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hyperclub

パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

ウェブアートデザイナー

2005-04-17 23:53:59 | 本と雑誌
今夜の特別ゲストは、我が家の長女格、EYE姉だ。なんか知らないがSOSとのこと。駆け込みたいというので、予定を急きょ変更して待ち受けることにする。PCのかけこみ寺として売り出し中だ。

さて、1500×1125(ピクセル)ほどのJPG(ジェーペグ)の画像がある。昨年使用した優待券らしい。今年も使用したいのだが、当然、有効期限の日時など、変更の必要がある。困ったことに、当時の担当者が退職しており原版のありかがどう探しても見つからない。何とかならないか、というのだ。

JPEGという形式は、それ自体既に圧縮がかかっているので、さらに加工していくにつれ解像度が落ちていく。できれば元(作成時)の画像が望ましいのだが、そんなことを言ってられる事情じゃないし、例によって締切も迫っているという。

で、こんなとき、画像加工のソフトがあまたあるなかで、手軽で便利に使えるのが、「 IBM ホームページ・ビルダー V9 」に付いているウェブアートデザイナーというツールだ。

  1. 起動後(単体でも起動できる)、まず画像を読み込む
  2. サイズが大きく画面からはみ出ているので1/3程度の縮小表示にする
  3. 消しゴムで不要な部分を消す
  4. ウェブアート素材から「ロゴ」をクリックし、変えたい数字を入力確定後、適当なテンプレートを選んで挿入する
  5. ドラッグして位置合わせをする
  6. 変更部分をすべて同じ操作で処理する
  7. 完成したら、すべてを選択する
  8. 右クリックメニューで「WEB用保存ウィザード」を呼び出す
  9. 「選択されたオブジェクトを保存する」をチェックして、次へ
  10. 保存形式は「JPEG」をチェックして、次へ
  11. 「設定後の画像」だが印刷用なので「画質」を「高品質」の方に思い切りスライドさせ、次へ
  12. 「ファイルに保存」をチェックして、任意のフォルダに任の名前で保存する

と、こんな流れだろうか。

ポイントは、11.の「設定後の画像」を「高品質」にすること。ファイルサイズは大きくなるが、少しでもきれいに仕上がる。また、念のために、保存のとき、「PNG」形式でも試みたのだが、変更した数字部分に汚れが見られた。
レ、レ、レーッ?

作業時間は、ものの10分とかからない。このツールは、デジカメ写真の加工に便利なだけではなく、他にもタイトルやロゴの作成に威力を発揮する。ワードアートとは異なるインパクトのある、凝ったタイトルになる。

今やだれもがホームページを発信する時代だ。発信は今すぐでなくとも、そのときに備え慣れておくために、一家にひとつは常備しておきたいソフトである。半年前に比べると、6,480円という価格はずいぶんお得であることは間違いない。正しい名称は、長ったらしいが、SOURCENEXT Selection IBM ホームページ・ビルダー V9 謝恩キャンペーン版 通常版 (スリムパッケージ版)だ。


ファイルまたはフォルダの削除エラー

2005-04-15 23:58:39 | 本と雑誌
入力も、保存もできないファイルがあるという。ファイルのコピーはできるというので、フロッピーに入れて来てもらった。デスクトップにコピーして開いてみる。WORDの文書だ。

確かに…。開くと同時に。「読み取り専用…」とメッセージが表示される。教室のPCではどうやら入力はできるようだ。が、おもむろにテキスト・ボックスを入れてみると、とたんにエラー・メッセージが出てくる。お定まりの「報告しますか…」云々のダイアログボックスだ。で、否応なしに閉じてしまう。

さて、困った。こうした場合の想定できる原因をいくつかあげて、思い当たるものはないか尋ねてみると、ご本人にはまるで検討もつかないとの返事だ。それ以前に、
「今の日本語ですか?」
と、逆に質問される。初心者時代のぼくにもあったな、その気持ちはわかる。

が、現実的な処理をその場しのぎだがはからねばなるまい。締め切りが近いという。保存できなくても、入力できるのが分かったからには、推敲し、字句訂正、装飾をほどこしたうえ、印刷してみる。何とか出来映えは許容範囲、提出に間に合いそうだ。

さらに原因をさぐる旨確約したのだが、その後がドラマだ。デスクトップにコピーしたファイルが削除できないのだ。
「ファイルまたはフォルダの削除エラー」
「送り側のファイルは使用中の可能性があります」

ちゃんと閉じてあるよ。

この手のファイルを削除するには、セーフモードで削除すればよいはずだ。記憶にあるも、いささか古い出来事なので、ネットで確認してみる。記憶力は大丈夫のようだ。で、セーフモード。WindowsXPでは起動画面のメーカー名が出ているときに、すかさず「F8」キーを押そう。真っ黒な画面に白い文字が並ぶが、セーフモードがあるはずだ。
「こんなこともあろうかと…」
自分の取扱説明書を読んでセーフモードの立ち上げ方を知っておくとよい。このセーフモードを知っておくと解決するトラブルは多い。

ここんとこ就眠儀式として、ジェームズ・エルロイの「 アメリカン・タブロイド 」を読み返し始めた。何年ぶりだろう。体力・気力を要する悪漢小説だ。
あのケネディが依存症に近い女たらし、とか、政界の大物たちのスキャンダル、ハリウッドの有名な男優のホモ疑惑、女優たちの下半身疑惑、FBI長官のねじれた性癖など…、当時のスキャンダルはすべて叙述され切っているかの観がある。あっけらかんと表現していいほどあからさまだ。ぼくは加齢を実感する。目を輝かしたのははるか昔、今は、すぐ眠ってしまうようだ。

難産だったけど、無事、オークションデビューを果たしたMさん、おめでとう。記念すべき日だ。


8.8%…巨人恐怖の“死”聴率

2005-04-09 23:18:28 | 本と雑誌
たぶんあなたの不機嫌な訳は、鼻炎のせいばかりではないだろう。移ろいやすい気候のせいでもあるまい。

ジャイアンツの体たらく、それにつきるのでは…。

開幕6試合目で、早くも視聴率8.8%<ZAKZAK>もうなづける。あの豪華な投手陣、そうそうたる打撃陣の顔ぶれを見て、誰もあんな無様な試合を見せつけられるとは思わなかっただろう、ファンにとっては。まして、たった一点リードされただけで、
「あっ、いかん、今日は負けや」
と、即断しテレビを切ってしまう気質のひとたちが、初戦からの低迷に堪えられるはずがなかろう。

野球の見方を教えてあげたい。たとえリードされようが、ピンチのときこそ、テレビの前にかじりつき、気合で応援するものなのだよ。
「心臓に悪い?」
とんでもない、われわれ阪神のファンからしたら、今まで心臓が動いてくれているのが奇跡と思えるほど、屈辱や侮辱に耐えてきた。
「ぼくがいなければコイツラ頑張れんのやから…」
この執念が負け組みを支え続けているのだ。

それをなんだ、弱いからといって、見放すとは…。野球ファンの風上にもおけない。もっとテレビ見て、応援すべし。さもないと
タイガースの中継が打ち切られてしまうではないか。今季の今岡はいい。今岡が活躍すると、巨人が低迷する相関関係。球史が証明している(のではないだろうか、と小一時間)。

家族の中でたった一人のタイガースファンは、今、張り合いがなくて、ダレテいるぞ。まあ、今日は勝ったみたいだが、終盤ヒヤヒヤさせられるあたり、道は遠い。


海女によろしく

2005-04-08 23:52:57 | 本と雑誌
百聞は一見にしかず。実際、その現場に立ち会わないと、分からないものだ。

昨日のヘビーなY氏宅のトラブルは、「モジュール ATOK13W.IME」の不具合によるものと判明した。正しくいうと相性の問題だ。一太郎とエクセルが共存する環境は意外と多い。一太郎派の日本語入力、当然のようにATOKが既定の言語に設定してある。今まで何ともなかったのに、ある日、突然おかしくなるというのは、不思議だ。環境の変化といえば、Windowsのアップデートをこまめに励行していること。となると、M社の陰謀かと疑いたくもなるだが…。

とりあえず、既定の言語をMS-IMEにし、様子を見る。どうやら、行けそうだ。メールの返事も書けそうだ、と喜んでもらえた。氏のサイト、海女文化村へようこそ!は人気サイトで、内外問わず、学術関係者やマスコミからの問い合わせも多い。メールの返事が書けなくて憂えていたのだ。

そのY氏のご母堂が亡くなられてもう二月になる。ブログの話から、母上が書いておられた日記が14冊も見つかった、という話を聞き、見せてもらった。一年、一冊。14年間。毎日の暮らしが鉛筆で書かれた文字で埋めつくされている。
種を蒔いた日、お孫さんたちから贈り物をもらった日、誰それから何かをしてもらった日…。律儀で、義理堅い大正の母の足跡だ。日記は記憶の小径をたどるばかりか、そのひとの行動の規範のようなものを透けさせる。背筋がピンと張った生き方だ。筆圧の軽い滑るような文字が入院する前日まで続いていた。温かい字だ。初めて目にするのに、懐かしさを覚える書体だった。
ぼくの親と同い年、妹同士も同い年、お孫さんとぼくの娘までが同じくという縁、ことのほか優しく、温かく遇してもらえたと、感謝するばかりだ。

大正生まれの父が生きていれば八十歳か。ぼくのブログはまだ30日、走り書きでも自分と向き合う時間になっていることは確かだ。


デュアル・ブート

2005-04-04 23:00:18 | 本と雑誌
昨夜は春の嵐だった。雨こそ大したことはなかったが、雷には悩まされた。稲光というのは気味が悪いものだ。遠方に思える落雷でもスーパーウーハを大音量で鳴らしたような地響きがある。窓ガラスが揺れるのだ。もちろんパソコンの大敵は停電だけではない。電信柱のトランスが直撃されれば、コンセントはおろかモデムだってお釈迦になるという例をいくつも見てきた。夕方にはまだ間がある時間に、照明が不安定になる一瞬が幾度かあり、授業に関係のないパソコンの電源を落し、メール・サーバーも休ませることにした。メッセンジャーがオフラインになっていたのはそういう理由だ。

正直、ブログの更新もストップするやに思えた。MOGEさんからは無理しないようメールをもらっていささか気分は楽にはなったのだが、ショウもないものでもネタに恵まれているうちは惜しく思えてならない。ずいぶんヤル気だ。書かねばと思うと、ふだん見過ごしてしまうことでも、注意深く観察するようになる。
「聞いてるの?」
「えっ? ウン…」
こんな生返事する機会も減る。いつもそうだったのか、と疑問を抱いていただく必要はない。あなたのお話だけはしっかり聴いているのだから。

で、早仕舞い。娘がとぐろを巻いているコタツにもぐりこんだのだが、おそらくこの冬初めての「炬燵」体験だ。すっかり忘れていた、コタツとなると、決まってうたた寝をしてしまうことを。1時間も眠ったろうか、娘の領域をひどく侵したのだろう、イエローカードをもらってしまい、目覚めてしまった。
「もうチット!」
「ダメ!」
が、リフレーンされて、まあいつものじゃれ合いだ。

で、教室に戻ってブログの方は何とか昨日中にアップできた訳だが、この雷の中断により、今日はとんでもない破目になってしまったのだ。

ノートン氏の更新サービス期限が昨日までだった。2ユーザー用だったので、Windows 98 SEとXPの2台のPCで更新手続きをしなければならない。これを始業前に、急ぎで。さらには、XPのマシンはデュアル・ブート(一台のPCにOSがXPとME、2つのOSがインストールしてあり、起動時いずれかを選択してたちあげることができる)なので、ME側にも更新作業。

実は、シマンテックのサポートに聞いて確かめたのだが、1本のノートンさんは1台のパソコンで利用できる。つまり、ぼくはOSごとに1本必要と解釈して、MEの分も購入していた。
「デュアル・ブートなんですが…?」
「一台のPCに1本という風に解釈しています」
じゃあ、よいのだ。実のところ、MEの方は期限切れを迎えた段階でそのまま放置し、なるべく使用しないようにしていたのだ。で、今回、無事、XPと同じ更新サービス延長キーを入力し、復活させた訳だ。その後、何せ半年ぶりだから、Winsowsの更新がたくさんあり、なお、再起動中にフリーズを起こすこと再三で、大いに悩まされることになった。アップデートのたびに固まるというのは欠陥(もちろんOSの)ではなかろうか。今日はノートPC持参の生徒さんばかりだから、スキャンディスクをかけることができた。が、延々4時間というのはあんまりだ。その他メンテナンスを試みた。これで、完璧! しかし、これだけの労力と時間を費やしても、パソコンが増えたわけではないのが切ない。

じゃあ、何故OSが二本か? 
 多くの事業所でMEのマシンが今なお現役
 教室にはゲームソフトが豊富
これが理由だ。

トゥームレイダー 」で再び遊べるようになったことをここに宣告する。放課後のクラブ活動も充実したぞ。

教訓…たとえ「更新サービス期限」が過ぎてしまっていても、更新手続きは可能だ。


大きな樹の下

2005-04-03 23:59:34 | 本と雑誌
日曜の朝だから、長女と次男は朝寝を楽しんでいた。昼過ぎにメールを送ると、空腹で死にそうという。惰眠をむさぼってばかりでも腹は減るのか。前から約束してあったブランチをとろうとリクエストがあった。これも孝之の「私事」のおかげだ。な、孝之く~ん。

息子たちは教室のHPを見ており、 エドイチ のオックスタン・シチュー に憧れ続けている。そこで、いつかは…と、約束してあったのだが、正直、ぼく自身、あのトロトロのタン・シチューが夢に現れるほどだ。

30年前と少しも変わらぬ佇まい。高台だから見晴らしもいい。昔風の食堂といった店内の雰囲気は清潔で、居心地がよいのだ。わが子たちは、これだけで感動している。90才をずいぶん以前に越えられたおばあちゃんが手折られたのであろう枝つきの桜がガラスの器に生けられており、すかさず娘が感嘆する。

注文は、それぞれタン・シチュー、ポークステーキ、お好みランチ。
「あれーっ、タン・シチューじゃないのかい?」
「お父さんのを分けてもらうからいい」
いろいろ食べてみるのが我が家の流儀。お店の人を泣かすタイプだ。最初の一口で、歓声をあげる末っ子、
「うめーっ!」
ボキャブラリに乏しい。レポーターは無理なようだ。
「この玉葱のフライ、見て、見て…、おいしい!」
おとうさんもどうぞ、とは言わなかった。見るだけ、な。素材のおいしさはもちろんのこと、ソースがくどくなく、いくらでも食べれそうだ。それと、付け合せのサラダのドレッシングとの対比の妙、ハーモニーがみごとだ。官能的という表現を使ったら誤解を与えるだろうか。満腹が到達点なら、その満たされていくという段階にそれぞれの快感がある。

親子の会話といっても他愛のないものである。日だまりでの日向ぼっこをまったり楽しむ猫たちの姿に似てなくもない。心にあった傾きや尖がりが解けていくようだ。息子が庭の隅に大きな楠を見つけた。おばあちゃんのお話では30年前からあったらしい。当時の風景だったのどかな田んぼは埋め立てられ、商業団地に生まれ変わった。それでも視線には緑が多く入る。庭の芝生にも可愛い蒲公英と菫を見つけた。

「暖かくなってきたから、テラスでランチをいただくのも一興やね」
早くも次のお誘いか。

読みかけの ダブルプレー だが、本筋とは別に作者と思しきボブという少年の回想が随所に挿入されている。ぼくたちのこうした日常が子どもたちによい思い出となってくれるよう祈りたい。


プリンス・オブ・ペルシャ

2005-04-01 17:34:04 | 本と雑誌
すでにニュースでご覧になった方もおられるだろうが、今日、事件があった。

姪っ子が帰省するというので、駅まで迎えに行ったときのことだ。時間を聞き違え、ずいぶん早く出向いてしまったようだ。
愛・地球博の影響だろうか、観光地であるのどかな当地にも、外国人の姿が目立つ。

駐車場に車を止めようと苦労していると、時ならぬ悲鳴と怒号が上がった。ひときわ意味不明の怒声が響き、その後、ドタドタと駆け回る足音だろうか異様な物音がこちらに向かってくる。思わず降りて様子を伺おうと車のドアを開けた瞬間、強烈な衝撃音と同時に、ドアに何かが当たる強い衝撃があった。驚いたどころではない、反動で助手席まで飛ばされそうになったほどだ。

訳が分からぬまま、外に出てみると、ボンネットサイドに全身黒づくめのスーツ姿の男が腕にアタッシュケースを大事そうに抱えて昏倒している。
今の衝撃
突発的な事故
加害者はぼく…
思わず青ざめ、男に近寄ろうとした。

そのとき、迫り来る複数の足音が止まり、服装から判断して中近東の人らしき小集団が、駅員らとともに気絶した男の胸もとから鞄を奪い取った。唖然とするぼくに駅員が言った。
「ひ、ひったくりだったのです。こちらのお方の鞄を奪い、停めてある車まで逃げようとした矢先、あなたのドアにぶつかったのです。お怪我はありませんか? お手柄ですよ」

鞄の持ち主を見やると、喜色満面でぼくに微笑んでくれている。となりには全身のシルエットを隠したようないでたちの女性も何人かいて、頭部から顔にかけてもかぶり物をしている。へジャブだ。彼女たちはぼくに感謝を示すかのようなしぐさをしてくれている。

事情聴取の間、彼らがアラブの富豪の一団であることが分かった。被害者の男性はぼくに言葉と表情で精一杯の謝意を表してくれているのだろうが、なにせ意味が通じない。途方に暮れるぼくに、通訳だろう人が、
「お礼を受け取ってほしい、と望んでおられます」
「いえ、とんでもない。いいのですよ、そんなこと」
と、辞退した。ひとりの女性の手から分厚い封筒が男性に渡され、それをぼくに手渡そうとする。札束のようだ。立てて置けるほどの厚みがある。さらに、固辞した。

「わたしの国では受けた恩義はきちんとお返しするのが慣わしです、さもないとわたしの名誉が保てません」
「いえ、受け取れません、ただの偶然なんです」
ぼくは力を込めた。幸い車は傷んでいないし、大破したとしてもそう惜しまれないシロモノだ。

男性の顔は困惑しきっている。その彼に、傍らの若い女性が耳打ちしている。その言葉らしきものに愁眉を開いた男性がこう切り出した。
「隣にいるのはわたしの娘です。娘が申すには、あなたのような方は日本のに違いない。あなたのような方と添い遂げられるなら、自分の一生は幸せに違いない。今回の事件は、神様の思し召しのように思えてならない。ぜひあなたの妻にしてほしい、と望んでいます」
「わたしは妻帯していますので」
と、驚いたぼくが強く言い切ると、
「わたしの国では4人まで妻を持てますし、娘が一生困らない額の持参金もおつけします」
「ここは御国ではありません、日本です。それにわたしは妻を愛しています。4人分どころか、百人分も妻を愛しているのです」
と、きっぱり断った。

頭部をすっぽりへジャブで覆い、彫りの深い目元しか覗けないが、その黒目がちな眸はあくまで清み、知的な眉とともにエキゾチックな印象を強く投げかけてくる。通訳によってぼくの意志が伝わったとき、哀しみを色濃くにじませ、それでも訴えるような強いまなざしをそそぎ止まない。なぜかぼくまで無性に悲しくさせる視線だ。

その後のやりとりに紆余曲折があり、嘆き悲しむ娘の複雑な愁嘆場はあったものの、ぼくの姿勢は変わらない。そうこうするうちに姪の到着する時刻になり、ぼくは解放された。

「おじちゃん、何かあったの?」
「うん、 プリンス・オブ・ペルシャ のね、お姫様の縁談が壊れたようなのだ」

姪っ子は不思議そうに駅にたむろする異国の集団を眺めつつ、いつもどおり無邪気に車に乗り込んだ。

と、まあ、今日という日は、こういうことを書いたり、吹聴したりしても、許される日ではなかろうか。


Tomorrow is another day.

2005-03-31 23:21:09 | 本と雑誌
3月が終わろうとしている。桜の便りもちらほら届き、いよいよ春の訪れだ。

毎年、明日という日を特別な日であるかのように思っている。単に新年度の始まりというだけではない、何か神々しい光に満たされそうな期待がある。嫌な悪夢の連鎖が今日という日を境に断ち切れてくれるような、好調の波にたゆたうときもさらに飛躍できるような、「新」という字をピカピカに磨き上げたような一日。もっと明るく、もっと高く、もっと輝いて…。4月1日を前にどうにもテンションが高い。しくさしの仕事を思い出すと、途端に「ナチュラル・ハイ」になる、というのも情けないのだが。

一年の計を元旦にたてるというのは、冬の寒さの真っ只中ではネガティブになり、も一つ盛り上がりに欠ける。だから、今日明日に企てるのがぼくにはなじむようだ。

アメリカに住みたい、という願いはひそかな英会話学習となって継続しているし、研究テーマであるマウンテン・ミュージックの資料も整いつつある。これで足りないものはたったひとつ。それが何か…、周りのみんなに知られているのがしゃくにさわる。分からんぞ、明日は明日の風が吹く、だ。

未来を切り開く学力シリーズ 本多式中学英語マスター短文英単語 」は、中学英語だといってあなどれない。付録のCDを聴いているうちに何とかなるように思えてくるから不思議だ。もちろん高校受験にも霊験はあらたかだった。


疲れないパソコン

2005-03-30 23:39:53 | 本と雑誌
朝起きたとき、肩と首に違和感を覚えた。首から肩にかけてしこりがあるようで、重い。もしかして、これが肩こり?

ずっと肩こりを知らずに生きてきた。家人がよく辛がっているのを見てきたが、初めてその苦しみが分かった気がする。したがって対処法が分からない。とりあえずシャワーを浴び温湯を患部に当ててみる。ちょっと楽になる。うつぶせになって低温のアイロンをタオル越しに当てて滑らすと、効果があると聞いたことがあるのだが、これは洗濯物になったみたいで敬遠したいものだ。

原因はやはりナイトキャップ代わりの布団の中での読書だろう。「 背信 」がクライマックスに来ており止めるきっかけを失したためだ。スペンサー・シリーズではホークが出てくると止め処がなくなる。

ラジオ体操のような軽い運動で10時ぐらいには和らいで、昼食に何を食べるかを考えるぐらいの余裕ができてきた。

パソコンに向かっている時間が長くなると、てき面に、眼が悪くなったり、肩がこったりという事例を耳にする。幸い今までぼくには縁のない話で通ってきた。

一つには、ディスプレイの輝度を落すよう心がけていることだろう。買ったままの状態では明る過ぎるのだ。これを長時間続ければ、さすがに疲れる。特に液晶画面は鮮やかさに見惚れていると、とんでもないことになる。お仕着せのままでなく、自分の眼に優しいように調整するのがポイントだ。

さらに肩こりと無縁でいられるのは、モニタの中心部→キーボードの「B/こ」のキー→自分のおへそ、と一直線になるよう気を配っているからだろう。その上、椅子の高さを上げ、キーボードをひじと直角になる高さの姿勢を保つことが肝要だ。

これらのおかげで幾分安楽なパソコンライフを過ごしている。皆さんにもお薦めしたい。


町が学校だった時代があった

2005-03-29 23:35:32 | 本と雑誌
見るまえに跳べ 」。
若い頃はこの言葉をモットーに何にでもチャレンジしてきたつもりだ。

知命をすぎると、
「そんなこともあったなぁ~」
「嘘でしょ」
妙に臆病な自分を発見する。
いきなり跳んだところが、着地点を見出せずに、切り傷、擦り傷どころか、背中にいっぱい矢が刺さったりもしたからか。
ぼくも学ぶ動物であったらしい。痛さを知ったからではない。多くは赤面して恥ずかしさに自分がいたたまれなくなったからだ。

もう一つ、「常識への挑戦」というのもあった。反抗期の確かな徴だ。学生運動が盛んな時代で、「反体制」という言葉が巷に溢れていた。社会に対する矛盾に敏感で、ささいなことにでも尖がっていた。生意気盛りだった。
ある日、古老の一言が強烈に効いた。
「常識への挑戦、言う前に、常識をもっと学ばなあこかさ(=いかんわさの方言)」
町では名高い博識の人で、反骨の士として知られていた。何かを言えば、倍になって帰ってきた。あと一言突き刺さったらならば、死んでしまうというほどの辛らつさを含み、それでいて表情は穏やかで、底にはユーモアのセンスがオブラートに包まれていた。不思議なひとだった。ひとは否定する言葉をふんだんに持つことができるものだが、温もりに満ちた含蓄のある言葉を発する人は稀だ。こういう人こそタレントと呼ぶべきかも知れない。

今、出逢えたことの幸せをかみ締める。
昔、町にはいつもガミガミ子どもを叱る頑固な爺さんがいたものだ。きっとリュウマチかの持病を抱えて鬱憤が溜まっているのだろう、ぐらい決めつけていた。今、分かるのだが、大切なことをぼくたちに教えてくれていたのだ。銭湯に行けば、湯のつかり方を口うるさく叩き込む爺さんがいたものだ。背中に刺青を背負った、その爺さんが学校で学べないことを教えてくれていた。

町が学校だった時代があった。
今、高度な情報化社会の真っ只中にいる。幸せなことに、双方向で知識やデータを簡単にやりとりできる。しかし、人間関係において大切な知恵というものを伝えきれていないような気がしてならない。