goo blog サービス終了のお知らせ 

音楽広場

普通の暮らし

2025年の啓蟄は

2025-03-06 13:28:48 | 母と父の事
今日3月6日は 母の誕生日です。
元気に生きていたら93歳でした。
母の誕生日は だいたい啓蟄の頃 (今年は3月5日が啓蟄でしたが~)
昭和天皇の皇后 香淳皇后と誕生日が一緒なのよ~ってよく言っていました。

啓蟄とは、「冬ごもりをしていた虫たちが土の中から出てくる頃」二十四節気の一つです
啓蟄の次にやってくる春分の日に向かって 小さな春がどんどん生まれてきますね。

3月生まれ(早生まれ)の母は 小学生の頃は身体も小さく病弱で苦労したと聞いています。
それでも がんばって90歳の傘寿を超えることが出来ました。
没年齢って 競うものじゃないのに  (*^^)v 
年齢が上がってくると より長生きを競うようになりますね。
母なんか 去年のお正月 我が家の家の電話に
『新年おめでとうございます 93歳です おかげさまで元気で 足も達者で暮らしています』
って留守電音声メッセージを残してくれてます。数えの年齢で言ってるのです。
長老のみなさん 年齢のサバを 上におっしゃいます。 

父の誕生日は7月17日 祇園祭の巡行の日って覚えていました。
父は 「僕は100歳まで生きようと思っているんだ」って豪語していましたが 
90歳の誕生日をぎり超えて 数日で召されて行きました。

父が亡くなり 親戚の長老が順番に亡くなった頃 母がぽつりと言った言葉
『みんな先に逝かはあたなぁ きっと上で楽しくやったはるわ~~
私 後から逝ってもみんなの輪に入っていけるやろか~~』、、、

お母さん まだ到着してないと思うけど みんな待っててくれてるよヽ(^o^)丿
~ ~ が ん ば って ~ ~
コメント

母を看取って 1

2025-03-05 09:08:24 | 母と父の事
通夜や葬儀でいろいろお休みの連絡を入れていた時や 報告をした時にかけられた言葉で 
嬉しかった言葉 心に沁みた言葉 え~って思った言葉 があります。

まず 心に沁みて嬉しかったのは
『親を看取り 送る事は 子どもにとって最後の親孝行ですよ(*^^)v』って言葉
葬儀も通夜も 立派に頑張って務める これが最後の親孝行~~ってね
そして これからも親孝行は続きますね 最後ではありません!
母を父を 義母義父を思い出し 生きてるみんなが思い出を語り合う
親孝行はまだまだ続きますね。

え~って思った言葉
これは対面でおしゃべりしていた時に言われた言葉ですが
(この方は 数年自宅でお母様を介護され 優しく抱っこしながら看取られた方です)
「○○さんのお母様は 短期決戦でしたね~」
短期決戦ってヽ(^o^)丿 なんだかなぁ う~~ん って 思ったんだけど、、、

実際 ふり返ってみると 本当に 母は短期決戦でした。
2024年11月は歩いて(押し車を押しながら)トイレに行ってたし 
病気も発覚してなくて治療も受けず、 
通院していた整形外科から出ていた薬も なんだか飲んでなかったし、、、
大腸がんがわかって 年齢的に手術や抗がん剤の治療も不可となり、
腸閉塞になりかけた時 ステントを装着する処置はして頂けたけど、点滴や
痛みや苦痛を無くしてもらう緩和的治療を受けながらの4カ月 本当に短期決戦でしたね

いきなり会話が出来なくなるような突然死ではなく(そんな死に方も潔くて素敵だけど) 
しっかり私たちとお別れの時間を過ごしてくれた 最高にステキだったよね おかあさん
コメント

母が亡くなって

2025-03-03 19:29:11 | 母と父の事
2月12日満月の夜 しずかに息を引き取り ふわ~っとお空に帰って行った母
空気が冷たく澄んだ 綺麗な夜でした。

通夜(14日)の夜 大きな大きな月が東の空に昇って来た時 
母が見守ってくれてる様に あたたかさを感じました。

春は 三寒四温でやってくるものですが 昨今の寒暖差の激しい事
母を送った15日は みごとに温かい日で、さすが晴れ女!!やるじゃん!!
と 心がほんわかいたしました。

亡くなる前日の11日に 面会(お見舞い)が出来ました。
いつもと反応が違い 看護師さんからも指摘され これが最後かもしれないと
瞬間的に感じたと同時に 涙があふれてしまって、、、 

いつもなら 「来たよ~」と声掛けすると すぐに目を開けてにっこり反応してくれたのに
その日は 目を開けるまでに5分ほどかかり ゆっくり目が開いた時も 
スローモーションのように私を認識してくれて、その一つ一つの動きに 嬉しさで涙があふれ 
あまりに急な変化に驚き 今「ありがとう だいすきだよ」を伝えなくては、、と 焦りました。

帰り際 ナースセンターで
「目を開けてくれて 会話が出来ました」と伝えると 
「良かったね~ 何かあったら連絡しますからね」と言ってもらえました。
看護師さんが女神に見えました。
次回面会の予約をして 祈りながら帰宅しました。

今日で三七日 母を想いながら お茶を供えて 般若心経を唱えています。
心が落ち着きます。そろそろ 『母の事』を再開しようと思いますね。
  
コメント

2月12日は満月(Snow Moon)

2025-02-12 22:22:22 | 母と父の事
2月12日は満月でした。2月の満月はアメリカの農事暦で『スノームーン』と呼ばれます。
寒さが厳しく大地の多くが雪に覆われる季節にちなんで名付けられたそうです。

仕事が終わって ちらちら雪が降る中 自転車を押しながらとぼとぼと あ る く
そして 夜空を見上げました。
母のことを思って 
夜空を見上げました。

お か あ さ ん

コメント

母の事 8

2025-02-04 10:48:55 | 母と父の事
父が亡くなってから 実家の玄関は 母の写真ギャラリースペースとなってました。




前列 真ん中が母↑

前列 左が母↑

前列 左側白っぽい着物が母↑

母が謡のお稽古を始めたのは 幼い頃です。
長浜の母の実家で 能楽師F先生におけいこ場所として お部屋を使っていただいてた事がきっかけ、
母は兄弟姉妹多いですが 母だけが 仕舞(能楽の舞)に挑戦し 虚弱で自信のなかった母にとって
最高の思い出になっていたようです。

結婚して数年 同じF先生が近くで教室をされている事がわかり
再チャレンジ 今度は謡(うたい)です。
よく結婚式などで『高砂』を長老が披露して祝宴を引き締めてくださったりしますよね。

母の声質は 私のか細い弱い声に比べて 力強いスピンとの効いた めっちゃ良い声です(*^^)v 
謡曲の あの難解な楽譜?師匠から口伝で教わるような 間のとり方 熱心に練習してたな~

その後 私の学費をねん出するために お仕事に熱中してくださって一時中断
その後 再チャレンジで 京都のK先生に師事して がんばっていました。

着物もチャチャと自分で着付けるし 頑張り屋さん 
同門の生徒さん達とのお付き合いもがんばりました。(いろいろ困難な事もあったと思いますが)

能楽堂の発表会?で がんばっている姿を観た時は 本当に嬉しく誇らしかったです。

去年 12月訪問診療の先生が 初訪問してくださり 帰り際に
玄関の写真を見て一言「高尚な趣味をされていたんですね」と
もっと いろんなお話を先生とかわしたかったなぁ

コメント