※12月9日(日)15:00よりオーディトリウム渋谷にて上映あり。
今年のフィルメックスで組まれた小特集「イスラエル映画傑作選」。
『エルドラド』、『サラー・シャバティ氏』、『子どもとの3日間』、『アバンチ・ポポロ』
といった4作品が上映された。(今年はイスラエルと日本の外交関係樹立60周年らしい)
どれも観たかったものの、
フィルメックスにしろオーディトリウム渋谷の追加上映にしろ、
観られるのが『アバンチ・ポポロ』のみだった。
(実は『子どもとの3日間』はフィルメックスの前売買ってたが、
健やかに睡眠を選択・・・冬眠も暁を覚えず。)
この『アバンチ・ポポロ』は苦難の末の完成をみた後も、
作品にとっての処遇は不運なもので、ロカルノ映画祭で受賞を果たすも、
出品されたのがテレビ部門だったということもあり、正当な評価を得られずに来たという。
しかし、批評家の間での高い評価もあり、近年ではようやく観られるようになったとか。
第三次中東戦争の末期に敗走する2人のエジプト兵の眼を通して描かれる、
戦争の虚しさと愚かさ。時に滑稽さを漂わせながら、皮肉よりも痛み、
痛みよりも優しさ。優しさよりも逞しさ、逞しさよりも脆さ。儚さ。
被害者と加害者の歴史を体現するイスラエルの可能性。
1986年の映画ということもあり、
ウリ・オフィルによるスコアが見事にエイティーズ。
深夜テレビに映える真夜中シンセなエイティーズ。
浮き足だった倦怠感は、砂漠を彷徨う敗走兵士の虚脱感。
戦意が抜け落ちた空隙がもたらす虚しさは、生への渇望を喚び覚ます。
フラットにエモーショナルな電子音が、生気を呑み込む砂漠の光景と相まって、
幻想的な酩酊のなかで時折挿まれる現実の残酷を何処かファンタジックに映し出す。
しかし、そうした夢現(ゆめうつつ)の往来も次第に立ち往生。
現を抜かした戦争のイデオロギーによって夢から覚めねばならぬとき、
結局、戦争とは人間を破壊する暴力でしかないことを、それ以上でもそれ以下でもなく、
ただひたすら暴力であり続けることのみで機能するシステムなのだということを、
民族も立場も仕事も祈りも超えて、人間に知らしめる。
軽妙さと、不意に飛来する感傷の滋味。
そんなブレンドが岡本喜八の戦争ものを想わせる。
「アバンチ・ポポロ~」とエジプト兵とイスラエル兵が共に歌いつつ、
夕陽に染まる砂漠を想い想いに行進する場面の優しく朗らかな希望の光明。
戦争は悲劇にしか成り得ぬが、その下にあってすら喜劇を演じる姿こそ、
人間が「歯車」に抗うための意志が溌剌と忍耐する証左。
役者だったエジプト兵がかつて演じたのはユダヤ人。
『ベニスの商人』のシャイロック。
制作予算といった事情もあろうが、
戦争という厖大な機構を相手にしながらも、
個人が醸す機微に寄り添いながら語られる戦争映画は、
瞬発的な衝撃を投下しなくとも、波紋のように拡がる静かな一撃が降り積もる。
スタンダードサイズのフィルム上映。でも、音楽はエイティーズ。
そこに映し出される世界には、戦争が迷走し、涸渇を託つ。その悲劇は、闇の奥。
暗闇に包まれ、浮かび上がる荒涼たる砂漠と人間の叙事詩をひっそり見守る84分。
ふと気づくと頭にメロディが。しばらく微かに棲み続け、ふとまた会いたくなる佳作。
そんな自己顕示的な謙虚さという不思議な佇まい。それがイスラエル映画の魅力かも。