朝から京都に行って、京セラ美術館を見終わった時点で14:30ぐらい。
さて、遅くなったけどどこかでランチしよう、とマップを開けて、一応前もって目星をつけていたおばんざいのお店を調べたら、なんとお昼の営業は14:30まで
そうか~、お昼時を過ぎたら休憩なのね・・・と他の場所を見ると、軒並み「営業終了」になっていて、結局以前にも行ったことのあるお蕎麦の「権太呂」へ(ここは昼休憩してなかったの、助かった)
冷やしちらし蕎麦。鶉卵の下にあるのはショウガの甘酢で、めっちゃいいアクセントになってるのと、そばの実入りのゴマ豆腐がんま~い
あと、ゴボウの炊き込みご飯で満腹となったところで、腹ごなしもかねてもう1か所へ出発。
それが「細見美術館」というところ。
京セラ美術館からはもう目と鼻の先だったんだけど、ちょっと離れて権太呂へ寄って、それでも10分ぐらいという近さ。
外観の写真を撮り忘れたのでお借りした写真
こじんまりしたところですが、ステキなところでした。
今回は
ルーブルとは対極の、日本画。
これがめっちゃ面白かった
お土産に買ってきた一筆箋は若冲の「糸瓜群虫図」という絵なんだけど、入ってすぐにこれがあって、本当に素敵で見惚れました。
若冲ってド派手な日本画っていうイメージがあるけど、こういうしみじみとした味のある絵もあるんですね~。もう、何時間でも眺めていたかった。
ここはどれも撮影は不可だったのでここでお見せできるものはないんだけど、HPで少しだけ見れます。
琳派とか酒井抱一とか名前しか知らなかったけど、今回魅了されました。
ちょっと調べたりしてみよう。
あと、感動したのがね、「重要文化財 春日神鹿御正体」の本物が見れたこと
春日神鹿御正体|和彫りの名品 |和彫り 伝統の彫金技術|結婚指輪・婚約指輪の俄 NIWAKA
これまた見惚れて、しばらく動けなかった一品でした。
ここはもう一回ぐらい行きたいなぁ。展示替えもあるみたいだし・・・
図録や画集で見ることもできるけど、やっぱり本物だからこその魅力ってあるよなぁ・・・と感動したのでした。
1日中、ほぼ立ちっぱなしで歩き回って、今日は起き上がれなかったりして・・・とか思ってたけど、そうでもなかったです。
足はちょっと痛いけど。
蒸し暑かったけど少しだけ気温が下がって来てるのが良かったのかも。
絵が好きなのって、私にとっては数字をわかりたいっていう興味と地続きにあります。
つまり、自分にはできないことを出来る人への興味、憧れ、好奇心。
逆に言うと、絵を描く能力って、もしかしたら理系なのかな。
文系の取り柄というか、理系の人から見た文系の謎な部分ってなんなんでしょうね?
なんか話が脱線してきたのでこの辺にしておきます
ちょっと大げさだけど、久しぶりに生きている喜びを感じられたような1日でした。
一昨日の宅トレで完全復調を確信したため、昨日はお出かけしてきました。
もともと、24日で終わってしまう京セラ美術館のルーブル美術館展に行く予定にはしてたんだけど、元気出た!となるとそれだけで帰ってくるのはもったいないと思ってしまって、興味のあるところを回ってきました。
と言っても、3か所なんだけどね
まずは 美術館「えき」KYOTO で開催している「芭蕉布 人間国宝・平良敏子と喜如嘉の手仕事」
入ってすぐのところだけ撮影可。
遠目で見るとただの絣の着物のように見えるけど、すごく繊細な織物。
会場内で「芭蕉布ができるまで」のビデオが流れているのだけど、糸芭蕉から繊維を取って糸にして染めたりして織り上げるまで、ものすごーく手がかかっているのです。
地産のもので工夫をして生活をするのが当たり前だった時代の知恵の結晶なんだな、と。
糸の種類で着物から日用品までいろいろ出来るのだけど、やっぱり着物
薄くて軽くて肌触りが良さそうで涼しそうで、色合いが、一見無地に見えるものでも1本1本の微妙な違いですごく複雑な深みのある色合いになっててステキでした。
今では高級品だけど、これを普段着にしていた時代があったんだなと思うと、なんと今よりずっと贅沢な時代だったと言えるよね~、と感じ入ってしまいました。
手触りが感じられる何かをお持ち帰りしたいと思っていたのだけども、ショップに行ってみてびっくり。
手のひらサイズの小銭入れで9900円。ちゃんとした長財布となると5~6万。
それでも手ぶらで帰るのは寂しくて、お守りをお買い上げしてきました。
ここは朝イチで行ったせいもあったのか、来場者が少なくて、私と同じぐらいな感じの女性が多くて、シンとした空気の中で静かに見て回る時間は快適でした。
そこから平安神宮の方へ向かうのに、地下鉄の乗り換えがメンドクサイなと思ってバスに乗ろうと思ったら・・・
バスの乗り場がわからない!歩き回ってようやくたどり着いたら長蛇の列!
連休のハザマの平日だから少しは空いてるかな~、なんていう思惑は甘すぎた。
コロナ前の「ここはどこの国?」と思ってしまう京都に戻ったわ~、と気長に構えることにして、そのままバスに乗っていきました。
次はお目当ての京都京セラ美術館。
そそられるポスターでしょ?
念のため事前予約チケットを取って行って正解だったな、という混み具合。
ここは女子グループとカップル率が多かったです(さもありなん)
音声ガイドが、満島ひかりちゃんと、知る人ぞ知る声優の森川智之さん。
これは借りない選択肢はないね
構成は
プロローグ:愛の発明 から始まって、
- 愛の神のもとに―古代神話における欲望を描く
- キリスト教の神のもとに
- 人間のもとに―誘惑の時代
- 19世紀フランスの牧歌的恋愛とロマン主義の悲劇
で展示数74点と多くて見応えはありました。
見応え「は」と書いたのは、正直途中でちょっと飽きちゃった・・というところもあって
今回テーマが「愛」とはっきりしてる分、それぞれの絵に奥深さはあまり感じられなかったのと、「ものすごく良く解釈してるよね」と思ってしまう解説もあったりして、「う~ん」と思う事もあって。
撮影可だった作品をここに置いておきます。
アポロンとキュパリッソス(クロード=マリー・デュビュッフェ)
これ、スマホで検索するとぼかされて表示される
美しいけど、今の今は、感想を述べるのは難しいというか勇気がいるというか、そんな絵でもありますね。
アモルとプシュケ(フランソワ・ジェラール)
ポスターにも使われてる有名な絵で、実物はさすがにたくさんの絵の中でも際立っていました。
アビドスの花嫁(ウージェーヌ・ドラクロア)
巨匠ドラクロアのこの絵が撮影可というのは、結構な大サービスだと思いました
の「アモルとプシュケ」みたいなつるっとした肌感の、ファンタジックな色合いのヨーロピアンな絵が多い中で、これはタッチも色遣いも違っていて、なんていうか、ここまで来てこの絵って(もう終わり近くにあるので)すごく良い「口直し」のような新鮮さを感じてしまった。
ルーブル展について長々と書いてしまったけど、この後行った細見美術館が今回の目玉というか大穴というか、行って良かったと感動したところでした。
長くなったので「その2」に続けます
本題の前に・・・
今日から宅トレ再開しました
ブログ仲間さんのなつさんやまるこさんほどしっかりしたものではないけど、ラジオ体操第一~第三
に続けて、「毎日10分 お家でウォーキング」
腕を大きく振って、腿も高く上げてすると、結構な運動になります。
久しぶりだったのでキツかった・・・
身体が慣れてきたら & もう少し涼しくなったら、エアロバイクも始めようと思います。
エアロバイクは、夏の間は部屋にエアコン入れてても暑すぎて無理だった・・・
実は今日のお昼ご飯、ご飯もパンもなくて、昨日の夕飯の残りのモヤシ炒めしかなくて、インスタントラーメンにモヤシ炒めを乗っけて食べたのです。
これをね、普通のラーメンと同じく3分煮ると、良い感じの柔らかさの細麺ラーメンになるのが最近気に入ってて。(カタ麺は苦手)
コロナで体重も体力も落ちたし、今ならちょっとぐらいいいだろう、なんて自分を甘やかして、最近よく食べてたんです。
でも今日は食べ終わってから、むくむくと罪悪感が湧いてきて・・・
そうだ、そろそろ運動再開しよう、となったのでした。
倦怠感もほとんどなくなって、ようやく復調かな。
さて、本題。
昨日、電車で出かけて、出先の駅の待合室に日傘を忘れてきてしまったんです。
電車に乗ってすぐ気が付いたので、自宅最寄り駅に着いてすぐ駅の係員さんに言って、すぐに見つかったのは良かったのですが。
この私鉄、以前は忘れ物が見つかったら最寄り駅まで転送してくれていたんです。
それが「今はそれ、やってません」。
えぇ~、なんですと~
当日中に忘れた駅に取りに戻るか、その後は大阪の「忘れ物センター」に移されるのでそこまで取りに行ってくださいと。
あ、あと、着払いで送ることはできますよ、と。
じゃあ、家族が仕事帰りにその駅を通るから、家族が行ってもいいですか、と訊いたら「原則本人で、代理人の場合は委任状と本人と代理人双方の本人確認証がいる」とのことで。
うーん、まあ、お金の入ったお財布とか大事なパソコンとかの場合もあるから、引き取りのルールはそれでも仕方ないだろうけど、なんで転送してくれなくなったんだろうなぁ・・・
ということを、家で息子に話したら「やっぱり、忘れた人が悪いからじゃない?」とのこと。
「きっといろいろあったんだよ。転送したけど取りに来ないとか、これじゃないとか、傷がついてるとか壊れたとかさぁ。そもそも忘れたり落としたりした方が悪いのに、勝手なこと言うやつが多いんじゃない?今どきは」
なるほどねー、そうかもね。
と、そう言われれば納得したけど、やっぱりちょっと不親切になったなぁ、という気持ちは消えず。
困ってるお客さんのこと考えたら、そのくらい、と思うのは通用しないのかな。
そういえば、駅も、窓がぴったり閉まっていて、「ちょっとすいません」って気軽に駅員さんに声が掛けられないようになってたのも気になったのでした。
インターホンはあるんだけど、二つあって、一つは駅の事務所じゃなくて遠隔センターに繋がるもので、私は最初そっちのボタンを押してしまったので「忘れ物についてはテレホンセンターに電話してください」と言われて、「えぇ~、めんどくさ~」と思ってたら別件で駅員さんが出てきたので、その人を捕まえてようやく、だったんだけど、結果は「もう転送はやってません」で、やっぱり「えぇ~、めんどくさ~」
だけど、うん、やっぱり忘れてきた自分が一番悪いのよね。
大事な物なら取りに行かなきゃね。
東京の親友とお揃いの日傘なので手離したくないから、来週、取りに行くことにしました。
「転んでもただは起きぬ」の精神で、大阪まで行かなきゃやってないような映画でも見て来ようかな~。
私は算数、数学、が壊滅的に苦手です。
四則演算だけならいいんだけど、図形とか「考え方」っていう単元が出てきてからはもうダメで。
小学校3年生の時、その時の担任の先生は、テストをやった時に生徒自身に「予想点数」を書かせる人でした。
それは「ちゃんと見直しなさいよ」ということだったのだと思うのだけど、算数に関しては私はいつも「よそう100点」(そして結果はせいぜい60点)
わかっている教科だと、自信の持てる解答とそうでない解答がわかるけど、算数については根本からわかってないからそうなるんですよね。
いつも「よそう100点」と書かれた50点とか60点とかの答案用紙を持って帰ってくるので、勉強のことはあんまり言わない母が、そのころ大学生だった従兄に家庭教師を頼んでくれて、小学校の算数はそれでなんとか乗り切った感じでした。
でも、中学以降、算数が数学になってからはもう打つ手なし・・・
高校受験の時はまだ、数学で取れない点数を国語と英語で補う、ということが出来たけど、高校では2年の時についに数学の先生から見放され。
定期試験が赤点で追試になったのだけど、私もちょっと反抗期だったこともあって、スルーしたのです。
が、もう注意も文句も言われず。
まあ私の年代は、センター試験が始まる前年で、文系の生徒は数学出来なくてもいいよ、っていう時代でしたから。
でもね、数字が嫌いなわけじゃないんですよね。パズルとか数独とか好きだし・・・
数学も、わからなさ過ぎて逆に興味があって、知りたい、わかりたい、と思う気持ちは強いのです。
先日、書店でこんな本を見つけ、ここから入ったらもしかしたら少しは理解できるようになるかも、と思い、購入しました。
そして、一昨日から読み始めました。
まずは第0章、ここはただただ面白く読んで、ここから先への期待も膨らみ、ワクワク
そして第1章の扉を開けて入ってみたら・・・
最初の4ページの中に「自然数」「整数」「有理数」「無理数」と、それぞれについての「閉じている、閉じていない」が書かれているのですが、それだけでもう、私の頭は大混乱
「なるほど、わかった」と思うそばから「え?え?さっきと違う事言ってない?」
たった4ページでこれでは・・・
とにかく誰かわかっている人に、いちいち「こういうこと?」「こういう理解であってる?」と確認しながらでないと、とても先に進める気がしない。
しかし我が家は悲しいほど文系家族・・・
娘はSEとかやってるけど、数学が得意だったわけじゃないし・・・
で、「Yahoo知恵袋」というところに質問してみようかな、と思ってその質問文を書いているうちに・・・
躓いていたところについて「ああ、そういう事か」「なるほど、そういう事か」と霧が晴れるようにわかっていったのです。
不思議だ~、でも、わからないことを書き出してみるって大事なんだな・・・・・としみじみ実感しました。
・・・・・今頃かよ 50年遅いわ・・・って感じではありますが・・・
とにかく、数とは「0,1,2,3,4,5,6,7,8,9」だけじゃないんだなってことはわかりました。
まさに「世界の見え方が変わった」って感覚。
でもそういう風に考えた人、考えられる人、すごいなぁ。
だって、目に見えてるのはこの10個だけなのに、それをいろんな角度から見て分類して。
それを難なく考えられる脳が、すなわち「理系脳」なんでしょう。
そういう「理系脳」の見る景色が、バリバリ文系脳の私にも少しは見えてきたらいいなぁと思いつつ、読書を進めます。