心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

京都の裏社会1「東本願寺の裏面史、内紛に群がった右翼、利権屋、勝共連合」(実弾(現金)を飛ばして権力を握る)天皇家と同じ構造の真宗大谷派東本願寺 

2018年07月07日 | 人生を変える方法

宗教とは一体何なのでしょうか?

目に見えないもを教えて下さるものであり、私たちの「魂」の救いをしてくれる場所であるはずです。

「心が浄化されること」

これが宗教をすることの喜びであり、哲学やこの世の娯楽では満たすことができない、「人間に与えられた最高の贈り物」だと思います。

しかしながら、現代社会は、宗教が拝金主義に負け、政治と結託し、政治家の票田となってしまい、現世利益ばかり追求し、脱税、マネーロンダリングのオンパレードとなってしまっています。

こんな時代に私たちは心の救いをどこに求めればよいのでしょうか?

本当に嘆かわしい時代です。

今回は八事興正寺が土地を売却した問題で、本山である高野山から背任行為として訴えられていました。

名古屋地検では不起訴としました。

まずはその記事を転載する前にことの経緯を説明いたします。

・・・・・・・・・・・宗教の役割は心を救うことで心のない人間以外の動物は宗教を持たない)高野山の僧侶に労災認定 64日間連続勤務、うつ病に

 八事山興正寺 前住職、不正流用を否定 名古屋地裁で弁論 毎日新聞2018年1月17日 21時56分(最終更新 1月17日 21時56分)

 高野山真言宗の別格本山・八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)(名古屋市昭和区)の住職の座を巡る訴訟で、前住職が17日、名古屋地裁(末吉幹和裁判長)の口頭弁論に出廷し尋問に答えた。名古屋地検特捜部は昨年9月、前住職が寺有地の売却益を不正流用した疑いがあるとして背任容疑で寺などを捜索したが、前住職は弁論で不正流用を否定した。

 特捜部の強制捜査後に前住職が公の場で話すのは初めて。前住職は総本山に無断で寺有地を売却したとして罷免され、興正寺を相手に住職としての地位確認を求めて提訴した。

 総本山が選んだ現住職側は寺有地売却に関して、前住職が売却益からいずれも自身と関連のある英国法人に約25億円を、東京都内のコンサルタント会社に約28億円を送金したとして、土地売却の不当性を主張している。

 これに対し前住職は17日の尋問で、英国法人に計50億円を支払うことで投資運用により総額107億円を調達できる有利な契約だったと説明し「大規模な寺の修繕が必要で、売却資金を(そのまま)使うと枯渇してしまう可能性があり、契約を申し込んだ」と支出の正当性を主張した。

 実際に調達できたのは約10億円だが「登記簿上の代表役員(住職)が強制的に代えられたので、先に進めない状況だ」と語った。

 コンサルへの送金は金銭消費貸借契約に基づく貸し付けとした上で「代表役員の変更で銀行預金を引き出せず、コンサルに寺職員の給与などを支払ってもらい、貸し付けの金利と相殺している」と話した。額の妥当性や無担保で貸し付けた理由は「そこにある金を貸した。信用しているから担保は取っていない」と述べるにとどめた。【金寿英】

いかがでしょうか?

要するに、住職が土地を売却したお金を資金運用に回しただけの話だと思うのですが、、、。

お寺も経営があるので、資金運用をするのでしょう。

お寺の建て替えの費用を信者のお布施に頼る住職に比べて、「自分で調達しよう!」としている姿は、素晴らしいと思ってしまいますよ。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

この判決結果は以下の通りです。

不起訴となりましたが、判決理由についての言及は捜査協力が得られなくなったとあります。

・・・・・・・・・(<名古屋地検>興正寺背任容疑 前住職を不起訴 07:30毎日新聞)

捜索を受けた高野山真言宗の別格本山・八事山興正寺=横田伸治撮影

(毎日新聞)

 高野山真言宗の別格本山・八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)(名古屋市昭和区)の土地売却を巡り、前住職が売却益の一部を不正に流出させたとして、現住職側から背任容疑などで告訴状が出された問題で、名古屋地検特捜部は29日、前住職を不起訴とした。

 不起訴の理由は明らかにしていないが、住職の座を巡って互いに提訴し合っていた前住職と現住職側が訴訟外で和解し、捜査への協力を得るのが難しくなったことが影響しているとみられる。この問題に対する特捜部の捜査は終結した。

 捜査関係者によると、前住職は2014年に名古屋市のコンサルタント会社に約28億3000万円を貸し付け、寺に損害を与えたとする背任容疑が持たれていた。特捜部は告訴状を受理していなかったものの、昨年9月に寺を捜索していた。

 この問題で現住職側は16年9月、前住職が売却益の一部約70億円を不正に流出させたとして、名古屋地検に告訴状を出した。今年5月、前住職が寺を退去したため、告訴状を取り下げると明らかにした。現住職は「前住職は社会的制裁を受けたので、使途不明金についての責任追及はしない」と話していた。【野村阿悠子】

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

結局、前の住職と現役住職との確執が原因だったようですね。

しかし、こんな大金を貸し出しておいて、さらに総額70億円を不正に流出させたにも関わず、辞任しただけで「使途不明金の責任追及をしない」とは、お寺の住職とは、「なんとも心が広いのだ」と感心させられますね(笑)

こうやってすったもんだをしているのが現在の仏教界で、浄土真宗の内輪もめも相当なものとなっています。

門徒(信者)置き去りで内輪もめしているのですから、仏教を信じる人が減っていくのはうなづけますね。

「京都裏社会の歩き方」から記事を見ていきましょう。

・・・・・・・・・(京都の裏社会「東本願寺の裏面史、内紛に群がった右翼、利権屋、勝共連合」194ページ)

「実弾を飛ばして権力を握る」

”天皇家の反乱”とでもいおうか。

”実権天皇制”から”象徴天皇制”へと憲法改正された。

これに不満の皇太子が独立王国結成を宣言する。

国を出た皇太子に代わり、その長男が「新憲法遵守」を誓って皇太子になる。

ところがその皇太子も「2つの国の皇太子を兼任するから、その旨、憲法を変えろ」と言い出す。

政府は皇位をはく奪し、そのいとこで高校1年生の少年を、本人の承諾なしに「新皇位継承者」として指名する。

「お東さん」(真宗大谷派・本山東本願寺京都市下京区)は今、そんな事態に遭遇している。

 

1980年11月、大谷光暢法主(おおたにこうちょうほっす)と内局で「即決和解」が成立、十余年に及ぶ紛争が締結したかに見えた。

だが、紛争の火種は形を変えて燃え続け、新たな局面を迎えようとしている。

宗祖親鸞の血脈を受け継ぐとされる大谷家は、真宗大谷派における天皇家のような存在である。

その大谷家を一方の当事者として紛争は展開してきた。

一般に、大谷家を中心とする「保守派」と

内局を中心とする「改革派」の争いといわれる。

確かに同朋会運動という信仰運動が紛争の根底にあり、「反靖国神社」運動などに参加した「改革派」を自認する僧侶もいる。

しかし、紛争では「保守×改革派」では割り切れない側面もある。

(※同朋会運動とは

宗門が七百年間宗祖聖人の威徳の上であぐらをかき、安逸をむさぼってきた教団であったという反省と懺悔に基づく自己批判から出発し、世界中の人間の真の幸福を開かんと願い、人類に捧げる教団へと変化していくことを誓いはじめられた信仰の復興運動です。

具体的には、形骸化し聞法道場としての機能を果たしていない寺院が、その機能を取り戻し、親鸞聖人の教えを伝え学ぶ施設へと転換することが求められ、各寺院やその地域等に「同朋の会」という聞法の会を開設することが進められました。また、運動を推進する人材育成も同時に進められ、育成員(僧侶)や推進員(門信徒)という制度を設けると共に、人材育成のための各種研修会等が教団を上げて行われました。)

東本願寺紛争の特徴は、時価数兆円とも数十兆円ともいわれる教団財産をめぐる「利権」がつきまとっていたこと、「利権」をめぐるそれぞれの事件を陰で演出していたのが「右翼」や「利権屋」と呼ばれる面々であったこと、そして事件の”火元”は常に大谷家側にあったこと、そうした視点から、紛争のこれまでと、今をレポートする。

「開申(かいしん)」事件が起きたのは1969年4月だった。

「開申(かいしん)」とは、法王が内局に出す指示のこと。

大谷光暢法主が突然管理職の光紹(こうしょう)新門(新門首の略称、門主継承者のこと)に譲ると発表した。

 

管長とは宗派の代表役員、つまり法律上の権限を譲るとの発表である。

宗憲に定められた手続きを無視した指示に内局、宗議会を挙げて反発、これが東本願寺紛争の発端となった。

仕掛人は吹原弘宣(ふきはらこうせん)だった。

吹原は岐阜県の大谷派末寺の息子。

戦後、詐欺事件を重ね、1965年4月には「吹原産業事件」の主役となった。

”影の金融王”森脇将光と組んだ30億円の詐欺事件。

<1948年長者番付一位 森脇 将光氏>

自民党総裁選を利用したもので、当時の政府高官にも波及し、児玉誉士夫、小佐野賢治らの名前まで出てきた。

保釈で出てきた吹原は、東京本願寺(東京別院)住職の光紹新門に接近する。

吹原が教えたのは、”土地で儲ける”こと。

東京本願寺が京成電鉄に貸してある土地から多額の権利金を取り、税金減額の工作をしてやる。

<築地本願寺 : 両国の横網町公園にある>

新門は「吹原氏は有能な実業家であるので手助けを願っている。今度の詐欺事件も判決が出ない以上、悪人にするのは酷ではないか?」(読売新聞1969年5月16日付)と、保釈中の吹原に絶大な信頼を寄せた。

「光紹新門が管長になれば、吹原は”自分の意”を通しやすくなる」。吹原は新門を通して法王夫妻に接待攻勢をかける。

こうしてこぎつけたのが、「管長譲位発言=開申」だった。

邪魔なのは「改革派」が多数を占める宗議会と内局。

この年の宗議会議員選挙では、新門を先頭に猛烈な多数派工作を展開する。

実弾(お金)が乱れ飛ぶ。

その資金源も吹原だった。

勿論タダで資金を提供したのではない。

吹原は出費を克明にメモしていた。

毎日新聞社編『宗教を現代に問う』によると、出費の総額は7593万円だったという。

選挙で勢力を逆転し、法主派内局が誕生するや、吹原の関連会社は法主の白紙委任状を入手して、山科上花山(やましなかみかざん)の所有地造成を開始した。

総工費40億円をかけた納骨堂(東山浄苑)建設工事である。

<東山浄苑東本願寺を参拝し、大谷暢順理事長(右>

吹原は人事権も握った。

東京・浅草の本龍寺住職は当時、「東京別院輪番にならないか?」と薦められた。

 ただし、「まず吹原に会って、推薦をもらうこと」が条件だった。

「何で吹原ごときに頭を下げなければならないのか?と断ったけど、当時はまさに、吹原本願寺の様相だった」と同住職は筆者に語った。

ちなみに、真宗大谷派(東本願寺)、通称「お東さん」の機構は国のそれと酷似している。

国の憲法にあたる宗派の最高法規が「宗憲」。

国会にあたるのが僧侶で構成する「宗議会」と門徒で構成する「門徒評議会」。

政府にあたるのが、「内局」で総理大臣を「宗務総長」、大臣を「参務」と呼ぶ。

裁判所にあたるのが「審門院」である。

それらの頂点に宗祖親鸞の血脈を継ぐとされる大谷家の当主が「法王」として君臨してきた。(1981年の宗憲改正以後は法王でなく「門首」)

世襲制はほかの伝統仏教教団には見られない、真宗教団の特徴の1つとなっている。

大谷家はいわば宗門における「天皇家」のような存在で、天皇家の皇位継承権者を皇太子、親王と呼ぶのと同様に、門首の長男を「新門」、他の男子を「連枝(れんし)」と呼ぶ。

ごく最近まで、子は父を「お父様」と呼んでいたという。

現門主は大谷光暢(おおたにこうちょうほっす)法主。

智子裏方(門主夫人)は皇太后の実妹である。

<光華女子学園は、真宗大谷派(東本願寺)前門首夫人の故大谷智子裏方(昭和天皇妃 香淳皇后の妹君)が、「仏教精神に基づく女子教育」を発願し、東本願寺をはじめ有縁の方々から物心両面の援助を受けて昭和14年に設立された学園です。同学園HPより>

 

『フィクサー児玉が顧問となって恫喝』198ページ

激しい実弾攻勢で”保守改革派の逆転”を果たした1969年末の宗議会に登場した、もう一人の人物が「児玉誉士夫」だった。

戦時中は軍の特務として働き、戦後は保守政界の黒幕、右翼のボスとして君臨。

ロッキード事件で起訴され、公判中に死亡した。

児玉は日蓮宗の信者で池上本門寺の有力檀家でもある。

その児玉が真宗大谷派の「門跡(法王)顧問」として登場する。

「わが東本願寺の永遠の基礎固めをするため、東本願寺に深く巣食う宗務総長と、その一派を一切の役職から追放し、もって東本願寺の千年の計を確立していただきたい」という法主あて書状のコピーを宗門僧侶に送り付けた。

改革派への恫喝である。

法王がどういう経過で児玉に「顧問」の肩書を与えたかは明らかになっていない。

しかし、法王の肩書乱発はかなり広範囲にわたっていたと推測される。

1986年か夏には、九州の建設会社会長の葬儀委員長と副委員長が「大谷は門跡顧問」「同内局顧問」の肩書を使った。

葬儀委員長は国政選挙の候補者だったという。

この種の肩書は金で売られることが多い。

児玉の介入は一過性に終わった。

吹原もその後、教団から手を引いた。

だが、吹原が蒔いた”利権の種”が芽を吹くのはそれからのことであった。

たとえば1973年、こんな事件が続発する。

<名号ネクタイ事件>

大阪の末寺住職、若松晴らが真誠念法会(阪根徳理事長)をつくって、法主直筆の「南無阿弥陀仏」の六文字入りネクタイ販売でひと儲けをねらった事件

<難波別院土地事件>

若松が法主の「委任状」を持って難波別院の一部売却をはかる。

委任状を信用した不動産会社が、手付金7000万円を詐取されたとして表面化。

<宇治土地事件>

宇治の所有地1億③000万円分と滋賀県の山林9000万円分を交換し、利ザヤを稼ごうとした。

若松と藤本昭が法主の「委任状」をもって行動。

手付金を詐取されたという不動産業者が法主、若松らを告訴。

 

三つの事件に登場する若松は当時、「大谷家の資金調達係」と評されてたという。

ネクタイ事件の阪根は右翼・日本塾幹部で、全愛会議(右翼連合組織、笹川良一らが顧問)の代表議員も務めている人物。

宇治土地事件の藤本も日本塾顧問。

韓国出身で戦争中は佐郷谷喜昭(さごうやよしあき)同一人物:佐郷屋 留雄(さごうや とめお、1908年12月1日 - 1972年4月14日)(浜口雄幸首相狙撃事件犯人)、戦後護国団団長、全愛会議議長)の私設特務として働き、護国団顧問、全愛会議副議長なども務めている。

日本塾は関西の右翼連合組織で、三曜会の一員でもある。(右翼・民族派辞典)

この年の暮れの宗議会選挙で再び勢力が逆転、「改革派」内局に抵抗を試みる。

独断で別人物を宗務総長に指名。

この総長が宗務所に立てこもり、金庫をこじ開けようとする事件まで起こった。

教団所有の山林などを管理している本廟維持財団(現・本願寺維持財団)をめぐり、”骨肉の争い”も演じられた。

財団理事長である次男・大谷暢順(おおたにちょうじゅん)に対し、法王と四男・大谷暢道(おおたにちょうどう)法王秘書役が「理事長職を譲れ」と迫った事件である。

 

「財団理事長を3か月間、私にくれ」と大谷光暢(おおたにこうちょう)法主が発言。

「いえ、お父様に金庫番のようなことはさせられません」と大谷暢順理事長が返答。

京都グランドホテル(現・リーガロイヤルホテル京都)での一幕であったと、当時の秘話を『文化時報』2月18日付が明かしている。

一連の事態は法王グループの焦りを示している。

「お上は借金で苦しんでいる」そんな噂が宗門に広がった。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

少し長くなりましたが、東本願寺、真宗大谷派でこれだけの争いがありました。

やはり、お金があるところに、右翼やヤクザもどきが近づいてきます。

そして、これだけ大きなお金が動くとなると、お寺の人たちでは管理しきれないのでしょう。

資金運用や調達を右翼やヤクザがしている様子が浮かび上がってきますね。

次回は同著201ページから「笹川了平」という笹川良一の実弟が乗り込んでくる事件を紹介したいと思います。

 

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