SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2011にて観賞。
オープニングのヌリ・ビルゲ・ジェイラン新作目当てで
今年初めて参加することにしたIDCF。折角なので前売でコンペ3回券も購入した。
今日は『カラーズ・オブ・マウンテン』と『シンプル・シモン』を観賞したのだが、
前者もそこそこ良作ながら、後者は驚くほどのポピュラリティを備えつつ、
幾度の咀嚼にも耐え得りそうな「行間」に充ち満ちたストーリーテリング。
これは一般公開したらそこそこ成功するんじゃないか?
(宣伝の仕方次第なところもありそうだけど)
シモンは宇宙と科学と兄・サムが大好き。
そんな中、サムが恋人にフラれ、シモンのシンプルな生活は奪われてしまう。
そこでシモンはサムに新しい恋人を見つけて自分の生活を取り戻そうと計画する。
アスペルガー症候群のシモンを巡る、北欧らしいポップでキュートな心温まるストーリー。
(公式サイトより)
オープニングからファニーさは全開で、主人公シモンがこよなく愛する(毎週観賞)
『2001年 宇宙の旅』の世界を模すかのような「ツァラトゥストラはかく語りき」を思わせる
ティンパニのようなドラミング(下手くそ)に興じるシモンから宇宙の映像へと移ってゆく。
色彩・音楽・編集・展開、どれもこれもがポップでキュート。なだけど、思いきや・・・
Q&Aでの監督の話では、そういった向きの内容は全く語られなかったので、
以下は私の勝手な解釈(をもとにした独りフィーバー)なのだが、
このシモンなる主人公は、アスペルガー症候群であるという設定を借りながら、
「正確」やら「精密」やらを常に求めては、「型」に嵌められ嵌ろうとする近代人の実相を
相対化するかのような含意がありはしないだろうか・・・そんなことを終始考え観賞していた。
シモンの思考は一見「単純」のようであり、事実そうでもあるのだが、
それは実は究極の論理や純粋を求める傾向でもあり、
時間に正確であったり、規律遵守な生活様式など、
まさに究極の近代人的「形式」と呼べるもの。
シンプルな在り方とは、現代においても最上の「クール」としてみなされることが多い。
モダンなデザインはシンプルを旨としたり、音楽もミニマルに突き進んでみたりする。
しかし、それはコンプレックス(複雑)を隠蔽、消失させるシンプル(単純)という脅威。
論理や規律が奪い去ろうとしてきた、人間の尊厳たる情動。
従って、規律の遵守に精密で、論理のみで説明しようとするシモンこそ、
実は近代社会が「標準」としてきたタイプの人間なのかもしれない矛盾。
しかし、そこには不完全こそが完全であるといったパラドクスを抱える世界の現実。
そして、究極の論理度外視な完璧現象としての「恋」。それを少しずつ学ぶことで
成長を覚えるかのようなシモンを軸に、この物語は展開してゆく。
本作では序盤を中心に、シモンの思考の様式が画面に「描き」込まれたりする。
それは時計の絵であったり、表情の「雛形」たる絵であったりする。
特に後者は、コンピュータで「スキャン」する際の認識を思わせもする。
つまり、近似値から絶対的なる基準への収斂による知覚。
こうしたコード化による解釈は「普通」の人間も行ってはいる。
それは時に哀しいほど単純でありながら、実は無意識に極めて複雑だったりする。
おまけに、主体たる人間が複数交錯する関係となれば、その主体自体が
半端に一貫性を保ちながらも常に流動的であるが故、尚更複雑怪奇極まりない。
そうした現実を顕在化させる装置として、「シンプル」シモンは機能する。
〇「13」という数字 : 「不吉」と感じてしまう非科学的な思考と、そう考えないシモン。
〇時間や回数を数値としてより印象としてとらえる常人と、正確な数値でとらえるシモン。
〇どんな病気や菌をもっているかわからぬ他人のイヤホンを平気で装着できる常人と、
執拗に除菌を試みようとするシモン。
〇効率・耐久性・音質に「優れた」CDよりもレコードを愛する常人と、
「いまどきレコード?」といった疑問を抱くシモン。
さて、「わたしたち」は一体どちらだろうか。必ず前者?そうとも限らない。
そして、私たちは前者だったり後者だったりを繰り返し、蛇行しながら歩んでく。
矛盾の巣窟「恋」ほど論理の通用しない場はないのだろう。
兄の恋人探しに勤しむシモンが試みたのは、
それを「証明」してゆくプロセスだった。
そこにはけっして「Q.E.D.」など訪れないが。
そんな過程でシモンを諭すかのような周囲の「人間的」な言動が興味深い。
バスの運転手(元シェフ?)は、「ソースと愛は同じ。時間がかかるもの」と独り言つ。
「だし」やら「こく」やらに味わい見出し、見立てで世界を読もうとする。
ジェニファーは奇抜な運命論者。「失敗しても運命のせいにできるしね」
「運命」が人を規定するのではなく、人が「運命」を利用するという発想。
そんな彼女が「マンホールを踏むと不吉だ」と言い、避けて道を歩いていると、
シモンは「丸いものは好きだから避けたくない」と切り返す。
しかし、シモンは茶色が嫌い。「このマンホールは茶色だけど?」と問い質すジェニファー。
人間はそもそも矛盾をかかえ、シンプルなどとは程遠い。
そんな気づきの一歩になった!?
秀逸な言葉や場面は随所に散りばめられているが、
特に私に響いた場面が二つある。
ジェニファーがシモンにイヤホンを渡し、一緒に音楽を聴く場面(※)。
「世界と音楽がひとつになって、新しい見え方がする」とアドバイス。
そうした感覚を解せぬシモンだが・・・眼前の風景に音楽が重なると・・・
確かに、現実の世界で響いていない音楽を、世界にのせるという行為には、
外部の世界を自己に取り込み解釈している人間の認識と似た構造が重なりもする。
同じ現実を目の当たりにしようとも、それをとらえる個人によって、
喜劇にも悲劇にも捉え得る。つまり、映像に音楽をのせるとは、
極めて「人間ならでは」の認識のカタチなのかもしれない。
ジェニファーがシモンに、感情の機微をレクチャーする場面も美しい。
「悲しい」や「嬉しい」はシンプルにカテゴライズもされなけりゃ、
いつも行ったり来たりを繰り返す。
そのときシモンは思い出す。
「兄さんが最優秀選手賞をもらったとき、
母さんは〈嬉しい〉のに〈悲しい〉の顔をしてたっけ・・・」
人間の最も美しい感情は、まさにコンプリケイテッド。
ピュアでなくって、ハイブリッド。その結晶たる、嬉し泣き。
兄のサムがシモンに、惹かれ合う相手が自己とは「合同」などでは決してなく、
むしろ「正反対」だと説明するときに、磁石を用いて説明するが、
これはこれで興味深い。つまり、人間の複雑さを説明するのに、
ある意味「科学的」な法則を用いて説いている。
唯心的なはずなのに、唯物論的話法で語る。
いや、そもそも科学的なるものにこそ、結論づけられて終っているだけで、
それ自体はきわめて「おかしい」ことだらけなのかもしれない。
終盤、兄の恋愛成就のためにヒュー・グラントの恋愛映画を観まくり研究するシモン。
これだって、俗に言われるところの文芸を通して「学習」した近代人の恋愛観をなぞるよう。
しかし、そこにまた抵抗するかの反転展開。監督は、「在り来たりなハッピーエンド」とは、
実は「有り得ないハッピーエンド」であるがゆえ、意識的に避けたのだと語っていた。
私たちが「ありきたり」を望んでも、滅多に手に入らぬ「からくり」か・・・
軌道を維持することに執心していたシモンの感覚。
軌道に乗ること至上命令な、社会の要請、個人の満足。
しかし、人は得てして「真実を口にしない」ものである。
人生を豊かにさせるのは、軌道などでは全然なく、
喜怒哀楽の弁証法?いやいや、容易く止揚はありえない。
なぜなら、喜怒は同一円を巡りゆく。
※"スウェーデン"映画で、ポップでカラフルな音楽が流れていたものだから、
「マイア・ヒラサワとか流れたりして!?」とか冗談半分に思っていたら・・・
流れ出してきたり、レモンジェリーとか微懐ミュージックまで。
親近感をわかせた、ひとつのアシスト。
◇シモンを演じるのはビル・スカルスガルド。
そう、姓で一目瞭然!ステラン・スカルスガルドの息子であり、
アレクサンダー・スカルスガルドの弟です。
◇原題の『I rymden finns inga känslor』って、どんな意味なのかな。
「シンプル・シモン」とほぼ同意なのだろうか。
ちなみに、「Simple Simon」とは「だまされやすい人」のことを表したりするらしい。
マザーグースの歌「Simple Simon met a pieman」(日本では「アルプス一万尺」として
知られている曲)に由来するみたい。一方で、Simon(シモン)はキリスト教関連では
さまざまな人物が存在していたりして、タイトルに込められた意味も気になる。
(ま、英題なんだけどね)
◇上映後のQ&Aには、監督とプロデューサー(男女二人)が登壇されたが、
非常に慎み深い印象の皆さんでした。「最後に観客へのメッセージを」と
進行役の女性が振ると、やけに「困ったなぁ・・・」みたいな表情する御三方に
妙に親近感をおぼえてしまいました。
私も、Q&Aとかで色々訊きたいことあったとしても、
手を挙げることのできない人間ですから(笑)
ちなみに、監督は冒頭の挨拶で、敬愛する映画作家として宮崎駿と北野武の名を挙げ、
日本へ来られたことを嬉しく思うと語ってくれてもいましたし、
プロデューサーの男性(本作では共同脚本としても参加)は、
「以前関わった作品でIDCFに参加したことがあったので、
今作をデジタルで撮ると決めた段階から又IDCFに出品したいと思っていた」
などと語ってくれたり、なかなか礼儀正しい(笑)方々で、今回何らかの受賞を経た後は、
それこそ「凱旋上映」的な機会が将来待っていたりしそうな予感。
◇そのまえに、本作の日本公開を望みもするが、監督によると台湾で劇場公開されたらしい。
が、IMDbにはその情報はなく、監督自身も「僕は知らなかったんだけど・・・」って!?
ちなみに、ドイツではもうすぐ(11月)に劇場公開されるみたい。
うーん、納得。スウェーデン語って、ドイツ語と(源流も同じだろうが)響き似まくりだって
観ながら改めて思ったりしてたし(そんなこと、どーでも好いだろ・・・)
ちなみに、本作は今年のスェーデン版アカデミー賞(Guldbagge Awards)で、
作品賞・主演男優賞・助演女優賞・脚本賞にノミネートされていた。
ちなみに、作品賞を受賞したのは、当サイトでも取り上げた『Sebbe』だったりします。
こちらも個人的にはかなり好きだし、なかなかの佳作だと思うのですが、
日本で紹介される気配はまるで無し・・・
ちなみに作品賞ノミネートのもう一作は、ペルニラ・アウグスト監督作の『Svinalängorna』。
こちらは8部門ノミネートで2部門(監督・助演女優)受賞。他にも映画祭などで
ちょくちょく受賞を重ねた作品のようです。
(主演は「ドラゴン・タトゥーの女」ことノオミ・ラパスです。
監督のペルニラ・アウグストは女優出身で、
SWのエピソード1でアナキンのお母さん役やってました。)
もうひとつちなみに、『シンプル・シモン』はアカデミー賞外国語映画賞の
スウェーデン代表に選ばれて、最終ノミネートの一歩手前まで(9作品)は残っていた模様。
(今年のスウェーデン代表は、前述のペルニラ・アウグスト作品みたい。)
ちなみに、そこには先日のラテンビート映画祭で観賞した力作『雨さえも~』も入ってた。
この部門は最終ノミニーに直前で漏れたものにも良作多く、受賞逃したノミニー作品にも
傑作が多い印象なので(祝『Incendies』日本公開決定!邦題は『灼熱の魂』・・・)
映画ファンにとっては注目すべき重要リストかもしれません。
あ、ちなみに昨日観た『昔々、アナトリアで』は今年のトルコ代表に決定したらしい。
が、どう考えてもアカデミー賞でのノミネートは無理だろな。
[追記]「トーキョー ノーザンライツ フィルムフェスティバル 2012 (2/11-17)」での上映が
決まっている模様。土曜の昼間や金曜のレイトなど、社会人が観やすい回もあり。