作家性。だからこそ。
いよいよ来月に公開が迫った『ミステリーズ 運命のリスボン』。
宣伝のアプローチは或る意味「正しい」と思うが、『わたしたちの宣戦布告』同様に、
届くべき(観てほしい/観ればハマる)対象を引き込む務めが未遂な気も。
何はともあれ、まずはラウル・ルイス認知の一歩目を2012年に確実に刻め!
今回のラウル・ルイス特集上映はラウル・ルイスという恒久麻薬を私に注入!
二度と覚めない夢の旅。永遠の旅の途中。向かいにある夜、後の朝。