A.愉しい時間を数えてみる
1日は24時間あって、そのうち6時間から7時間はこの世で肉体の均衡を維持するための覚醒するのを忘れた睡眠時間で、あとの8時間はお金を稼ぐための労働時間で、それに2時間ほどは電車に乗ったり歩いたりの移動の時間で、残りの5時間ぐらいは食べたり排泄したり身体を洗ったり、全部差し引くとあと2時間ちょっとが自由な時間である。さてその日々の2時間ばかりの時間に、ぼくは何を考えているのか?スポーツクラブでウェイトトレーニングをしたり、6キロ必死で走ったり、本を読んだり映画を見たり、ときには絵を描いたりピアノを弾いたり、アルコールを飲みながら言葉を書きつけたりしているのだが、そのことにどれほどの意味があるのか?わからない。
誰にとっても24時間の時間と空間は平等に与えられているはずだが、それをどう使うかは難しい問題だ。駅前のパチンコ屋の前を通り過ぎるとき、どうしてこんなにたくさんの人たちが、ガチャガチャと騒々しいパチンコ台の前に座って、自分の人生の4分の1の時間を過ごそうなどと考えるのか?いや、たぶんそんな超越論的な思考をしているのではなく、ただ家に座ってぼ~っとしていることに生理的に堪えられないから、ふらふらとパチンコ屋に来て、穴に落ちる玉と自分を同一化しながら一瞬の出玉の喜びに萌えたいのだろう、と想像している。どうしようもなく淋しい人がいっぱいいる。救われない悲しみに悩む人がいる。だから猫を貸してあげる。
ぼくのうちにも猫がいるのだが、一日家を空けると猫はしつこいほど「遊べ」「カマって!」とすり寄ってくる。猫はぼくの24時間にとってわずかな数分間を占有しているにすぎないのだが、それがあることによってたぶん、この世界に生きることの実質を気づかせてくれている、のかもしれない。
どうも去年の秋からテレビのニュースを見るたびに、ペシミスティックな気分に襲われて、本を読んでものを考えても、ふつふつと怒りの感情に捉われた。「栄光の経済成長もういちど」「日本は何も悪いことはしていない」「日本人の優秀な能力と道徳や伝統は世界に誇るべき美質である」「外来思想の人権や個人主義などはとるに足らない妄想で、日本には固有の万世一系、唯一正統な天皇という価値を戴くからこその優位があるのだ」などという言説が、大手を振ってまかり通る奇妙な風景が画面に現れる。それは安倍政権が国民の多数の支持を得ている(投票率と作為的な選挙制度のまやかしを問わない限りで)という幻想によって、確かに日本の状況が局面転換していることは間違いない。
ぼくの生まれた日本、ぼくの育った日本の文化、ぼくの話している日本語、ぼくの関わった親しい日本人たち。排他的な「国家」という観念ではなく、人がこの世で生きるときに大切にすべき間主観性のざらざらした手触りの感覚。それを信じられるなら、現在のこの気味の悪さはどうしたら反転させることができるだろうか?
たとえば今この現在ぼくは、荻上直子という監督が作った「レンタネコ」という実に楽しい映画のエンディングを見ている。流れている音楽は『ドドンパ!』♪この歌詞は「すきに~ィなあったら~♪、離れェられなあ~い、それは~・・初めての人、ふるえ~ちゃうけど、やっぱり~ないている。それは初めてのキス、甘いキッス~、夜を焦がして、胸を焦がして、はじめるリズム~♪、ドドンんパ!ドドンんパ!ドドンんパ~!はあたしの胸に、消すに~消せない火をつけたあ~♪」
東京ドドンパ娘とは今をさる1961年に、渡辺マリというド派手な歌手がヒットさせた4ビート強調「ドドンパ ソング」である。 作詞:宮川哲夫、作曲:鈴木庸一。 ドドンパブーム真っ只中にヒットした リズム歌謡でありポップス。洋楽のリズム・マンボと日本のリズム・都々逸(ドドイツ)が融合した奇跡的な歌謡、今はもう忘れ去られた音楽である。いや~、何が感動的かといってこれほど感動的なものはない。
B.世界は絶望するにはあまりにも愉快で、いくらでも変わるし、困ったことに日本は無節操だ!
1972年8月という過去のある一時点で、2人の人物が語り合っていた。ほんの1年前まで隣の中華人民共和国を忌まわしい共産主義国、日本を脅かす敵と考えていた日本は、6月佐藤栄作首相が退陣し、次を争った自民党の実力者「三角大福」のうち庶民宰相田中角栄が国民の喝采のうちに勝ち抜いた。9月田中首相は北京を訪れ周恩来、毛沢東と会見。日中は国交を回復した。
その頃ぼくは、しょぼくれた大学生だったが、この年に何があったか、ぼくはもう忘れていた。もう歴史の部類に入るこの年を、本を引っ張り出して確認してみた。 1月、横井庄一軍曹グアム島のジャングルで救出帰国。2月に軽井沢で連合赤軍「浅間山荘」銃撃戦。3月、日銀は世界銀行に1000億円の円資金貸付調印(世銀史上最大規模)。4月、韓国で反体制詩人金芝河連行される。5月末、アラブ過激派PFLPと連帯した日本赤軍の3人が、イスラエルのテルアビブ、ロッド空港で銃を乱射、2人は射殺、残る元鹿児島大生岡本公三は逮捕。6月、西独過激派バーダー・マインホーフ逮捕、日本では中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)結成。7月、田中内閣成立、大平外務、中曽根通産、三木国務、「ぴあ」創刊。8月、ハワイで田中・ニクソン会談。やがてこのときの飛行機売込みが田中内閣を滅ぼすロッキード事件につながる。9月、ミュンヘン五輪でアラブ・ゲリラのイスラエル選手団全員殺害事件。10月、ルバング島で日本兵2名が銃撃戦、1名射殺。上野動物園にパンダのカンカン、ランランが到着。11月、国鉄北陸トンネル内で火災、死者30人。12月、衆院選で共産党38議席、野党第2党に。
この年流行ったCMコピー、「若さだよ、ヤマちゃん」(サントリービール)、「杉作、勉強せいよ」(レナウン)、「酒は大関心意気」。TVは市川崑・中村敦夫の「木枯らし紋次郎」、小説は有吉佐和子の「恍惚の人」、司馬遼太郎「坂の上の雲」、丸谷才一「たった一人の反乱」、山崎朋子「サンダカン八番娼館」、井上ひさし「手鎖心中」。日本映画は、「旅の重さ」「忍ぶ川」「夏の妹」「一条さゆり濡れた欲情」「子連れ狼」。洋画は、「ゴッドファーザー」「時計仕掛けのオレンジ」「わらの犬」「ダーティハリー」「暗殺の森」。ん~ん、そうだったのかあ~。この年は出産率も高く、戦後第2次ベビーブームのピークだった。複雑性の混沌なのに、今からみると鮮明なイメージが浮かんできた。
「加藤周一:ちょっと歴史意識からはずれるけれども、グループの目的が比較的単純に提起されている場合は、ダイナミズムがもっとも有効に作用する。グループ自体が目的を選択しなければならない場合には、選択のメカニズムがグループの内部でよく機能しないで、ひじょうに困るんじゃないか。
たとえば経済成長というのは、儲ければいいのだから、目的そのものは簡単ですね。しかし、政治問題になると、目的の選択そのものが複雑な仕事です。戦後、経済大国・政治小国になっちゃったのは、それはもちろん占領にはじまるいろいろな要素や情勢もありますけれども、今いったことからも説明されるのじゃないですか。
丸山真男:軍事行動と経済行動は目標自体の多元性がないという点では似ていてね、ミリタリー・アニマルからエコノミック・アニマルにきりかわることはわりに簡単だけれども、エコノミック・アニマルからホモ・ポリティクス(政治的人間)になるのは大変なんだな。
加藤周一:政治での目的選択は複雑で、その上に歴史意識の問題がからんでくる。だからますます欠点がさらけ出される。経済活動のほうは、歴史的な問題が比較的からまないからいい、ということもあると思うんですね。
“なる”歴史観の“なりゆき”主義が一方にある。ところが政治問題の提起そのものが歴史を自分でつくるということを意味する。歴史の観念が入ってこない限り、目的選択の仕事はうまくゆかない。そのことと、今いった集団の構造とがからんできて、「政治の貧困」ということになるのじゃないでしょうか。
丸山真男:日本人は、一方では相対主義でありながら、他方では歴史は直線進行的で、過去は過ぎ去ったものだとして、いつも、最新のファッションをもとめる。歴史というものを現在の状況の中での目標選択の栄養にするという思考は、逆に弱いですね。
加藤周一:歴史的主体の持続性がない。丸山さんが書かれている“いま”の“いきほひ”ですね。それが主体にとって、与件としてあるわけでしょう。過去があったから現在の勢いが生じたわけだけれども、その過去も、おのずからなったわけでね。結局、おのずからなったということで、両方要約されちゃうわけで、現在の情勢というのは所与のものになる(に:原文欠)したがって、それにいかに順応するかということだけが問題として出てくる。過去の情勢と現在の情勢をつなぐ、歴史的主体というものがないから、その意味で、現在の時点における大勢への順応主義ということになる。それならば、主体としての責任の問題もないし、計画の問題もない、ということになるんじゃないでしょうかね。
丸山真男:またそれで何とかなって来たものでね(笑)。ただ、プラスに白マイナスにしろ、持続低音をつづかせていた条件は、「まえがき」にも書いたけれど、日本の民族的等質性で、これは世界をとびあるいている加藤さんにはよくお分かりだけど、まったく高度工業国のなかの例外的現象ですね。やっぱり日本の地理的な位置が大きかったと思うんです。地理的条件はテクノロジーの急激な発達で大きく変わるから、今後は分りませんね。むしろ今までの何千年かがよほど特殊な条件にあった、とみるべきじゃないか。だから宿命論的になって悲観するのも、逆に、これまでの条件のなかから未来の可能性をひきだすほかない、と決めてかかるのもぼくはおかしいと思いますね。
加藤周一:ぼくは、昨日、中国上海舞劇団の『白毛女』を見に行ったんですけれどもね。いろいろな方が来ていて、上野の文化会館いっぱいなんですよ。その上野の文化会館の舞台に、赤旗がひるがえった。変われば変わるものだと思って、まったく今昔の感にたえませんでした。赤旗は、つい昨日までは悪の象徴だったでしょう。その赤旗が舞台にひるがえり、貴顕紳士淑女が笑って拍手してるわけですからね。
それからもう一つ、その赤旗を日本人が持って走り回っているんじゃなくて、中国人が持っていたということですね。昨日までは、赤旗を見ればたちまち警察権力を集めて警戒するという状況から、こんどはみんなして拍手喝采するという状況まで・・・・・その百八十度の転換に何の矛盾もない。滑らかというか、あっけらかんというか、じつに・・・・・。
丸山真男:だけど、挙国一致という点は同じなんだ。しかも急に一斉転換するというだけじゃなしに、ニクソン訪中がなかったら、はたして自分たちでしたかどうか。だから二重に情況主義的・・・・・。
加藤周一:そうなんだ。敗戦の御詔勅がくだってガラッと変わっちゃったときのことを思い出しましたね。あれがフランスだったら、たとえドゴール治下でも、小劇場では赤旗の出る芝居が続いていましたよ。もちろん、いろいろ軋轢はあったけれども。日本みたいじゃないね。ある日突然赤旗がひるがえって、拍手喝采じゃないんだ(笑)。きのうはじつに、ある日突然という感じだったな。じつに印象的でしたね。
丸山さんの分析された「古層」が今まで続いていて、持続低音はまさに生きて流れている。
丸山真男:絵巻物がそこまで来たんだよ。どんどん巻きすすんで、右側のほうは巻き終わった部分だから、見えない。見えているのは「いま」のところだけで、過去は巻いちゃってるからね、もう済んだことなんだ・・・・。いや、ぼくは現代論はやらないことにしてるんだけれど、どうも加藤さんのペースにはまって現在を語っちゃったな・・・・。(1972年8月10日)
丸山真男・加藤周一「歴史意識と文化のパターン」(加藤周一対談集『歴史・科学・現代』ちくま学芸文庫、2010、pp33-36.
東大法学部教授、「政治学の神様」丸山真男が、こんなにリラックスしてユルい発言をしているのは、1972年という特殊な時代のせいか、あるいは対談者の加藤周一に巻き込まれたせいか。
おそらくあの時代を知らない大方の人々にとって、上野の文化会館(今も変わらずある)で、上海舞劇団の演じる赤旗ショーを、旧来の左翼ではなく日本の与党政治家や財界人セレブまでが、にこにこと喜んで鑑賞し拍手していたことを、信じられないだろうと思う。あの頃、日本中が日中国交回復を寿ぎ(それは台湾国民党をちゃっちゃと袖にすることでもあったが)、上野動物園のパンダを見ようと子供連れの群衆が並んでいた。なんだか嘘みたいだ・・・。世の中はちょっと変ったのだ。
今の日本をそう悲観することもないかもしれない。要するにこの国のひとたちは、自分の確固とした世界観・価値観、自己のトータルな存在から考え抜かれ、異質な他者にたいして相手を尊重しながらはっきりと対決し主張するような気構えと根性をもったことはないのだ。「雄々しいサムライ」「大和魂」「特攻精神」いろいろ勇ましい言葉は発するが、それはたんにむふむふした気力や言葉に過ぎなくて、中身は、ね、わかるよね!の「空気」なのだ。だとすれば、どうせポリシーなどいい加減なのだから、どんなに流された状況であっても、そんなものはあっというまに反転する可能性は常にある。
あの安倍晋三総理大臣の言動をみても、一見「美しい日本」の確かな信念に満ちているかにみえるが、やっていることの政治的選択は、“やうやうなりゆく”雰囲気と仲間内のちやほやしか見ていない。アベノミクスにしてからが、日本の長期的な経済的安定の基盤をつくるために、金融緩和のカンフル注射で一時的な株価やデフレ指標のいじくりをやって大成功などと喜んでいる暇があるなら、回避してきた年金・福祉の社会保障改革や、増大する若年層の貧困化、障害者・高齢者・母子家庭などへの本格的支援、それに大震災と原発事故の被災者を未来を見据えてどうするのか示してほしい。しかしどうみても、安倍政権はそんな課題はまともに考えてはいない。ただ、イノベーティブな企業が頑張って経済成長すれば、すべての課題はみごとに解決される、という夢のなかの嘘のような楽観的な期待だけで政治をやっている。
ある意味で、1972年8月の丸山真男と加藤周一は、当時の日本の状況にたいして楽観的だったようにみえる。日本の政治にとって常にリアルな課題は、つきつめれば中国とアメリカという国とどう付き合っていくかになる。1972年に起っていたことは、日本のカビの生えた保守政治家の思惑を超えて、アメリカ・ニクソン大統領がいきなり毛沢東の中国と手を結んでしまったという事態に、田中角栄という政治家は国民の人気をバックに、世論を中国友愛にチェンジすることに成功した。その頃の中国は、膨大な貧しい人民を抱えた発展途上国だったし、経済大国になった日本は上から目線で助けてあげるよ、という余裕もあった。忌まわしい日中戦争の記憶や、尖閣などの領土問題は、中国の経済成長という目標にたいしてとりあえず目をつぶる方が、お互いメリット十分だった。20世紀最後の20年の資本主義にとって、巨大な労働者と資源と協力的な政府をもつ中国が、どれほど有り難い貢献をしたかを忘れているが、それは歴史を無視する無知だろう。
2013年の日本の現実をみると、41年前の1972年と比べてあまりにも異なっているけれども、それは日本のふつうに生きている人々にとって救いようもないほど絶望的だろうか?「レンタネコ」という映画を見ていたら、こんな悲観的な気分になっている自分は、世界を実に狭く見ていたように思う。日本の世論など、一夜明けたらがらっと変わってしまう。昨年末の衆院選で現実となったアベノミクスの先にくるものは、TPPによる旧来の産業の破壊容認、規制緩和という名の人権を無視した過酷な競争原理と階級分断、アメリカ覇権の悪あがきに付き合う軍事と外交の従属、そのための情報管理と意思決定の閉鎖的集中、国内の文化・思想のアナクロ「臣民化」への傾斜、仕上げは戦後秩序の土台である「憲法」の破壊。それは日本人の未来にとってとんでもなく危険なことだが、日本人(「日本人」という言葉は、そのまま固有の民族を超えた当たり前の「人間」という意味をかぶせて使っているのだが)は、いやなことは見たくない、考えたくない人が大多数だとしても、既得権を維持するために国家が破滅する戦争を支持するほど愚かだとは思いたくない。
丸山真男や加藤周一が生きた時代は、「激動の昭和」で一日6時間は真剣にドイツ語やフランス語や英語の最新文献を読んで考えていた。これからの時代、ぼくたちが知るべき事柄、考えるべき課題は、70年代の丸山・加藤たちが考えていた世界よりもたぶん3倍は多くの情報収集と考察が必要だろう。ぼくはもう若くなく当時の丸山や加藤の年齢も過ぎているし、そんな偉い知識人でもないので、ただ趣味の愉しい時間を味わいたいと思っていて、インターネットや極秘情報を探索して反対の論陣を張る気は毛頭ない。だが、「国家安全保障会議」と「国家機密保護法案」が「維新の会」と「みんなの党」の合意を取りつけて整然と国会を通ってしまうとしたら、時代は再び昭和の10年代に逆戻りしたことは、どうやら疑いもない。最初の東京オリンピックは、世界大戦のために中止になった。今度の東京オリンピックも戦争と原発放射能で中止にならないと誰が保証できるだろうか?
1日は24時間あって、そのうち6時間から7時間はこの世で肉体の均衡を維持するための覚醒するのを忘れた睡眠時間で、あとの8時間はお金を稼ぐための労働時間で、それに2時間ほどは電車に乗ったり歩いたりの移動の時間で、残りの5時間ぐらいは食べたり排泄したり身体を洗ったり、全部差し引くとあと2時間ちょっとが自由な時間である。さてその日々の2時間ばかりの時間に、ぼくは何を考えているのか?スポーツクラブでウェイトトレーニングをしたり、6キロ必死で走ったり、本を読んだり映画を見たり、ときには絵を描いたりピアノを弾いたり、アルコールを飲みながら言葉を書きつけたりしているのだが、そのことにどれほどの意味があるのか?わからない。
誰にとっても24時間の時間と空間は平等に与えられているはずだが、それをどう使うかは難しい問題だ。駅前のパチンコ屋の前を通り過ぎるとき、どうしてこんなにたくさんの人たちが、ガチャガチャと騒々しいパチンコ台の前に座って、自分の人生の4分の1の時間を過ごそうなどと考えるのか?いや、たぶんそんな超越論的な思考をしているのではなく、ただ家に座ってぼ~っとしていることに生理的に堪えられないから、ふらふらとパチンコ屋に来て、穴に落ちる玉と自分を同一化しながら一瞬の出玉の喜びに萌えたいのだろう、と想像している。どうしようもなく淋しい人がいっぱいいる。救われない悲しみに悩む人がいる。だから猫を貸してあげる。
ぼくのうちにも猫がいるのだが、一日家を空けると猫はしつこいほど「遊べ」「カマって!」とすり寄ってくる。猫はぼくの24時間にとってわずかな数分間を占有しているにすぎないのだが、それがあることによってたぶん、この世界に生きることの実質を気づかせてくれている、のかもしれない。
どうも去年の秋からテレビのニュースを見るたびに、ペシミスティックな気分に襲われて、本を読んでものを考えても、ふつふつと怒りの感情に捉われた。「栄光の経済成長もういちど」「日本は何も悪いことはしていない」「日本人の優秀な能力と道徳や伝統は世界に誇るべき美質である」「外来思想の人権や個人主義などはとるに足らない妄想で、日本には固有の万世一系、唯一正統な天皇という価値を戴くからこその優位があるのだ」などという言説が、大手を振ってまかり通る奇妙な風景が画面に現れる。それは安倍政権が国民の多数の支持を得ている(投票率と作為的な選挙制度のまやかしを問わない限りで)という幻想によって、確かに日本の状況が局面転換していることは間違いない。
ぼくの生まれた日本、ぼくの育った日本の文化、ぼくの話している日本語、ぼくの関わった親しい日本人たち。排他的な「国家」という観念ではなく、人がこの世で生きるときに大切にすべき間主観性のざらざらした手触りの感覚。それを信じられるなら、現在のこの気味の悪さはどうしたら反転させることができるだろうか?
たとえば今この現在ぼくは、荻上直子という監督が作った「レンタネコ」という実に楽しい映画のエンディングを見ている。流れている音楽は『ドドンパ!』♪この歌詞は「すきに~ィなあったら~♪、離れェられなあ~い、それは~・・初めての人、ふるえ~ちゃうけど、やっぱり~ないている。それは初めてのキス、甘いキッス~、夜を焦がして、胸を焦がして、はじめるリズム~♪、ドドンんパ!ドドンんパ!ドドンんパ~!はあたしの胸に、消すに~消せない火をつけたあ~♪」
東京ドドンパ娘とは今をさる1961年に、渡辺マリというド派手な歌手がヒットさせた4ビート強調「ドドンパ ソング」である。 作詞:宮川哲夫、作曲:鈴木庸一。 ドドンパブーム真っ只中にヒットした リズム歌謡でありポップス。洋楽のリズム・マンボと日本のリズム・都々逸(ドドイツ)が融合した奇跡的な歌謡、今はもう忘れ去られた音楽である。いや~、何が感動的かといってこれほど感動的なものはない。
B.世界は絶望するにはあまりにも愉快で、いくらでも変わるし、困ったことに日本は無節操だ!
1972年8月という過去のある一時点で、2人の人物が語り合っていた。ほんの1年前まで隣の中華人民共和国を忌まわしい共産主義国、日本を脅かす敵と考えていた日本は、6月佐藤栄作首相が退陣し、次を争った自民党の実力者「三角大福」のうち庶民宰相田中角栄が国民の喝采のうちに勝ち抜いた。9月田中首相は北京を訪れ周恩来、毛沢東と会見。日中は国交を回復した。
その頃ぼくは、しょぼくれた大学生だったが、この年に何があったか、ぼくはもう忘れていた。もう歴史の部類に入るこの年を、本を引っ張り出して確認してみた。 1月、横井庄一軍曹グアム島のジャングルで救出帰国。2月に軽井沢で連合赤軍「浅間山荘」銃撃戦。3月、日銀は世界銀行に1000億円の円資金貸付調印(世銀史上最大規模)。4月、韓国で反体制詩人金芝河連行される。5月末、アラブ過激派PFLPと連帯した日本赤軍の3人が、イスラエルのテルアビブ、ロッド空港で銃を乱射、2人は射殺、残る元鹿児島大生岡本公三は逮捕。6月、西独過激派バーダー・マインホーフ逮捕、日本では中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)結成。7月、田中内閣成立、大平外務、中曽根通産、三木国務、「ぴあ」創刊。8月、ハワイで田中・ニクソン会談。やがてこのときの飛行機売込みが田中内閣を滅ぼすロッキード事件につながる。9月、ミュンヘン五輪でアラブ・ゲリラのイスラエル選手団全員殺害事件。10月、ルバング島で日本兵2名が銃撃戦、1名射殺。上野動物園にパンダのカンカン、ランランが到着。11月、国鉄北陸トンネル内で火災、死者30人。12月、衆院選で共産党38議席、野党第2党に。
この年流行ったCMコピー、「若さだよ、ヤマちゃん」(サントリービール)、「杉作、勉強せいよ」(レナウン)、「酒は大関心意気」。TVは市川崑・中村敦夫の「木枯らし紋次郎」、小説は有吉佐和子の「恍惚の人」、司馬遼太郎「坂の上の雲」、丸谷才一「たった一人の反乱」、山崎朋子「サンダカン八番娼館」、井上ひさし「手鎖心中」。日本映画は、「旅の重さ」「忍ぶ川」「夏の妹」「一条さゆり濡れた欲情」「子連れ狼」。洋画は、「ゴッドファーザー」「時計仕掛けのオレンジ」「わらの犬」「ダーティハリー」「暗殺の森」。ん~ん、そうだったのかあ~。この年は出産率も高く、戦後第2次ベビーブームのピークだった。複雑性の混沌なのに、今からみると鮮明なイメージが浮かんできた。
「加藤周一:ちょっと歴史意識からはずれるけれども、グループの目的が比較的単純に提起されている場合は、ダイナミズムがもっとも有効に作用する。グループ自体が目的を選択しなければならない場合には、選択のメカニズムがグループの内部でよく機能しないで、ひじょうに困るんじゃないか。
たとえば経済成長というのは、儲ければいいのだから、目的そのものは簡単ですね。しかし、政治問題になると、目的の選択そのものが複雑な仕事です。戦後、経済大国・政治小国になっちゃったのは、それはもちろん占領にはじまるいろいろな要素や情勢もありますけれども、今いったことからも説明されるのじゃないですか。
丸山真男:軍事行動と経済行動は目標自体の多元性がないという点では似ていてね、ミリタリー・アニマルからエコノミック・アニマルにきりかわることはわりに簡単だけれども、エコノミック・アニマルからホモ・ポリティクス(政治的人間)になるのは大変なんだな。
加藤周一:政治での目的選択は複雑で、その上に歴史意識の問題がからんでくる。だからますます欠点がさらけ出される。経済活動のほうは、歴史的な問題が比較的からまないからいい、ということもあると思うんですね。
“なる”歴史観の“なりゆき”主義が一方にある。ところが政治問題の提起そのものが歴史を自分でつくるということを意味する。歴史の観念が入ってこない限り、目的選択の仕事はうまくゆかない。そのことと、今いった集団の構造とがからんできて、「政治の貧困」ということになるのじゃないでしょうか。
丸山真男:日本人は、一方では相対主義でありながら、他方では歴史は直線進行的で、過去は過ぎ去ったものだとして、いつも、最新のファッションをもとめる。歴史というものを現在の状況の中での目標選択の栄養にするという思考は、逆に弱いですね。
加藤周一:歴史的主体の持続性がない。丸山さんが書かれている“いま”の“いきほひ”ですね。それが主体にとって、与件としてあるわけでしょう。過去があったから現在の勢いが生じたわけだけれども、その過去も、おのずからなったわけでね。結局、おのずからなったということで、両方要約されちゃうわけで、現在の情勢というのは所与のものになる(に:原文欠)したがって、それにいかに順応するかということだけが問題として出てくる。過去の情勢と現在の情勢をつなぐ、歴史的主体というものがないから、その意味で、現在の時点における大勢への順応主義ということになる。それならば、主体としての責任の問題もないし、計画の問題もない、ということになるんじゃないでしょうかね。
丸山真男:またそれで何とかなって来たものでね(笑)。ただ、プラスに白マイナスにしろ、持続低音をつづかせていた条件は、「まえがき」にも書いたけれど、日本の民族的等質性で、これは世界をとびあるいている加藤さんにはよくお分かりだけど、まったく高度工業国のなかの例外的現象ですね。やっぱり日本の地理的な位置が大きかったと思うんです。地理的条件はテクノロジーの急激な発達で大きく変わるから、今後は分りませんね。むしろ今までの何千年かがよほど特殊な条件にあった、とみるべきじゃないか。だから宿命論的になって悲観するのも、逆に、これまでの条件のなかから未来の可能性をひきだすほかない、と決めてかかるのもぼくはおかしいと思いますね。
加藤周一:ぼくは、昨日、中国上海舞劇団の『白毛女』を見に行ったんですけれどもね。いろいろな方が来ていて、上野の文化会館いっぱいなんですよ。その上野の文化会館の舞台に、赤旗がひるがえった。変われば変わるものだと思って、まったく今昔の感にたえませんでした。赤旗は、つい昨日までは悪の象徴だったでしょう。その赤旗が舞台にひるがえり、貴顕紳士淑女が笑って拍手してるわけですからね。
それからもう一つ、その赤旗を日本人が持って走り回っているんじゃなくて、中国人が持っていたということですね。昨日までは、赤旗を見ればたちまち警察権力を集めて警戒するという状況から、こんどはみんなして拍手喝采するという状況まで・・・・・その百八十度の転換に何の矛盾もない。滑らかというか、あっけらかんというか、じつに・・・・・。
丸山真男:だけど、挙国一致という点は同じなんだ。しかも急に一斉転換するというだけじゃなしに、ニクソン訪中がなかったら、はたして自分たちでしたかどうか。だから二重に情況主義的・・・・・。
加藤周一:そうなんだ。敗戦の御詔勅がくだってガラッと変わっちゃったときのことを思い出しましたね。あれがフランスだったら、たとえドゴール治下でも、小劇場では赤旗の出る芝居が続いていましたよ。もちろん、いろいろ軋轢はあったけれども。日本みたいじゃないね。ある日突然赤旗がひるがえって、拍手喝采じゃないんだ(笑)。きのうはじつに、ある日突然という感じだったな。じつに印象的でしたね。
丸山さんの分析された「古層」が今まで続いていて、持続低音はまさに生きて流れている。
丸山真男:絵巻物がそこまで来たんだよ。どんどん巻きすすんで、右側のほうは巻き終わった部分だから、見えない。見えているのは「いま」のところだけで、過去は巻いちゃってるからね、もう済んだことなんだ・・・・。いや、ぼくは現代論はやらないことにしてるんだけれど、どうも加藤さんのペースにはまって現在を語っちゃったな・・・・。(1972年8月10日)
丸山真男・加藤周一「歴史意識と文化のパターン」(加藤周一対談集『歴史・科学・現代』ちくま学芸文庫、2010、pp33-36.
東大法学部教授、「政治学の神様」丸山真男が、こんなにリラックスしてユルい発言をしているのは、1972年という特殊な時代のせいか、あるいは対談者の加藤周一に巻き込まれたせいか。
おそらくあの時代を知らない大方の人々にとって、上野の文化会館(今も変わらずある)で、上海舞劇団の演じる赤旗ショーを、旧来の左翼ではなく日本の与党政治家や財界人セレブまでが、にこにこと喜んで鑑賞し拍手していたことを、信じられないだろうと思う。あの頃、日本中が日中国交回復を寿ぎ(それは台湾国民党をちゃっちゃと袖にすることでもあったが)、上野動物園のパンダを見ようと子供連れの群衆が並んでいた。なんだか嘘みたいだ・・・。世の中はちょっと変ったのだ。
今の日本をそう悲観することもないかもしれない。要するにこの国のひとたちは、自分の確固とした世界観・価値観、自己のトータルな存在から考え抜かれ、異質な他者にたいして相手を尊重しながらはっきりと対決し主張するような気構えと根性をもったことはないのだ。「雄々しいサムライ」「大和魂」「特攻精神」いろいろ勇ましい言葉は発するが、それはたんにむふむふした気力や言葉に過ぎなくて、中身は、ね、わかるよね!の「空気」なのだ。だとすれば、どうせポリシーなどいい加減なのだから、どんなに流された状況であっても、そんなものはあっというまに反転する可能性は常にある。
あの安倍晋三総理大臣の言動をみても、一見「美しい日本」の確かな信念に満ちているかにみえるが、やっていることの政治的選択は、“やうやうなりゆく”雰囲気と仲間内のちやほやしか見ていない。アベノミクスにしてからが、日本の長期的な経済的安定の基盤をつくるために、金融緩和のカンフル注射で一時的な株価やデフレ指標のいじくりをやって大成功などと喜んでいる暇があるなら、回避してきた年金・福祉の社会保障改革や、増大する若年層の貧困化、障害者・高齢者・母子家庭などへの本格的支援、それに大震災と原発事故の被災者を未来を見据えてどうするのか示してほしい。しかしどうみても、安倍政権はそんな課題はまともに考えてはいない。ただ、イノベーティブな企業が頑張って経済成長すれば、すべての課題はみごとに解決される、という夢のなかの嘘のような楽観的な期待だけで政治をやっている。
ある意味で、1972年8月の丸山真男と加藤周一は、当時の日本の状況にたいして楽観的だったようにみえる。日本の政治にとって常にリアルな課題は、つきつめれば中国とアメリカという国とどう付き合っていくかになる。1972年に起っていたことは、日本のカビの生えた保守政治家の思惑を超えて、アメリカ・ニクソン大統領がいきなり毛沢東の中国と手を結んでしまったという事態に、田中角栄という政治家は国民の人気をバックに、世論を中国友愛にチェンジすることに成功した。その頃の中国は、膨大な貧しい人民を抱えた発展途上国だったし、経済大国になった日本は上から目線で助けてあげるよ、という余裕もあった。忌まわしい日中戦争の記憶や、尖閣などの領土問題は、中国の経済成長という目標にたいしてとりあえず目をつぶる方が、お互いメリット十分だった。20世紀最後の20年の資本主義にとって、巨大な労働者と資源と協力的な政府をもつ中国が、どれほど有り難い貢献をしたかを忘れているが、それは歴史を無視する無知だろう。
2013年の日本の現実をみると、41年前の1972年と比べてあまりにも異なっているけれども、それは日本のふつうに生きている人々にとって救いようもないほど絶望的だろうか?「レンタネコ」という映画を見ていたら、こんな悲観的な気分になっている自分は、世界を実に狭く見ていたように思う。日本の世論など、一夜明けたらがらっと変わってしまう。昨年末の衆院選で現実となったアベノミクスの先にくるものは、TPPによる旧来の産業の破壊容認、規制緩和という名の人権を無視した過酷な競争原理と階級分断、アメリカ覇権の悪あがきに付き合う軍事と外交の従属、そのための情報管理と意思決定の閉鎖的集中、国内の文化・思想のアナクロ「臣民化」への傾斜、仕上げは戦後秩序の土台である「憲法」の破壊。それは日本人の未来にとってとんでもなく危険なことだが、日本人(「日本人」という言葉は、そのまま固有の民族を超えた当たり前の「人間」という意味をかぶせて使っているのだが)は、いやなことは見たくない、考えたくない人が大多数だとしても、既得権を維持するために国家が破滅する戦争を支持するほど愚かだとは思いたくない。
丸山真男や加藤周一が生きた時代は、「激動の昭和」で一日6時間は真剣にドイツ語やフランス語や英語の最新文献を読んで考えていた。これからの時代、ぼくたちが知るべき事柄、考えるべき課題は、70年代の丸山・加藤たちが考えていた世界よりもたぶん3倍は多くの情報収集と考察が必要だろう。ぼくはもう若くなく当時の丸山や加藤の年齢も過ぎているし、そんな偉い知識人でもないので、ただ趣味の愉しい時間を味わいたいと思っていて、インターネットや極秘情報を探索して反対の論陣を張る気は毛頭ない。だが、「国家安全保障会議」と「国家機密保護法案」が「維新の会」と「みんなの党」の合意を取りつけて整然と国会を通ってしまうとしたら、時代は再び昭和の10年代に逆戻りしたことは、どうやら疑いもない。最初の東京オリンピックは、世界大戦のために中止になった。今度の東京オリンピックも戦争と原発放射能で中止にならないと誰が保証できるだろうか?