分割公開する映画に辟易してたくせに、自分はさらりとやってしまう前後篇。
今回は2011年に劇場公開され(私が劇場観賞した)作品の中からベスト10を考えました。
こういうのを考えるときって、その結果(ラインナップ)にも個人の好みや生き方(大袈裟!)が
現れると思うけど、その選定基準というか選び方にも各人の特徴が見えそうですよね。
ちなみに、私は大抵、観た作品の横に五段階評価の数値をダーッって入れていき、
それをソートして、「5」または「4」の作品の中から20作品程度をピックアップしてきて、
その上で色々な尺度や打算(笑)を経ながら絞りこんだり並べたりしていきます。
ちなみに、今年のノミネート作品(?)は以下の通りです。
[5点] (五十音順)
愛の勝利を ムッソリーニを愛した女 / アリス・クリードの失踪 / アンストッパブル
アンチクライスト / イリュージョニスト / エリックを探して / 神々と男たち
ゴーストライター / ゴモラ / 猿の惑星:創世記 / ザ・タウン / ザ・ファイター
ソーシャル・ネットワーク / ソウル・キッチン / ツリー・オブ・ライフ / トゥルー・グリット
蜂蜜 / ヒア アフター / 光のほうへ / 127時間 / ブラック・スワン
ブルー・バレンタイン / マイティ・ソー / マネーボール / ミスター・ノーバディ
ミッション・インポッシブル:ゴースト・プロトコル / 四つのいのち
ラビット・ホール / ルルドの泉で (29作品)
どんだけ基準甘いんだ>俺・・・って感じで満点連発な印象ですが、
俺の五段階評価の基準は一応ダブルスタンダード方式になっており、
個人的尺度(主観優先)と客観指標(他人の眼、気にしまくり)を併せた評価。
だから、ぶっちぎりに「大好き!」でも、所謂「出来」と呼ばれるスケールでそぐわなそうなら
「5点」とかつけるのは躊躇ってしまうし、「うーん・・・」って感じでも得点欠けたりしたら
「こいつ、わかってないじゃん」って思われる恐怖に負ければ点数やや上乗せといった感じ。
そうした日和見主義的ご都合主義万歳なノミネーションです。最低!・・・だけど、
これはブログを始めてから変わった「見方」とも関連していて、以前は、
切り捨て御免スピリット と 好きこそものの上手なれ(意味違わねぇか?)メンタリティ で
日々映画を観ては足蹴と抱擁の二者択一というネガティヴ一期一会を展開してきた自分。
でも、こうして不特定多数の人が閲覧可能な状態に晒して感想述べる以上、
しかも(数は微微たるものとはいえ)実際にそれを読んでくれる存在がいる以上、
斬るときも抱くときも真剣でいたいな、と。
そうして、相手(映画)と見つめ合ってると、刀を鞘にしまいたくなることもあれば、
ただ抱きしめて気持ちよくなるだけじゃダメな気がしてくることもあったりする。
おぉ!これが弁証法なのかぁ!!などと西洋人ぶったことを体感レベルで語れはせぬが、
とにかく作品に誠意や熱意がこもっていれば、受け手が同じ姿勢になったとき、
そこに「読みとれる」「受けとれる」何かがあるんだという事実に、今更少し気づけてきた・・・
気がします。とはいえ、必ずしも自己の敗北を宣言することで悦に入るだけじゃなく、
自己の勝利を確信しながら真剣に闘ってみることの必要性も忘れたくはないとも思います。
やたらカッコつけた書き方してますが、私がこれまで散々世話になってきた
「映画を語る市井の人々」には皆、そうした姿勢が共通していたように思うし、
そうしたところが共感や発見だけに拠らぬ《交信》を可能にしてくれた(る)ようにも思うので。
と、大好物のエクスキューズ物語を不適切な段階で披露した上で・・・ついでに、
4点 [五十音順]
愛する人 / 悪魔を見た / アレクサンドリア / アンノウン / アジョシ / 明かりを灯す人
生き残るための3つの取引 / 永遠の僕たち / 英国王のスピーチ / X-MEN:First Class
エッセンシャル・キリング / 彼女が消えた浜辺 / カンパニー・メン / クロエ
恋とニュースのつくり方 / SOMEWHERE / ザ・ウォード 監禁病棟 / しあわせの雨傘
灼熱の魂 / 人生、ここにあり! / ジュリエットからの手紙 / スプライス
水曜日のエミリア / タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密 / テザ 慟哭の大地
トライアングル / トランスフォーマー ダーク・オブ・ザ・ムーン
名前のない少年、脚のない少女 / ピラニア3D / ファンタスティック Mr. フォックス
MAD探偵 7人の容疑者 / 未来を生きる君たちへ / ミッション:8ミニッツ
Monsters 地球外生命体 / ラスト・ターゲット / ラブ・アゲイン / リアル・スティール
こちらだって38作品もあるという、おめでたいノミネーション。
5点と4点の差は、何らかの絶対的な価値が主観的 or 客観的に見出せるか否か
といった点が分かれ目です。だから、明らかに客観指標で「傑作」だと解しても、
個人的にピンと来ずじまいだと、自分として5点にはし難いといった決め方です。
逆に、4点と3点の差は単純に「普通(3点)」と言い切って終われるか否かの違い。
その作品でしか味わえぬ(美味でも不味でも)確かな手応えがあれば、
そこにはプラスアルファしたくなるといった心情に裏打ちされた結果です。
5点では、『アリス・クリード~』や『マイティ・ソー』あたりが個人的ストライク暴走の賜物だし、
4点では、ラブコメ2作の「ときめき」成分やイベントもの(X-MENやトラフォ)の過剰分泌が
見事「普通域圏」突破を成し遂げました。また、4点ゾーンには「4点が満点」的作品も。
また、「えぇ~、アレ入ってないのぉ~」って思われるようなソレは、
きっと観てないのです(笑) アピチャッポンもマチューも、マイク・リーも見逃したままだし。
そういった作品は来年に何とかリカバリー観賞したいと思っております。
『抱きたいカンケイ』と『ステイ・フレンズ』を見逃して真の『ブラック・スワン』パーフェクトを
成し遂げられなかったことも今年最大の不覚として記憶せねばならぬこと。
また、年末公開組で未見のものも当然入っていません。ただ・・・
『風をそよぐ草』(紛れもない個人的超快作!)は昨年のフランス映画祭関連で観たり、
『ミラノ、愛に生きる』は輸入盤で観たりしていますが、今年劇場で観ていないので対象外。
今年は途中から観賞記録をサボってしまったので、抜けてる作品ありそうで怖いけど・・・
というわけで、前置き長っ!な当ブログの特徴を最後までひきずりつつ、
マイ・ベスト10をカウントダウンで語ります。(前篇同様、基本想い出の自分語り)
第10位 『名前のない少年、脚のない少女』(2009/エズミール・フィーリョ)
シアターイメージフォーラムで観賞。映画を好きなのは、映画館が好きだからかもしれない。
そんな自分にとって、観賞する劇場の決め方はある意味、偏執狂(笑・・・えない)。
だから、シネスコなのに上下が縮まっていくときに覚える敗北感
(この感覚が貧乏臭くて我ながら情けないが)に耐えられず、
縮みシネスコ劇場でのシネスコ作品観賞はなるべく避けるようになってしまっていた。
ゆえに、本作も私的にはシアターイメージフォーラムで観るべき作品ではなかったのだが、
えも言われぬ引力が作用して、公開直後に足を運んでしまったら・・・
切なさと美しさと儚さの調合が、「僕のため?」ってくらいの胸キュン小品で吃驚。
おまけに、特筆すべきは音響の素晴らしさ!専門的知識に乏しいので詳細明言できないが、
この作品の音響設計も、劇場の再現能力もピカイチだった!今年一番の「音」かもしれない。
俺はこういう繊細な音と静寂のブレンドが好きだから、爆音上映ちょっと苦手なのかも。
シアターイメージフォーラムの小劇場ながら絶妙そうなスピーカーたちは飾りじゃなかった!
ピュアさを売りにしないガス・ヴァン・サントみたいな「まっすぐ」さがたまらない。
あとは、それを巧く「売り」へと昇華できれば、飛躍の道も開けてきそう。
でも、俺はこういう思春期そのもの(回顧でも懐古でもなく)で瑞々しいだけでもない
ヒリッとしながらヒヤッともするイタイタしさが、大好きだ。
第9位 『トスカーナの贋作』(2010/アッバス・キアロスタミ)
このベスト10には、初見ではないものも含まれていて、本作もそんな作品のひとつ。
但し、初見の時の衝撃が再見を遥かに凌いでいる場合は敢えて外してしまったものも。
例えば『愛の勝利を ムッソリーニの愛した女』は、昨年のイタリア映画祭で観たときの衝撃、
その後輸入盤で再見したときの更なる満足に比して、シネマート新宿で観た時の満足感が
なぜかパッとしなかったので、今年のベスト選定からは気持的に除外してしまったり。
おそらく余りにも正視に耐えない邦題の没風流に萎えすぎたせいかもしれない。
『エリックを探して』も初見が一昨年の秋だし、公開は昨年末だから除外した。
そんな理由で?って根拠も、苦渋の選出作業には好都合な言い訳になるってことで。
本作も昨年のフィルメックスで観たときの満悦感覚をそのまま再現した訳ではないものの、
フィルメックスで観たフィルム版とは明らかに異なる印象をうけたDCP上映がむしろ、
原題の「Certified Copy(保証された複製)」をより体現させてくれたことは興味深い。
更に、輸入盤を我が家で観てみると、これまた更に異なったCopyを享受する体験。
作品内における絶え間ないイマジネーションのイリュージョンは、
作品外における仕掛け(それは現代の芸術鑑賞のスタイルそのものを利用するかたちで)
にこそ強烈に働きかける力を発揮するのだと気づいたとき、
ようやく一つの完結を迎えるのだと気づけた収穫。
そして、ごくごくごくごく微力ながら(ほんの数千円だけどね)、
キアロスタミ新作撮影に貢献できた独り満悦も今年のちょっといい話。
10の作品を選ぶ際、それぞれ「〇〇枠」的な意識でピックアップをしてくるが、
本作と枠を争ったのは『ワイルドスピード MEGA MAX』や『ミッション・インポッシブル ~』。
前者よりは明らかに引き締まっているし、後者よりは明らかに緩い・・・なのに、90分台!!!
いいかげんな基準のようだが、この手の作品における「いいかげん」な基準ほど
好い加減もないわけで、いずれの三作も大好きだけど、2回観に行っちゃったし、これ。
最上の興奮を全身にみなぎらせ続けるようなスピード感より、
溢れんばかりの才気を精緻な技術で仕上げる逸品より、
職人が鼻歌まじりに差し出す「一丁あがり」が大好物。
ある意味、ベスト10内における最高の麻薬(笑)
完成度だとか芸術性だとかいった尺度では、ふさわしくない選定だろうとも、
それらによる判断は「WE」のための目安に過ぎない。
だから、「I」(哀?愛?)のためだけに在ろうとする本作に、
そうした基準はナンセンス。作中でも、それをこそ否定し(ながら、それで終わらず)
超克しようともがくのだから。その結果、見つけた「ぼく」だけが想い出せればいい世界。
実体が目の前から消えようと、写真も何もなくたって、消えることない記憶があれば、
その幸福で美しい記憶は永遠だ。それって、決して所有できない「映画」と似てる。
駆け込み乗車ばりの反則技でテン入りしてる気もする本作。でも、瞬間最大風速も大事だ。
第6位 『ヒア アフター』(2010/クリント・イーストウッド)
これほど置き場に困る代物もないってわけだ。そもそも序列に組み入れることが躊躇われる。
しかし、本作に限って言えば、いつもの「イーストウッド監督作」という後光によるところより、
本作における含蓄の深奥に未踏であるよな感覚が観賞後の自分を見舞ったからだ。
本来なら、そうした不完全さは消化不良となって不十分な気持に満たされるのに、
なぜか後悔と満足とが融和することでもたらされる奇妙な飛躍が訪れたのだ。
《死》のもつ不可解さと《生》のもつ確かさを見事に「体験」させてくれたかのような。
死に痛む胸が、死を悼む心を取り戻したとき、その死によって生が息吹き返す。
いろんな意味で、今年の日本を考えるうえで「たいせつ」な映画となった気がしてならない。
第5位 『ルルドの泉で』(2009/ジェシカ・ハウスナー)
『永遠の僕たち』のヘンリー・ホッパーの表情には、
2011年を締めくくるに相応しい輝ける悲しみの優しい希望を感じ、
清らかな(気がする)涙をこぼしたが、やはり本作のラストシークエンスは
今年ダントツでパーフェクト!もうずっとあの歌(「フェリチータ」)が頭から離れない・・・
いやいや、ラストに限らず、本当全篇に渡って、画面全体に渡って、
一点一画も忽せにせぬ精緻な「ドキュメンタリー」芸術の極北。
《聖》を《俗》で皮肉らず、《俗》を《聖》で蔑むこともない、
聖俗の混沌をそのままみせる語りは真実。
第4位 『猿の惑星:創世記』(2011/ルパート・ワイアット)
今年は一時期(特に春から夏にかけて)SF作品が大挙して公開されたりしたが、
そのどれもがそれなりにユニークながら、作品の小ぶりさがメッセージの小ぶりさにつながり、
現代やら人類やら文明やらをグラつかせる域にはなかなか到達せずじまいだった。
ところが、まさかの伏兵に虚を衝かれ、鮮烈なカタルシスと静穏な感動を同時に浴びて、
その後一週間のTIFF通い中も再見を模索したくらい(結局行けなかったけど)。
映像における技術の高さは素人眼にも一目瞭然ながら、メイキング記事を読んでみると
コンピュータ上の処理による飛躍というよりも、実体ある現物を通常以上に取り込みながら
画も動きもつくっていったといった印象だったので、更にその姿勢に感嘆しまくったものです。
そして、物語の持つ力はSFというジャンルに留まらぬ重量級の直球で我が胸に迫り来て、
俺のなかでは、『トロピカル・マラディ』なんかよりよっぽど(あれも好きだけど)
「山月記」(中島敦)の精神と共鳴する、人間の条件を真摯に考察した作品。
それを、一見キワモノ・ルックなハリウッド大作で成し得た才能と熱意にただただ脱帽。
第3位 『神々と男たち』(2010/グザヴィエ・ボーヴォワ)
こちらも初見ではなく、昨年の東京国際映画祭で一度観ていた作品。
あまり好みではないシネスイッチ銀座での公開だったので、後回しのつもりだったものの、
震災直後に観賞すべき作品として自分に浮上したからには、観ておかねばなるまいと・・・
すると昨年観た時を遥かに凌ぐ感涙に襲われる・・・それは、
自分自身が一連の危機的状況で味わったり感じたりしたことに影響されてもいるが、
恐怖と信仰の葛藤のなかで「受容」に耐えようとする厳粛な信念をもった「人間」の姿に、
希望の道筋を照らしてもらえた気がしたからかもしれない。
完璧主義者らしきキャロリーヌ・シャンプティエ(撮影中は黒しか着ない)の撮影は、
まさに神々しいばかりの久遠の美を漂わせ、本作を神話の域に高めていった。
監督のグザヴィエ・ボーヴォワは、『マチューの受難』(2005)を1月にNFCで観たのだが、
実に興味深い「語り」を持った作家だということを再確認。今後の作品も是非観続けたい。
第2位 『ソーシャル・ネットワーク』(2010/デヴィッド・フィンチャー)
実は恥ずかしながら(?)今年最も観た作品。劇場で3回も観たことは絶対秘密だ(笑)
おまけにブルーレイ購入後も(必要があったからとはいえ)何度か観賞&研究(?)。
すると、制作過程も含め浮かび上がってくる作品の魅力の根底には、
現在という特殊性 と 過去と未来をも内包する普遍性 の 接近と背反 が反復させるも
絶対に交わらせたりしない、意地は悪いが極めて正しいリアリズムが透徹されていた。
今年は、アカデミー賞関連作品が軒並充実したものだったのが、非常に印象的だった。
『ザ・タウン』、『127時間』、『ブラック・スワン』、『ブルー・バレンタイン』、『ラビット・ホール』、
どれもベスト10に入れても好いくらい気に入った作品たちだ。『マネーボール』だって極上だ。
強い個性と普遍性を兼ね備えた作品群。
大味の感動(それも嫌いじゃないけど)だけじゃない、
そんな作品を評価する(観客が支持する)動きも又、
コミュニケーションの変容と連動してそうだ。
この作品が、他のどの作品よりもガツンと来たというわけではない。
ただ、観ている間ずっと微かに灯りつづけた明かりがいつまで経っても消えず、
熟読玩味をどこまでも続けねばならないような、まさに奥の深い作品だ。
しかも、本作封切時には本作の後日譚的二作『卵』『ミルク』も公開されていた。
「ユスフ三部作」と呼ばれる(俺のなかでは「ミルクセーキ三部作」(笑))3作を、
制作年次を遡るかたちで観ていくと、ユスフが年をとっていくという不思議な体験。
時代も地域も超越した普遍の物語は、あまりの静謐さゆえに無限の雄弁さが潜んでる。
当ブログの年間1位を記念して(ちがいます)、早稲田松竹では来年1月7日から一週間、
ユスフ三部作を上映(三本立!)します。3本観ても300分程度だし、是非是非ご観賞下さい。
2月にはWOWOWのベルリン国際映画祭特集で『蜂蜜』の放映がありますが、
そちらはあくまで咀嚼用。未見の方はこの機会を逃さず、フィルムで三部作制覇あれ。
とまぁ、今年『ヤンヤン 夏の想い出』とガレル2本立てを上映してくれた早稲田松竹に
超微力ながら恩返しを済ませたとこで、年間ベストの発表も終わりにしようかと・・・
ちなみに、2011年の劇場観賞は昨年より微減の300本弱。
(ただ、自宅観賞はほぼ半減して100本弱しか観ていない。)
ただ、そのうち新作がどの程度の比率かは算出しておらず。
新作日本映画の劇場観賞は年々減っているようにも思われ、今年は30本弱。
距離のとり方(?)が難しい(現代)日本映画は、どうしても選り好みしてしまう傾向が。
ベスト10も外国映画にしぼって決めてしまっている要因がそこにあります。
(「日本映画ベスト10」を語るには余りにも分母が小さいし、外国映画との混成は苦手だし。)
ちなみに、今年観た日本映画で前述の五段階評価を試みて4点以上になるだろう作品は、
(五十音順で)
『一枚のハガキ』、『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』、『家族X』、『奇跡』、
『コクリコ坂から』、『サウダーヂ』、『東京公園』、『ノルウェイの森』、『白夜行』、
『Peace』、『マイ・バック・ページ』といったところかな。
映画祭で日本映画は基本的に観ないものの(劇場公開されるだろうと思うから)、
フィルメックスで観た『KOTOKO』(塚本晋也)は面白かった。
『不惑のアダージョ』も作品の内容自体は本当特筆に価する出来だとは思った。
上記のなかでどれが一番好きかと言われれば、『ノルウェイの森』かなぁ・・・ってとこだけど、
初見は昨年だし、その好さって外国映画的要素に見出しちゃってる気がするし
(ある意味近しい感覚は『東京公園』とかにも共通するかも)、
やっぱり自分が日本映画に求めてしまうのは、
外国映画では味わえない言葉や感覚の共有で、
そうした意味では『奇跡』や『Peace』の慈悲深さと、
『白夜行』や『マイ・バック・ページ』の時代感覚(世代を越境した再構築)が、
今年の日本映画のなかで最も印象に残った味わいだった気がします。
(最後に)
このブログを始めて、事実上1年が経ちました。
実際には昨年の8月に始めたものの、数回の更新以降年末まで放置だったので、
定期的に記事をアップするようになってからは1年です。
このブログの存在は自分のことを知っている人間には誰にも知らせずに書いているので、
自己分裂気味だったりメルヘン臭たちこめたりしてても平気なのですが(開き直り)、
基本自分のため(これは忘れないようにしたい)に書いているとはいえ、
やはり読んでくれる人がいることを期待するのも性ってもんで、
ほんのたまにでもブログやツイッターなんかで紹介(?)してくれたりする方がいると、
無性に嬉しくなってしまったりするのも事実です。ありがとうございます。
とはいえ、未だどこにも出て行ったこと(どこかにリンク貼ったり、
ツイッターやフェイスブック利用したり)がないので、
継続的定期的に覗いて下さっている方など僅少稀少かと思いますが、
またもし気が向いたときにでもお越し頂ければ幸いです。
いつまで続くかわかりませんが、とりあえず来年もベスト10とか発表できれば嬉しいな。
それでは皆様、よいお年をお迎えください。