先日、サークルのラインの中でメールがシャトル状態になってしまった。 「小樽はかつて北のウォール街と言われた・・・」と書いたところ、私よりタブン15歳以上若い仲間から「初めて知った!」と。 なんだか私が当時を知る人であるかのような・・お褒めの言葉(?)にアワアワ・・・。 「これは大正末期から昭和にかけて・・・」と補足した。 このサークルでは、すごくムカ∼シ、「アナタのご両親は飛行機に乗ったことがありますか?」と「現在完了・継続」を使った疑問文の質問を受けた。 10歳ほど年下の人だったかなぁ、いや、それ以上・・? 何と答えてよいか、「エッ~・・・」と口ごもった。 ナントカパックなどが全盛のころ、少し後?・・・我が両親は私より先にパスポートをゲットして旅をしていた。 だから、「ワタシの両親ってそんなに昔の人と思われているのかしら? それとも私自身が??・・・」と、”Yes.”と答えるのに即答できなかった。
ワタシャ、そんなに年寄りに思われているのかなぁ・・・と、いささかイジケ気味で考えていたが、気付いた! そう、年寄なのだ! 今の年齢であれば10年前も20年前も記憶にある社会情勢に変わりは少ないのだが、若ければ若いほどソノ記憶は全く異なる! 同じシニア世代であっても40年前、50年前は、片や青年、片や子どもである。 また、後期高齢者の私にとって10年年下は”厚かましくも”同輩と思っても、10年年長の方は立派な”先輩”として対応する。 相手と自分の年齢差はドップラー効果?・・その逆?・・に似ている?! 過ぎた年月は光陰矢の如く、これからの時間・未来は洋々と、遥か先のこと?
・・・はさて置き、私の好きな筆談は、言葉を簡略化するので詳細・ニュアンスを伝えるのは難しい。 が、直接トークも私のようにトロイ者にとっては難しい。 早口、声が大きい人、話しているヒトを遮って自己主張する人には弱い。