オーディトリウム渋谷で『Playback』を観た。
公開直後に観てから2ヶ月近く経った後の再会。
永遠の再会、それが「二度目」。
作中のなかを錯綜する数多のプレイバック。
そうした作品をまさにプレイバックする再会で起こるのは、
反芻でも反復でもなく、増幅や氾濫とも違う、
「上書き」でも「名前をつけて保存」とも違う、
過去への解放。
ビデオ撮りをフィルム変換しての上映。
その意図や豊穣が自分のなかでしみ渡る、再会。
フィルムに変換された作品を包むのは、「時のベール」。
「剥き出し」であり「同時性」を曝し続けるデジタルを蔽う、
優しい時間の隔たりがそこには確かに生起する。
作業という工程が生み出すラグの贅沢さのみならず、
置き換わることに伴う継承の運動があり、変遷のなかの一貫があり、
時間と共に育った事実が刻印される。勿論、フィルムのまろやかな質感が、
限りなく透明なベールで時間の隔たり(現実との境界)を醸成してる。
更に、前回観たときにはなかった極上の味わいが其処に加わった。
それは、フィルムについた塵。これが観たかったからフィルムにしたのかも・・・
そう思いたくなるほど、その塵のひとつひとつが明らかに物語を彩っている。
しかも、モノクロフィルムの塵のなんと美しいことか。
それを強調するかのような白地のエンドロール。
やはり、「時」を見たかったのだ。見たがったのだ、この物語は。
デジタルには出来ない、デジタルでは叶わない、時間の「表現」。
未完であり続けることで、完成は無限になる。
時間と共に更新され続ける作品。
次観る時にはもう、そこにある「刻印」は変わっているのだろう。
そう思うと限りなく今が愛おしく、限りない未来が頼もしい。
もう二度と会えない過去に出会えたことがうれしい。
◆現在の姿のまま過去に戻る登場人物たちだが、過去の姿のままの一人がいる。
(三宅監督の前作『やくたたず』の観賞を経ると何とも言えぬ妙味も加わったが。)
彼は現在から過去を回顧することができない存在だということだ。
未来は将来としての可能性をもちながら、それが叶わず消えたとき、
未来は未来のままであり、過去は過去のまま残される。
だから、未来が将来になり、現在となった者たちは、
過去に必ず現在が交錯する。
「プレイ」バックは「プレイ」とは異なるプレイ。
それはしばしば純粋な再生が叶わぬ悲哀として描かれる。
しかし、そこに生じる不完全さと不純さこそ、
無情な時間が授ける可憐な無常。
それを丹精に慈しむ本作。
◆漠とした印象を曖昧な言葉で延々と綴ってしまいそうな一方で、
とりとめもない具体的な細部を具体的にいちいち解明したい衝動もある。
そして、そうした企みを試みたとき、
掴もうとした両の手からはあまりにも多くがこぼれ落ちてゆく・・・
もうそれを眺めるだけで幸せなのだ。そこに真実を感じられるから。
そんな感覚、フィクションではなかなか味わえない。
私たちが見ているのはフィクションでありながら、
実感するのは自分がフィクションを見ているというノンフィクションで、
更に自らのなかでは自らの〈Playback〉が共時上映されている。
◇たとえば僕は、
エドワード・ヤンに会いたくなった。
でも、もう彼はいない。でも、彼は確かにいた。
そのことが、そのことに関与できたことが、
そのことがまだ自分のなかに残ってることが、
奇跡として嬉しくて、軌跡として愛おしい。
不在の存在感は虚空などでなく、記憶の無限。
そんな失われゆくことへの悼みが未来に照射されたとき、
そこに灯された、在ったこと。在ったことは消えないこと。
消えぬことが在り続けることは、生まれ続けること。
いつでも会える、また会える。
◇本作にパンフがないのは至極残念ながら、
サウンドトラック収録の缶バッチ型音楽プレーヤー「PLAYBUTTON」なるものを
劇場では販売している。得体の知れないものに2,000円・・・正直高いと思ったし、
「普通のCDだったら即買いしてたのに」などと思っていたのだが・・・
やはり見終わった後にそのまま帰るのも名残惜しく
(まだ「見続けていたい」感覚で・・・)
買ってしまった。
で、これがもう最高なGoes On!
この物体がもたらすものは、まず〈体験〉であり、
そして結果として生じる〈所有〉。それも、ワン・アンド・オンリーに。
まず、ヘッドホンやイヤホンさえ在れば、帰りにすぐ聴くことができる。
そして、村上淳自らが編集したという音楽・台詞・環境音の「再生」は、
まさに聴く者の脳内に新たなPlaybackを映し出す。この切ない感覚は他にない。
そして、「このモノ」でしか聴けないというLOAD不能と
「それしか」聴けないという汎用性皆無。
そのアナログ感がもたらす愛着。
USBケーブル(付いてます)で充電可能ゆえ、繰り返し聞くことはできるものの、
例え今後壊れるか何かで聴けなくなったとしても、この物体と共に、
記憶はずっと残っていくだろう・・・などと尚早感傷気分にひたり。
フィルムにこだわった本篇と呼応するかのよう。
とはいえ、ムラジュンだってあくまでも「ノリ」で買うことを推奨(?)しているし、
勢いがふつふつと身内にわきおこって来た方のみ限定で、オススメです!
そういう人にとってはきっと、愛おしいプレイバックの時間が延長され続けることでしょう。
(ループ再生されるのが、また何とも言えず好い。終わりが始まり。)
東京では18日(金)まで![注意!16日(水)休映]
レイトは人によっては不都合だろうけど、レイトに観るのに最適な作品でもあります。
そして、このフィルムの旅はまさに始まったばかりで、
これからさまざまな地で、新たな美塵にまみれに往くのです。
そんな旅の途中で、もしくは旅を一通り終えた後、
「更新」されたフィルムとの再会が、今から楽しみだったりします。