平原綾香のJupiterの曲に合わせて打ち上げられた
壮大な花火「フェニックス」は、あまりに美しくて、
涙が出そうでした。
---
昨年の中越地震からの復興への願いを込めた今年の
長岡まつりの大花火大会は、人々のたくさんの
気持ちが込められていたように感じました。
あの10月23日の夜、そしてそれに続く数日間、
数週間の厳しい生活の中で、一体誰がこれほどに
美しい花火を再び見ることができると考えられた
でしょう。
日々を乗り切ることで精一杯だった時、わたし達の
心には余裕なんかありませんでした。
誤解を恐れず言うなら、笑うこともためらわれたり、
なにかで自分たちが楽しんだり、遊んだりすることさえ、
憚られるような…そんな毎日が続いていました。
表向きには子ども達とともに、「大丈夫だよ」と
言い続け、でも生きるために必要なことしか出来ない、
味気ないような、もどかしいような日々を送っていた
ようにさえ思います。
被害が少なかった長岡の川西地域でもそんな風に
感じていたのですから、もっと被害甚大なところでは
それぞれの心に自ら与えていたプレッシャーは大きな
ものだったのではないかと推測します。
---
いつまで「ガンバロウ長岡」って書くんだろうかと
毎日ブログを書きながら、考えていました。
あの日から、ずっとブログでこっそりと「ガンバロウ長岡」と
言い続けていた川上も、ひょっとしたら、すべて自分に向かって、
自分を奮い立たせるために、「ガンバロウ」と言ってきたような
気がします。
「ガンバロウ」って言うのは、どうも押しつけっぽくて良くない
って思ったり、一体何をガンバるんだよと思ったり。日々自問して
いました。
でも、深い意味はないかもしれないけど…、いやあるかもしれないけど、
「ガンバロウ長岡」を一人でも言い続けるんだと思っていたのが、
正直なところです。
いつか、元の街に戻るし、いつかまた笑って話せる時が来るって
信じ続けたかったからかも知れません。
---
一昨日の新幹線。
震災後に、東京行きに「初めて」乗りました。
新幹線は快適だし、涼しいし、速いし、素晴らしいだらけ
なんですが、川上は怖かったです。本当に。
長岡駅を出てすぐに史上初の新幹線脱線の現場にさしかかります。
「あ、この辺だったのかも知れない」と言うところで、堅く
身構えている自分がありました。本当です。
それから、東京都内で乗った地下鉄でも、轟音が聞こえると
恐ろしくて、身構えます。地下に入る時は、自然に非常口の
ランプを探していたり、混み合った電車や駅構内の雑踏の中では、
この混雑で地震が起きたら逃げられるだろうかと考えていたり
する自分がありました。
どんなに被害が小さくても、あの地震を体験したわたし達は
無意識についついそういう行動をとってしまうのです。
ああ、まだ自分の中では地震は終わっていないんだなと
思いました。
---
しかし、きょうの熱い夜空に次々と打ち上げられる美しい
花火を見て、いろんな気持ちが空と炎に溶けていったような、
そんな気がしました。
きょうは奥さんの実家の屋上で、ビールを飲みながら、
夜の風に吹かれて見ていました。
いやぁ、騒いで楽しかったです。
そして、こんな風に安心して家族と過ごせる時間がどれほど
有り難くて、なんと幸せで、尊いものなのか、しみじみと
感じたのでした。
「え、そんなこと思ってたの?」と一緒にいた皆さんには
思われるかも知れません。
いや、思ってたんですよ。
周りから見れば、ただの酔っぱらいだったんですけどね。
---
第二次大戦からの復興の象徴として始められたという
戦後の長岡まつり花火大会。
その頃の花火を、祖父や祖母の世代は、今のわたし達と
似たような、祈るような気持ちで見ていたのかなと、
感じたりもしました。
明日、実家で祖父と祖母に聞いてみようと思います。
長岡の人間は、世間の人が紅白歌合戦を見ないと大晦日・
正月が来たと実感できないように、長岡まつりの花火を
見ないと夏が来たり、夏が終わったと実感できません。
そういう風にDNAに刻み込まれているのです。
昼間お日さまにあたるとなんとかって物質が脳の中で
分泌されるからよく眠れるのと同じく、長岡の人間は
花火を見ると夏を安心して乗り切ることが出来るのです。
たぶん。……いや、ホントに。
明日(8/3)は、正しい四季の感覚を味わうために、ふたたび
しっかりと長岡の花火を楽しみたいと思います。
夏は、これからですからね。
---
ガンバロウ長岡!!!
ガンバロウ育英!!!
by 川上
この素晴らしい花火を見つめておられたことでしょう。
涙がこぼれました。
つらいこと、悲しいこと、たくさんあるけれど、
だからこそ、きっと昔から人々は
「ガンバロウ」の気持ちをこめて
花火を打ち上げてこられたんじゃないかな…そんな風に思いました。
こちらでは、北摂の風物詩になっていた
池田川西花火大会がJRの事故の影響で
中止されることになりました。
阪神大震災の後も、なかったかな…。
みんなが安心して、笑って花火を楽しめる幸せ…
当たり前のことが、当たり前である幸せ…
そんな小さな幸せを一つ一つ、
大切に過ごしていきたい…そう思っています。
花火大会が終わりました。
良かったです。
平和な時間を家族や大切な人達と過ごすことが
出来る幸せを、しみじみと感じました。
まぁ、実際は、そんな「幸せ」なんて言うほど、
おとなしいものじゃないんですが、普通にバカ
言いながら、お酒を飲みながら、花火見て
拍手したり、きれいだって喜んだり、叫んだり。
でも、そうやってわーっと騒いで楽しめる、
そんな当たり前のことが当たり前に出来るって
本当に幸せだと感じました。
やはり仕事場の保育園で聞いたら、昨日の花火を
見た他の人達も「フェニックス」には涙が出たと
言っていました。
わたしもそうですが、ほとんどの長岡市民が
花火を見て泣いたことなど、これまで一度も
なかったんじゃないかと思うのです。
生まれた時から当たり前のように毎年夏に
見ることができていたから。
それが、今回ばっかりは涙が出ました。
うちの奥さんも
「花火を見てたら、地震の頃のこととか、
いろいろ思い出しちゃって、涙が出そうだった」
などと、帰りの車の中で言っていました。
音楽や歌と同じで、誰かの強い思いや、
願いや祈りがあってこそ、花火も人を
感動させられるのじゃないかと思いました。
---
JRの事故は、ゆきさんの近くだったんですね。
池田川西花火大会もまた来年には、当たり前に
大切な人達と共に見られるといいですね。