遺伝屋ブログ

酒とカメラとアウトドアの好きな大学研究者です。遺伝学で飯食ってます(最近ちょっと生化学教えてます)。

アナログの時代

2011-07-28 21:56:56 | たわごと
先日押し入れの片付けをしてたら古いネガが出てきました。7本も。分類するとだいたい4種類、金沢近郊の山を登ったとき、親父と輪島へドライブしたとき、家族で東北をまわったとき、そして、ニューヨークのコールドスプリングハーバー研究所とプリンストン大学のZakian博士の研究室を訪問したときのです。上の写真は変色が激しくてどうしようもないのですが、獅子吼の山をハイキングしたときの写真のひとつです。その頃、僕はまだパラグライダーをしていませんでした。というか、この山歩きがパラグライダーとの出会いでした。
フィルムって、保存が悪いとこんなになっちまうんですね。1本で撮れるのがたったの24枚か36枚。少ない枚数なのに撮り直しがきかないので、失敗作もきっちり残っています。デジタルカメラと違って、なかったことに出来ないのです。残酷ですなぁ。だからこそ一回のシャッターに込める集中の度合いが、デジタルとは格段に違います。デジタルは僕たちを甘やかしてくれてるんだと駄作の並んだネガフィルムをみながら思い知りました。さっそくカメラのキタムラへ持っていってCDにしてもらいましたよ。アナログのメディアはジワジワと時を刻んで朽ちていきますね。一方でデジタルは損傷すると一瞬ですべてを失います。しかし、複製はとり放題なので、賢くバックアップしておけばほぼ永遠に残すことも可能。先の震災で津波で汚れたアルバムの写真をきれいに修復する作業が紹介されましたが、デジタル化してクラウドに乗せておけばそんな作業必要がなかったはずです。
当時使ってたカメラはNIKON FEかCONTAX G1でした。この2台をずーっと使ってました。フィルムはコダックが多かったです。写真の画質はフィルムに依存していたので、カメラを変える必要がなかったのがデジタル時代との大きな違いです。初めて自分のものとして使った一眼レフはNIKOMAT ELでしたが、これは家にあったもので、父か祖父かが使っていたものでした。やたらに重いのですが、露出とピントを合わせてシャッターを切るという基本は当時の最新のカメラを使っても同じことでした。カメラ本体は残ってませんが、それにつけてたレンズは今もNIKONの一眼デジカメD200につけて愛用してます。アナログ時代の資産はすごく寿命が長いのに、デジタルカメラは世代を超えて使うようなものではありませんね。デジタルなグッズはどれもそうです。コンピューターも携帯も寿命がやたら短く、個人がどんどん買い繋いでいく宿命にあります。家宝にはならないんです。

上の文章を書きながら、先日完全デジタル化されたテレビの世界について考えてみました。デジタルになったとはいえ、放送の受像機としてのテレビはけっこう寿命が長いかもしれません。なんせ写すソフトが貧弱ですから。(笑) そもそも高度化する必要を感じません。例えば、3Dでしょうもないバラエティーを観たいですか?
昭和の中期、テレビは一家に一台で家族の団らんの中心でした。その後、テレビの台数は増えてパーソナルになっていきますが、このアナログ停波+デジタル化で再び一家に一台になったと言われてます。しかし、これは団らんの中心になったわけではなくて、他にもコンピューターやゲーム機のように時間をつぶすメディアができたのと一人で生活する大人がどの年齢層でも増えたということらしいです。デジタル化は私たちの生活を豊かにしてくれてるんですかねぇ? きっとそれは使う人次第なんでしょう。今更、昔には戻れませんし。w
コメント
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