goo blog サービス終了のお知らせ 

忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

フォーカシングの基礎的理解のために(1)

2017-05-16 15:25:24 | 心理
フォーカシングとは
1.内側のまだはっきりしないが、確かなものに注意を向けること
2.それをからだで感じられるか、もしくは体験される。そして
3.それは、人生・生活の中の何かにはっきりとつながっている
4.注意を向けて、このあいまいで、はっきりしないフェルトセンスとともにいると、前進する動きかステップが生じ、変化を生みだす。問題や論点が変わるのではなく、からだの中と人生・生活の両方において、それとどのように関係づけるか、それをどのようにもっているかが変わる。

フォーカシングの利点は
1.フォーカシングは、自由に開かれたプロセス。~すべきとか、~しなければいけないというものではない。
2.それは決して、押しの強い、独断的なものではなく、あれこれ強いるものでもない。
3.それは、内側に何があってもそれと友好的にすること。
4.それは、いつも自己と他者を尊重し、優しく、思いやりがある。
5.それは、判断や批判をしないで、話したいと思う、内側のどんなことでも話すのを許し、可能にする方法。
6.それは、個人的にも専門的にも、ほとんどすべてのものに容易に適用でき、あなたに次のものを養うよう求める。
・尊重と優しさの内的態度
・気づきと自分自身の内的な感覚を尊重すること
・内側にあるものは何でも、喜んで受け取ろうとすること

(つづく)

超自我(4)

2017-05-08 09:12:14 | 心理
心理療法におけるトランスパーソナルな観点として重要な意味をもつのが、「自分を超え、自分を離れたところから自分自身を見る眼」を養う、ということだ。
私たちは、自分から離れたところに、自分自身を見る眼を設けることで、初めて、“自分”と“自分を見る眼”のあいだ、“見る自分”と“見られる自分”とのあいだに必要な“間”を設けることができる。
またその“間”を設けることで初めて、自分という存在や自分のおかれている状況の全体に目を行き渡らせることが可能となる。

しかし私たちの意識はふつう、自分のさまざまな部分のいずれかに同一化してしまっている。
そして、だからこそ私たちの心は必要なメッセージを受け取れずにバランスを崩してしまうのである。
そうならないためには、自分のさまざまな部分に偏りなく、また満遍なく注意を払い、耳を傾ける、という態度が必要である。
これを可能とするためには、自分を超えた視点、自分を離れた視点を設けて、その視点から自分自身を見ることが必要だ。

自分を離れたところから、自分自身を見る“眼”を養う。
それによって私たちは、自分の心のどんな働きをも自分の“一部”として特定化でき、そのいずれとも“間”を取ることができる。
そして、すべてをそのまま、あるがままで認め、許し、受け入れることができるようになるのである。

エクササイズ(自分自身を見る“眼”を実感する。)
通常のフォーカシングと同様に、自分の内側に注意を向け、自分の注意を引きたがっているもの、関心を向けてもらいたがっているもの、何か出てきたがっていたり言いたがっているものはないか、問いかけてみる。
何か出てきたらそれがどんなものであれ、認めていく。

自分の中から出てきたどの部分にも同一化せず、そのすべてをそのまま認めることのできる“眼”=“より大きな私”に注意を向ける。
自分を離れたところから自分を見て、何事をもそのまま認め、受け入れることができる、「すべてはあるがままに、流れのままに」といっている、その“より大きな私”の存在を感じよう。

その“より大きな私”を感じながら、それを何かにイメージしてみよう。
例えば海のようなイメージ、あるいは大河のようなイメージを描く人もいるだろう。
そのような、何か大きな自然のようなイメージを描いてみよう。

その“より大きな自分”を十分に自分の内側で感じてみる。
そしてそれに「これからも私と一緒にいてください」と声をかけてください。

今、出てきたすべてのプロセスに感謝して、ゆっくりと終わりにする。
「今日は出てきてくれてありがとう」と、自分のからだ、そして出てきてくれたことのすべてに言葉をかけて、感謝の気持ちを伝える。


“より大きな私”
それは、何ものも裁かず、あるがままで受け入れる慈悲に満ちた仏陀のような、自分自身への眼差しである。

超自我(3)

2017-05-07 08:40:48 | 心理
まず、便宜上、人の心の内部を「自我(私)」と「Ⅹ(私でない何か)」に分けて考えることにしよう。
そして、「自我」の立場から「自我」のために、「自我」の都合のいいように進めていく心理療法を「自我中心の心理療法」と呼んでみる。
例えばそれは、「はやく働けるようになりたい」「学校に行けるようになりたい」「息子の暴力をなくしたい」といった問題解決を第一義とし、「自我(の欲望)」を実現する立場である。

一方、人間の心には、自我の都合とは無関係に、いわば勝手に自ずと生まれてくる心の動きがある。
自我のほうから見れば、それが「何」であるかは「よくわからない」ような、あいまいな「何か」。
しかし、そこに何か重要な意味があることはわかるような「何か(Ⅹ)」である。

この「何か(Ⅹ)」の観点に立ち、そこを立脚点として取り組んでいくのが「トランスパーソナル」な取り組みである。
それは、自我の側も大切にしながら「自我」とこの「何か(Ⅹ)」との対話を進めていくということだ。
「自我」が「何か(Ⅹ)」の声に耳を傾け、「何か(Ⅹ)」それ自体のために自我が奉仕する、ということである。
あくまでも「私」のためにではなく、「何か(Ⅹ)」のため、魂のため、フェルトセンスのため、二次プロセスのために、そこを立脚点として関わること、それがトランスパーソナル心理療法に独特の枠組みではないだろうか。

「何か(Ⅹ)」の独特の「あいまいさ」「わからなさ」は、フォーカシング指向心理療法で使われる「エッジ」という概念がよく表している。
「エッジ」とは、心理療法のプロセスがそこで立ち止まらなくてはならなくなる地点。
そこでは、言葉もイメージも動作も止んで、ただ沈黙と空白だけが支配する。
「自我」はそこで立ち止まり、何も語らず、ただ、エッジのほうから何かが生まれてくる(言葉やイメージや動作が出てくる)のを「待つ」。そして「受け止める」。
こうして「自我(私)」を超えた何かから出てくるメッセージを受け止め、自我はその実現のために仕えるのである。

(つづく)

超自我(1)

2017-05-05 10:01:46 | 心理
フロイトの精神分析でも無意識がより本質的とされ、「超自我」が意識・無意識の「門番」の役割を果たす。
ロジャーズ理論でも同じ構造が保たれ、「門番」が超自我から「自己の概念」にかわっているのである。
つまり、精神分析では超自我に取り入れられた社会的基準に合致するものは意識に入ることを許され、そうでないものは否認あるいは抑圧される。
クライエント中心療法の理論では自己の概念と合致するものが意識へのエントリーを許可され、その他のものは無視されるか、否認されるか、歪曲されて理解されるのである。

ここで、「門番」として機能する自己の概念について考えてみよう。
自己概念が柔軟で広ければ広いほど、多くの無意識的内容が意識に流入しやすい。
それではどうして自己の概念は狭まるのだろうか。
それは意味がある他者との関係において取り入れられた価値によるのである。
その価値は存在価値や存在条件となってしまう。

例えば、私が「男の子は強くて泣かない」という概念をもっていたとすると、私は「強くて泣かないようにしていなければ、男の子として価値がない」というように、男性としての自分の存在条件が脅かされるのである。
こういうふうにして自己概念が狭まっていくのだ。

ゆえに、カウンセラーは無条件に肯定的関心を示し、受容する必要があるのだ。
例えば、「強いあなたにも、泣きたくなるあなたにも、肯定的関心がある」という態度だ。
つまり、「受容と共感」といったカウンセラーの態度が常に必要であるということだ。

(つづく)

転移について(3)

2017-03-03 10:13:08 | 心理
理論は共感のためにある
深く細やかな共感をするためには理論が必要だ。
カウンセラーが理論の助けによってクライエントの苦しみをより細やかに、より深く、よりありありと想像し理解するほど、その理解はクライエントに伝わる。
するとクライエントはそれまで直面することのできなかった深い感情や思いが感じられるようになり、それをもっと語りたくなる。
それは、こころの自己治癒力による動きだ。
そしてその過程が進むにつれ、クライエントのこころに徐々に次のような変化が生まれる。
自分のことをより無条件に好きになる
他人の価値観やルールなどにしばられる程度が減り、自分の本当の感情や価値観がより率直に感じられるようになり、それらをより信用するようになる
人の目がそれほど気にならなくなる
生きることがより楽になる
現実がより正しく認識できるようになり、より現実に合った考え方、感じ方、見方、行動ができるようになる
落ち込みや感情の浮き沈みが減り、感情的により安定する
失敗や挫折からより早く立ち直り、前向きで建設的に生きていくことができるようになる
成長したい、という気持ちが強くなる
人との純粋なつながりをより強く求めるようになる
人との純粋なつながりがより感じられるようになる
ものごとについて「白か黒か」という極端で単純化した見方から、よりバランスの取れた現実的な見方をするようになる
他人を思いやるゆとりが増え、他人の気持ちが分かるようになる
自分自身に対してより優しくなる
生きる喜びがより感じられるようになる
自分自身へのしばりが減り、より自発的になる


(おわり)