HOGロングツーリングラリーin九州(指宿・南阿蘇・志賀島)
平成26年7月20(月)・21日(火)・22日(水)・23(木)・24(金)・25(土)
参加人数 : 6名(千葉チャプター5名、岐阜チャプター1名)
天候 : 晴れ・曇り・雨・豪雨・曇り・晴れ
今回のロングツーリングラリーは九州の大自然を満期喫するツーリングです。参加者は指宿が75名、南阿蘇が85名、志賀島が75名の参加でした。千葉チャプターからの参加の5名は九州での3泊に加えて前後2泊を加えて5泊6日の旅の行程となりました。そして今回のツーリングを大いに盛り上げてくれたのが紅一点で岐阜チャプターから加わってくれたいつも笑顔の『ともちゃん』でした。
海老名SAから大阪南港(かもめフェリーターミナル)まで約500kmのツーリングです。
新東名高速の駿河湾沼津SAと浜松SAで休憩を取り、刈谷PA(ハイウエイオアシス)で
『ともちゃん』と合流しました。「ともちゃん」の見送りにIさんも来てくれていました。
青空が本当にきれいです。 この後、御在所SAで休憩して、HD奈良に向かいます。
御在所はABCポイントのため、HD奈良はディラースタンプ全店制覇のために
みなさんにもお付き合い頂いてのツーリングとなっています。
HD奈良に到着しました。こちらでも「ともちゃん」の友達がお店で出迎えてくれました。
お友達にも参加してもらい記念撮影です。
HD奈良の店に来ていたお客さんのバイクには転倒防止用の車輪がついていました。
話しには聞いていましたが、見るのは初めてでした。利用するところを実演して頂きました。
因みに金額を聞いたところおおよそ200万円とのことでした。
HD奈良で目的のディラースタンプを頂き、南港フェリー乗り場へ向かいます。大阪南港への経路は何度もグーグルマップでシミレーションしたのですが、分岐点が多くあり旅人泣かせの難易度の高い迷路となっています。それでもなんとか間違うことなく予定通りに到着しました。我々はさんふらわぁ「さつま」でしばしの船旅を楽しみます。出向前の記念撮影です。この時点では、これから待ち受ける大海原の自然の驚異を知る由はありません。バイクを載せて乾杯の時間が早く来ることを皆さん思い浮かべています。おおよそ15時間、距離で500kmほどの船旅となります。
『さんふらわぁ さつま の豆知識』
1993年3月15日竣工、同月24日就航、1997年改造。
総トン数:12,418トン、全長186.0m、全幅:25.5m、航海速度:23.0ノット
出力34,200馬力、旅客定員:782名、車両積載数:トラック175台・乗用車140台。
三菱重工業下関造船所建造。
一日目の無事のツーリングと今後の安全祈願をこめて祝杯です。
丁度西日が船内に入り写真でも判るように眩しくて前を見ることができません。
勿論、二次会の開催もありますよ。志布志にお住いのシルビアさんも参加しての二次会です。
ホールに『おやっとさぁ』の色紙がありました。鹿児島の方言で『お疲れ様』を意味するそうです。二次会も打ち上げをして、お疲れ様でした、各自眠りに付きます。この時点では船の揺れもあまり気にならずぐっすりと眠れると思い床に付きました。しかし、太平洋に出てから徐々に波風が激しくなり、3時以降は船に叩き付ける波の音と衝撃で目が覚めてしまいます。あまりの揺れに5人中3人は船酔いで顔色が悪くエチケット袋を片手にベッドを離れることとなります。Aさん、Kさん、Mさんはダウン状態です。
7月21日(火曜日)
志布志港に近づくにつれて、揺れも収まり船も安定してきました。天候の件もあり船は約1時間遅れとなりました。
下の写真は船酔いで体力を使い果たした朝の状況です。
何とか到着しました。「ともちゃん」のバイクもIさんのサポートで下船することができました。港には「ともちゃん」を出迎えに8名ほどいたのですが、1時間も船が遅れたこともあり6名が先にツーリングに出かけてしまいました。ということで2名が出迎えてくれました。志布志からは桜島を経由して知覧特攻記念会館、開聞岳、池田湖を経由して指宿に向かう予定でしたが、「中九州のT」、「つくばのY」さん、が九州を案内するとのこと、桜島SAで待っているとの電話連絡が「ともちゃん」に入りました。桜島港の船は取りやめにして高速道路で桜島SAに向かうこととしました。
桜島サービスエリアには20台ほどのハーレーが停まっていました。再会を記念して写真撮影です。
池田湖のほとりのレストランで食事です。正面に池田湖と開聞岳が見えます。天候が良ければ絶景であったかと思います。
『池田湖の豆情報』
池田湖(いけだこ)は、鹿児島県の薩摩半島南東部にある直径約3.5km、周囲約15km、ほぼ円形のカルデラ湖。九州最大の湖である。湖面の標高は66m、深さは233mで、最深部は海抜-167mとなる。湖底には直径約800m、湖底からの高さ約150mの湖底火山がある。池田湖を含む窪地地形は池田カルデラと呼ばれている。古くは開聞の御池または神の御池と呼ばれており龍神伝説がある。1961年頃より池田湖には巨大水棲生物が存在していると噂され、ネス湖の未確認生物ネッシーになぞらえて「イッシー」と呼ばれていた。1978年9月3日には指宿市池崎地区の住民約20名によりイッシーが目撃され、全国で報道されたため有名となる。湖に生息する市天然記念物のオオウナギは体長が2mに達する個体もあり、これが正体ではないかとも言われている。この他出現時期から、池田湖に放流された大型魚ハクレンの魚群の誤認ではないかという説もあるが、イッシーの正体は不明。
『開聞岳の豆情報』
開聞岳(かいもんだけ)は、鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する標高924mの火山。1964年(昭和39年)3月16日に、霧島屋久国立公園に指定された 。日本百名山、新日本百名山及び九州百名山に選定されている。山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、見事な円錐形の山容から別名薩摩富士とも言う。所在地は鹿児島県指宿市。
4,000年前頃活動を開始し、有史以降の噴火記録は6世紀ごろからあり、貞観16年3月4日(ユリウス暦874年3月25日)と仁和元年(885年)7月・8月に大噴火を起こした。このとき、山頂に溶岩円頂丘が噴出し、現在の二段式の山容となった。山体は主に粘性の少ない玄武岩だが山頂付近の溶岩ドームは安山岩でできている。
7世紀末頃の噴火による噴出物の堆積層は青コラ、9世紀末頃のそれは紫コラと呼ばれており、薩摩半島南部で広く見られる地層である。噴火の年代が分かっているので、発掘対象の遺跡の遺物がこれらの地層の上下どちらから出てくるかで、この時代の生活の変化などを知る重要な手がかりとなっている。7世紀末の噴火では被害を受けつつも、古墳時代の様式を残した生活が続いていたが、9世紀末の噴火では大きな被害を受けて集落が放棄されるなど大きな生活の変化が起きていることが判明している。橋牟礼川遺跡は9世紀末の噴火によって放棄された代表的な集落である。
なお、太平洋戦争において、旧知覧町の陸軍飛行場(現:知覧特攻平和会館)から出撃した特別攻撃隊機は、まず開聞岳へと進路をとり、富士山にも似たその山容に故郷や家族への別れを告げつつ南方へと向かったという。また、開聞岳の山麓西側の花瀬にはやはり太平洋戦争において、フィリピンで戦死した人々を慰霊する望比公園がある。
2000年(平成12年)12月12日から下旬にかけて、噴気が観測された。
天候がよければ、下のような風景が見れたはずです。
こちらでも記念撮影です。
次の目的地は、『幸せを届ける黄色いポスト』のある日本最南端の駅『西大山駅』です。
『西大山駅の豆情報』
西大山駅(にしおおやまえき)は、鹿児島県指宿市山川大山にある、九州旅客鉄道(JR九州)指宿枕崎線の駅である。北緯31度11分に位置し、1960年の開業以来長らく日本最南端の駅だったが、2003年の沖縄都市モノレール線(ゆいレール)開業に伴い同線の赤嶺駅(北緯26度11分36秒)にその地位を渡した。その際、「日本最南端の駅」の標柱を「本土最南端の駅」に改めたが、「沖縄は本土ではないのか」との意見が寄せられたことから、2004年に表記を「JR日本最南端の駅」へ変更している。なお、現存する普通鉄道(通常の軌条を用いた鉄道)の駅としては従来どおり日本最南端である。
一部の列車はこの駅で数分の停車時間を確保する乗客サービスを行っている。
次の目的地は山川砂むし保養施設です。地元の人が利用している施設です。
傑出したロケーションを誇る山川砂むし温泉、この海岸は古くから天然の砂むし場として町民に親しまれてきた場所で、10~15分の砂浴で指圧効果が働き血行がとても良くなり、いわば天然のサウナと言ってよいでしょう。砂から上がりサッと体を洗い流した後の爽快感は格別です。まさに心身ともにリフレッシュできるヘルシーな温泉が山川砂むし温泉であり、また海岸で自然の恵みを一人占めできるのも醍醐味です。
雲の動きがにわかに怪しくなり、黒い雲が我々の頭上に伸びてきました。のんびりと写真撮って大丈夫ですか?いいえ、大丈夫じゃないんです。10分早く出ていれば濡れずに済みましたが、全員がびっしょりになってしまいました。
次は目的地、宿泊地の『休暇村指宿』に向かいます。
7月22日(水曜日)休暇村指宿を8時に出発します。出発前に記念撮影です。
ロードキャプテンは九州地元のTさんです。
まずはディラーを回ってスタンプをもらいます。まずは『バイカーズステーションアクティブ』
この後、私たちは九州自動車道で熊本方面に向かいます。この時点では昼食を『らくだ山地鶏の店』で取るべく阿蘇方面に向かいます。天気は曇りですが、予報では50年に一度の豪雨とのニュースです。
『国道445号線の豆知識』
国道445号は、熊本県熊本市中央区から熊本県人吉市に至る一般国道。
熊本市中央区から上益城郡山都町までは2-4車線で整備されている。しかし、下益城郡美里町から球磨郡五木村までのうち二本杉峠(美里町側)、五家荘(八代市泉町)を中心とした区間が、未改良で離合困難な道路(いわゆる「酷道」)となっている。五木村以南はほぼ整備されているが、人吉市街に一部狭い区間が存在する。
ウィキペディアに酷道と示される道路を我々は豪雨の中合羽も着ないで走り抜けました。オートバイでもすれ違いが大変と思われる道に落石や枯れ葉が水のたまった路面に点在しています。場所によっては道が川のようになり、路面の凹凸が確認できません。幸いなことに対向車が狭い道の時に来なかったことです。そして、何とか無事通過することができました。
ずぶ濡れではありますが、休暇村南阿蘇に到着です。記念写真を撮る余裕がなくごめんなさい。
今日は屋外でバーベキューパーティです。
バスでホテルまで帰って2次会の開催です。果たして、今日は何名が集まりますかな?
酷道を制覇したこともあり、皆さん元気です。今日の2次会も気合が入っています。
7月23日(木曜日)
今日は阿蘇山を周遊するようにミルクロードからやまなみハイウェイを走ります。
『阿蘇山の豆知識』
阿蘇山(あそさん)は、日本の九州中央部、熊本県阿蘇地方に位置する活火山で、気象庁による常時観測火山に指定されている。広大なカルデラ地形(鍋型)・外輪山を含めた全域の総称。2007年、日本の地質百選に「阿蘇」として選定された。2009年(平成21年)10月には、カルデラ内外の地域が巨大噴火の歴史と生きた火口を体感できる「阿蘇ジオパーク」として日本ジオパーク、世界ジオパークに認定されている。
「阿蘇山」は通称・総称であるが、カルデラ内部に出来た中央の高い山々は中央火口丘群で、これを阿蘇五岳(あそごがく)とよんでいる。北側の阿蘇谷方面から阿蘇五岳を見た姿は、釈迦が寝ている姿=涅槃像に似ていると言われており、名物の雲海で五岳が雲間から浮かんでいる姿は特に好まれている。中央部に位置する噴火口のある山は「中岳」と呼び、一番高い山は高岳、ギザギザの山は根子岳という。各山の山頂付近は、九重連山や雲仙と並ぶミヤマキリシマの一大群生地となっており、最盛期には南郷谷から烏帽子岳の斜面がピンクに染まる山肌を見ることが出来る。根子岳は地層調査によって他の山より古くからある山であることが分かり、カルデラ形成前からあったものであると推測されている。
外輪山の内側を中心として阿蘇くじゅう国立公園に指定されている。温泉や観光・レジャースポットが点在する有数の観光エリア。夏になると多くのライダーがツーリングで訪れる場所である。
出発前に千葉チャプターと柏チャプターで記念撮影です。
休暇村南阿蘇を8時に出発して、ミルクロードからやまなみハイウェイを走り九重大吊橋に向かいます。雲行きが怪しいので合羽を着てのスタートです。
『ミルクロードの豆知識』
阿蘇外輪山南部大津付近から大観峰、やまなみハイウェイを経て外輪山北東部に至る阿蘇山を眺望する草原道路。清正公道、菊地阿蘇スカイラインと呼ばれる道路の総称のようだ。国道339号線のかぶと岩展望所あたりから、ぐるりと外輪山を周回する絶景スカイラインとなる。
阿蘇谷に雲海が発生すると、岬のように突き出した地形と道路が雲に浮かんだように見える。
そこから「天空の道」「ラピュタロード」と呼ばれるようになったらしい。
生憎の天候でラピュタロードは入り口で閉鎖されていました。天候が良ければこんな風に見えたはずです。
大観峰からの景色も天候が良ければこんな風に見えます。
今回は、下の写真の状況でした。
『大観峰の豆知識』
大観峰(だいかんぼう)は、熊本県阿蘇市にある山である。標高は935.9m。阿蘇北外輪山の最高峰であり、カルデラ盆地の阿蘇谷や阿蘇五岳をはじめ、九重連山を一望することができる。
「大観峰」の名は熊本県出身のジャーナリスト・徳富蘇峰によって命名されたとされており、古くは「遠見ヶ鼻」と呼称されていた。阿蘇谷を一望できることから熊本県内のテレビ放送局が阿蘇北中継局を設置しているほか、警察庁の無線中継所も設置されている。
大観峰を後にしてやまなみハイウェイを通り、『九重夢大吊橋』に向かいます。
『九重“夢”大吊橋の豆知識』
九重“夢”大吊橋(ここのえ“ゆめ“おおつりはし)は、大分県玖珠郡九重町にある歩行者専用の吊り橋。
日本一高く長い歩行者専用橋である。
2006年10月30日に開通。高さ173m(水面より)、長さ390mで、歩行者専用橋としては日本一の高さと長さである。なお、「世界一の専用歩道橋」としてギネスブックへの登録申請も行われたが、これは認められなかった。幅員は1.5mで、大人1,800人の荷重に耐えるように設計されている。中央部の床版はすのこ状のグレーチングになっていて、下を見ることができる。
橋からは、日本の滝百選の震動の滝や、紅葉の美しい九酔渓(鳴子川渓谷)の雄大な景色を望むことができる。
開通が紅葉の時期にあたったこともあり、入場者は、開通9日後に10万人を超え、開通からわずか24日後に年間目標の30万人を達成した。その後、翌2007年4月10日には100万人を突破し記念セレモニーが行われた[2]。同年9月16日には200万人、2008年4月4日には300万人を達成。これにともなって、入場料収入も順調で、総事業費約20億円のうち、7億3000万円の地域再生事業債は、予定より8年早く2008年9月に完済の予定である。
大分県では平成の大合併により町村数が47からわずか4に激減したが、九重町では他の自治体と合併せず「自律のまち」を目指しており、この橋は町の観光振興計画の柱となっている。現在のところ、入場者数は予想を大きく上回っているものの、観光客の町内での滞在時間が短いため、今後は、いかにして滞在型の観光地を形成していくかが課題である。町では好調な入場料収入を利用した施設の充実などに力を入れている。
九重大吊橋を見た後はディラーを回ります。HD福岡さんに伺いました。
マスターズさんでも記念撮影です。
志賀島へつづく…