ポキポキの木にカイロの花

広島市東区の整体・カイロプラクティック「もりたカイロプラクティック」院長公認裏ブログ

愛する努力。

2017-07-19 | ひとりごと。
最近、掃除が楽しくて仕方ありません。
時間が許す限り、どこにも行かず、家のあちこちを拭いて回りたいくらいです。
油のシミなども何を作った時に飛ばした油かなと思うと愛おしく、それをごしごしと磨きます。

きっかけは、この家に引っ越して2年が経ったのですが、
その間、行き場を決めなかった物の数々を収めたカオスダンボールの解体でした。

その中身はそのまま捨てても良かったなと言うものもあれば、あーこれ探しとったんよと言うものもありました。
ダンボールを解体していると、不思議と心が整ってきました。
不要なもの、大切なもの、すべて自分の責任で分別することが気持ちよかったのです。

放置する、無視する、そういうことは嫌いになって捨てるよりも残酷かもしれない。
花なら、枯れてきているなーと思いながらも水をあげないようなことです。
許してない、受け入れていない、でもそんな自分を認められない時に、こういうことになってしまいます。
自分が所有する限り、関係する限り、どんな判断をするのか決めるのは自分なのでしょう。
意識の外に置き去りにされる悲しさを与えておきながら、罪悪感から逃げながら継続するのも自分でしょう。
放っておいて何とかなるものなんてとても少ない、本当は。
カオスダンボールは自分の心そのものでした。

私はこの家に引っ越してきた夜に、前の家に帰りたいと泣きました。
なぜ自分は大事にしてきたものを失い、もう一度立て直すことばかりしなけりゃならないのだろうと、
引っ越し後の掃除や片付けで思い続けました。自分にとってはとりあえず住むための労働でした。
嫌なことがあるたびに、何度も元住んでいた家の前まで歩きました。
ちっともこの家を愛そうとしてこなかったなと思います。

だけど、カオスダンボールの処分をきっかけに日々見向きもしなかった場所を掃除し始めました。
すると少しずつ、私の居心地の良い空間ができました。
自分が安心していられる空間を手に入れたいと思い、磨き始めると、この家と私はいきなり急接近しました。
今は戸惑いながらも愛を深めている感じです。

とはいえ、私はあまりにも正しかったり完璧を求められたりすると息苦しさを感じて逃げ出したくなります。

不揃いも、ほころびも誰かに迷惑をかけない程度ならそのままで好きになりたいし、自分もそうしてもらいたいと私は思います。
なので、そんな風に不完全なところも認めながら、今日も掃除に励みます。
愛する努力をする時、完璧を目指すよりもまあいいかで止める方が難しいかもしれない。
けど、この方が長続きすると思います。

母から譲り受けた胡蝶蘭、お風呂場で育てていたら花が咲きました。

胡蝶蘭は難しいのに、こんなにきれいに咲いてくれてびっくりです。

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2 コメント

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Unknown (ひねりて)
2017-07-20 11:20:55
なんだか深~いお話ですねぇ
・・・ちょっとしみじみ自分を振り返っちゃいましたよ

ブログ上のぽきぽきさんは
私が思ってる以上に思慮深くて大人だなぁと感心してしまいます

お家との距離を縮められてよかったですね、わたしも実家に帰ったばかりの時半年かけて家じゅうの点検を兼ねた大掃除をしましたが、それでずいぶん愛着度は増しました
これからは暑さに注意しながらお掃除頑張ってくださいませ
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ひねりてさま (ぽきぽき)
2017-07-20 15:47:34
コメントありがとうございます!
自分で管理することで愛着ってわくのでしょうねー。
ひねりてさんはお仕事の上で、誰かのそんな想いに出会うことって多いんじゃないですか?

あと、【思慮深くて大人】だなんて~。

でしょ?でしょでしょー?
某所では慌てふためいている姿ばかり見せておりますが、実はこちらが真実のワタクシ

あっ、思い違いだったって言わないでください!

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