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imaginary possibilities

Living Is Difficult with Eyes Opened

フランス(2006/セルジュ・ボゾン)

2012-10-15 00:20:13 | 2012 特集上映

 

特集「映画とシャンソン」@アンスティチュ・フランセ東京にて鑑賞。

 

本作は、カンヌの監督週間に出品され、2007年のジャン・ヴィゴ賞を授与されている。

古くはレネやシャブロルやゴダール、少し前ではアサイヤスやデュモンも受賞した同賞。

確かに、「末恐ろしさ」が画面の隅々に漂いまくっている紛れもない傑出した魅力。

日本に紹介されていない偉大な才能が、フランス映画には一体どれほどいるのだろうか。

 

とはいえ、

本作は日仏学院で2007年の「カイエ・デュ・シネマ週間」にて上映されたらしい。

2007年のカイエ・デュ・シネマ批評家選出ベスト10でも堂々の第5位。

そんなことは知らずに臨んだ本作の鑑賞。

前日のラランヌ氏による講演で抜粋が流され、

その余りにも唯一無二な引力に衝撃を受け、見逃し厳禁と即断。

これは、アルベルト・セラ(奇しくも前述のベスト10に共に顔を出している)と並んで、

今年最も至高なる邂逅だ。映画祭ですら紹介されていないのが甚だ疑問。

このままアンスティチュ・フランセ東京にフィルムを匿っておいてくれないか(笑)

 

先述の2007年カイエ批評家ベスト10のなかで言うと、

アルベルト・セラや蔡明亮、アピチャッポン・ウィーラセタクンなんかのラインにある。

しかし、彼らが全く異なった才能を発揮しているように、セルジュ・ボゾンも強烈に異彩。

最初から「変わってる」ことが楽しくて仕方のない心地好い違和の時間が流れ出す。

1917年の秋、第一次世界大戦の頃、戦地の夫に会うために男装して連隊に紛れ、

旅を始めるカミーユ(シルヴィー・テスチュー)。

その連隊が演奏し歌唱する場面が、

4回ある。

 

そのいずれもが、実際にその場で為された演奏による録音だと言う。

確かに、各場面から発せられるオーラは明らかに従来のそうしたシーンとは趣を異とし、

格別の存在感と際立った実在感が観る者を夢現の彼方へと放り出す。

連隊の彼らが身にまとっている軍服の青と、森の闇や緑の黒が、

確たる現実の中心にありながら、それは単なる支点に過ぎず、

物語は常に無重力な遠心力で廻され続けてく。

 

本作に楽曲を提供しているFuguは、

ビーチボーイズ的キラキラソフトロックを得意とする(らしい)フランスのミュージシャン。

本作における楽曲の並々ならぬ魅力に殺られ、早速オリジナルアルバムを注文。

本作のサントラと思しき『La France Chansons』はiTunesストアで購入。

終始ハッピーな映画という訳ではないのだが、歌が始まる度に、

生を享けたる喜びに満ちた無上の現実を噛みしめてしまう。

静寂と荒涼と茫漠のなかで身を潜め続ける大半が、

そうした歌に見事に集約されて謳歌する。

 

特に終盤の民家に泊まるシークエンスからラストまでは圧巻で、

本作の屋台骨が見事にスライドしながらズレてゆく心地好さが、

それまで大地に踏ん張っていた物語を重力から解放し始める。

そうして訪れたラストシーンの現実回帰のロマンチシズムは、

消えることも絶えることもない情動の美徳を永遠に約束してくれるのだ。

 

◇本作には、ギョーム・ドパルデューが出演しているのだが、

   その役どころや登場の仕方、そして発する言葉(の意味)が悉く涙を誘う。

   右足の切断、そして37歳での夭折。星になった彼がみつめる星々の切なさは、

   本作に更なる奇跡を起こしているように思える。

   そういえば、私が最初に好きになったかもしれないフランス映画って、

   実は『めぐり逢ったが運のつき』(1993/ピエール・サルヴァドーリ)なんだよね。

   たまたまテレビで観ただけなんだけど、本当に心底好きだった憶えがある。

   また観てみたいなぁ。おとぼけギョームも好かったな。

ピエール・サルヴァドーリのフィルモ確認していたら吃驚!

『めぐり逢ったが運のつき』って、イギリスでリメイクされていたんだね!

WOWOWとかで放送してくれないかな。

勿論、その際には『めぐり逢ったが運のつき』も!(こっちが本命)

 

最後にもう一度セルジュ・ボゾンに話を戻すと、

『フランス』の前に彼が撮った『Mods』のワンシーンがこれ。

観た過ぎるでしょ、絶対。

ただ、この動きが何となくOK Goを想起しちゃったりもするけどね(笑)

 

でもって、やっぱり最後の最後には『フランス』のエンディングに流れるこの曲!

劇中でも最後に演奏される曲で、ラストシーンに再びオリジナル(?)が聞こえてきて、

エンドロール。その甘美な流れ。やさしさに包まれたなら。

本作の音楽を担当しているBenjamin Esdraffoとのライブ映像発見。

 


ラヴ・ソング(2007/クリストフ・オノレ)

2012-10-13 23:54:15 | 2012 特集上映

 

本作は、2008年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭にて

『愛のうた、パリ』のタイトルで上映されたらしい。

ということもあって、日本語字幕付(投影式だけどね)での上映。

35mmの美しい青からしっとりと映画は始まる。

 

三部構成および各章のタイトルが『シェルブールの雨傘』と符合するが、

本作も頻繁に歌が挿入されるミュージカル的映画。

『わたしたちの宣戦布告』が気に入った層には概ね受け容れられそうだが、

(ということは)観る層を選びそうな気もする特殊性も。

私は基本的に気に入った・・・はず。

というのも、奇妙な蛇行を繰り返されているうちに、

展開の行方に追いつけぬまま消え去ってしまわれた印象なので。

そして、そんな気になり方しているものだから、もしかしたら見直してみるかも。

ということで、詳しい感想は後で書こう。

 

オノレ監督作で必ずコンビを組んでいる音楽のアレックス・ボーパン。

本作でも14曲を提供し、新作(WOWOWで放送予定)では14曲を書き下ろし。

ちなみに、明日は14日。

(本作は、セザール賞の音楽賞を獲っています。)

WOWOWでのオノレ最新作を観る前にもってこいの予習教材。

ルイ・ガレルもいっぱい歌って踊る(?)し、キアラもしみじみ唱います。

ちなみに、2007年カンヌのコンペ選出作品だったりも。

日曜の飯田橋はのどかで好いですよ。

 


ザ・ビートルズ映画祭(補足)

2012-10-10 23:59:32 | 2012 特集上映

 

Hunger is the best sauce.

極上な音響にとって、ベストソースとは?

それは幽玄なる静寂以外にありえない。

光と影の如く、音と沈黙は常に一体だ。

どんなに極上な音を響かせる環境(設備)が整っていようとも、

そこに静寂がない限り、音響が極上たり得るはずがない。

 

昨日、ポジティヴな感想でしめ括ったまま、

映画の豊かな余韻を持続させる方向で筆を置いてしまったが(筆は持ってないけど)、

やはり追記せねばならぬと思い立ち、少しばかり補足(というか、愚痴)を。

 

昨日の『アクロス・ザ・ユニバース』を観る前は、

さすがに極上音響上映などと謳っており、

更にはザ・ビートルズ映画祭と銘打たれている以上、

音(音楽)を聴くことにはこだわりのある観客が集っているのとばかり思って行けば、

上映も半ばを過ぎるまで、場内に静寂が維持される厳かな空気は生まれ得ず、

ファーストフードのポテトが入った紙袋のような音が随分とハモられておる状況。

(あれって、まさか劇場のコンセで売ってる食べ物?だとしたら包装素材選択愚劣。)

後半はようやく静かになってきたものの、終盤に「ヘイ・ジュード」が静けさのなかから

流れてくる場面でも、ペーパー・ノイズが遠くで鳴っている・・・。

 

まぁね、昨日はそうは言っても、フィルムに包まれて、

ビートルズの名曲たちと愉しく戯れることができたから、

清々しく劇場を後にできたのだけど。

 

今日観てきた『Living in the Material World』では最低最悪な客がいた。

まず、上映が始まり、後方のざわめき(お食事の音…今日はやや静かめ)が

おさまりつつある頃、その輩は缶ビールを勢いよく開けると共に、

「つまみ」の入ったビニール袋の音が2時間近く続き・・・

ようやく静まったかと思えば、今度は前の座席を蹴るわ蹴るわ。

私はそいつのすぐ前ではなくずれてはいたものの、前の列だったので、

そりゃぁもう悲惨。おまけに、しばらくすると奇妙な音(身体から発する系)も。

普段だったら注意するところだが、何度か振り返ろうとも全く意に介さず、

その顔や姿勢などから察するに、逆ギレ必至中年だと判断。

仕方なく(自分のためにも周りのためにも)耐えることに。

ま、ガラガラだったので私が席を移れば済む話だったのかもしれないけれど、

こちらは昨日から予約までして、仕事も何とか早めに片付けて、駆けつけて・・・

という余計な意地が働いてしまったのも好くなかったのかもしれないですね。

あと、ジョージが穏やかに語る「思想」もまた、己の偏狭さこそを克服せよ!的な

発想へと転換を求められている気がして(笑)

 

劇場は観客を選べない。

とはいえ、ここまで「音響」へのこだわりと自信を語っている以上、

ハード面での環境を整備しただけで終わっては、ただの自己満足にも思えてしまう。

映画館にとって、飲食物の収入がかなり重要なのはわかる。

でも、「特別なこと」をやろうっていうのだから、

それにはそれなりの覚悟を期待したい。

ましてや今日のオヤジはオール持ち込みだからね。

 

何もあらゆる飲食を禁止しろとまでは言わない。

コンセで売るものや、その包装素材にもう少し配慮するとか、

特別な上映に関しては観客へ注意を促すよう心がけるとか。

ここは、上映前のマナー呼びかけもスタッフが口頭で軽く済ませるだけだし。

まぁ、注意を促したところで、その効果は大して期待できないかもしれないけれど、

そういう地道な努力もしつつ、「空気」をつくっていかないと、文化的な定着はないと思う。

 

例えば、爆音映画祭(or 爆音上映)なんかでは、

会場内に「音を聴きに来た」って共通認識がしっかりあるからか、

耳をすますに値する静寂が流れている気がする。

それこそが、もしかしたら実際に発せられる「音」よりも効果的なのかもしれない。

(音自体が必ずしも上質な訳ではないが、観客の「聴く耳」が補完し完結する印象。)

 

折角のポテンシャルをもった環境や試みだけに、

認知や評価が伴うためにも、最大の「ソース」を手に入れて欲しい。

 

ちなみに、前述の飲酒椅子蹴りゲス野郎は、

エンドロール中にそそくさと退場しておりました。

帰りにそいつの座席のあたりに眼を遣れば、そこに散乱するゴミ、ゴミ、ゴミ。

食い散らかした後は惨憺たるもので、袋は全て床に散らばって、

ビールの缶も転がったまま。(上映中に何度か蹴ったかなんかで転がしやがってた。)

しかも、その缶はアサヒ・スーパードライ(500ml)という救いのなさ

あらゆる意味で、招かれざる客、Here comes the 惨!

(ジョージ、ごめん。)

 

◇シネマ・ツーの劇場仕様説明文に、

   「壁や床に吸音材を入れず、天井で吸音する新しい方式を採用。

    独特の音響空間となっている」とあります。

   だからこそ、確かに一音一音がめっちゃ響きます!

   それはスピーカーから発せられる音だけじゃなくね!

   ってことを音響のプロはどう考えているんだろう・・・

 


ザ・ビートルズ映画祭

2012-10-09 23:59:26 | 2012 特集上映

 

ビートルズのレコード・デビュー(「ラブ・ミー・ドゥ」)が1962年10月5日ということで、

ザ・ビートルズ レコード・デビュー50周年記念映画祭」なる特集上映が、

キリン・ラガー・クラブの提供(+J-WAVE後援)で開催中。

 

開館以来、音響にこだわり続けてきた独立系シネコンのシネマシティ(立川)。

その2号館であるシネマ・ツーで5作品が上映されている。

 

『マジカル・ミステリー・ツアー』のDCP上映も貴重だが、

実は『ノーウェア・ボーイ』と『アクロス・ザ・ユニバース』は35mmプリントでの上映なのだ。

(なぜWebにそういった重要情報を掲載しないのだ!もったいない!!)

そこで、超絶フェイバリットな『アクロス・ザ・ユニバース』と再会!

 

そういえば、ロードショー当時に観たのも立川だった。

1号館(シネマシティ)の2Fの劇場で、そこの音響が特に好きだった自分としては、

そこで上映してくれる事実だけでも最高に嬉しかったのだが、作品がまた最高で、

爾来封印したくなるくらいの極上体験となった素晴らしい記憶がある。

 

しかし、最近はシネマシティ及びシネマ・ツーで映画を観ることから随分遠ざかっていた。

理由はいくつかあるが、一時期から余りにも映写が酷くなっていたことが最初の契機。

Webサイトに映写のバイト募集が頻繁に掲載され(以前は映写のバイトはいなかった)

少し心配だったのだが、そのせいかどうか定かではないがとにかくピンぼけが酷かった。

特に、特殊な構造になっているシネマ・ツーのうちの2つの劇場での上映は悲惨だった。

劇場によっぽどメールでもしようかと思ったほどだ(好きな劇場だっただけに哀しくて)。

その後、会員制度がとんでもないものに変わってしまい、劇場の方向性に疑問は増幅。

更にはマイケル・ジャクソンで何度も何度も儲けようと躍起になり(ファンは嬉しいのかな)

アニメ作品の上映にも力を注ぎ(ま、それ自体は別に悪いことでもなんでもないが)、

女性とアニメやマイケルのマニアといった「稼ぎやすい」ターゲットばかり向いてる、

誠に悲しき狡猾劇場に化してしまったとしか思えず、離れていったのでした。

 

とはいえ、シネマシティの大きい(といっても200~300席)箱はやっぱり好きだし、

シネマ・ツーに至っては、最大箱以外はいずれも独特な構造でワクワクするし、

せめて映写の問題さえクリアすれば又観に行っても好いのになぁ、とは思ってた。

そんな中、デジタル上映へ移行したこともあり、映写問題はクリアされてそうと判断。

最近、たまにだけれど観に行くことも。(デジタル上映だとほとんど問題ないレベルに)

 

ただ、今回のフィルム上映を観て、

やはりそもそも劇場の構造に無理があるのだと改めて思ってしまった。

スクリーンと映写室の距離が大して無いのに、映写室はスクリーンに対して相当上にある。

だから、画面全体にピントが合うことがほとんど不可能に近いのかもしれない。

おそらく、今日の映写は熟練の人間が行っていたのではないかと推測するが、

やっぱり画面最下部はボケてしまっている。が、画面中央はしっかりクリア。

これで好いんだよね。これなら全然好いんだよ。

だけど、俺が見るに堪えなかった時期の映写は、

字幕にピントを合わせるものだから、肝心の中央部が見事にピンボケ。

アップならまだしも、引きの映像だとマジで苛々が止まらないぼんやり映像。

 

といった、これまでの悲劇を乗り越えて、

今日の『アクロス・ザ・ユニバース』フィルム上映は本当に最高だった。

そもそも、あの劇場は前方の座席に座ると、異様にスクリーンが近くにあって、

スクリーンに包み込まれるような感覚を味わえる独特な構造になっており、

そういった状況が好きな人間にとっては(少数派かもしれないけれど)

それだけでワクワクしながら観られるのだ。

(やや湾曲しているスクリーンもそうした効果に一役買う。)

 

スクリーンサイズもビスタだとやや物足りないものの、シネスコだと文句ない!

しかも、極上音響と銘打った上映だけに、

スクリーンと正面対峙=スピーカーとの正面対峙という絶好環境で堪能し尽くせる。

爆音上映のような音圧はないが、その分、一音一音の動きに繊細さがある。

通常上映では一時期から随分と大人しくなってしまった感のある音。

シネマ・ツーの音響コンセプトは随分と「上品」な仕様になっている気もするが、

『鉄男 THE BULLET MAN』の(名称忘れたけど)爆音的上映の際なんかは、

そのスペックはバウスなんか(御免)の比じゃない遙かなる次元を体験できた。

(今回の箱とは別のところだが。ちなみに、2回観に行ったのにいずれも観客1桁・・・

改めて、集客にとって「質」は十分条件では全くないことを痛感したなぁ。)

今回も、序盤はそれほど「音響こだわり上映」って印象は受けずに進行したが、

中盤あたりから(戦場の場面や轟音などが入り交じるあたりから)ヴォルテージは上がり、

クライマックスにおける高揚と連動するように音響が見事に広がっていったことに感動。

 

それに、音響を強調した映画祭とはいえ、

フィルムで観られる悦びはやっぱりこの上ない味わい。

『アクロス~』はブルーレイ持ってはいるものの、

フィルムの質感を大画面で味わえる至福には敵わない。

色の感じが明らかにアメリカン・ニュー・シネマを意識した仕上がりだし、

イギリス・パートの寂れた色彩もフィルムならでは。

サイケなパートもデジタルならチカチカしてどぎついこってり感に苛まれそうながら、

フィルムだと全ての色や形が融和し夢コーティングな世界が躍り出す。

 

撮影を担当したブリュノ・デル・ボネル(『アメリ』もこの人)は『アクロス~』以降、

『ハリーポッターと謎のプリンス』で3度目のアカデミー賞候補となった後、

『ファウスト』でソクーロフと、『ダーク・シャドウ』でティム・バートンとの仕事を経て、

コーエン兄弟の新作でも撮影を担当してる。

それも大納得の見事な絵巻が展開される2時間超。

体感時間は1曲分!組曲ビートルズ!!

正直、ボノのシークエンスは不要に思うけど(あくまで個人的な好みの問題ですが)、

それでもロング・ジャーニーのようでありながら一瞬の疾走にも思える青春グラフィティ。

ジュリー・テイモアの舞台演出のセンスと

映像に関わるすべての表現(撮影・編集・音響など)が、

奇跡的な幸せいっぱいに結びつき、ビートルズも微笑み返す。

これで心置きなく『テンペスト』は観なかったことにできます(笑)

 

◇全曲ビートルズで構成!といえば、シルク・ド・ソレイユの『LOVE』。

   実はラスベガスに行ったときに観てきたのだが、こちらも本っ当に最高!!!

   妙な映画版とかをジェームズ・キャメロンから無理矢理押しつけられては

   東京国際映画祭のオープニング作品にして無料で宣伝してあげちゃって・・・

   とかしてないで、早いところ『LOVE』の日本公演こそ実現して欲しい。また観たい。

 

◇そして、今最もホットでクールなビートルズ関連本といえば、これ!

   『ビートルズの遺伝子ディスク・ガイド』(ディスク・ユニオン)10月12日発売!

  マイ・カルチュラル羅針盤として日々御教示賜りまくりなブログを見れば、

   その本に自由と愛が愉しくあふれているのは確か!楽しみ!

 


パリの中で(2006/クリストフ・オノレ)

2012-10-06 23:59:24 | 2012 特集上映

 

先月のラウル・ルイス特集における魅惑の映画体験も冷めやらぬ内、

早くもアンスティチュ・フランセ東京で昨日より始まった特集「映画とシャンソン」。

〈シャンソン〉が映画の中で印象的に使われているフランス映画の特集、とのこと。

そのなかの1本、クリストフ・オノレ監督の『パリの中で(Dans Paris)』を観てきた。

ラウル・ルイス特集が終わったのに、またもやパウロ・ブランコ印と邂逅してしまう。

 

本作は以前から観たいと思っていた、というか随分気になっていた作品。

ただ、それはクリストフ・オノレという作家への熱視線に起因すると言うよりは、

海外Amazon(私の場合はUKとUSAが主)で買い物した際に表示されるオススメの中で

よく見かけていたからという理由が最有力。このジャケットを最初見たときは、

ロマン・デュリスに全然見えなかったし、ルイ・ガレルとの主演共演というのも新鮮で、

一体どんな仕上がりになっているのだろうか興味津々だったといった具合の関心だった。

 

クリストフ・オノレ作品は、『ジョルジュ・バタイユ ママン』(2004)以外は劇場未公開で、

『愛のうた、パリ』(今回上映される『ラヴ・ソング』)は東京国際LGFFで上映されたり、

『美しいひと』はフランス映画祭で上映後にDVDが発売されていたりもする。

ちなみに、監督最新作『愛のあしあと(Les bien-aimés)』はWOWOWで放送予定とか!

(本特集上映のチラシ情報による。カトリーヌ&キアラ母娘に、リュディヴィーヌ・サニエ、

  常連・盟友・分身ルイ・ガレルに、ミロス・フォアマンまで出演するという豪華キャスト。)

本作は日本未公開のようで、ロマン・デュリス&ルイ・ガレル共演というのに

もったいない!というか、フランス映画祭ですらかかっていないのが意外・・・

と思っていたものの、実際に観賞してみれば何処か腑に落ちる印象も。

 

それはおそらく、ルイ・ガレルがやけにぽっちゃりというかむっちりしてるから!?

という事は関係ないだろうが、確かにいつもシュッとした印象だった彼だけに新鮮(笑)

ちなみに、ロマン(『ロシアン・ドールズ』)もルイ(『ドリーマーズ』)も脱ぎ系俳優(?)な

印象だが、それが本作においても見事に(不必要に!)継承されていて面白い。

ということではなしに・・・

 

おそらく単純に「ポピュラリティ」(の不足)の問題だったのだろう。

恥ずかしながらオノレの他の作品に接してない私には

彼の作家性を一作のみで把握することは困難ではあるものの、

少なくとも本作を構成するあらゆる要素とそれらの関係性には

極めて灰汁の強さを終始感じつつ、捉えどころは無邪気に逃走続け、

己の中にオノレの語りを受け止める場所を模索している最中で映画は終わる。

しかし、本作における時間のフラットなシャッフルやリズムと無縁な変速の反復は、

初期ヌーヴェルヴァーグ作品などを思わせる軽快さを部分部分に兼ね備え、

更に私はスコリモフスキの『出発(Le départ)』などを想起しながら享受。

本作をはじめ、オノレ作品の多くで音楽を担当しているアレックス・ボーパンの新作には、

「Au depart(出発に)」という曲があるという。なんて奇遇な(と思うのは私だけだろうが)。

 

ロマン・デュリスは、

メランコリーに苛まれつつ時に愉快な片鱗を覗かせるポールを熱演。

感情の起伏を単なる「変化」として生じさせるのではなく、

いずれの感情にも出所と行き先があることを語りうる説得力。

キム・ワイルドの「カンボジア」をベッドの上で聴きながら次第に口ずさみ、

その歌詞のメランコリーとシンクロしてゆく場面はなかなか秀逸。あるよね、そういうこと。

ルイ・ガレルは、かつてのジャン=ピエール・レオのようなファニーな危うさを体現。

前述の如き身体も手伝って、いつものクールやシャープから離れたキュートをみせる。

大人になることを拒絶した「男子」な二人は、その意思表示こそ陰陽異なれど、

互いの喪失感(妹の死)を共有できればこそ、身の処し方は違っても心は何処か共鳴し。

 

「権力者」になりきれない父親の右往左往もなかなか微笑ましい。

しかし、本作のファニーさが常に薄幸の裏打ちを伴っているという切実さは、

滑稽に映れば映るほどそこに見出すべき感情を暗がりへと引き連れてしまう。

 

終盤に登場する、電話越しのループなデュエット。

汲み合った互いの想いの果てに、重なり合うほど逃れ合う、縺れ合いより解れ合い。

しかし、その永遠に交わらぬ、しかし永遠にループすることの確認は、

美しき納得を生む。そして、また朝が来る。