向こう見ずに前進する・・・なんてできたらなぁ・・?
できたモノがあったのだ! 我が海外旅行・・・私設旅行代理店をコノPC前で開業。 時間をかけて航空券・宿泊所・バスツァー、列車チケットを納得がゆくまで調べて購入。 プランを立てて、実践して、旅行を振り返って記す・・・。 PCでのプラン作成は、旅行社へ行ったら口下手は私はアチラの言うがままになりそうだから。 プラン作成上、失敗もあったが、そこはトコトン、メールが往復。 本望達成。旅行が出来なくなって二年以上たつが、未だに思い出し、否、友人たちとSNSで交流を楽しんでいる。
私が旅を始めたのは60代も近くなってから・・・母が亡くなって半年あと。 実家のヘルプを受けていたゆえ母からは「最低限の生活を」と言われた。 常々ではなく、一度だけだったかも・・。 が、こういうキツイお言葉は胸に突きささったマンマ。 ホントに最低限度だったかというと、オカゲサマで、ある部分では最低限度、別の部分では・・・? は、ともかく、これから如何に過ごそうか・・・と半分ウジウジしていたら、長男が言ってくれた。 「オフクロ、好きなようにしろよ。 外国へ行くのはイイことだよ! (登山家の)Sさんのオバサンを見ろよ。 オフクロはあそこまで出来ないだろうけれど、やれば英語のクラスにもゼッタイ良いよ!」 センタースタッフに尋ねると「クラスのためになるんですからドウゾ!」 で、クラスの子にハガキを書いた次第。 「暑中お見舞い・・・・夏休み日程を変更します。」
で、私は初の海外旅行としてイギリスのボーンマスへ飛び、二週間「英語研修」を受けた。 それ3回、「熟年の海外英語研修」を受講した。 この「英語研修」は我が母が望んでいた研修のハズ。 学生時代、努力を伴わない夢を母に語ったことがアル。 「ヒマラヤへ行って朝日に輝くヒマラヤの山々を見たわ!」 彼女は激怒した! 「・・・ せめて”英語の勉強に”・・・と言って欲しい!」 「ヒマラヤに?」
ダブコテージの先の細い道を歩きながら、「ワタシ、独りが詩人の近くにいる!」 ランザローテであのブドウ畑を見て「絵葉書の場所に来た!」 ウィーンのカーレンベルグの丘で「ア~~!」 ボーンマスの日本人仲間とは年賀状交換、チェスターのエドナは我がビッグシスター、マルタのアイスランドとスウェーデンの同窓生とは今、一番親密!
母のお説教を論破できる子だったら私の生活変っていいただろうなぁ・・・? 説教する人はもういない。 今からでも私の生活は変えられる! イヤ、独りお説教する人がいるのよねぇ・・・。不承不承の応答を追及してくる。 母とオンナジ!