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hyperclub

パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

あっつあんなぁあ!

2012-09-01 23:56:52 | インポート
2012年9月

 


 いつまでこの暑さは続くのか…。


 昨夜、ブルームーンの夜だった。


 フィリッピン付近でマグニチュード7.6の地震があり、防災無線で津波に警戒するよう呼びかけが繰り返されたのはご存じのとおり。さらにこの町でパチンコ屋の火事があってサイレンが鳴り響いた。


 幸い津波は大したことはなかったが、調べてみて気づいた。フィリッピン沖では、今年になって、マグニチュード6.1の地震が昨日で7件目。8月24日朝にいたっては1時間強の時間に3件も起こっている。


 で、思い出した。つい最近、8月27日13時37分ごろ、中米で地震があり、その直後、高校の先輩、伊勢すずめ氏から電話をいただいた。


キナ臭いですよ

 いやな感じが続いているのか。


 地学教師であった先輩は、


フィリピン海プレートは小さな海洋プレートですので、その縁を余韻微振動が周回し、他のルートの屈折波や表面波とどこかでぶつかる訳です。それが、小笠原か四国沖なのです。

 ニュージーランド地震から先の東北大震災を予知した先輩だけにノー天気ではいられない。


 


夏の終わり


飛んでイスタンブール

2012-08-01 23:46:00 | 音楽
トルコに憧れて

 


 この年齢になって誕生日を迎えると、どうしても亡くなった時の親父の年齢と比較してしまう。短命すぎた母はともかく、父も早かった。あまたの褒美を目の前にし、余生をこれからいかに楽しんでやろうかという矢先、いかにも残念な幕切れだった。その親父のトシが迫っている。


「きみはそんなことないさ」

と、太鼓判を押してくれたのが、詩人で、画家であり、宗教家でもあるユキ先生。なんでも、


 

「自分の役目を果たし、自らの人生を完結したとする人がこの世を全うするのであって、野心とか野望がある人はまだ死ねないさ」

だそうで、それ以前のぼくの場合、逆に、しくさしの半端仕事をいくつも残し、これを片付けぬ内は迎えてやらぬとばかりさ迷うんだそうで、

ありがたいような、そうでないような…。

 

また、こうも言っておられる。

きっちり、かっちりした、いわばきれい好きな人は人生も急ぎますな。

 

雑然たる教室は長命の証しなのか。

 


 田舎暮らしに憧れて10年前に磯部町に移住してこられたありんこさんは、優雅に「パーマ・カルチャー」を実践しておられる。彼女のライフスタイル、とりわけパーマカルチャについてはいずれ詳述したいが、先月、トルコ旅行から帰られたばかり。そのたびの模様は、彼女のブログ、「ありんこな日々」に詳しい。脳内に、久保田早紀「異邦人」や庄野真代の「飛んでイスタンブール」のメロディが流れてきそうだ。


 いかにも、トルコを旅し、さらにイタリアの地を踏むまでは、はたまた、アメリカはカントリー・ミュージックの聖地、ナッシュビルで「グランド・オール・オープリー」を観るまでは、死んでいられない。オーソドックスなモチベーションとは言いかねるが、これがぼくらしいかも知れない。

 


 画像は、世界遺産に指定されているトルコ屈指の観光地、パムッカレと思われるが定かではない。ありんこさんのアルバムから戴いた。




なつかしい未来

2012-07-15 23:58:27 | 音楽
孫ってこんなだろうか?

 孫ってのはこんな感じだろうか。まだミルクの匂いがしそうだ。やわらかくて、それでいて、妙に存在感のある重さで、ぼくを揺さぶる。もう30年も離れていた懐かしい光景。でも、やがて来てくれるかもしれない未来のすがた。しばし忘我の時だ。


 パソコン教室であるから父兄参観はある。このケース、生徒は祖母と父親であり、おばあちゃんと呼ぶには気の毒な美魔女であり、若すぎる父である。これまたヤングママが連れてきてくれた。うらやましい家族の姿だ。

 今年六十の爺に孫はなく…、指を咥えている。なんでも、孫を持つにも資格が必要らしい、長男の話だ。

志摩市のパソコン教室に幼子が


おりかえし

2012-07-01 22:41:00 | 音楽
I LOVE HYPER CLUB 専属燕

 


 今日から、7月。1年の折り返しだ。早い、驚くほど。時間の経つ感覚に不気味さを覚えるほどだ。


 この調子で推移すると、「お迎え」が来る『Xデー』も、存外、近いと思えて仕方がない。

 詩人で絵描きの中北幸久画伯からは、

惰性に陥ることなく、普段から「五年計画」を立てるよう
勧められている。


 


 氏は中学の先輩であり、大学教授を思わせる風貌ばかりか、語り口で、ぼくの愚昧な窘めてくれる有難い人である。真珠の餝(かざり)職人として活躍しておられるが、創作活動においても精力的に取り組んでみえるから、まことに多忙な方である。それ故、時間の配分にはこだわり、細心の心づかいをされている。


 しかし、ぼくの教えには、計画を立てるよりも、その実行状況を確認し、検証するといったことに比重がかかっている。喉元過ぎれば…が、ありがちなぼくへの戒めがある。


 毎日、膨大な原稿量を自ら課し、律儀に果たしてこられた先月末に、大作の脱稿をみた氏の言葉だけに重い。深い叡智に裏付けられた教えに愚かな後輩はうなだれるしかない。


 無為に、半年を過ごした訳でない。が、内心忸怩たるものがあるのも、正直、事実。内省の時を迎えている。


 


 古来から早さの象徴として、燕がいる。教室の廊下にはそのツバメの番いが雛に餌を与えるべく忙しなく行き交っている。また、外壁の塗装工事のため足場が組まれている北の窓からは、怠けないか監視のために訪ねてくれる。さながら、つばめハウスといった趣きである。


 


志摩の匠、中北幸久



あんなこんな…ありさまでぇ

2012-06-01 23:59:18 | 音楽

 またやってしまったのか、ぼくは…。


 とろい、ってなもんじゃない。せっかく、DVD見ようと思って、音響効果の群を抜くPCが、途中で固まってしまう。ワクワクが、一転、ガックシに。


塩凡

 


Repair01

 

 しょぼんと泣いてはおられず、動き出す。2TBのHDD、10K円を遥かに切ったのを確保していたものを流用すべく(本来ならSATAの最新規格3.0のためにと取っといたのよ)、思い切る。タイの洪水以来、ハードディスクは値が下がらないのに。タイミングはいつもこんなもんだ。


 


 強調する。この年で、メガネ無しに、裸眼で、処置できるのがありがたい。ただ、手暗がりが問題。ボディ筐体は狭く、うっかりすると手を切りそう。そこで

もっと灯りを!

ゲーテみたいなことを呟いてみる。LED200灯の無駄に大きく、重い懐中電灯がここで役立つ。


 


Repair02

 


 作業そのものは10分で終了。ただ、XPのマシンだから、IDEとSATAの混在が不安材料。電源を入れて、Windows XPをクリーン・インストール。待つこと暫しどころではない、これから長い復活への旅路が始まる。



Repair03

 心落ち着けようと、パッヘルベルの「カノン」を、「リピートをする」モードで、聴く。「どこかで聴いたクラシック ヴァイオリン名曲 ベスト101 [Disc 1]」から。根を詰める作業にぴったりだ。


 今年六十のお爺さんが頑張っている。




風薫るや

2012-05-01 23:59:51 | インポート

世間では連休なのに、皆さんが一服してる隙をついて、パソコンの不具合と向き合っている。

まずはご一同くれぐれも油断召されるな

実は、持ち込まれた生徒さんのパソコンに、トロイの木馬型の得体の知れないスパイウェアが潜り込んだ模様である。

Windowwsのアップデートで免れる災厄がある。これをどうやって剥がすか思案している。とりあえず

  1. ウィルスソフトの完全スキャン
  2. 何が潜り込んでいるのか
  3. 一つか複数か

を見て検討したい。というより、何より、アンチウィルスソフト完全スキャンが終了するまで待つ必要がある。かれこれ1時間半経過してるが、60%しか進まない。待つしかないな。

 

 痛ましい事故が続いている。これには言葉もない。パソコンのセキュリティを同じに考えてはいけないが、それでも考えさせられるものがある。

金沢・東京間が3500円なんて、記憶に新しいユッケ一皿が300円同様、異常なのでは。

 

 閑話休題。これは教室での悩み。電源を入れてもモニタが真っ暗。グラフィックカードの不具合だろうか。

 おかげで、真っ暗闇でも安全にシャットダウンする術を学んだ。終了するとき、

WINDOWSキー(旗ね)+右矢印
それから、ENTERキーだ

 悩ましいゴールデン・ウィークになりそうで、これらの処理の経過について、後日、報告したい

 

 今日のBGMは談志師匠の「与太郎咄」。こーこーとぉ、こーこーとぉのサゲが印象深くて、つい真似しそうだ。




ブルーグラスを聴いている

2012-04-05 16:29:11 | 音楽

 コメントを見ていると

うん、うん、そー、そー
とうなづいている自分がいる。

<noscript>【ニコニコ動画】【作業用BGM】 軽やかなブルーグラス </noscript>

 まったりと癒されるのは、こういう時間だ。




志摩ギターを楽しむ会 第11回コンサート

2012-04-01 23:40:00 | 音楽
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 久しぶりの図書館。桜が咲き初めで、見ごろはまだ先だが、心が浮き立つ心地がする。


 階段を登りかけると、コッ、コッとパンプスの音を響かせ、妙齢の女性がぼくに近づいてくる。間近で、眉を上げぼくを見据える。


……さんですよね?

 細く、小さない声。わずかにぼくの名字が聞き取れた。


はい、そうです。

そう答え、彼女の眼を訝しげに窺う。何か訴えげな表情がぼくに迫る。緊張で身構えた。


わたし…、あなたの娘です。

 


 


 四月一日はこうして始まるものだ。明日が覗けそうな今日の終わりに、たまらずこんなこと書きたくなった。
今年はヨタを慎もうと思っていたのだが…。


 夕食後のひととき、畏友K氏から電話をもらった。K氏とは云うまでもなく、「志摩ギターを愛する会」の主宰だ。教職を辞した後、晴耕雨読の優雅な日々を過ごしてみえる。


 4月14日土曜日に「ギターを楽しむ会」を開催する。その打ち合わせのためだ。


 氏のおかげですっかりギターの音色に魅せられてしまった。最初のうちこそ、

ギターは好いぞ、爆睡できる!

と、辺りを憚りながらこっそりする、うたた寝の魅力を強調していたが、会を重ねるうち、聴きこんでいくうちに(エージング?)、すっかり虜になった。予備知識はおろか先入観さえ持たず、作曲家やその時代や背景を知らない門外漢だから、純粋に楽曲そのものを肌で判断できる。官能指数というものがメーターで表せれば、ぼくのそれは優等生並みに高いだろう。至福の時間が過ごせる。


 年2回のコンサートで1000円の会費だから、高尚だけどチープな趣味ではなかろうか。


 一人でも多くの参加を呼び掛けるべく主宰から命が下った。かくなる上は、彼の忠実なポチになって、あなたやあなたに訴え申し上げるつもり。

よろしくお願いします<(_ _)>

 さっとんのブログもご紹介したい。さっとんは志摩の情報通。コアな情報が得られる貴重なソースとしてお役立ていただきたい。


志摩ギターを楽しむ会ポスター

 




志摩の猫

2012-03-01 23:54:00 | ブログ

Cats_in_shima


 昨年暮れのこと。写真集「志摩の猫」のカメラマン、中村愛之さんが逝去された。年明けて、訃報をきき呆然とした。言葉が見つからない。普段から壮健で、穏やかであるが颯爽としたカッコいい人だから信じられない。痛恨の極みである。


 遺作となった写真を数葉お借りしてきた。「中村愛之写真集 志摩の猫」は、2006年に刊行され、次作を期待され、ご自分でも「今年あたり…」と、意を決しておられる矢先の急逝だった。


「密かにブログ発行を目論んでいたようです」

と、奥さまは語られれたが、ノートにびっしりと達筆で書かれた文字が、ぼくには霞んで見えた。


 いつも、いつも、好い人に去られてしまう。あのときもっと話しておけば…、の悔いが残る。ご遺族はもっとつらいだろうに、これはぼくのエゴか。




形は小さくとも(なりはちいさくとも)

2012-01-05 23:00:22 | インポート
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FDBR(ファンネル・ダクト・バスレフ)

 昨年末、畏友K氏がとんでもないスピーカーを届けてくれた。

We love shima peninsula
「美味し国 志摩でギターと野菜作り」

 とんでもないというのは、まさにサプライズ、奇跡、驚異、感嘆…と、ぼくの貧弱なボキャブラリでは表現できない驚き、まさに言葉にできない次元のものである。

 つまりは、自作のスピーカーを贈ってくれた。そのスピーカーというのが、まさに21世紀のスピーカーと呼ぶべき代物で、コンパクトな形状ながら、大迫力の低音が得られるのだ。

 氏が語ってくれるには、ラジカセから取り外したスピーカを元に、「百均」で揃えられる漏斗などを バスレフ・ダクトとして使ったものだけど、その実力たるやスーパーウーハーもスーパーツイーターも必要ないほど優れたもの。

 エイジングはまだ十分ではないというが、確かに、教室自慢のONKYOのスピーカーも真っ青という音質だ。

 小型の物造りには指先の細かい作業を要する。氏の繊細な技術と確かな視力は実年齢を超えている。集中力が凄いとぼくは舌を巻く。

 心づくしというか氏の努力の結晶を率直に感謝する次第だ。で、音質。製作直後は電話の受話器から聞こえてくみたいな心細い音量だったらしいが、教室で四六時中鳴らし続けているうちに、20センチスピーカーに負けないものとなった。「育ての親」としての役目を果たせたようだ。


 と、まぁ畏友の丁寧な仕事ぶりに対し、こんなざっくりした要領を得ない説明で申し訳ないと、つくづく、「なんだかなぁ」。