「ああ、上野駅」の歌は、井沢八郎でしたね。
ヒューマンも18歳の時、この上野駅に降りました。
そして下宿を探し、東京の生活が始まったわけです。
いまは特急電車から新幹線になり、終点から通過駅に。
上野駅のイメージが変わってしまいました。
でもヒューマンの原点はやはり上野駅ですね。
というのも、ヒューマンママと最初に待ち合わせたのが、この翼の像だったのです。
「ああ、上野駅」歌 井沢八郎
どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ
上野は俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が
あの日ここから始まった
(セリフ)
『父ちゃん僕がいなくなったんで 母ちゃんの畑仕事も大変だろうなあ、
今度の休みには必ずかえるから、 そのときは父ちゃんの肩も
母ちゃんの肩も、もういやだって いうまでたたいてやるぞ、
それまで元気で待っていてくれよな』
就職列車にゆられて着いた 遠いあの夜を思い出す
上野は俺らの心の駅だ 配達帰りの自転車を
とめて聞いてる国なまり
ホームの時計を見つめていたら 母の笑顔になってきた
上野は俺らの心の駅だ お店の仕事は辛いけど
胸にゃでっかい夢がある
ヒューマンも18歳の時、この上野駅に降りました。
そして下宿を探し、東京の生活が始まったわけです。
いまは特急電車から新幹線になり、終点から通過駅に。
上野駅のイメージが変わってしまいました。
でもヒューマンの原点はやはり上野駅ですね。
というのも、ヒューマンママと最初に待ち合わせたのが、この翼の像だったのです。
「ああ、上野駅」歌 井沢八郎
どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ
上野は俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が
あの日ここから始まった
(セリフ)
『父ちゃん僕がいなくなったんで 母ちゃんの畑仕事も大変だろうなあ、
今度の休みには必ずかえるから、 そのときは父ちゃんの肩も
母ちゃんの肩も、もういやだって いうまでたたいてやるぞ、
それまで元気で待っていてくれよな』
就職列車にゆられて着いた 遠いあの夜を思い出す
上野は俺らの心の駅だ 配達帰りの自転車を
とめて聞いてる国なまり
ホームの時計を見つめていたら 母の笑顔になってきた
上野は俺らの心の駅だ お店の仕事は辛いけど
胸にゃでっかい夢がある
きっと夫くらいまでの方々でしょうか
私はあまりピンときませんが
この台詞は泣けますね。。。
井沢八郎さんだけの歌ですね
他の歌手が歌ってもやっぱり違う
上野駅 確かに通過駅 ホームを見るだけ
時は移りという感あり
しかしいつまでも心に沁みる・・・
ヒューマンさんと奥様の待ち合わせ場所。
カラオケに行くと必ず「ああ、上野駅」を歌いますよ
セリフ入りで(笑)、上野駅も変わりましたね、銀座線に
乗り換える地下道など昔の面影が見られますね。
小生にとっては 上野駅はまさにこの歌詞そのもの!
秋田を夜汽車で発ち 早朝上野着!
駅前の聚楽で朝食でした
学生時代の4年間家庭教師のお宅も上野!
縁の濃い所です!
ご主人も上野駅だったのでしょうね
終点でホームがそこまでしかありませんでした。
思い出のある上野駅です
銀座線乗り場は、昔の面影が残っていますね。
コンコースはまったく変わってしまいました
時々帰省するときも上野の乗車です。
新幹線ができてからは大宮乗車で、ほとんど利用しなくなりました
『故郷の訛り懐かし停車場の人ごみの中に、そを、
聞きに行く』・・・がりましたね
集団就職で、北国から東京へ若者が集まった時代
ですね・・・。
小生も集団就職の時代でした。
女性は紡績、もう少し前の姉たちは生糸。ああ野麦峠でしたね。
ただ、駅が違いましたが・・・
直で着いたよって言ってました(笑)
情緒がないんだから(^m^;)
ベルさんは地元だったから、送り出したけど、ここだけの話、
富士山が見えたら、涙が出たって言ってた(笑)
地方から出てこられた人には心の故郷なんでしょうね。
昨年上野駅へ行きましたが構内で迷ってしまいました。