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音楽広場

普通の暮らし

母の事 7

2025-01-30 20:59:10 | 母と父の事
私が子どもたちにピアノを教え始めたのは音大に入学した時
19歳で 先生デビュー 自宅で開いた発表会

4人の生徒が歌ってる写真と集合写真です。

実家の洋間とお座敷を使って 親御さんにも聴きに来ていただきました。
グランドピアノは音楽高校2年で(音高はピアノの価格が免税で優遇されたので)買ってもらいました。
実技テストでクラスで1番になったら グランドピアノ買ってあげる~~の賭けヽ(^o^)丿

19歳~結婚して子どもを出産した30歳までの 11年間 実家でピアノ教室をしていました。
小さい頃から 私のピアノ練習や歌の練習をうるさいと言われたことは一度もなく
お仕事で 毎日ちびっこのピアノが鳴っていた時もうるさいと言われたことはありませんでした。
特に防音していなかったんですよ。父も母も 協力的でした。
父から 先生と呼ばれて天狗になったらだめだよと言われたけどね。

生意気ながら 先生暦10年以上 ぼちぼち頑張ってた私
そんな時 母が硬筆の師範資格を得ました。
母は 師範の資格を得ても 他人に教える勇気が出ないと申しました。
そこで 私が母の弟子1号と あいなりまして御座候

その頃の私の字は 酷かった~~まる字でした。
小学生の硬筆学習のように 田の字に分割された四角に ぴっちりと線を配置していく
縦線 横線 円 ぐるぐる線 ひらがな カタカナ 数字 漢字と みっちり教えて頂きました。

習って良かった 大人な文字になったし 普通に まあ 読める字になったかな (人''▽`)ありがとう☆

母の硬筆書道の師匠 K先生は とても素敵な先生でした。
でも まだまだお若い時に 病に倒れ入院されました。
母の師匠なので 私は孫弟子 
母と一緒にお見舞いに行きました。
母から伺っていたとおりの 本当に優しい素敵な先生でした 
母が慕っていたのがよくわかります。  
残念ながら K先生は亡くなってしまい 随分悲しんでいた姿を覚えています。

つづく
 
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母の事6(趣味編)

2025-01-28 20:30:52 | 母と父の事
2025年が始まり一月過ぎようとしています。
日照時間が少しずつ長くなり 春の訪れを楽しみに待っています。
NHKの大河ドラマは『光る君へ』から『べらぼう』へ 
横浜流星さんの明るいちゃきちゃきの江戸っぽいしゃべりを楽しみに観ています。
で 大河ドラマの題字ですが、べらぼうは 石川九楊(いしかわ・きゅうよう)先生
「書は筆蝕の芸術である」ことを解き明かし、書の構造と歴史を読み解く評論家としても活躍
石川九楊先生の書 芸術作品ですね 「書は“文字”ではなく“言葉”を表す芸術である」と

べらぼう の う の字を 「べらぼお」っぽい音に見える う の形にこだわったそうですよ。

『音の響きとしては「べらぼお」に近いが、口をすぼめる形になる「う」という文字という音と 
文字のギャップに対し、石川は口を開いた「う」の形をしたためた。
「べらぼう」という言葉に含まれる一見「痴れ者」のように見えるけれども
「尋常ならざる者」であるという両義的なニュアンスを見事に表現している。』

『光る君へ』の題字も美しかったですね 女流書家さんの作品かとおもってましたが 
書家の根本知(ねもと・さとし)さんでした。美しい(*^^)v


さてさて 母の話を 母は字が綺麗で絵も上手でした。
父がとっ~~ても字が下手だったので 母が秘書さんの様に清書や 
年賀状400枚の表書きを担っていました。
そんな母が 先生について硬筆と書道を習い始めたのは60歳ごろからかな
私が結婚した後です。

母は元々大きくて伸び伸びした字でした。
(男文字だと言ってた 父の代筆なので男っぽく書いていたと)
自己流で書いていたステキな字を 一から習い直して どんどん昇級昇段して 
最後は師範の資格(硬筆)まで エネルギッシュに到達してました。
上段の試験は 試験会場で書く一発勝負で、
いかに平常心で臨むかが勝負の分かれ道だったと語っていました。

書道展や 硬筆作品展に 展示してもらうことを最高の栄誉として 日々研鑽していました。
熱中する趣味が出来て 良かったな~って思ってました。
良い師匠との出会いも 母にとって 心の安定をもたらし
孫の成長を遠くで見守りながら おばあちゃんも頑張ってお勉強してるのよって
生き生きと活動していました。


滋賀県書展 特選入賞の作品
えっと~なんて読むんだっけ どんな意味だったかな 今度きいてきます🙇
隷書(れいしょ)体?かな~ 字形が扁平で角張っている書体 ですね
書の世界 深すぎです。

つづく




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母の事5(趣味編)

2025-01-12 18:19:46 | 母と父の事
母は 趣味の多い人だと思います。
一つの趣味に没入すると10年ぐらい 極めようとがんばります。
そして ぷつりと辞めてしまいます。
辞める理由はその時々でちゃんとあるのですが、
あまりに熱中しすぎて もう大丈夫 やり切ったと 思うんでしょうね(*^^)v

最近の趣味から さかのぼってみようかなと思います。
2016年に父が亡くなって おひとり様になった母が 始めた習い事は『梵字』です。

母は 父の生前 長く書道を習っていました。
8畳の和室(お座敷)に新聞紙を敷き詰め、畳1枚ぐらいの大きな半紙に太さ5cmぐらいの太筆で
バケツに溜めた墨汁を持って エイヤと 筆を運ぶ~~エネルギッシュな書道でした。
父の法要の時等 壁に飛んでる墨の跡を見て ごめんなさいと雑巾で拭いていた姿が懐かしい

そんな 書道の基礎がある母は 父の葬儀でご縁が出来た 真言宗のお坊様が
NHK文化センターで『梵字教室』の先生をされていると知り、早速入会しました。

 『心を込めて、ほとけの書に親しんでみませんか』
 『一つの宗派にとらわれず、受講生との対話を交えながらご真言をお教えします。
 また、講座内では実際に梵字を書いていただきます。 
 仏様や菩薩様を表す「梵字」。心を落ち着かせる時間を持ち、仏道に親しんでください。
 日常生活の中でのふとした気付きのある方や、人生の悩みをお持ちの方も、講師との対話、
 そして梵字を書きご自身の仏様をつくりだすことで気持ちがすっと清らかになる心地がするはずです。
 宗派問わずどなたでもご参加いただけます。』梵字教室より

うねうねと模様のような梵字を 意味や書き方を習いながら 毎回1枚仕上げていました。
母は難聴があり 先生の講義をちゃんと聞き取れないのが 残念だけど 
まあ にこにこ笑って座ってるのよ と言っていました。
梵字教室は2020年のコロナで教室が休止になり、母はそのままフェードアウトしました。

そして 2021年9月 みんなの真似をしてブログをはじめました。
90歳の日記
父もブログで自分の人生や社会漫談を綴っていたので がんばってチャレンジしたんですね(*^^)v

そして 一番頑張ってくれたのは 断捨離と家のリフォームかな
墨汁が飛んでいた和室の壁や畳も その他の部屋の壁も天井も
遊びに行くと少しづつ綺麗に(新築みたいに)なって 素晴らしかったです
たぶん リフォームのおにいちゃんたちと 気が合ったんですね。
長いお付き合いとなりました。
母は綺麗なお部屋で のんびり過ごすことが出来ました。
がんばったね
まるで新築 ミニマリストヽ(^o^)丿
 

きれいなベッドサイド

続く

追記~報告~
1月21日 現在母は緩和病院に転院し 穏やかな時間を過ごしています。
『母の事』1~5を母にチェックてもらい アップして良いよと了解を得
暫し保留にしていましたブログを再掲載しました。
母の事 趣味編を続けて綴ってみようと思います。
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母の事4 まだまだ続くよ

2025-01-10 18:40:23 | 母と父の事
今日は 初雪と冷たい風で 冬らしい一日となりました。
京都も雪がうっすら積もり 近所の子供たちが派手に雪合戦していました。

母の事4 まだまだ続きます 
12月27日 自宅に帰ったわたくし 夜はぐっすり眠りエネルギーチャージ
翌朝 兄から 「昨日はありがとう。疲れすぎてありがとうも言えないほどでしたね おつかれさん」
「朝から トイレも薬も朝食も 滞りなくでき、今 おせちが届きました」とメールが(*^^)v

実は 母は11月24日救急搬送される以前に しっかりおせち料理を注文していたのでした。
今年はジャパネットのおせちです。

28日は 義母が残した新品オムツや 防水シート 介護用吸い飲み そして追加のオムツを
薬局で買って 車に積み込み 実家まで行きました。
母の部屋を覗くと ベットの背を真っ直ぐにたててもらい
新聞のチラシを真剣なまなざしで 隅から隅まで見ている母を発見 元気そうヽ(^o^)丿
兄におつかいを頼むべく チラシをチェックしています。
(食欲出てきたかな さすが自宅 生きる意欲が湧いて来たぞ~~)
母の部屋は 日当たりがよく 日中過ごしやすい部屋です。
嫁入り前は 私の部屋だった所で つまり 私が一番いい部屋 あてがってもらってたんですね

順調そうなので 荷物を置いたら すぐに帰ろうと、、、その時 
届いたばかりの おせちが目に入ったのです。綺麗でおいしそう。
お正月に来たら お相伴できるかなって わくわくしながら 帰りました。

そして二日後の 30日この日は 訪看さん理学療法士さんが来られる日 でした。
「朝から嘔吐が止まらず 今 様子を見ている」と、兄からメール
訪問診療の先生も急遽 来てくださり 判断してくださり 
救急車呼びましょうって事になりました。
たった4日間の滞在で 元の病院へ戻りました 以前は7階 今は9階なので、
すごく眺めが良いです。

結局 大腸の閉塞がみられ ステントを入れる処置をすることとなったのです。

はい どうして 腸閉塞になったのか~~ムムム

退院時 食事に関しての注意は お餅はダメだけど 
それ以外なら何でも食べていいよって 言われたんだけどなぁ~~
やっぱ 解凍したおせち料理を 見たら ちょっと食べちゃいますよね。
たとえ流動食を食べていても いずれは腸閉塞になるって言われていたんだけどね(*^^)v
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母の事3

2025-01-10 13:33:08 | 母と父の事
12月25日 ピアノ教室のクリスマスコンサート
12月26日 シニアコーラスのクリスマスコンサート
大きな行事が無事に終わり ササっとクリスマスの飾りを天収へほりこみ
お正月の設えを整えて、例年だとだらだらやってる作業を驚くべき速さで片付け。
レッスン室は 静謐なお正月に向けての空気で 満たされていました。

兄は 主が入院で留守にしていた母屋を ひとつきかけて
みちがえるようにバージョンアップしてくれていました。
ベッドは 電動で寝返り介助が出来るものに変更 お布団のカバーは新品へ
車椅子にポータブルトイレ 
冷蔵庫の中も断捨離して 怪しげな賞味期限切れを捨てて
トイレもお掃除して 爽やかな香り
主治医からの説明 看護師さんとのやり取りなど 全ての用事を担ってくれました。

自宅介護のために 隅々まで整えられた自宅を見て
『凄い』とうなってしまいましたよ。

そして12月27日 はれて退院とあいなりまして御座候。

エレベーターの前で 多くの看護師さんに見送られて、母も満面の笑顔

兄が手配してくれた 介護タクシーに同乗して 実家に帰りつきました。
介護タクシーの運転手さんに
 「次は桜が咲いた頃 お花見お出かけで介護タクシー利用しますね~~」
なんて言いながら わくわくドライブでした。

27日は とても忙しい一日でした。
帰宅し お昼ご飯済ませ お薬を飲ませ ほっとすると
訪看さん 理学療法士さん 訪問診療の先生と看護師さん(こちらは初めましての先生)が続けて訪問

訪看さん理学療法士さんは「お帰りなさい 退院おめでとう 良かったね」と声を掛けてくださる

これからずっと診ていただく 訪問診療のドクターは 若くて優しそうで体力ありそうな 先生でした。
薬の飲みこみが困難な事が判明し 薬が変更されると 夕方には訪問の薬剤師さんがこられ
手厚いサービスを受けられるんだなと 感動でした。
~~~  
追加~この日は ケアマネージャーさんも来られたんだ!!
兄がケアマネの兄ちゃんって呼ぶ 母を担当してくれていたケアマネさんは
ほんと にいちゃんよ 30歳前後に見える 
背が高くて 三つ揃いのスーツの上着を ジャンパーにしているの
ネクタイもばっちり決まっていて 細身のベストを着用
お顔は 優しそうで 細い目がにっこり アニメに出てきそうな八頭身ハンサム

27日は本当に多くの人が次から次へと訪問してくださり 母は楽しそうでした。
兄と私は ぐったり 疲れた~~
~~真っ暗になった坂道をとぼとぼ歩いて家に帰りましたとさ(*^^)v

続く~~
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