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長岡まつり大花火大会(8/2)

2005-08-03 02:49:10 | 川上のひとりごと日記


平原綾香のJupiterの曲に合わせて打ち上げられた
壮大な花火「フェニックス」は、あまりに美しくて、
涙が出そうでした。

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昨年の中越地震からの復興への願いを込めた今年の
長岡まつりの大花火大会は、人々のたくさんの
気持ちが込められていたように感じました。


あの10月23日の夜、そしてそれに続く数日間、
数週間の厳しい生活の中で、一体誰がこれほどに
美しい花火を再び見ることができると考えられた
でしょう。

日々を乗り切ることで精一杯だった時、わたし達の
心には余裕なんかありませんでした。

誤解を恐れず言うなら、笑うこともためらわれたり、
なにかで自分たちが楽しんだり、遊んだりすることさえ、
憚られるような…そんな毎日が続いていました。

表向きには子ども達とともに、「大丈夫だよ」と
言い続け、でも生きるために必要なことしか出来ない、
味気ないような、もどかしいような日々を送っていた
ようにさえ思います。


被害が少なかった長岡の川西地域でもそんな風に
感じていたのですから、もっと被害甚大なところでは
それぞれの心に自ら与えていたプレッシャーは大きな
ものだったのではないかと推測します。


---


いつまで「ガンバロウ長岡」って書くんだろうかと
毎日ブログを書きながら、考えていました。

あの日から、ずっとブログでこっそりと「ガンバロウ長岡」と
言い続けていた川上も、ひょっとしたら、すべて自分に向かって、
自分を奮い立たせるために、「ガンバロウ」と言ってきたような
気がします。

「ガンバロウ」って言うのは、どうも押しつけっぽくて良くない
って思ったり、一体何をガンバるんだよと思ったり。日々自問して
いました。

でも、深い意味はないかもしれないけど…、いやあるかもしれないけど、
「ガンバロウ長岡」を一人でも言い続けるんだと思っていたのが、
正直なところです。

いつか、元の街に戻るし、いつかまた笑って話せる時が来るって
信じ続けたかったからかも知れません。


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一昨日の新幹線。
震災後に、東京行きに「初めて」乗りました。

新幹線は快適だし、涼しいし、速いし、素晴らしいだらけ
なんですが、川上は怖かったです。本当に。

長岡駅を出てすぐに史上初の新幹線脱線の現場にさしかかります。

「あ、この辺だったのかも知れない」と言うところで、堅く
身構えている自分がありました。本当です。

それから、東京都内で乗った地下鉄でも、轟音が聞こえると
恐ろしくて、身構えます。地下に入る時は、自然に非常口の
ランプを探していたり、混み合った電車や駅構内の雑踏の中では、
この混雑で地震が起きたら逃げられるだろうかと考えていたり
する自分がありました。

どんなに被害が小さくても、あの地震を体験したわたし達は
無意識についついそういう行動をとってしまうのです。


ああ、まだ自分の中では地震は終わっていないんだなと
思いました。

---


しかし、きょうの熱い夜空に次々と打ち上げられる美しい
花火を見て、いろんな気持ちが空と炎に溶けていったような、
そんな気がしました。

きょうは奥さんの実家の屋上で、ビールを飲みながら、
夜の風に吹かれて見ていました。

いやぁ、騒いで楽しかったです。

そして、こんな風に安心して家族と過ごせる時間がどれほど
有り難くて、なんと幸せで、尊いものなのか、しみじみと
感じたのでした。

「え、そんなこと思ってたの?」と一緒にいた皆さんには
思われるかも知れません。

いや、思ってたんですよ。

周りから見れば、ただの酔っぱらいだったんですけどね。

---


第二次大戦からの復興の象徴として始められたという
戦後の長岡まつり花火大会。



その頃の花火を、祖父や祖母の世代は、今のわたし達と
似たような、祈るような気持ちで見ていたのかなと、
感じたりもしました。

明日、実家で祖父と祖母に聞いてみようと思います。




長岡の人間は、世間の人が紅白歌合戦を見ないと大晦日・
正月が来たと実感できないように、長岡まつりの花火を
見ないと夏が来たり、夏が終わったと実感できません。

そういう風にDNAに刻み込まれているのです。


昼間お日さまにあたるとなんとかって物質が脳の中で
分泌されるからよく眠れるのと同じく、長岡の人間は
花火を見ると夏を安心して乗り切ることが出来るのです。

たぶん。……いや、ホントに。

明日(8/3)は、正しい四季の感覚を味わうために、ふたたび
しっかりと長岡の花火を楽しみたいと思います。

夏は、これからですからね。

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ガンバロウ長岡!!!
 ガンバロウ育英!!!
by 川上
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2 コメント

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Unknown (ゆき)
2005-08-03 14:56:53
たくさんの方達が、祈りと願いをこめて

この素晴らしい花火を見つめておられたことでしょう。

涙がこぼれました。



つらいこと、悲しいこと、たくさんあるけれど、

だからこそ、きっと昔から人々は

「ガンバロウ」の気持ちをこめて

花火を打ち上げてこられたんじゃないかな…そんな風に思いました。



こちらでは、北摂の風物詩になっていた

池田川西花火大会がJRの事故の影響で

中止されることになりました。

阪神大震災の後も、なかったかな…。

みんなが安心して、笑って花火を楽しめる幸せ…

当たり前のことが、当たり前である幸せ…

そんな小さな幸せを一つ一つ、

大切に過ごしていきたい…そう思っています。



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みんなが涙しました (川上)
2005-08-03 23:51:24
昨日(8/2)に引き続き、きょう(8/3)も先ほど

花火大会が終わりました。



良かったです。



平和な時間を家族や大切な人達と過ごすことが

出来る幸せを、しみじみと感じました。



まぁ、実際は、そんな「幸せ」なんて言うほど、

おとなしいものじゃないんですが、普通にバカ

言いながら、お酒を飲みながら、花火見て

拍手したり、きれいだって喜んだり、叫んだり。



でも、そうやってわーっと騒いで楽しめる、

そんな当たり前のことが当たり前に出来るって

本当に幸せだと感じました。





やはり仕事場の保育園で聞いたら、昨日の花火を

見た他の人達も「フェニックス」には涙が出たと

言っていました。



わたしもそうですが、ほとんどの長岡市民が

花火を見て泣いたことなど、これまで一度も

なかったんじゃないかと思うのです。



生まれた時から当たり前のように毎年夏に

見ることができていたから。



それが、今回ばっかりは涙が出ました。



うちの奥さんも

「花火を見てたら、地震の頃のこととか、

いろいろ思い出しちゃって、涙が出そうだった」

などと、帰りの車の中で言っていました。



音楽や歌と同じで、誰かの強い思いや、

願いや祈りがあってこそ、花火も人を

感動させられるのじゃないかと思いました。



---



JRの事故は、ゆきさんの近くだったんですね。

池田川西花火大会もまた来年には、当たり前に

大切な人達と共に見られるといいですね。
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