前にもこのブログにも書きましたが、
あの日は一生わすれないでしょうね。
最近埼玉で地震、震度5弱がありましたね。
M5.5クラスでも大きいですね。
2011年3月11日の地震は、震度6強でした。
いつまでも地面の揺れがとまらない、物凄い音と
家財がたくさん崩れて倒れていました。
大熊にある家は、もう戻ることもないので
震災当日のままの姿です。
片付けても意味がないので、あの家は将来は更地になってしまいます。
あの日の夜は、車の中で家族4人過ごしていました。
大きな余震が続く中、そのたびに車から少し外に出ては乗るという時間でした。
あの当日の昼間は、実は、東電社員が町内を放射線測定していました。
というか、みかけました。
その日から既に放射能は拡散していたと思われます。
翌朝、地区の集会所に集まった時に、マスクを渡されました。
だから、町民は自覚がないけれど、若干浴びているかもしれません。
避難中、田村体育館で、一斉に住民は放射線検査を受けましたが、
ゼロに等しい数値で異常はないと話していたけれど、
それは、本当でしょうか?
地震と原発事故にダブルパンチでしたが、
今の生活はアットホームでよいです。
でも、時々、思い出します。
あの日々は本当に生命の危険を感じました。
忘れていけないのは、東電側です。
今では意識が薄れているような東電です。
東電は最後まで生活保障すべきです。
もしかしたら、十数年後に何らかの異常が体に出る恐れを察すると
やはり、怖いですね。
東日本震災はもう二度とおきてはならないですね。
祈りましょう!
そう信じれば、いつかもきっと幸ある日々となると思いながら・・・・