ガラスは陶芸と違って、無国籍だなと感じることが多い。それは材料の問題だ。日本で陶芸が盛んなのは、陶芸向きの良質の土があることと、農耕民族ゆえに土と地元意識の結びつきが強いからだろう。一方ガラスの材料は日本ではほとんどまかなえない。材料のみの問題ではなく、設備や材料コストの問題も大きい。山口県の萩と新島にわずかに国産の材料で吹きガラスを作っているところがあるくらいだ。スウェーデンには非常に良質のガラス原料がある。そのおかげで鉛を混ぜないレッドフリーのクリスタルグラスができるのだろう。だから、スウェーデンではガラスは日本における陶芸のような位置にあるのかもしれない。実際、ガラス村(といっても地域は広い)がある。昔、車を借りて回ったが森と湖(あちこちに小さなものがある)の中に大小の工房が点在していて、とてもチャーミングだった。
しかし、ガラスは素材かもしれないが、光の化身でもある。光は世界中あちこちに広がっている。それを拾って人に伝える媒体なのかもしれない。やっぱりガラスはコスモポリタンかな。
しかし、ガラスは素材かもしれないが、光の化身でもある。光は世界中あちこちに広がっている。それを拾って人に伝える媒体なのかもしれない。やっぱりガラスはコスモポリタンかな。