第5回恵比寿映像祭の上映プログラムのひとつ。
「ハーモニー・コリン参加オムニバス」と冠された、三人の監督による作品。
昨年のヴェネツィア国際映画祭で新作『スプリグ・プレーカーズ』がコンペに選出され、
東京国際映画祭での上映時には熱狂で迎えられたハーモニー・コリン。
ちなみに私は彼の作品に一度も熱狂したことはないものの、
何処か気になる存在であるという不思議な関係(?)。
というわけで、今回も律儀に(?)観に行きました。
※19日(火)18:30~上映あり。(恵比寿映像祭の見づらい公式サイトはこちら)
結論から言えば、好くも悪くも相変わらずで、
好く言えば、或る種の堂に入り方を見せ始めて来た気もするし、
悪く言えば、変な安定感に身を浸し始めたような印象を受けたりも。
『スプリング・ブレーカーズ』が好きな人なら、そのプロトタイプ的醍醐味を堪能できそう。
コリン作品との奇妙な関係は、
決して沸点を迎えること無くひたすら消化不良な悶々を続ける胸中なのに、
その惰性に身を委ねることに微塵も退屈さを感じなかったりすることだ。
勿論、時折襲われる胸焼けに些か心が外方向きはじめることも。
そういう観客に余計な目配せしないところが好きなのかも。
だから、作品自体には大して惹かれぬのに気になる。
ただ、本作や『スプリング~』には少しずつスペクタクル的要素が注ぎ込み始め、
特に『スプリング~』にはそれらが結実してしまっていたりする分、個人的には複雑。
体感的なノレなさが自乗的に肥大化して、作品の「偉大さ」に惨敗しっぱなし。
主演はヴァル・キルマーで、ハーモニーの妻であるレイチェル・コリンも出演。
二人がまったりしながらフラフラしてると、
何となくソフィア・コッポラの『SOMEWHERE』とか想起しちゃって、
『スプリング・ブレーカーズ』もタランティーノが審査員長やってる時だったら、
金獅子とか獲っちゃってたのかもな・・・などと余計なこと考えたりしながら観てた。
あ、ヴァルはソフィアの親父さんの『ヴァージニア』に主演してたっけ。だから想起!?
画面サイズは、他の2作がビスタ(多分)なのだが、
コリンの作品だけはシネスコ以上に横長な奇妙なサイズ。
眼を細めて観てる、みたいな?
ヴァル(本人役)が、自己啓発セミナーっぽい会場で独演。
そこにレイチェルとのまったりデート(?)が挿入されながら、淡々淡々・・・。
最後にヴァルが颯爽と自転車に乗りながら、
ヴァルが唱うテーマソング「The Fourth Dimension」が流れる。
ま、こういう高揚感は好いよね。ご褒美的で。
最初からコリン節で始まったので、このあと1時間くらいどうなっちゃうんだろ・・・
と心配していると、実は後の2作は意外にもかなり「普通」の映画だった。
2本目の「CHRONOEYE」を監督したアレクセイ・フェドロチェンコは、
1966年生まれで、工学の学位取得後に宇宙防衛事業にも携わってたとかで、
本作の主人公の科学者っぽい人物造形に漂うリアリティの適量はそれ故なのか。
初長編監督作「Pervye na Lune(First on the Moon)」はドキュメンタリーらしく、
ヴェネツィアのオリゾンティ部門で受賞したりもしているらしい。
ちなみに、長編3作目の「Ovsyanki(Silent Souls)」は2010年のヴェネツィアで
複数の賞を受賞していて(国際批評家連盟賞とかで、コンペ正規の受賞はなかったかな)
注目すべきロシア映画の気鋭のよう。荒涼とした画が醸す空気に時折混入する、
半端な滑稽の気まずさ加減はなかなか好みかも。
冒頭で、主人公が列車に乗っていて(4人で向かい合うタイプの座席に座っていて)、
窓側に座っている彼は窓の外ではなく隣の女性の側に視線を落としており、
その女性から「視線の方向を変えてくれないかしら」などと言われてしまう。
乗車券の確認に来た車掌に渡した切符は「昨日の切符」だったらしく、
「今日の切符は?」と言われると、「今日って何だ?」と問い返す。
すると、主人交は語り出す。
「君の昨日は私の今日かもしれないし、私の明日が君の今日かもしれない」
列車を降りて、ホームで駅員に「なぜ切符を買わなかったんだ?」と尋問され、
手にした複数の切符を渡すと、そのなかには「今日の切符」も入っていた。
次の場面で彼は、
住んでいる集合住宅の屋上近くに「カメラ」を設置するため、よじ登る。
カメラはそれのみならず、自らの頭にも装着したりする。
そして、コンピューターと連動させ、そこで展開される「世界」とは・・・
3本のうちで、最も正面から「四次元」を語ろうとしている本作は、
〈時間〉がテーマとして貫かれており、そこに彼に流れる〈喪失〉が寄り添いながら、
少しずつ〈癒し〉と〈飛躍〉が訪れる。
「Silent Souls」はAmazon.ukで買い物する際、
あまりにもしょっちゅう薦められるので、つい買ってしまったDVDがあるはずだ。
そのうち観てみなくては・・・という不意の背中押しに遭った日曜の昼下がり。
3本目は参加した3人のなかで最も若い、1985年生まれのヤン・キヴェチンスキ。
「FAWNS」と題された本作(ラストにタイトルの意味が判明?する)は、
避難勧告が出されて無人地帯となった町を徘徊する4人の若者を描く。
どうやら大洪水が迫り来ているらしいのだが、画面上には終末的牧歌的光景。
異様なほどポップでカラフルに彩られた町。陽光の健やかさに緑が映える。
しばしば響き渡るサイレンに、犬が吠えるかの如く声をあげる若者たち。
不安を打ち消すためか、彼らは動くことを止めず、刹那を切り捨てる。
ドビュッシーの「月の光」をピアノで弾く若者が感じる郷愁は、生への執着を呼び戻す?
「4」人の若者は、「4」次元と掛けているのだろうか?
途中、「3」人になる(意味ありげに或る家の番号「3」が一瞬映し出される)が、
もう一度「4」人になったとき、彼が間の当たりする世界とは・・・
本作こそ、ハーモニー・コリンが得意とする世界観で展開するタイプなのだが、
そこはポーランド人(映画はロンドンで学んだようだ)の寡黙さと峻厳さがそこはかとなく。
画面を極彩色で溢れさせながら、あくまで「ノリ」に興じきれない気まずさが好い。
そこはコリンとは明確に異なる世界観、感じたり。ちょっと楽しみな映像作家かも。
昨年は、ジョナス・メカスの新作が観られただけだった恵比寿映像祭。
今年は、ベン・リヴァース『湖畔の2年間』(今年暫定No.1!)を2回とも観てしまい、
彼の展示の方にも魅了され(他の展示は・・・もう展示は止めていいよ>恵比寿映像祭)、
本作の上映もなかなか堪能させて頂いた。素材(ベン・リヴァースは35mm、
『フォース~』はおそらくDCP?)にしても、映写環境にしても、なかなか贅沢な上映プロ。
かなり好いプロジェクターつかってるのだろうか。随分優良画質に思えた本作の上映。
イメージフォーラム・フェスティバルと恵比寿映像祭がコラボ(合体?)して、
写美の映像ホールで大々的に上映組んで欲しかったりする。展示は要らないからさ。
(だって、今年の展示はインスタレーション的なものも僅少ならば、
普通に「上映/観賞」といったスタイルの中編級作品が多かったりするんだし。)
ついでに言うと、上映プログラムの前売券は「チケットぴあ」の独占取扱。
東京都写真美術館ですら買えないという・・・。
当日券1,000円に対し、前売券は850円なんだけど、
最低でも手数料105円が絶対に徴収されるため、実際には最低でも955円。
ネットとかで購入しようものなら・・・。価格設定もおかしいけど、「ぴあ」優遇援助に疑問。
主催が「東京都」だったりする分、余計不可解。甘やかしてると脆弱になるだけだろが。