8月定例 喜多方ラーメンツーリング レポート

2013-08-27 16:04:17 | 日記

2013年8月25日(日)
参加人数:33名
天候:スタートは曇り一時激しい雨、途中よりほぼ晴れ

今回のツーリングは喜多方ラーメンを食べようと企画されたツーリングでした。集合場所は東北自動車道の羽生PAで、7時集合、7時30分出発の企画です。集合された皆さんは雨合羽を着用して完全防備です。予報では福島では晴れているとの情報でしたが、現在は羽生では雨がポツリポツリの状況です。

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ごらんのような灰色の空です。それでも集まった皆さんはうれしそうです。バイクとツーリングが嬉しくてたまらないのでしょうね? もちろんラーメンも大好きと思います。

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ここは那須高原SAです。ここまで来るとやっと青空が顔を覗かせています。やっと合羽を脱げそうです。それでも数名は合羽を着たままの走行を選んでいました。

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こちらのAさんのヘルメットは今回のツーリングには直接関係がありませんが、このペイントはAさんの奥さんが数年がかりで描かれた作品ということです。手書きといわれなければ判る事がない出来栄えでしたので、紹介させていただきました。愛情のこもった作品ですから熱いものを感じます。

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磐梯山がきれいに見えています。(磐梯山SA) 今回のツーリングは全走行距離は600km以上あるため全員が2回以上の給油を必要としました。休憩度にガソリンスタンドは長蛇の列です。

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11時過ぎには喜多方に到着したかったのですが、磐梯山SA出発時点で11時となってしまいました。雨と給油時間で時間が掛かってしまいました。

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11時40分無事喜多方の駐車場に到着いたしました。快晴の空をバックに記念写真です。13時30分出発で各自目的のお店に向かいます。

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MさんチームはAさんと相談のうえ、迷うことなく『まこと食堂』に向かいます。到着時点で30名ほどが並んでいました。後からここへ来たTさんたちはあきらめて他の店を探しにいきます。「何処へ行っても同じなのにね」

約40分待って入店が許されました。内部は座敷とテーブル席があり、我々は座敷に通されて各自が好みのラーメンを頂くことが出来ました。

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室内には芸能人や文化人が来店の記念にサインを残していました。見えている範囲でも100名以上のサイン色紙が額に入り飾られていました。

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こちらが一般的な中華蕎麦(支那そば) 600円でボリュームもありました。「ご馳走様でした」
「たいへん美味しくいただきました」

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こちらが『朝昼屋(あさひや)』表に数名が並んでいました。

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こちらが『あべ食堂』、10名ほど暑い日差しの中で並んでいます。街を革ジャンで闊歩している人たちを発見、店をまだ決めかねているようです。(20分ほど経過していますよ)

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こちらが『待つ食堂』ではなくて『松食堂』 20名ほど並んでいますね!

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そしてもっとも行列が長かったのが、『坂内食堂』 50名ほど並んでいますでしょうか? この列に到着時点から並んでいたSさんは1時間並んだところで断念しラーメンを食べずにソフトクリームでお腹を紛らわすこととなりました。

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こちらは『朝昼屋』さんの「ねぎそば」と「ひまわりラーメン」

『喜多方ラーメンの豆知識』
喜多方ラーメン(きたかたラーメン)とは福島県喜多方市周辺で作られるご当地ラーメン(ご当地グルメ)である。喜多方市(合併前の旧喜多方市)は人口37,043人に対し、120軒ほどのラーメン店がある(対人口比では日本一)。札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられている。

『喜多方ラーメンの歴史 豆知識』
昭和初期、市内ラーメン店「源来軒」の藩欽星が、中華麺に近い「支那そば」を打ち、屋台を引いたのが原点となっている。当時は、戦争の影響による食糧難の時代でもあり、この「支那そば」は市民にとって、すばらしいご馳走であり、その味は、市民生活に浸透していくこととなった。市民の味となった源来軒から、その後、「支那そば」作りのノウハウを継承する人間が増え始め、市内の多くの「食堂」が「支那そば(中華そば)」をメニューに出すようになった。このような流れから、現在も、市内の多くのラーメン店が、「○○ラーメン」という屋号ではなく、「○○食堂」という屋号を使っているところが多い。
現在、喜多方市はラーメンの街で知られるが、喜多方市の観光の原点は、「蔵」から始まる。市内の写真館「金田写真荘」の金田実が、四季を通して蔵の写真を500枚ほど撮り、その写真展を東京で開催したことで「蔵のまち喜多方」が浸透した。そのような流れの中、1975年(昭和50年)、NHKの「新日本紀行」で、「蔵のまち喜多方」が紹介されたことで、喜多方を訪れる観光客が急増した(「新日本紀行」での放映は、NHKプロデューサー須磨章が著した「蔵の夢」(三五館出版)に詳しい)。

『まこと食堂の豆知識』
喜多方市は、「新日本紀行」をきっかけに蔵の街として観光客が訪れる街となったが、一方で、蔵の観光だけでは、2~3時間程度の滞在となり、観光収益の増大のためには観光客の滞在時間の増加が課題となっていた。1982年(昭和57年)頃、市の商工観光課の職員は、団体の観光客の滞在時間増加を図るため、団体客のための昼食場所を探し始めたが、市内の日本料理屋には団体客を受け入れるスペースなどがないことから、市の御用達としているラーメン店に目をつけ、団体客用の昼食場所として、観光業者に紹介を行った。
市が紹介したラーメン店は「まこと食堂」であったが、1杯数百円の安い値段のお店を昼食場所に紹介することに一抹の不安もあったことから、民放の関係者を「まこと食堂」に連れて行き、意見などを聞いた結果、「まこと食堂」のラーメンが特徴的であるとのことから、民放のテレビ番組に取り上げられることとなった。同時に、観光協会が買い上げている日本交通公社(現JTB)の「るるぶ」のPR記事1ページ分に喜多方ラーメンが紹介され、更に、NHKなどでも取り上げられたことから、喜多方ラーメンが1982~83年頃よりよく知られる。

「蔵のまち喜多方」の紹介です。

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今でこそラーメンで有名な喜多方はもともと「蔵のまち喜多方」から始まったことがよく解りました。そのほかにも、喜多方レトロ横丁は興味深いミュージアムが数多くあり、短時間ではとても回りきれません。次回は個人的にゆっくり探索に来るつもりです。

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『道の駅 裏磐梯』での記念写真です。こちらで休憩を取り、磐梯山ゴールドラインのワインディングを楽しみながら帰路に着きました。

上河内SAでの解散が17時30分となり、帰宅時間が予定よりも遅くなってしまいました。参加されたメンバー様、お疲れ様でした。

photo/Text by Three village

メガディーラーハーレーダビッドソン松戸
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