幸か不幸か独居老人一歩手前でストップしたマンマ。 

加齢化を受け入れられずに格闘中。 週2~3日クラス開講で、刺激をもらい感謝。  

お題、「マラソン大会に参加しますか」…誰も走らナイの???

2016-02-29 17:44:18 | 日記

投稿を読んでいて、みんな「走らナイ・・・」ってことに笑っちゃった! 私も走りません。 コレにコメントする人は「マラソン参加」よりも、「お題参加」が好きってことネ。 

「マラソン」ではなかったけれど、中学校の時に全員参加の「ロードレース大会」ってのがあって走ったけれど、徒競走みたいにビリとかブービーでなかったのは事実。 お喋りしながら走ったっけ。 可笑しかったのは、サッカー部が一団となって、列を組んで走ってきてゴールしたこと。  

地元の小学校では授業前に校庭を何周か走るらしく、ウチのマニラ娘たちも走っていた由。 コレって先日のTVでフィンランドの先生が「信じられないこと!」と言って、褒めていなかったっけ。 「素晴らしい!」を連発していた中で・・・。 


映画「25年目の四重奏」

2016-02-28 14:51:03 | 日記

ツタヤで「25年目の四重奏」というDVDを借りた。 とても良かったので再度見たくてまた借りてしまった。 メンバーはジュリアード出。 25年経った今季、リーダー役のチェロ氏はパーキンソン病の初期であることが判明し、今回限りでの引退したい旨を告げた。 チェローの後継には有能な奏者を挙げたが他の3人は・・・・。 チェロ1人替わるダケで音楽全体が変わる。 夫々が本音を漏らし始めた。 チェロ氏が辞めたらボクも辞める・・・と1st氏。 2nd氏は曲によって1stと2nd を替えよう・・・。 この2nd氏の意向は、このカルテットにとっては承服しかねることのようだ。 ビオラ弾きは2nd氏の奥さん。 彼女が彼を説得しようとして「アナタには1stの資質がナイの・・・。 2nd 奏者としては素晴らしイイけど・・・」と1st氏の言葉を伝えてしまった。 「何故、キミは僕の味方にならないのだ!」 「音楽に対しては公平よ。」  

実は2nd 氏はたまたまジョギング仲間の若いフラメンコダンサーに1stと2ndのことを尋ねられて、説明し、彼女の問いかけに対し、「そりゃぁ、1stも弾いてみたいサ」と言ってしまった矢先のことだった。 そうかぁ、プロの音楽家も……私としては面白かった。 時に2nd はとても面白い。 楽しい・・・が、 身近な知り合いに「見せる時、聞かせる時で非ず・・・」にチョット、俗っぽい思いが出るのだ。 「私だって1st弾けるよ! 奇麗な音、出せるのよ」っと。

1st奏者には強さが必要。 確かに!!  この1st氏は強い個性の持ち主で日ごろは冷静・無表情にさえ見える。 「演奏の時のために感性を残しているのヨ!・・・とは彼の弟子の弁。 弟子とは2nd とビオラさんの娘。 は、ともかく、1st奏者には強さが必要・・が、逆を言えば2nd奏者には強さ以上のしなやかさ・・・が必要だ。 1stは「俺が、オレが! 私ヨ!!」 2nd は他の音を聞いてその中で高らかに歌ったり支えたり・・。  時に低音を響かせる時、ドウだぁ!!・・の域に達する。 やっぱり2nd が最高ジャン!!

昨日はOBオケ。 この映画を見た後なので、ガラにもなく、”強い気持ち”を秘めて臨んだ。 けど、なんたって練習不足。 コリャ、マズイ!  遅まきながら、 帰宅して、HaydnのトランペットソナタのCDをアマゾンで注文した。 

役者さんもスバラシかったけど、「弾くフリ」場面はどうしても見ていられない。 エッラそうなぁ・・って言われるネ。 登場人物間のよくアル人間関係はカツアイするけど面白かったヨ。

 PS. 追記。 ガルネリカルテットがモチーフだとか・・・。

 

 


大草原の小さな家!・・・夢中になった海外TVドラマ  

2016-02-25 23:05:28 | 日記

昔・ムカシのお話しで~す。 TV御法度の家だったが、土曜日の夜、10時過ぎからOK。 1960年代、「夢で逢いましょう」の後、「ルート66」、テーマ音楽は覚えているけどストーリーは覚えていない。開放感を味わっていたダケかも。 その後に続いた「看護婦物語」は今の「ER」みたいなドラマ? 「ルーカスさん!」と呼ぶ歯切れの良い声を覚えている・・・けど、日本語だったわ。 神父さんが出てくるドラマ。「我が道を行く」・・オマリー神父みたいな人が周りにいればなぁ・・って反抗期、いつも不機嫌なワタシは思ったっけ。 

で、本題! なんといっても「大草原の小さな家」! テーマのメロディを思い出すだけで胸が熱くなる。 ローラの大きな前歯、かわいい! 父さん・母さん・・・もう、何も言えない・書けない!  「不良っぽい人が好き」と言う人が多いけど、私は「キチンとした真面目な正しい人」のほうが・・・だったけど、エドワーズさん最高! たしか最終回、これでホントに終わり・・の時のエドワーズさん、泣けた!! エドワーズさんったら!!!

私が行く最初の外国は「ウォールナットグローブ」と決めていたけど、まだ、アメリカ本土にも行ってない。もっとも、「ウォールナットグローブ」は最後の回で、悪徳不動産屋の餌食(?)、否...開発計画(?)から逃れるべくエドワーズさんの発案で住民自ら爆破させちゃったんだった。 が、高い空の下、あの丘も川も川辺の大木もあのまんま、わが心の中に存在する。 

オルソン商店に、ある時、真っ白いスーツの男性が訪ねてきた。 「奥さん、チキンだけのレストランをひらきませんか?」 ハリエットさん、例の甲高い声で眉を逆立てて口をトンがらかせて「まぁ、チキンだけですって!! アナタ、何を考えているの??」  思わず、ニヤッとしちゃった。 

タガログ語で「おばあちゃん」は「ロッラ」。 だから、私は孫たちからは「ロッラ」と呼ばれていることが、たいそう気に入っていることを特記させてネ。

 


春・・・・まだねぇ。 我が庭、変遷の記

2016-02-24 11:11:15 | 日記

アンナに暖かい日があったのに、また寒い日が、曇天が続いている。 先日は春らしい陽気に嬉しくなって、スーパー脇の花屋さんで見かけた奇麗な色合いのアネモネ8鉢を大人買い!  気になったのは、茎がもうス~と伸びていて風が吹いたら折れそうだったこと。 このアネモネ、一輪で終わりかしら?・・・と思いつつ根元を見たらウチの庭のアネモネの蕾よりも大きな蕾が付いているものもあってお買い上げ! 「大人買い」するも、オヤスかったのであります。 

             

我が庭、今は大きなローズマリーがデンと存在している。 いろいろ変遷してきたなぁ・・。 小さな家を新築したのは40余、イヤもう45年前のこと! 今は新築と同時に庭もデザイナーさんがいるようで、どこの家も素敵な庭が出来上がっているけれど、当時は自分たちで園芸店で苗木や花の鉢や種を買って庭造りを楽しんだものだ。 新築の家を見つけて立派な庭木を売りに来る人も、ドコかの河原で見つけてきたような石も売りに来る人もいた。 色違いのライラックを数本、買ってしまったこともある。

最初は芝生を植えた。 子どもたちが転げ回って遊んで、冬の我が家のソファには枯芝がそこら中にくっついていた。 母、曰く。 「子どもが元気な証拠よ。」 そうね! そのうちに庭の真ん中の芝生はハゲチョロ状態。 一念発起! 「花壇にしよう!」 煉瓦を買って淵飾りにして、種を蒔いて・・・・。 土に親しんだことのないモノにとって花作りは難しかった。かと言って花の咲いたポットを並べるのは性に合わない。 種の蒔き床を買って、ヴィオラを蒔いて、間引くのが忍びなくて家中からそれらしき容器を出してきて丹念に植え替えた数年。 ご苦労サン! そのうちに花の場所に野菜が侵入。 されど、満足に収穫した試しナシ! カラフルなパプリカを見つけて買ったこともあったが、黄色もオレンジも時期を過ぎると赤くなる??  キュウリもトマトもナスも苗を買う度に、「採れすぎたらどうしましょう?」と懸念したけど、 おかげさまで心配無用。 人並みに流行りのハーブを植えたら、コレが強い! 前述のローズマリー、ミント、レモンバーム・・ニラもシソだってハーブ。  もちろん、ラベンダーもイロイロ試した。 今の品種が立派な株に成長。 匂い袋を作って枕元においてベッドに入る度に、つまり寝る時は「幸せ~🎶」気分。 一番実用的なのはバジルかしら?  シソ嫌いな息子も、バジルソースはお好み・・って変ねぇ? マニラの孫たち曰く、「ロッラは料理中に庭へ出て行って、ナニカを摘んでくる!」 嬉しいお言葉です。 

プールに通っていたころ、途中のセメント工場の脇にコンクリートの円柱状のブロック・・強度チェック用のモノが並んでいた。 持ちかえり自由との表示を見て、セッセと運び、我が庭の設計に取り掛かった!! 道路沿い、玄関脇は花壇に、真ん中は菜園としよう! 発掘バイトで知った水糸をピンと張って、コンクリート列柱をまっすぐ並べ、もはや地中に半分埋もれていた新築当時のブロックや煉瓦を”発掘”して、新たに購入したのは玄関へのステップ石のみ。 ゴールデンウイーク明けに完成!  「まっすぐ並べる」には及ばなかったけれど大いなる達成感を味わった。 ご近所にステキなお庭がある。 真似たいけれど、センス欠如のためかデキン。 立体的な庭づくりって難しい。

今、咲き始めているビオラのご先祖さまはいつ蒔いたんだろう。 もう少しして、3月に入った暖かい日、葉ばかり長く伸びたムスカリの中心が青味を帯び始めると一気に花が咲き始めて、我が庭が青ずむ。  そうしたら春だぁ! 


ワタシは人寄せパンダならぬナンじゃ?

2016-02-20 09:39:16 | 日記

横浜で中学の同期会があって出掛けてきた。 ある人曰く「女剣劇一座の座長のようなHさん」に誘われた10名ほどが毎回集う小さな同期会。 千葉の小さな町にあったこの中学、タブン顔ぶれは小学校から中学までは同じで校舎が替わっただけだろう。 が、私はココには一年と一学期しか住んでいない。 だから知っている「同級生」はごく僅か。 第一、Hさんとて電話で御誘いを受けても、当初は???  彼女は大柄で教室の後ろの一角で賑やかな仲間に囲まれていた人、私はチビで転校生。 教室のアッチとコッチに位置し、個人的には話したことがあったのかしら・・・?

電話口の座長女史の「〇〇チャン・・私のこと・・が来るって言うと、会いたいから行くって言う人多いのよ」に乗せられて、「行くわ」と言ってしまった。 実は私、「〇〇チャン」なんて学校で呼ばれたことナイ! 当時、女子は苗字に「サン」をつけるのが一般的だったハズ。 まして、コチラは転校生、幼馴染でもない。 呼びかけに、こそばゆく感じつつ、某サークルを辞めて日も浅く、「キョウ行く」を心掛ける決意をしたばかりだった。 近づいてくるにつれてキャンセルしたい気持ちが強くなったが、ガンバッタ。

クラスの親との電話がチョ~長引いて大幅の遅刻。 一旦、ドタキャンを告げたが、出向いて、二時間後、カラオケ屋さんの一室で彼女と数少ない記憶にある男性の間に座った。 彼女に選ばれし(?)面々はそれぞれ魅力的。 当時、どんな中学生だったんだろう?  想像もつかない。 「入学式が終わってから転校してきたんだよね。」「ヴァイオリンでホームスィートホームを弾いたんだよね。」  ナント、曲名まで覚えていて下さった! 「学芸会で〇〇クンの相手役をしたんだよね。」 なんだかズイブンと華やかそうな我が人生のアル一瞬!  胸を張りたいくらいだが、その後から現在に至る我が人生との差が大きすぎて隠したい。  恥ずかしい (/ω\)限り!  

座長ドノ、口八丁・手八丁、そして何よりも気配りの人だ。 器が大きく、機転が利き、話が面白い。 アッタマいいなぁ!!  私は彼女の隣りで微笑み、チョット話し・・・バッカみたい!! ニンゲンリョクの違いだね! 面白おかしい彼女の話を聞きながら、漸く、気づいた。 ソッカ、私は珍獣なんだ・・・!  幼い時のハナシ、地元のハナシ、共通の話題もナイ。 次回こそ理由を見つけて欠席しよう。 

遅刻の上、クラスがあるので早退。 「また、絶対に来てね!」「ええ・・」と言って握手をして辞した。 嫌なヤツ・・・だけど、また行くのかも。 ヒトの興を逸らさぬ彼女も素敵な人だから。 

余談だが、カラオケ屋さんの同期会ってイイかもね。 つまらん話題ばかり拝聴するよりは・・・。 が、私、カラオケ不慣れで居心地悪し!  みんな気を遣って下さって「高校三年生🎶」や「文部省唱歌🎶」が続いたけれど、「サンビャクロクジュ~ゴニチ~🎶」も登場! 最々新の朝ドラの歌だヨ。 ありがとう。 やっぱりイイ人たち(^^♪