「問い、考え、語り、聞くこと」としての哲学において、もっとも重要なのは「問うこと」である。
「問い」こそが、思考を哲学的にする。
問い、答え、さらに問い、答える ― この繰り返し、積み重ねが思考である。
それを複数の人で行えば、対話となる。
問いによって考えるようになるということは、何をどのように問うかによって考えることが変わってくるということを意味する。
つまり、問いの質によって思考の質が決まるのである。
そして、どのような問いをつなげていくかによって、思考の進み方が変わる。
漠然としたことしか考えられないのは、問いが漠然としているからだ。
抽象的なことばかり考えるのは、問いが抽象的だからだ。
明確に問うことができれば、明確に考えることができ、具体的に問えば、具体的に考えられる。
問いに展開がなければ、先に進めないのである。
問いは思考を動かし、方向づける。
だから、考えるためには問わなければならない。
重要なのは、何をどのように問うかである。
考えるには、考える動機と力がいる。
自分自身が日ごろ、疑問に思っていることはつい考えたくなる。
考えずにはいられない。
こういう考える力をくれる問い、つい考えたくなる問い、考えずにはいられない問い、それが自分の問いであり、そうした問いを問うのが、自ら問うことである。
自分で見つけた問いは、考えるのも楽しいし、自分でついつい考えてしまう。
考えることは、エネルギーも使うが、元気もくれる。
自ら問いたいことを問い、そこから考えることは、普段私たちが知っている「問題を解くために考える」=「考えさせられる」のとは、まったく違うのである。
とはいえ、私たちは、そもそも問うことに慣れていないから、いざ問いを見つけようとしてもどうしていいか分からないだろう。
まずは「どういう問いがいいか」と考える前に、なかば機械的に問いの形にしてしまうといい。
基本的なものからあげてみる。
以上が基本的な問い方である。
さらに自分の立ち位置を相対化する「時間軸で問う」「空間軸で問う」問い方がある。
「問い」こそが、思考を哲学的にする。
問い、答え、さらに問い、答える ― この繰り返し、積み重ねが思考である。
それを複数の人で行えば、対話となる。
問いによって考えるようになるということは、何をどのように問うかによって考えることが変わってくるということを意味する。
つまり、問いの質によって思考の質が決まるのである。
そして、どのような問いをつなげていくかによって、思考の進み方が変わる。
漠然としたことしか考えられないのは、問いが漠然としているからだ。
抽象的なことばかり考えるのは、問いが抽象的だからだ。
明確に問うことができれば、明確に考えることができ、具体的に問えば、具体的に考えられる。
問いに展開がなければ、先に進めないのである。
問いは思考を動かし、方向づける。
だから、考えるためには問わなければならない。
重要なのは、何をどのように問うかである。
考えるには、考える動機と力がいる。
自分自身が日ごろ、疑問に思っていることはつい考えたくなる。
考えずにはいられない。
こういう考える力をくれる問い、つい考えたくなる問い、考えずにはいられない問い、それが自分の問いであり、そうした問いを問うのが、自ら問うことである。
自分で見つけた問いは、考えるのも楽しいし、自分でついつい考えてしまう。
考えることは、エネルギーも使うが、元気もくれる。
自ら問いたいことを問い、そこから考えることは、普段私たちが知っている「問題を解くために考える」=「考えさせられる」のとは、まったく違うのである。
とはいえ、私たちは、そもそも問うことに慣れていないから、いざ問いを見つけようとしてもどうしていいか分からないだろう。
まずは「どういう問いがいいか」と考える前に、なかば機械的に問いの形にしてしまうといい。
基本的なものからあげてみる。
言葉の意味を明確にする
〇〇とは何か?
〇〇とはどういうことか?
理由や根拠や目的を考える〇〇とはどういうことか?
なぜ〇〇なのか?
なぜ〇〇と言う(感じる)のか?
具体的に考えるなぜ〇〇と言う(感じる)のか?
たとえばどういうことか?
具体的にどのようなことか?
反対の事例を考える具体的にどのようなことか?
そうでない場合はないか?
それがあてはまらないケースはないか?
関係を問うそれがあてはまらないケースはないか?
〇〇と△△はどのように関係しているか?
〇〇であると、△△ということになるのか?
違いを問う〇〇であると、△△ということになるのか?
〇〇と△△はどのように違うのか?
どこまでが〇〇で、どこからが△△なのか?
要約するどこまでが〇〇で、どこからが△△なのか?
要するにどういうことか?
懐疑本当にそうだろうか?
5W1H「5W1H」がついた問いをつくる
以上が基本的な問い方である。
さらに自分の立ち位置を相対化する「時間軸で問う」「空間軸で問う」問い方がある。
(梶谷真司著「考えるとはどういうことか」より)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます