平成28年3月25(金)26(土)・27(日)
参加人数 : 11名(ツーリング8名)
天候 : 快晴の3日間でした
一日目 3月25日(金曜日)
今回のツーリングはHOGスプリングラリーに合わせては伊勢志摩の自然を満喫しながらのバイク移動で伊勢神宮を中心に神社を訪ねる旅でした。全国の参加者は245名が参加していました。我々は25日の早朝に海老名サービスエリアに集合して6時出発して伊良湖岬からフェリーに乗る行程としました。そして今回のツーリングは3日間とも天候に恵まれツーリングも十分に楽しむことができました。
出発前の集合写真です。今回のスタートはこの7名です。毎度のことですが、6時出発に5時にはもう集まり始めていました。桜の開花宣言の始まった日本の中心部を走ります。
途中静岡SAで休憩を取り、伊良湖フェリーは10時50分発で30分前に到着しました。
天気は良かったのですが、風が強く波も高かったこともあり、フェリーの乗組員が10名ほど我々に近づき、波が高いのでハーレーに波しぶきがかかる説明をして、塩水等の責任が負えないので承知して乗船してほしいとのことであったが、実際はほとんど波はかからなかった。
伊良湖港と鳥羽港を結ぶ伊勢湾フェリーは55分で愛知県田原市伊良湖町と三重県鳥羽を繋ぐ国道42号の海上区間です。一時間足らずの船旅も快適でした。
しばらくすると左舷に島が見えてきました。神島が見えてきました。神島(かみしま)は伊勢湾口に位置する、周囲3.9km、面積0.76km2の島で、三重県鳥羽市に属する。三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台になったことで有名。人口は500人あまりで過疎化が進んでいる島です。
『神島の豆知識』
古くは、歌島(かじま)、亀島、甕島などと呼ばれた。神島の名が示すように、神の支配する島と信じられていた。後に八代龍王を祭神として八代神社(やつしろじんじゃ)が設けられた。神社には、古墳時代から室町時代にわたる総数百余点の神宝が秘蔵されている。各種の鏡(唐式鏡、和鏡)や陶磁器などである。鳥羽藩の流刑地であったため、志摩八丈と呼ばれたこともあった。
小説潮騒の舞台であり、5回行われた映画化ではロケ地となった。同作品中では歌島(うたじま)とされている。神島は伊勢湾の入口、渥美半島の伊良湖岬から伊良湖水道を挟んで約3.5km、志摩半島の鳥羽佐田浜港から約14kmで渥美半島寄りにある。鳥羽市側の菅島よりも伊良湖岬の方が近い。標高171mの灯明山を中心として島全体が山地である。平坦地は少なく、漁港周辺の斜面に民家が密集している。
平成12年国勢調査では世帯数は213世帯、人口は男260人、女274人の合計534人であった。『2001離島統計年報』によれば人口密度は703人/km2であり、全国の離島中15位である。
島の南部、神島小学校の横にはカルスト地形が見られる。青い海にく輝く石灰岩が美しい。
神島と伊良湖岬の間は日本の三海門の一つとされる伊良湖水道で、江戸時代に御燈明堂が作られた。明治に入り燈明堂は廃止されたが、神島付近に暗礁があることがわかり、1910年(明治43年)に神島灯台が作られた。数回の改修を経たのちに1967年(昭和42年)3月に近代化され、鉄筋コンクリートの灯台となった。この灯台には暗礁(神島コヅカミ礁)の照射灯が併設されている。
1998年(平成10年)11月1日、第50回灯台記念日の行事として、日本の灯台50選を選ぶ投票が行なわれ、神島灯台は菅島灯台とともに日本の灯台50選に選定された。
三重県鳥羽のフェリーターミナルに到着しました。まずは腹ごしらえ、10分ほど走り駐車場へ
昼食は鳥羽磯部漁協直営店の『魚々味』にて、各自好みの海の幸を頂くこととしました。
次の目的地は二見浦の夫婦岩と二見輿玉神社です。
『二見輿玉神社の豆知識』
二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町江にある神社である。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)で知られる。
猿田彦大神と宇迦御魂大神(ここでは神宮外宮の豊受大神の別名とされる)を祭神とする。
夫婦岩の沖合約700メートルの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社である。
猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれている。この神の神使は蛙で、神社参拝の後に神徳を受けた人々が神社の境内に蛙の塑像を献納するため、境内には無数の蛙像が並んでいる。これは「蛙」の「カエル」に「無事に帰る」「貸した物が還る」「お金が返る」の「カエル」を掛けた 験担ぎである。
三重県では2番目に参拝者の多い神社であり、2013年には265万7590人が参拝している。
夫婦岩(めおといわ)は日の大神(天照大神)と興玉神石を拝むための鳥居の役目を果たしている。古来、男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていたが、いつの頃からか、夫婦岩と呼ばれるようになった。この名称がついた時期は定かではないが、江戸時代中期の『伊勢参宮名所図会』に大注連縄を張った夫婦岩の絵が載せられている。
夫婦岩の間から太陽が昇る写真が、初日の出のイメージとしてカレンダー等で使われることがあるが、夏季に撮影した写真を使ったものであり、冬季は角度的に夫婦岩の間から太陽が昇る光景を見ることはできない。夏至の前後約4か月間は、夫婦岩の間から御来光が拝め、特に夏至の前後2週間ほどは、方位角約61度距離およそ200kmの彼方にある富士山山頂付近からの御来光となることから、梅雨の最中にもかかわらず、近隣の二見浦旅館街の宿泊客やカメラマンが多数訪れる。また冬至の頃には夫婦岩の間より昇る月を見ることもでき、満月の日には大勢のカメラマン・参拝者が訪れる。
根尻岩は1918年(大正7年)の台風によって根本より折れ、1921年(大正10年)に菅組が修理をしている。その際、設置角度が変わったため、現在は片理の方向が立石とは異なっている。
次に外宮に参拝です。外宮の駐車場にバイクを停めて、朱印帖を持って神社めぐりです。
ハーレー(鉄馬)に乗っている我々が神馬(白馬)に会わない訳にはいきません。
まずはここで交通安全祈願
『外宮の豆知識』
伊勢市街地、JR・近鉄伊勢市駅から外宮参道を通って5 - 6分ほど歩いた所に鎮座する。皇大神宮(内宮)ともに正宮を構成し、両宮を参拝する際は外宮を参拝した後に内宮へ参るのがしきたりとされる。 伊勢の中心にありながら、境内は平清盛が勅使として参った時に冠にその枝が触れたとされる古木「清盛楠」や、初夏には三重県花ハナショウブが咲き乱れる「勾玉池」などの自然が豊富に残され、非日常空間を形成する。 境外には伊勢の中心業務地区(CBD)かつ鳥居前前町の本町があり、伊勢市観光協会がここに本部を構える。外宮参道や駅前通り界隈には土産物店・旅館と銀行や大手企業の支社・支店が混在している。 建物は皇大神宮と同様に外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋が置かれている。建物は神職が交代勤務で24時間、警備・管理を行っている。
正宮は、正殿・西宝殿・東宝殿の3つからなるが、幾重に板垣が巡らされており、拝所からは直接見ることはできない。正殿の背後には御饌殿(みけでん)と外幣殿(げへいでん)が並ぶ。正宮の隣には次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地(みしきち)がある。この御敷地は、前回の式年遷宮の時に正宮が置かれていた土地であることから「古殿地」とも称する。
社地の面積は内宮の10分の1ほどで、内宮と異なり左側通行である。境内には多賀宮(たかのみや)、風宮(かぜのみや)、土宮(つちのみや)の3つの別宮(べつぐう、正宮に次ぐ高位の宮)を始め、斎館、神楽殿、神々の食事を調製する忌火屋殿(いみびやでん)、神酒を納めた御酒殿(みさかどの)などの建物があり、外宮の境界を守る四至神(みやのめぐりのかみ)が大庭(おおば)の前に祀られている。北御門口鳥居から北西に伸びる道を進むと、伊勢市を含む度会郡の守護神を祀る摂社の度会国御神社、更にその奥に五十鈴川河口を守る末社の大津神社が鎮座する。同じ境内にありながら、直接的に境内の参道ではつながっておらず、一度御木本道路(三重県道32号伊勢磯部線)に出る必要のある神社として、度会大国玉比賣神社、伊我理神社、井中神社がある。
外宮に参拝した後、月夜見宮と須原大社にお参りしました。
伊勢神宮は外宮と内宮が有名ですがその周りには多くの神社があり、皆さんが許せは12か所を回
りたかったのですが、旅の疲れを宿にて癒したいとの要望で4か所の神社めぐりで終わってしまい
ました。
今日の宿は松阪の「ホテルルートイン」です。松阪牛を食べたいと松阪まで戻りました。
そして夜の宴会は、松阪牛焼き肉店『一升びん』です。ホテルから徒歩5分にある焼き肉店です。
我々は体験しませんでしたが、焼き肉がベルトコンベアで廻る「回転焼肉」もありました。
『焼き肉一升びんの豆知識』
店のホームページには以下のように紹介してありました。
焼肉一升びんは、創業50年あまり、地元のお客様をはじめ多くの方々にご愛顧を頂き感謝しております。安心で安全な良質な松阪牛を数多くの皆様方に、よりお値打ちにお召し上がって頂けるよう心がけております。
創業以来、先代より受けるがれた秘伝の「みそダレ」を守り続け、松阪市に本店を築き、名古屋ラシック店を始め三重に11店舗営業させて頂いております。 焼肉一升びんは、創業50年あまり、地元のお客様をはじめ多くの方々にご愛顧を頂き感謝しております。
二日目のスタートは内宮からです。9時前なのに車の駐車場は満車です。
我々は、内宮近くのバイク駐車場に止めて内宮参拝です。
『皇大神宮の豆知識』
皇大神宮(こうたいじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。伊勢の神宮の2つの正宮のうちの1つである。一般には内宮(ないくう)と呼ばれる。式内社(大社)。
伊勢信仰の中心となる神社で、日本全国の神社で授与される神宮大麻はこの皇大神宮の神札である。親王の結婚に際して、新婚旅行として「神宮に謁するの儀」が執り行われるのが通例となっている。複数の神社を参拝する場合、格の高い神社から低い神社の順が一般的だが、神宮の通常の神事は外宮、内宮の順で行う。これを外宮先祭と呼び、参拝も外宮、内宮の順で行うのが正しいといわれる。ただし式年遷宮の遷御は皇大神宮、豊受大神宮の順であり、奉幣(ほうへい)は豊受大神宮、皇大神宮の順である。
別宮として、境内に荒祭宮と風日祈宮、境外に月讀宮、瀧原宮と伊雑宮のほか、境内・境外に27社・33座の摂社、16社・16座の末社、30社・30座の所管社を有する。
建物は豊受大神宮と同様に外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋が置かれている。建物は神職が交代勤務で24時間、警備・管理を行っている。
参拝を済まして、『おかげ横丁』探索です。昔ながらの建物は風情があります。
『おかげ横丁の豆知識』
おかげ横丁(おかげよこちょう)は三重県伊勢市の伊勢神宮皇大神宮(内宮)前にあるお蔭参り(お伊勢参り)で賑わった江戸時代末期から明治時代初期の門前町の町並みを再現した観光地である。運営は伊勢名物赤福餅を生産・販売する株式会社赤福の子会社である有限会社伊勢福が行う。 おはらい町の中ほどにあり、伊勢志摩を代表する観光地となっている
赤福社長であった濱田益嗣の指揮の下、当時の赤福の年商に匹敵する約140億円をかけて1993年(平成5年)に完成した「小さな町」である。伊勢特有の町並みである妻入の建物や伊勢河崎の蔵、桑名の洋館などを忠実に再現、あるいは移築した28の建造物群が並ぶ。お蔭参りで賑わった頃の町並みという統一したテーマの元で造られているが、おはらい町との間に門などの仕切りはなく入場料を徴収しないため、テーマパークではない。おかげ横丁とおはらい町の境界は分かりにくく、名称が類似しているせいか両者を混同するケースもある。
伊勢志摩の特産物や土産を扱う物販店を中心に45店が営業している。
おかげ横丁内にある宝くじ売り場で御利益に預かろうと宝くじを買っています。
結構な人ごみの中、うどん屋さんの入り口で「ウエルカムのマットの上で行儀よく順番を待つ猫」をアジア系観光客が見てさすがに日本の猫はルールを守ると感心していました。
今日の昼ごはんは、やはり海の幸です。志摩氏浜島町にある『磯料理ヨット』で各自昼食です。
店の看板は6月に開かれる『浜島伊勢エビ祭り』で隠れています。
創業48年目を迎えた磯料理ヨットは地元で獲れる新鮮な素材をシンプルな料理法で手頃な値段で楽しめる店です。店のホームページでは、以下のように紹介されていました。
「人気は店のネーミングをとった「ヨット定食」お刺身と焼貝の盛合わせの入った少し贅沢な定食。
さらに、ヨットオリジナルの「貝チャーハン」も人気です!
その他、季節によって旬の素材をそろえているので、後は、ご来店してからのお楽しみです。
伊勢志摩に来たら、あっぱっぱ焼の磯料理ヨットへどうぞ^^
尚、家族でやっていますので、急に休むことがあるので遠方の方はご来店前にご一報頂けると幸いですo( _ _ )o」
『伊勢エビ祭りの豆情報』
伊勢えび祭(いせえびまつり)は、三重県志摩市浜島町浜島で毎年6月の第1土曜日に開催される祭り。中日新聞社が後援している。
1961年(昭和36年)に始まった伊勢志摩に初夏の到来を告げる祭りである。祭りの開催月である6月は伊勢えびの禁漁期にあたり、伊勢えびをはじめとした海の幸への感謝と豊漁を願って催行される。また、「6」の形は伊勢えびが尾を丸めた姿によく似ていることから6月開催になったとも言われている。
「伊勢えびの町」として地域活性化を図ってきた旧志摩郡浜島町を代表する祭りで、2011年(平成23年)で51回の開催を数える。浜島海浜公園を主会場とし、約2万人の人出がある。
主催者は、浜島町伊勢えび祭保存会。2004年(平成16年)の志摩市発足以降、行政からの独立が進められており、2007年(平成19年)は志摩市より補助金490万円を支給された。
地元の志摩市立浜島中学校ブラスバンド部は、OBらとともにBGMとして演奏を行うなどして祭りを盛り上げている。
お腹もいっぱいになって少しツーリングしてからホテルに向かいます。
伊勢志摩周辺の道路はサミットに合わせて整備されているため、アスファルト舗装がいたる所で施工済みになっていて実に快適なツーリングを楽しむことができました。
「志摩パールブリッジ」で記念撮影です。
御座白浜の海水浴場まで来ました。夏は海水浴で賑やかなのでしょうね。白浜がとてもきれいです。
到着しました。「伊勢志摩ロイヤルホテル」今日の宿泊先です。
背中にビールを担い野球観戦さながら生ビールをサービスしてくれた「東京ルージュ」のダンサーにAさんはデレデレです。
両手に花で嬉そうです。
こちらも両手に花で嬉そうです。
女性たちだけで記念撮影です。
女性に囲まれて記念撮影です。
恒例(高齢)の二次会状況です。睡魔に襲われる人もチラホラ現れ、宴は閉宴としました。
最終日も天候に恵まれ、パールロードの途中で記念撮影です。
伊勢自動車道の安濃SAで今回の記念撮影は終わりです。千葉チャプターから11名の参加でした。
この先四日市でレポーターのMがひとり別行動となり、皆さんはこの後もツーリング楽しんで帰宅です。心配された雨に降られることもなく、渋滞もなく16時には皆さん帰宅されたようです。
新東名高速道路が2月13日より豊田東から浜松いなさJCTまで開通し、今回はパワーアップしますます快適になった新東名を体感しての帰宅となりました。
『新東名高速道路の豆情報』
新東名高速道路の豊田東JCT~浜松いなさJCT間(約55km)の開通によって、すでに開通した区間と合わせ、約200kmのダブルネットワークを形成します。
新名神高速道路とともに、関東~中部~関西の移動時間を大幅に短縮。日本の大動脈として、人や物の流れをスムーズにし、三大都市圏の連携を強化します。
年間600回程度の渋滞が発生している、東名(三ヶ日JCT~豊田JCT間)。
新東名(豊田東JCT~浜松いなさJCT)の開通による交通の分散によって、大幅な渋滞緩和が見込まれ、移動時間が短縮するとともに交通事故の減少が期待されます。
御殿場JCT~豊田JCT間の所要時間が、東名のみ(2010年当時)を通行した場合の所要時間(朝夕の平均速度から算出)と比較し、約60分の短縮となります。
ダブルネットワークの形成で、渋滞の大幅減少や、交通事故等による通行止め時の代替経路の選択が可能となり、定時性が確保されます。
新東名が延長開通したことで、私事ではありますが、実家の四日市から一度も給油することなく柏まで帰宅することができました。(約405km)
HOGラリーに参加された皆様、お疲れ様でした。
そして今回の思い出に残る楽しいツーリングをすることができました。有難うございました。
Photo/Text by Three village