HOGロングツーリングラリーin北海道(札幌・洞爺湖・大沼公園)
平成28年6月18日(土)・19(日)・20(月)・21(火)・22(水)23(木)・24(金)
参加人数 : 7名ツーリングメンバー(千葉チャプター11名)
天候 : 曇り・晴れ・快晴・雨・曇りの7日間でした
今回のツーリングはHOGロングツーリングラリーに合わせては北海道の大自然を満喫しながらのバイク移動で道北・道央・道南を満喫する旅でした。
全国の参加者は札幌が85名、洞爺湖が110名、大沼が80名の参加でした。千葉チャプターからの参加の6名は仙台からの太平洋フェリーで1泊、旭川のホテルで1泊、札幌1泊、洞爺湖1泊、大沼1泊に加えて盛岡で1泊を加えて6泊7日の旅の行程となりました。バイクのトラブルや天候に恵まれないこともありましたが、記憶に残る旅を楽しむことができました。
旅の途中スピード違反取締に再三遭遇しましたが、危機一髪、間逃れることができました。
写真の上下の影は指ではありません。カメラがバイクの振動で壊れてしまいました。
見苦しいですけど、ご容赦ください。
一日目 6月18日(土曜日)
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今回の旅のスタートは、守谷SA12:30、集合13:00スタートです。写真は守谷SAです。
守谷ではAさん、Sさん、Mさんの3人からのスタートです。
途中友部SAにてKさん、Kさんの合流があり、ここから仙台港フェリーターミナルまで5人でのツーリングです。
フェリー乗り場でAさんと合流して6人のツーリングメンバーがそろいます。
次の写真は友部SAです。
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今回のフェリーは太平洋フェリー『きたかみ』です。仙台-苫小牧間就航の太平洋フェリーの中では役14,000トンと最も小さい船となります。
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予定の一時間前にフェリーターミナルに到着しましたが、Aさんはまだ到着していません。搭船手続きを5人で済ませて、Aさんを待つこととしました。
時間まで記念写真を撮ってくつろぎます。那須チャプターの方に入って頂き6名で!
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Aさんより早くスタッフの田辺さんがバイクにまたがり登場です。 しばらくするとAさん登場でしたが、時間の余裕があまりなく6名での記念撮影は撮れませんでした。
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上船後、さっそく宴会です。HOGスタッフの田辺さん、吉田さんも一緒に記念撮影です。
海も穏やかで、九州の時のような船酔いには誰もなることはありませんでした。
暫しのクルージングは最高でした。
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船内にはナイトショー(歌)や映画上映、ピアノステージ等もあり楽しく過ごすことができました。
最も、2次会で遅くまで飲んでいたので、船内探索とまではいきませんでした。
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二日目 6月19日(日曜日)
まもなく苫小牧フェリーターミナルに到着です。
ほぼ予定通りの着岸となりそうです。無事に北海道(苫小牧)に到着しました。
苫小牧から夕張、占冠、富良野、美瑛を経由して旭川へ向かいます。
ホテルの前にHD旭川でディラースタンプを頂きます。
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苫小牧から30キロ弱、下道を走行したところで、Kさんのバイクの調子がおかしいと最後尾を走るAさんより無線で連絡が入りました。路肩にバイクを停めて様子を見ますが、「エンジンを吹かすことができない状況」のようです。少し走ってみますが、やはり改善しません。ロードサービスを呼んでディラーに運ぶこととなりました。その後もツーリング中に直すことができずに、Kさんはタンデムで北海道を楽しむこととなりました。
安平町のあびら交流センターにて昼食をとり、しばしの休憩となりました。
Kさんにとっては忘れることのできない『北海道安平町』となりました。まさか自分が北海道で「ロードサイドアシスタンス』のお世話になり、レッカー手配をせざるを得ない状況に陥るとは思っていないのでショックも大きかったのではないかと察します。
バイクはHDオートランド札幌に搬送され、修理することとなりましたが、Kさんは荷物を分散してSさんにタンデムさせてもらうこととなりました。
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忘れることのできない安平町の安平交流センターで記念撮影です。
富良野ワイン工場に到着です。ここでは記念写真とABCツーリングの写真を撮り、次のディーラー(オートジョブル旭川)に向かいます。
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目的地の一つであった富田ファームの紹介です。
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『富田ファームの豆知識』
1897年に北海道国有未開地処分法が制定され、本州等から北海道へ移住してくる人々が急増、その中にファーム富田の創始者である富田徳馬もいた。富田徳馬はその後1903年に現在の北海道中富良野町に開墾の鍬を下ろし、その苗字がファームの由来となる。
徳馬の孫、富田忠雄は1953年、当時富良野一帯においてラベンダー栽培の先駆的人物であった上田美一のラベンダー畑に出会い、1958年より香料用としてのラベンダー栽培を開始。妻と共に開始した畑は10アールの広さにまで及んだ。その後ラベンダー畑はおよそ1.2ヘクタールにまで拡大、富良野地方全体でもラベンダーの栽培地域が230ヘクタール以上に拡大したが、以降は急激に衰退。ピーク時にはラベンダー栽培農家が250戸以上・全道のラベンダーオイル生産量も5トンに上っていたが、1972年頃から貿易の自由化が始まって価格の低い香料が広まり、合成香料の技術が進み始めると、製造していたラベンダーオイルの買い上げの価格も急落。翌1973年には近隣一帯のラベンダー栽培農家がほぼファーム富田のみとなってしまった。
1976年5月の日本国有鉄道のカレンダーにファーム富田のラベンダー写真が紹介されると、徐々に観光客やカメラマンが訪れるようになった。また、その後にドラマ「北の国から」で放送されると、観光地として一躍有名になった。その後はポプリなどを中心にラベンダーの加工を始め、1980年代前半からエッセンシャルオイルの抽出に成功して香水「フロム」を発売する。また、「ポプリの舎」を開設し、化粧品製造業の免許を取得、オリジナルのラベンダー香水である「FURANO(フラノ)」を発売した。1987年には石鹸の製造業免許を取得し、「ソープラベンダー」という名のオリジナル石鹸を発売するなどした。この頃にそれまで経営を繋ぐために行っていた稲作を中止し、花の栽培や加工を経営の中核とした。
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HD旭川に到着です。
二日目の宿泊先、アートホテルズ旭川に向かいます。
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食事はバイキングで酒は飲み放題です。Aさんは一人でこれだけのカニを平らげました。
しかし、問題はそこではなく、デザートに食べようとした「ぶどう」でした。
上の写真のぶどうはディスプレイのぶどうで食べられません。Aさんホテルのマネージャーに「このぶどう食べられないじゃないか」とクレームをつけ笑われました。未だかつてディスプレイのぶどうを食べようとした人はいなかったようです。次の写真にあるのがディスプレイのぶどうです
ただ、触った瞬間に感触、重さ、冷やしてないこと等で気が付いたはずなのですが、Aさんは口に運んで初めて気が付きました。そして、マネージャーは次に日の朝食バイキングの時に「食べれるぶどう」を用意してくれました。
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三日目 6月20日(月曜日)
三日目の行程は当初は図のようなルートでしたが、少し短縮してディラーを廻るルートとしました。
ホテルから直接日本海側の留萌へ向かうことしました。そこからは海岸沿いを走り札幌へ向かいます。
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留萌近くの国道でMさんのメーターは99,999kmに達しました。それを記念して写真を撮ろうを休憩場所に入りました。
そこへ珍客が現れたのです。一匹の「子ぎつね」がバイクの周りを廻って逃げる訳でもなく、やけに人間に慣れています。バイクのエンジンを掛けても慌てることはありません。
「子きつね」と言葉は通じませんが、100000㎞を祝ってくれているのだと思います。
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10万キロ達成記念の写真です。
実はメーターを2年ほどで取り替えているので、正確な距離数ではありませんが、まーいいか!
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HDMJM札幌とHDオートランド札幌さんにてディラースタンプを頂き、Kさんはバイクの修理の状況を確認します。最終的には現時点では大丈夫だが、いつ再発するか解らないとの回答をもらい、バイクは搬送してもらうこととしました。
目的地のシャトレーゼガドーキングダム札幌に向かいます。
そして宴会のスタートです。吹き抜けになったバイキング会場は300人は入れそうな空間が広がっています。
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いつもの二次会のスタートです。
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11時を目途に2次会をお開きにします。明日も朝からツーリングですからね。
四日目 6月21日(火曜日)
朝6時過ぎにもうツーリングに出かけるカップルがいます。神戸から参加のお二人は富良野方面へ向かいます。
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本日の行程は小樽観光と余市の蒸留所見学です。羊蹄山を眺めながらのツーリングを楽しむ予定です。
その後道の駅『名水の郷きょうごく』で休憩予定です。
昨日は到着時の写真が撮れなかったので建物をバックに記念撮影です。
当初計画していた北海道百年記念塔はこんなところです。
『北海道百年記念塔の豆知識』
北海道百年記念塔(ほっかいどうひゃくねんきねんとう)は、札幌市厚別区の野幌森林公園の一角にある高さ100mの塔である。1968年(昭和43年)に北海道開道百年を記念して着工され、 1970年(昭和45年)9月 に竣工、翌年の1971年(昭和46年)4月より一般公開された。
塔のデザインは全国公募による299点の中の一つ、北海道今金町出身の井口健のものが採用された。審査員には田上義也などがいた。
塔の造形は、空に向かい無限に延びる曲線によって未来への発展を象徴し、また塔壁面の凹凸は風雪と闘った歴史の流れを表現しており、塔断面は「北」の文字を、基部の平面は六角形の雪の結晶を形象している。
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外壁は茶色の厚さ4.5-6.0mmの耐候性高張鋼板で覆われ、塔は鉄骨等も含めた鋼材の総量約1,500トンより成る。総工費は約5億円を要しており、その半分は北海道民の寄付によるとされる。
塔内の階段で展望室まで登ることができ(9:00-17:00、入塔 -16:30)、8階となる高さ23.5mの展望室からは、札幌市・江別市など[1]石狩平野が見渡せる。展望室は入場無料であるが、冬季期間(11月上旬-4月上旬)は閉鎖される。1970年代後半よりエレベーターは長らく閉鎖され、保守用となっている。また現在、塔および周辺は安全上の理由で立入禁止となっている。
野幌森林公園にあるため、北海道博物館や北海道開拓の村と隣接している。
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『小樽運河の豆知識』
1923年(大正12年)完成。日本国内唯一となる海岸の沖合い埋立て方式で造られており[1]、緩やかに湾曲しているのが特徴になっている。全長1,140 mあり、幅は臨港線沿いは20 m、北部(通称:北運河)は当時のままの40 mになっている。1986年(昭和61年)に運河の一部を埋立てて幅の半分が道路となって散策路が整備されると小樽市の観光資源になり、周辺地区を含めて観光地へと変貌した。散策路には63基のガス灯が設置されている。運河沿いにある石造倉庫群は当時の姿を残しており、夕暮れ時からライトアップしている。また、運河周辺では『小樽雪あかりの路』『おたる☆浅草橋オールディーズナイト』などのイベントを開催している。
小樽運河は、小樽港が取り扱う荷量が多くなったため、沖合いで艀(はしけ)を使った荷揚げから艀が倉庫の近くまで直接行けるために建設した水路である。
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小樽から余市に向かいます。
『余市蒸留所』に到着しました。
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『余市蒸留所の豆知識』
1934年(昭和9年)3月、寿屋(現・サントリー)を退社し大日本果汁を設立した竹鶴政孝は、酒造を営んでいた但馬八十次から北海道余市町を紹介してもらい、当地に蒸溜所を製造拠点として建設した。創業の地でもある同蒸溜所では、2014年現在も同社のシングルモルトウイスキー「余市」をはじめ主にモルトウイスキー(主原料:大麦麦芽)を製造する。蒸留所内で熟成された後は、千葉県の柏工場に送られブレンド・瓶詰めされる。
工場正門
重厚な石造である。
ウイスキー博物館
1998年に開設されたウイスキー貯蔵庫を改造して作られた施設。ウイスキー館とニッカ館にわかれる。
ウイスキー館:ウイスキーについての歴史や製造工程を展示するほか、有料の試飲コーナーを設置。
ニッカ館:創業者の竹鶴政孝がスコットランドで学んだ際の資料や夫人のリタについてなどを展示。
蒸溜棟
単式蒸溜器(ポットスチル)を設置。
当所の蒸溜は一次・二次とも昔ながらの石炭直火蒸溜である。特徴として温度調節が難しいが芳ばしい香りと力強い味を持ったウイスキーが製造が可能とされる。なお石炭直火焚蒸溜を行なっているのは世界中でも本所のみである[5]。
乾燥棟
ピートで大麦をいぶしながら乾燥させ発芽を止めてモルトを製造。
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笑顔の素敵なガイドの森さんと記念撮影です。
道の駅で軽い食事を取ります。
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今日の宿泊地グリーンピア大沼に到着です。
今、吉永小百合さんが「大人の休日倶楽部」のコマーシャルに使っている大沼公園国定公園の大沼です。今回のツーリングに合わせて頻繁に映像が流れています。
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『大沼国定公園の豆情報』
渡島半島中央部に位置し、函館市から約16kmの距離にある。活火山の北海道駒ヶ岳とその火山活動によってできた大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼の湖沼による地域となっている。公園内には大小126の小島が浮かび、春から秋にかけてはサイクリング、ランニング、ボート、遊覧船など、冬にはスノーモービルやワカサギ釣りなどのアウトドアスポーツを楽しむことができる。
江戸時代から小沼と蓴菜沼辺りは箱館から小樽方面へ抜ける交通の要衝であった。1872年(明治5年)に札幌本道が開通なると宮崎重兵衛が旅館を開業し、観光目的で訪れる人が多くなり、函館港から入国した外国人も訪れるようになった。1881年(明治14年)には明治天皇が北海道行幸の途中に休憩で訪れるなど道南の景勝地として知られていった。当時の賑わいは小沼と蓴菜沼であったが、1903年(明治36年)の北海道鉄道大沼駅開業後は大沼公園広場地区が観光地として発展した。1905年(明治38年)に北海道庁は大沼周辺を「道立公園」に設定。1914年(大正3年)には本多静六による大規模な公園整備計画を策定。1915年(大正4年)に大沼が「日本新三景」に選定された。1921年(大正10年)、道の申請により政府は公園の使用許可を下し、正式に道立大沼公園が開設した。「自然公園法」が制定されると、1958年(昭和33年)「国定公園」に指定された。
大沼周辺は2010年(平成22年)に「日本紅葉の名所100選」選定となり、2012年(平成24年)に「ラムサール条約」登録湿地となった。
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続く…