忘備録の泉

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話しのネタ(3大宗教)

2016-10-22 14:14:26 | 読書
Q:なぜ仏教は本場インドで衰退したのか
仏教は前6世紀にブッダがインドで創始した宗教。
ところが現在、インドの仏教徒の数は約700万人で人口の1%にも満たない。
仏教は、本質的に個人の悟りや倫理的な生き方を追求する教えである。
だから死者儀礼や祖先崇拝などの俗事にはいっさいタッチしなかった。
いっぽう、インドの民族宗教であるヒンズー教は、大昔からの土着信仰や習俗をとりこんで成立した宗教で、祭りごとをとくに重視したので、インドの仏教はヒンズー教にのみこまれてしまった。
素朴な民間信仰をすくいあげられなかったことや、教団の組織化や社会化をおこたったツケがまわったといえる。
さらにインドにイスラム勢力が侵入してきたことが仏教の衰退を決定的にした。
彼らは偶像である仏像やそれを祀る寺院を徹底的に破壊したので、僧侶たちはいっせいに国外へ避難した。

Q:弾圧していたキリスト教をローマ帝国が国教にしたのはなぜか
ローマ帝国は皇帝を神と認めないキリスト教徒をたびたび迫害した。
しかしキリスト教は迫害を受けながらも、ローマ帝国の上層階級や軍人の間に信者を増やしていった。
各地に教会組織が張り巡らされ、無視できない勢力に成長していった。
そして392年、時の皇帝はキリスト教を国教とすることを決断した。
その狙いは、巨大になりすぎた帝国運営を維持することにあった。
以後、キリスト教はさらに信者を増やし、ローマ帝国内の多数派となっていった。

Q:キリスト教はなぜ「旧教」「新教」に分かれたのか
1517年、ルターが「95箇条の論題」を発表して、宗教改革の口火を切った。
宗教改革以後のヨーロッパ世界は、カトリック教(旧教)とプロテスタント(新教)に分かれて激しく対立しあうようになった。
ルター以前にも、協会の腐敗や堕落に対する改革運動は何度もあったが、ルターの改革は単なる教会内の改革運動にとどまらず、新しい教派を生むという大改革にいたった。
そのきっかけはドイツにおけるカトリック教会の免罪符販売による不合理な搾取がある。
ルターが免罪符の販売を批判するとドイツ国内で支持する者が多数現れた。
またそれはカトリック教会を通じて権威を保とうとする神聖ローマ皇帝に対する反感でもあった。

Q:イスラム教があっという間に広まったのは
イスラムの創始者ムハンマドは、572年ごろ、アラビア半島の西部に位置するメッカに生まれた。
メッカは当時すでに聖地として知られており多くの巡礼者が訪れていた。
ただし当時のアラビアでは偶像崇拝や多神教があたりまえだった。
ムハンマドはとつぜん神の啓示を受け、613年ごろからメッカで布教活動を始めるが、偶像崇拝を否定し、すべての人は平等であると説いたことから迫害を受ける。
その後メディナに移住し勢力を伸ばしたムハンマドは、630年メッカを征服し、ついにアラビア半島をイスラム教のもとに統一した。
ムハンマドの死後も、後継者が教団を率い、もっぱら征服による領土拡大をおこなった。
これを「聖戦」と呼んだ。
7世紀半ばから8世紀末の100年余りの間に、イスラム帝国は、北アフリカ、イベリア半島、西アジア、中央アジアまで支配するようになった。
イスラム世界の基礎はこの1世紀でほぼ固まった。


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