2013年11月15日(金)・16日(土)・17日(日)
参加人数:7名(ツーリングは5名)
天候:往路の前半は雨その後は晴れ
今回のツーリングはH.O.G.の玉造・宮津へのツーリングでした。玉造・宮津といっても全国的には出雲大社と天橋立を訪ねる旅と言った方が解り易いと思います。1日目は海老名5時30分出発で玉造温泉までの800kmを1時間毎の休憩を取りながら約9時間を掛けて走りました。写真は(途中の渋滞もあり予定を少しオーバーしましたが)全員無事に到着した時の記念写真です。玉造温泉での参加者は全国から約90名でした。
1日目の宿泊先は、『玉造グランドホテル長生閣』です。平成の大遷宮で賑わう出雲大社の60年に1度の年とあって今年はほとんど満室だそうです。特に縁結びの神様ということで若い女性が多く宿泊されるとのことです。独身の男性は『恋の縁結び』が待っているかもしれませんよ!
『玉造温泉の豆知識』
玉造温泉の概要「出雲国風土記」「枕草子」にも登場する古湯。松江市から車で15分の場所に広がる「松江の奥座敷」。玉湯川沿いに、老舗旅館や充実した施設を誇る大型ホテルからこじんまりとした宿までが集まり温泉街を形成。玉造のシンボル“勾玉(まがたま)”をかたどった勾玉橋が川に架かり、春には一面に桜が咲き誇る。日が沈むと各宿に灯りがともされ、散策に出歩く浴衣姿の宿泊客も。温泉情緒が一気に高まっていく。散策後は宍道湖の幸。海水と淡水が混ざり合う汽水湖の宍道湖は、魚介類が豊富。「古事記」の神話にも登場する「すずきの奉書焼き」などの“宍道湖七珍”は、ぜひ賞味してみたい。他にも冬場の松葉ガニや黒色の出雲そばなど、山陰の味覚が旅の夜を彩る。
旅の疲れを癒す温泉と御馳走、そして仲間たちとの語らいの時間、十分に堪能いたしました!
今回のイベントのひとつは、指名された有志による安来節「どじょうすくい」の演舞です。Tさん、鼻の下の5円玉がよく似合ってますよ! 踊りは一寸腰が高いですね!
『安来節の豆知識』
安来節(やすぎぶし)は島根県安来地方の民謡。「やすきぶし」と誤読されることが多いが、正しくは「やすぎぶし」である。「安木節」と表記されるのは誤りである。
おなじみのチャプター紹介です。今回はこのツーリングで見事『殿堂入り』を果たすTさんの10万マイルへの経過報告です。後で気が付いたのですがMさんも一寸前に『殿堂入り』していました。
おみくじを頂いただけですが、とても嬉しそうに自慢しています。下の写真は千葉チャプターの記念写真です。いつものことですが招待メンバーも参加しています。
2日目の朝、街を散策してみました。温泉街の中央を流れる玉湯川は遊歩道が整備され気持ちのいい空間になっています。神話の時代から『まがたま』つくりがさかんな玉造、今でも、町には『まがたま』がたくさんあります。探していると楽しくなってきます。玉造に泊まった朝は、早起きして朝風呂に入ってから、玉作湯神社へ参拝にいく若い女性が多いようです。特に今年はブレークしているとのことです。
川の中に石で描かれた「まがたま」がありました。「まがたま」の真ん中にある石は青メノウの原石で『触ると幸せになる』とか。そんなこともあってか、先ほど若い女性達が川を渡ろうと躊躇していました。
8時に玉造温泉を出て、出雲大社に向かいました。8時半ごろ到着したのですが、多くの人が参拝に訪れていました。ラッキーなことに近くの駐車場を探すことが出来てついています。ちなみに駐車場はほとんどの場所が無料です。ですから、近いところから埋まっていきます。
最初に目に入ったのが、二の鳥居あたりに長い行列、出雲大社の本殿からはまだ距離はありそうなので、列には並ばず先を進みました。
後から解ったのですが、正門鳥居から入る正式な参拝ルートがあったのです。ホームページで紹介している為、皆さんその正式ルートで参拝しようと並んでいたのです。長い列の原因は最初にお参りする小さな社が、祓社(はらいのやしろ)といって、心身を祓い清める。狭く小さいので一人ずつしかお参り出来ません。ここだけでどれぐらい時間が掛かるかわかりません。
我々は拝殿まで進み記念写真を撮り、御朱印帳を戴き、どうしても見たかった神楽殿の注連縄の下で記念撮影しました。
『神楽殿の豆知識』
神楽殿 -- 拝殿の西側、荒垣外に位置する神楽殿(かぐらでん)は明治12年の出雲大社教創始の際に、本殿とは別に大国主大神を祀ったことに由来する。正面破風下に張られた長さ13m、周囲9m、重さ5tの大注連縄は日本トップクラスである。神楽殿では婚礼なども執り行われている。
国旗掲揚台 -- 神楽殿南側には高さ47mの国旗掲揚台があり、日本国内で最大の日章旗が掲げられている。旗の大きさは畳75枚分、重さは約50kgに達する。通常は朝掲揚され夕方に奉降されるが悪天候時にはこれを行わない場合がある。
我々が大注連縄の下で記念撮影をしていたところ、岡山の5人組の素敵な女性達が「写真を撮りたい」と声を掛けてくれました。もちろん一緒にとりましょうとフラッグを渡し記念写真を何枚も撮りました。『ポーズをとるのがとても慣れてますね!』『関心!』
出雲大社から離れる時、偶然にも彼女たちが私たちに気が付き手を振ってくれました。バイクに乗っていれば目立ちますからね!
出雲大社を9時半に出て、島根県の「シラガミ」と鳥取県の「ライダースポットムラタ」を経由して宮津ロイヤルホテルに向かいます。
到着しました天橋立、下の写真は日が沈みかけた天橋立をホテルから取った写真です。
『天橋立の豆知識』
天橋立(あまのはしだて)は、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂州である。日本三景の一つ。天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州とされる。形成についての詳細には諸説ある。2万年前に宮津湾が完全陸地化して後、約7~8千年前に氷河期が終わって海面上昇が落ち着くなか当初水中堆積で発達が始まり、縄文時代の後氷期(完新世、約6千年前)に急速に成長し、2~3千年前に地震により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、有史時代に現在の姿にまで成長したとされる。砂嘴の幅は20メートルから最長170メートルに達し公路となっている。宮津湾の西側沿岸流により砂礫が海流によって運ばれ、天橋立西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかることにより、海中にほぼ真っ直ぐに砂礫が堆積して形成されたとされている。日本では、外洋に面さない湾内の砂州としては唯一のものであり、白砂青松を具現するかのごとく一帯には約8,000本の松林が生え、東側には白い砂浜が広がる。風土記(丹後国風土記逸文)では、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天に通うために梯子を作って立てため「天の橋立」といったが、大神が寝ている間に倒れて現在の姿になったとされる。
本日も宴の始まりです。かにが1匹、これを食べている時だけが静かで、ほとんどの人が無口になってしまいます。真剣にかにと格闘しています。
Fさん、くっ付き過ぎですよ!!
こちらは千葉チャプターの記念撮影
今回も開催しましたよ、2次会の模様です。
3日目は8時出発で天橋立に上陸です。駐車場も一番近いところにとめることが出ました。
天橋立の智恩寺でおまいりと御朱印帳を戴き京都を後にして千葉を目指しました。
『智恩寺の豆知識』
「三人寄れば文殊の智恵」で知られる臨済宗の古刹。雪舟筆の「天橋立図」(国宝)にも描かれている。黄金閣とよばれる山門をくぐった境内にある多宝塔は、国の重要文化財に指定されている。和泉式部の歌塚もあり、学業成就を願う人々が全国から訪れる。
今回のツーリングで走った距離は1日目が810km、2日目が360km、3日目が660km、合計1,830kmでした。思い出に残るツーリングが出来ました。お疲れ様でした。
Photo/Text by Three village