長らく更新が滞っておりました本サイト。
気分転換に、というか諸々停滞気味な自分をリフレッシュするために(?)、
新天地でちょっとリセット気味に、気軽に続けてみようかと。
といっても、かなりな雑記帳というか雑文日記になるかと思いますので、
予め重々ご承知頂ければ本望にございます。
http://imaginarypossibilities.blogspot.jp/
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第5回恵比寿映像祭の上映プログラムのひとつ。
「ハーモニー・コリン参加オムニバス」と冠された、三人の監督による作品。
昨年のヴェネツィア国際映画祭で新作『スプリグ・プレーカーズ』がコンペに選出され、
東京国際映画祭での上映時には熱狂で迎えられたハーモニー・コリン。
ちなみに私は彼の作品に一度も熱狂したことはないものの、
何処か気になる存在であるという不思議な関係(?)。
というわけで、今回も律儀に(?)観に行きました。
※19日(火)18:30~上映あり。(恵比寿映像祭の見づらい公式サイトはこちら)
結論から言えば、好くも悪くも相変わらずで、
好く言えば、或る種の堂に入り方を見せ始めて来た気もするし、
悪く言えば、変な安定感に身を浸し始めたような印象を受けたりも。
『スプリング・ブレーカーズ』が好きな人なら、そのプロトタイプ的醍醐味を堪能できそう。
コリン作品との奇妙な関係は、
決して沸点を迎えること無くひたすら消化不良な悶々を続ける胸中なのに、
その惰性に身を委ねることに微塵も退屈さを感じなかったりすることだ。
勿論、時折襲われる胸焼けに些か心が外方向きはじめることも。
そういう観客に余計な目配せしないところが好きなのかも。
だから、作品自体には大して惹かれぬのに気になる。
ただ、本作や『スプリング~』には少しずつスペクタクル的要素が注ぎ込み始め、
特に『スプリング~』にはそれらが結実してしまっていたりする分、個人的には複雑。
体感的なノレなさが自乗的に肥大化して、作品の「偉大さ」に惨敗しっぱなし。
主演はヴァル・キルマーで、ハーモニーの妻であるレイチェル・コリンも出演。
二人がまったりしながらフラフラしてると、
何となくソフィア・コッポラの『SOMEWHERE』とか想起しちゃって、
『スプリング・ブレーカーズ』もタランティーノが審査員長やってる時だったら、
金獅子とか獲っちゃってたのかもな・・・などと余計なこと考えたりしながら観てた。
あ、ヴァルはソフィアの親父さんの『ヴァージニア』に主演してたっけ。だから想起!?
画面サイズは、他の2作がビスタ(多分)なのだが、
コリンの作品だけはシネスコ以上に横長な奇妙なサイズ。
眼を細めて観てる、みたいな?
ヴァル(本人役)が、自己啓発セミナーっぽい会場で独演。
そこにレイチェルとのまったりデート(?)が挿入されながら、淡々淡々・・・。
最後にヴァルが颯爽と自転車に乗りながら、
ヴァルが唱うテーマソング「The Fourth Dimension」が流れる。
ま、こういう高揚感は好いよね。ご褒美的で。
最初からコリン節で始まったので、このあと1時間くらいどうなっちゃうんだろ・・・
と心配していると、実は後の2作は意外にもかなり「普通」の映画だった。
2本目の「CHRONOEYE」を監督したアレクセイ・フェドロチェンコは、
1966年生まれで、工学の学位取得後に宇宙防衛事業にも携わってたとかで、
本作の主人公の科学者っぽい人物造形に漂うリアリティの適量はそれ故なのか。
初長編監督作「Pervye na Lune(First on the Moon)」はドキュメンタリーらしく、
ヴェネツィアのオリゾンティ部門で受賞したりもしているらしい。
ちなみに、長編3作目の「Ovsyanki(Silent Souls)」は2010年のヴェネツィアで
複数の賞を受賞していて(国際批評家連盟賞とかで、コンペ正規の受賞はなかったかな)
注目すべきロシア映画の気鋭のよう。荒涼とした画が醸す空気に時折混入する、
半端な滑稽の気まずさ加減はなかなか好みかも。
冒頭で、主人公が列車に乗っていて(4人で向かい合うタイプの座席に座っていて)、
窓側に座っている彼は窓の外ではなく隣の女性の側に視線を落としており、
その女性から「視線の方向を変えてくれないかしら」などと言われてしまう。
乗車券の確認に来た車掌に渡した切符は「昨日の切符」だったらしく、
「今日の切符は?」と言われると、「今日って何だ?」と問い返す。
すると、主人交は語り出す。
「君の昨日は私の今日かもしれないし、私の明日が君の今日かもしれない」
列車を降りて、ホームで駅員に「なぜ切符を買わなかったんだ?」と尋問され、
手にした複数の切符を渡すと、そのなかには「今日の切符」も入っていた。
次の場面で彼は、
住んでいる集合住宅の屋上近くに「カメラ」を設置するため、よじ登る。
カメラはそれのみならず、自らの頭にも装着したりする。
そして、コンピューターと連動させ、そこで展開される「世界」とは・・・
3本のうちで、最も正面から「四次元」を語ろうとしている本作は、
〈時間〉がテーマとして貫かれており、そこに彼に流れる〈喪失〉が寄り添いながら、
少しずつ〈癒し〉と〈飛躍〉が訪れる。
「Silent Souls」はAmazon.ukで買い物する際、
あまりにもしょっちゅう薦められるので、つい買ってしまったDVDがあるはずだ。
そのうち観てみなくては・・・という不意の背中押しに遭った日曜の昼下がり。
3本目は参加した3人のなかで最も若い、1985年生まれのヤン・キヴェチンスキ。
「FAWNS」と題された本作(ラストにタイトルの意味が判明?する)は、
避難勧告が出されて無人地帯となった町を徘徊する4人の若者を描く。
どうやら大洪水が迫り来ているらしいのだが、画面上には終末的牧歌的光景。
異様なほどポップでカラフルに彩られた町。陽光の健やかさに緑が映える。
しばしば響き渡るサイレンに、犬が吠えるかの如く声をあげる若者たち。
不安を打ち消すためか、彼らは動くことを止めず、刹那を切り捨てる。
ドビュッシーの「月の光」をピアノで弾く若者が感じる郷愁は、生への執着を呼び戻す?
「4」人の若者は、「4」次元と掛けているのだろうか?
途中、「3」人になる(意味ありげに或る家の番号「3」が一瞬映し出される)が、
もう一度「4」人になったとき、彼が間の当たりする世界とは・・・
本作こそ、ハーモニー・コリンが得意とする世界観で展開するタイプなのだが、
そこはポーランド人(映画はロンドンで学んだようだ)の寡黙さと峻厳さがそこはかとなく。
画面を極彩色で溢れさせながら、あくまで「ノリ」に興じきれない気まずさが好い。
そこはコリンとは明確に異なる世界観、感じたり。ちょっと楽しみな映像作家かも。
昨年は、ジョナス・メカスの新作が観られただけだった恵比寿映像祭。
今年は、ベン・リヴァース『湖畔の2年間』(今年暫定No.1!)を2回とも観てしまい、
彼の展示の方にも魅了され(他の展示は・・・もう展示は止めていいよ>恵比寿映像祭)、
本作の上映もなかなか堪能させて頂いた。素材(ベン・リヴァースは35mm、
『フォース~』はおそらくDCP?)にしても、映写環境にしても、なかなか贅沢な上映プロ。
かなり好いプロジェクターつかってるのだろうか。随分優良画質に思えた本作の上映。
イメージフォーラム・フェスティバルと恵比寿映像祭がコラボ(合体?)して、
写美の映像ホールで大々的に上映組んで欲しかったりする。展示は要らないからさ。
(だって、今年の展示はインスタレーション的なものも僅少ならば、
普通に「上映/観賞」といったスタイルの中編級作品が多かったりするんだし。)
ついでに言うと、上映プログラムの前売券は「チケットぴあ」の独占取扱。
東京都写真美術館ですら買えないという・・・。
当日券1,000円に対し、前売券は850円なんだけど、
最低でも手数料105円が絶対に徴収されるため、実際には最低でも955円。
ネットとかで購入しようものなら・・・。価格設定もおかしいけど、「ぴあ」優遇援助に疑問。
主催が「東京都」だったりする分、余計不可解。甘やかしてると脆弱になるだけだろが。
お次はハリウッド大作風予告編・・・
アカデミー賞男優エイドリアン・ブロディ&アカデミー賞女優ペネロペ・クルス主演!
にもかかわらず、DVDスルーとなった本作。先月WOWOWで放映されたのを観た。
スペイン・イギリス・フランス・アメリカ・ドイツの共同制作だというのに、
イギリスでもアメリカでもDVDスルーだし(ドイツじゃ未公開?)、
本国(とは言いにくいかも・・・全編会話が英語だから・・・)スペインじゃ
ようやく昨年劇場公開されたらしい。(2008年のトロントで初御披露目したのに)
ちなみに、Rottenのぞいてみると、観客が鮮度36%なら批評家なんてNo Reviews Yet...
たしかに、ストーリーテリングはグダグダで、
そのわりに上映時間が92分。伝記物なのに90分台!?どんな事情!?
エイドリアンもペネロペも多忙で、余り一緒に撮影できないとかだったのか!?
(そう勘ぐってしまうような「一緒に収まらない」シークエンスが多かった気もする。)
いや、しかし、実は個人的には全くもって嫌いになれない珍作っぽい佳作。
とは言っても、「佳」部の大半はロバート・D・イェーマンの撮影に拠る。
絶賛公開中『ムーンライズ・キングダム』でも盤石巧緻な仕事ぶり、
ウェス・アンダーソン作品でお馴染の彼が本作のカメラマン!
彼の出世作ってガス・ヴァン・サントの『ドラッグストア・カウボーイ』だったんだ・・・。
最近だと『ローラーガールズ・ダイアリー』や『ブライズメイズ』なんかでも好い仕事!
・・・ウェス作品が苦手な私だが、それ以外の作品群とは相性好いみたい(笑)
『ダージリン急行』からのエイドリアン・ブロディつながりで
本作の撮影を担当することになったかな。あくまで推測に過ぎないけど。
(撮影自体は『ダージリン急行』の方が半年ほど遅いみたいだが)
とにかくシネスコの横長を活かしたくて仕方がありませんっ!的な構図の連続、
物語がグダグダな分、視覚だけでも魅了される資格をあなたに!的な自己主張、
だからそういうとってつけたような大仰さに鼻白み始めたら、もう最後・・・。
そこを無条件に享受できる幸運を持ちあわせていたら、眼だけは喜ぶ92分。
あと、エイドリアン・ブロディは基本終始憂いっぱなしなので、
彼のその手の表情が大好物な御仁は間違いなく必見!
ペネロペの手抜き仕事っぷりは、昨今の過剰な感情表現を柔和に。
いずれにしても、「やっつけ」感がむしろ彼らの素の魅力を喚び戻してる。
そうした「ちぐはぐ」さに臆さず、真剣に魅了画を撮り続けたロバート・D・イェーマン。
本作における彼の直向きな仕事ぶり、俺は好きだな。
ちなみに、エンディングに流れる唄は、
ペドロ・アルモドバルの『私が生きる、肌』にもゲスト出演して歌唱を披露したブイカ。
映画の物語を反芻させる内容の歌詞。声のみで始まる。
やがてハビエル・リモン(Javier Limon)のフラメンコ・ギターが重なってくる。
ブイカのアルバム・プロデュースも手がける彼は、
現代フラメンコにおける革新的クリエイターの代表格らしい。
映画っぽい画が観たい時にはオススメ。かも。
(但し、観終わっても、「映画観たぁ~」って感覚にはなれません。)
それでも、シネスコだし、フィルム質感ビンビンだったから、
劇場の大画面で観たかった気もするな。
あ、音楽にはガブリエル・ヤレドも参加してます。
第16回カイエ・デュ・シネマ週間(アンスティチュ・フランセ東京)で観た。
昨年のフランス映画祭で来日したメルヴィル・プポー。
彼の足跡を特集した「メルヴィル・プポー特集 誘惑者の日記」でも上映された本作。
しかし、そのときに上映されたラウル・ルイス作品はかなり見逃してしまい、
その後(昨秋)のラウル・ルイス特集での上映がなかった本作を観られるのは嬉しい。
英語字幕すらもついていない(無字幕)上映なので、
詳しめの作品解説(シノプシスと批評)をしっかりと読んで臨むものの・・・
私の前列のフランス人(推定)の青年ですら後半はもう
余所見しまくりキョトーン状態なので、ラウル・ルイス作品は無字幕くらいが丁度好い・・・
というのは強がりに過ぎぬとしても、彼のフィルムに溢れだす魅惑誘惑ワクワクは、
唯一無二の夢幻世界。もはや時間や空間の概念が脳内から溶解してしまい、
まさに「委ねる」しかない。観客の心をさらっては、たゆたう方舟。
というわけで、物語の詳細については一切語れません(笑)
冒頭の不眠症の男二人の会話なんかも、システムがどうのこうの言ってるみたいで、
台詞の端々に思考と感応の往来を導く示唆がびっしり敷き詰められていそう・・・だけど、
わからない。まぁ、わかったとしてもわからないかもしれないから、わからなくていいや。
というのはどう考えも強がりで、「これ、フランス語がわかったらどうなっちまうんだ?」
ってくらいに、麻薬のような引きずり込まれ方をされそうになるラウル・ルイス作品群。
本作ではカラーとモノクロを行き来したり(モノクロは銀残し的ザラつきに魅せられる)、
オーバーラップによる世界の相互乗り入れを展開させたり、いつにも増してイデア的。
レオス・カラックスが『ホーリー・モーターズ』を、
「S(サイエンス)よりF(フィクション)に重きをおいた、SF作品」と称していたが、
本作もまさにそうした意味におけるSF作品。まったくサイエンティフィックではないものの、
アルマ橋はじめ映し出されるパリがどこか近未来のような終末観に満ちている。
最近、映画を語る上でしばしば用いられる「レイヤー」という感覚や語り。
ラウル・ルイスはまさにレイヤーの魔術師と言ってよいほど、
レイヤーを駆使したり操ったりする域を遙かに凌駕して、
自在にレイヤーと戯れる。レイヤーに溺れても、平気で息をする。
彼の作品では、作風からしても不可欠な「鏡」や「影」といったモチーフ。
今回も「影」は多用されるが、「鏡」はほとんど登場しない。
確かに、本作においては反射や虚像をあぶり出したいわけでは無く、
むしろ実像のなかにおける反応の連鎖や実像をとりまく境界の消失が描かれる。
同じくラウル・ルイス作品における重要モチーフたる「水」が
本作では執拗なまでに何度も何度も前面に映し出されたりする。
橋は水のうえに走るもの。
水に溺れずに、彼岸に渡るためのもの。
水は途切れなく、どこまでも分かつことのできぬもの。
覚醒と眠り。その境界線は存在するのだろうか。意識と無意識、その関係性は?
スタンダードサイズの画面には、精緻すぎる構図に鼓動が高鳴るばかり。
ビスタ、ましてやシネスコは、その広大さに「手に余る」と思えるほどに、
世界はスタンダードで切り取るためにある。そう思えるほどに「奥」が深い。
しかし、デジタル撮影で手中に収めたフラット感が突然襲ってきたりもする。恐ろしい。
日本語字幕付でも観てみたいが、
とにかくどんな形でも好いので、ラウル・ルイスの大レトロスペクティヴに溺れたい。
以前も夢見を言葉にしてしまったが、年中ラウル・ルイスを上映してる劇場が欲しい。
俺にとっての、「ディズニーランド」みたいなものかもしれない(笑)
日本では劇場未公開。WOWOW放映後、DVD発売。
原題は、「Les Petits Mouchoirs」。英題は、「Little White Lies」。
本国フランスでは大ヒット。三週連続No.1動員で、年間でもフランス映画No.1だとか。
監督は、『唇を閉ざせ』(こちらも実質DVDスルー状態だった)でセザール賞も獲得済の
今や名匠の仲間入り目前かつヒットメーカーでもあるギョーム・カネ。
製作はヨーロッパ・コープなものの、前作の実績もあってか、
随分と監督裁量が見事に許されているように思われます。
何しろ、一夏のヴァカンスにおける男女の群像劇で上映時間2時間半超ですからね。
大ヒットの要因(宣伝の仕方や口コミの拡がり方など)が気になります。
そういった情報レベルでも興味津々で、
輸入盤をAmazonで注文した矢先(安かったし、円高だったし・・・
いまやドル高以上のポンド高)、WOWOWでの放映情報を知ったという。
そして先日、WOWOWでの録画をようやく観賞。
『唇を閉ざせ』でも感じたけれど、ギョーム・カネは見事にハリウッド映画の娯楽性と
フランス映画の味わいを巧緻にブレンド(しかも「いいとこ」どり)してくれていて、
飽きさせない計算とヴァカンスっぽい倦怠を行きつ戻りつな安定感。
ポランスキーやアラン・レネとの仕事でも知られるエルヴェ・ドゥ・ルーズの編集は、
それこそ『ゴーストライター』『おとなのけんか』、『風にそよぐ草』といった近作でも
品を忘れぬ前のめりが実に丁寧に鼓動の高鳴りを喚起してくれている。
冒頭の長回し(?)が交通事故で途切れてから切り替わる時間の流れ。
それを引きずりながらも、パリから離れて「その時間」を払拭したがるヴァカンス時間。
入院中の友がいるパリから心は離れられないで、だから不安定な海辺の日々。
彼がいない空白(「ヴァカンス」の原義)は、自らで塗りつぶさねばならぬから、
そのために動かす手が描くのは、今まで躊躇い続けて来た「こたえ」。
「空白」という存在感。「いない」ことによって「いる」以上に広がる存在感。
(禅の話などが小話程度ではあるが、挿入されるのが勝手に奇遇に思えたり。)
私たちに本当に必要な休暇とは、空白から見えてくる何かと出会うこと?
原題は「小さいハンカチ」の意味で、英題は「罪のない嘘」を意味してる。
無垢なる秘密や真相を蔽った小さなハンカチが次第に捲れる夏物語。
そのハンカチを捲るのは「不在」であり「虚無」である。いや、「強い存在感」なのか。
ラストの展開や捲られたハンカチから露呈した現実の扱いなどには、
ハリウッド・テイストとはやや異なった、
それでいてフランス映画の伝統にも寄りかからない、
古参でも新参でもない精一杯の自由さと頼もしさが感じられ、清々しい。
フランソワ・クリュゼ、マリオン・コティヤール(ギョーム・カネのパートナー)、
ブノワ・マジメル、ジル・ルルーシュといった日本公開作もかなりある豪華キャストなのに、
劇場未公開は甚だ残念・・・(もう少し後なら『最強のふたり』ヒットの恩恵に与れた?)
真夏の夜にまったりと、シネスイッチ銀座あたりで観たかった。
そして、夜風に涼みを感ずる街を、のんびり歩きながら帰る。
そこまでの体験とセットなら尚更想い出深い一作になったことだろう。
音楽の選曲は前作同様、見事なまでに大衆指向で、
あえて(というのは独断ですが)喜怒哀楽をスコアに語らせたりしないところも好い。
おそらく、役者の表情や動作の一つ一つこそが見事なアンサンブルとなり、
それ自体が「音楽」を奏でだす。そんな信頼がひしひし伝わってくる。
日本においては、
アメリカ映画は大衆娯楽的なものばかり注目されて、
非ジャンル物のインディペンデント映画は冷遇(どころか無視)されるのに、
フランス映画では、アート系にばかりこぞって注目熱狂支持賞賛。
カイエに相手にされないフランス映画も観たいよな。
いや、勿論、カイエが擁護する才能にも触れていたいけど。
そういえば今日、
クリストフ・オノレ最新作の『愛のあしあと』がWOWOWで放送されるんだよな。
地方のミニシアターで先行公開とかされてたみたいだし、
WOWOWの未公開作「配給」にはちょっと期待。
ちなみに、BSスカパー!の「THE PRIZE」シリーズのラインナップも
実はかなり充実してる。シネフィル・イマジカなき今(イマジカBSはね・・・)、
その役割をWOWOWが引き継いでいくのだろうか。
そろそろインディペンデント系作品に特化したチャンネルが
登場してくれたら好いのにね。
(あ、勿論、映画館で観られるのが一番好いけどね。)
※こちらのトレーラーは爽やか感動系の仕上がりですね。(そういう側面もあることはある)
結局、輸入盤(ブルーレイ)はキャンセルしないで購入したんだけど、
特典がかなり充実してた。(まだちゃんと観てないけど)
メイキング30分弱、NG集5分強、
削除シーン(ギョーム・カネ自身が解説しながら紹介)1時間弱、
ジャン・デュジャルダンも参加してる過去ヴァカンスのビーチ場面撮影時映像30分、
サーフィン・シーンのメイキング4分。
NG集を観る限り、ジル・ルルーシュは随分と笑い上戸みたいだな。