特集「映画とシャンソン」@アンスティチュ・フランセ東京にて鑑賞。
本作は、カンヌの監督週間に出品され、2007年のジャン・ヴィゴ賞を授与されている。
古くはレネやシャブロルやゴダール、少し前ではアサイヤスやデュモンも受賞した同賞。
確かに、「末恐ろしさ」が画面の隅々に漂いまくっている紛れもない傑出した魅力。
日本に紹介されていない偉大な才能が、フランス映画には一体どれほどいるのだろうか。
とはいえ、
本作は日仏学院で2007年の「カイエ・デュ・シネマ週間」にて上映されたらしい。
2007年のカイエ・デュ・シネマ批評家選出ベスト10でも堂々の第5位。
そんなことは知らずに臨んだ本作の鑑賞。
前日のラランヌ氏による講演で抜粋が流され、
その余りにも唯一無二な引力に衝撃を受け、見逃し厳禁と即断。
これは、アルベルト・セラ(奇しくも前述のベスト10に共に顔を出している)と並んで、
今年最も至高なる邂逅だ。映画祭ですら紹介されていないのが甚だ疑問。
このままアンスティチュ・フランセ東京にフィルムを匿っておいてくれないか(笑)
先述の2007年カイエ批評家ベスト10のなかで言うと、
アルベルト・セラや蔡明亮、アピチャッポン・ウィーラセタクンなんかのラインにある。
しかし、彼らが全く異なった才能を発揮しているように、セルジュ・ボゾンも強烈に異彩。
最初から「変わってる」ことが楽しくて仕方のない心地好い違和の時間が流れ出す。
1917年の秋、第一次世界大戦の頃、戦地の夫に会うために男装して連隊に紛れ、
旅を始めるカミーユ(シルヴィー・テスチュー)。
その連隊が演奏し歌唱する場面が、
4回ある。
そのいずれもが、実際にその場で為された演奏による録音だと言う。
確かに、各場面から発せられるオーラは明らかに従来のそうしたシーンとは趣を異とし、
格別の存在感と際立った実在感が観る者を夢現の彼方へと放り出す。
連隊の彼らが身にまとっている軍服の青と、森の闇や緑の黒が、
確たる現実の中心にありながら、それは単なる支点に過ぎず、
物語は常に無重力な遠心力で廻され続けてく。
本作に楽曲を提供しているFuguは、
ビーチボーイズ的キラキラソフトロックを得意とする(らしい)フランスのミュージシャン。
本作における楽曲の並々ならぬ魅力に殺られ、早速オリジナルアルバムを注文。
本作のサントラと思しき『La France Chansons』はiTunesストアで購入。
終始ハッピーな映画という訳ではないのだが、歌が始まる度に、
生を享けたる喜びに満ちた無上の現実を噛みしめてしまう。
静寂と荒涼と茫漠のなかで身を潜め続ける大半が、
そうした歌に見事に集約されて謳歌する。
特に終盤の民家に泊まるシークエンスからラストまでは圧巻で、
本作の屋台骨が見事にスライドしながらズレてゆく心地好さが、
それまで大地に踏ん張っていた物語を重力から解放し始める。
そうして訪れたラストシーンの現実回帰のロマンチシズムは、
消えることも絶えることもない情動の美徳を永遠に約束してくれるのだ。
◇本作には、ギョーム・ドパルデューが出演しているのだが、
その役どころや登場の仕方、そして発する言葉(の意味)が悉く涙を誘う。
右足の切断、そして37歳での夭折。星になった彼がみつめる星々の切なさは、
本作に更なる奇跡を起こしているように思える。
そういえば、私が最初に好きになったかもしれないフランス映画って、
実は『めぐり逢ったが運のつき』(1993/ピエール・サルヴァドーリ)なんだよね。
たまたまテレビで観ただけなんだけど、本当に心底好きだった憶えがある。
また観てみたいなぁ。おとぼけギョームも好かったな。
ピエール・サルヴァドーリのフィルモ確認していたら吃驚!
『めぐり逢ったが運のつき』って、イギリスでリメイクされていたんだね!
WOWOWとかで放送してくれないかな。
勿論、その際には『めぐり逢ったが運のつき』も!(こっちが本命)
最後にもう一度セルジュ・ボゾンに話を戻すと、
『フランス』の前に彼が撮った『Mods』のワンシーンがこれ。
観た過ぎるでしょ、絶対。
ただ、この動きが何となくOK Goを想起しちゃったりもするけどね(笑)
でもって、やっぱり最後の最後には『フランス』のエンディングに流れるこの曲!
劇中でも最後に演奏される曲で、ラストシーンに再びオリジナル(?)が聞こえてきて、
エンドロール。その甘美な流れ。やさしさに包まれたなら。
本作の音楽を担当しているBenjamin Esdraffoとのライブ映像発見。