昨日は原爆忌でした。
今年も投下時刻の8時15分に黙祷をささげるために娘の幼稚園に登園しました。
写真は幼稚園にある被爆楠の木。樹齢150年くらいらしいです。
広島に住むようになって気がついたんだけど、
ここって原爆が過去の出来事じゃないんだよね。
8月6日は身内の誰かが亡くなった日だったり、
忘れることが出来ない悲惨な光景を目の当たりにしてしまったり、
助けてとか水をくださいという声に応えることができなかったことで自分を責め続けていたり、
私達が聞いていても苦しくなるような話は広島のどこででもある。
そんな体験をした人たちがどんな思いでこの日を迎えるのか。
声を大きく叫ぶのも表現の一つかもしれないけど、
式典の間、せめて8時15分には静かにするべきではないのかな。
本当の平和って誰かの利権が伴うようなものではないし、
主張が通った方が正義だというものでもない。
8月6日の意味が変えられつつあることに少しばかり違和感を覚えた、今年の原爆の日。