長岡育英センター・ブログ

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Start again ! Nagaoka Tシャツ

2005-08-03 17:55:54 | 川上のひとりごと日記
買ってしまった。
Start again ! Nagaoka Tシャツ



長岡まつりの昼行事の会場などで、実行委員の
人が着ていたりするTシャツ。

あまりにもかっこいいのです。

長岡の復興を「Start again」という言い方で
表現した言葉が、とても素敵です。

実は長岡市のマークは、不死鳥「フェニックス」
です。ご存知でした。

 ↓ このマークです。


長岡市の復興への祈りを込めた花火も、
今回「フェニックス」と名付けられました。

戊辰戦争、第二次大戦、そして今回の中越地震。

繰り返し長岡は戦争や地震という災禍に遭いますが、
その中から立ち上がってきた長岡の人々の心意気を
少しでも見習いたいと思います。

ただし、サイズがLまでなので、ちょっと川上には
パツンパツンです。

なにしろ普段はユニクロのXLサイズ専門ですから。

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左袖には、赤地に黒で「NAAGAOKA HANABI 8|2.3」の
ワンポイントが。COOL!!



Start againの文字の上には、nagaokaのアルファベットで
花火のかたちが!!

お求めは、川上は…大和デパートで買いましたが、
その他お探しください。

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ガンバロウ長岡!!!
 ガンバロウ育英!!!
by 川上

長岡まつり大花火大会(8/2)

2005-08-03 02:49:10 | 川上のひとりごと日記


平原綾香のJupiterの曲に合わせて打ち上げられた
壮大な花火「フェニックス」は、あまりに美しくて、
涙が出そうでした。

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昨年の中越地震からの復興への願いを込めた今年の
長岡まつりの大花火大会は、人々のたくさんの
気持ちが込められていたように感じました。


あの10月23日の夜、そしてそれに続く数日間、
数週間の厳しい生活の中で、一体誰がこれほどに
美しい花火を再び見ることができると考えられた
でしょう。

日々を乗り切ることで精一杯だった時、わたし達の
心には余裕なんかありませんでした。

誤解を恐れず言うなら、笑うこともためらわれたり、
なにかで自分たちが楽しんだり、遊んだりすることさえ、
憚られるような…そんな毎日が続いていました。

表向きには子ども達とともに、「大丈夫だよ」と
言い続け、でも生きるために必要なことしか出来ない、
味気ないような、もどかしいような日々を送っていた
ようにさえ思います。


被害が少なかった長岡の川西地域でもそんな風に
感じていたのですから、もっと被害甚大なところでは
それぞれの心に自ら与えていたプレッシャーは大きな
ものだったのではないかと推測します。


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いつまで「ガンバロウ長岡」って書くんだろうかと
毎日ブログを書きながら、考えていました。

あの日から、ずっとブログでこっそりと「ガンバロウ長岡」と
言い続けていた川上も、ひょっとしたら、すべて自分に向かって、
自分を奮い立たせるために、「ガンバロウ」と言ってきたような
気がします。

「ガンバロウ」って言うのは、どうも押しつけっぽくて良くない
って思ったり、一体何をガンバるんだよと思ったり。日々自問して
いました。

でも、深い意味はないかもしれないけど…、いやあるかもしれないけど、
「ガンバロウ長岡」を一人でも言い続けるんだと思っていたのが、
正直なところです。

いつか、元の街に戻るし、いつかまた笑って話せる時が来るって
信じ続けたかったからかも知れません。


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一昨日の新幹線。
震災後に、東京行きに「初めて」乗りました。

新幹線は快適だし、涼しいし、速いし、素晴らしいだらけ
なんですが、川上は怖かったです。本当に。

長岡駅を出てすぐに史上初の新幹線脱線の現場にさしかかります。

「あ、この辺だったのかも知れない」と言うところで、堅く
身構えている自分がありました。本当です。

それから、東京都内で乗った地下鉄でも、轟音が聞こえると
恐ろしくて、身構えます。地下に入る時は、自然に非常口の
ランプを探していたり、混み合った電車や駅構内の雑踏の中では、
この混雑で地震が起きたら逃げられるだろうかと考えていたり
する自分がありました。

どんなに被害が小さくても、あの地震を体験したわたし達は
無意識についついそういう行動をとってしまうのです。


ああ、まだ自分の中では地震は終わっていないんだなと
思いました。

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しかし、きょうの熱い夜空に次々と打ち上げられる美しい
花火を見て、いろんな気持ちが空と炎に溶けていったような、
そんな気がしました。

きょうは奥さんの実家の屋上で、ビールを飲みながら、
夜の風に吹かれて見ていました。

いやぁ、騒いで楽しかったです。

そして、こんな風に安心して家族と過ごせる時間がどれほど
有り難くて、なんと幸せで、尊いものなのか、しみじみと
感じたのでした。

「え、そんなこと思ってたの?」と一緒にいた皆さんには
思われるかも知れません。

いや、思ってたんですよ。

周りから見れば、ただの酔っぱらいだったんですけどね。

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第二次大戦からの復興の象徴として始められたという
戦後の長岡まつり花火大会。



その頃の花火を、祖父や祖母の世代は、今のわたし達と
似たような、祈るような気持ちで見ていたのかなと、
感じたりもしました。

明日、実家で祖父と祖母に聞いてみようと思います。




長岡の人間は、世間の人が紅白歌合戦を見ないと大晦日・
正月が来たと実感できないように、長岡まつりの花火を
見ないと夏が来たり、夏が終わったと実感できません。

そういう風にDNAに刻み込まれているのです。


昼間お日さまにあたるとなんとかって物質が脳の中で
分泌されるからよく眠れるのと同じく、長岡の人間は
花火を見ると夏を安心して乗り切ることが出来るのです。

たぶん。……いや、ホントに。

明日(8/3)は、正しい四季の感覚を味わうために、ふたたび
しっかりと長岡の花火を楽しみたいと思います。

夏は、これからですからね。

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ガンバロウ長岡!!!
 ガンバロウ育英!!!
by 川上
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