11日
あの日から10年経った。
当時コミセン所長だった野菜の先生の退職直前最後のイベント、自衛隊岩手駐屯地音楽隊の演奏会の前日でその準備の為に朝からかみさんはセンターに行きっ放し。いい天気だったのは記憶にある。
午後「足りないものがあるから買物に車出して」とやってきて買い物に向かった。
その時を交差点のど真ん中で右折しようと対向車の過ぎ去るのを停車して待っていたら、バウンドするほど揺れて電線が上下に。交差点から抜け出して路肩に停車したら信号が消えていた。
かみさんに「買い物どころじゃない、まず家に戻りましょう」とせかされて家に戻って驚いた。
居間のテレビが転げ落ちてたり、二階の自室は物が棚から落ちたり足の踏み場もない位。
かみさんはコミセンの非常事態招集があり行きぱなしだったが、一寸抜け出して来て「何もしなくていいから居間で休んでいて」と指示され従った。停電・断水だったが、プロパンガスがありお湯は沸かせた。
日中暖かかったが夕方から寒くなり、暖房は石油ストーブだけ。唯一ポータブルラジオの臨時ニュースが異常事態を繰り返していた。夕食何かを食べたのだろうが記憶にない。夜、湯たんぽを布団の中に入れて貰って、同じ事を繰り返し放送するラジオの音が子守唄代り、ウトウトし朝を迎えたのは覚えてる。詳しい事を知るのは電気が通じた15日だった。
今思えば、我が家の状況など比較の対象外、未だに避難生活をしてる方達がいるあの震災、地震・雷・火事・と言われ、これに原発事故が大きく影を落とし、復旧の足を引っ張ってる。
そんな日に脳トレ麻雀やれて実に幸せだなーと・・・