gooブログはじめました!

写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

ネコによって癒されるぼくたちの「淋しさ」のなかみ、について

2013-11-19 02:47:41 | 日記
A.愉しい時間を数えてみる
 1日は24時間あって、そのうち6時間から7時間はこの世で肉体の均衡を維持するための覚醒するのを忘れた睡眠時間で、あとの8時間はお金を稼ぐための労働時間で、それに2時間ほどは電車に乗ったり歩いたりの移動の時間で、残りの5時間ぐらいは食べたり排泄したり身体を洗ったり、全部差し引くとあと2時間ちょっとが自由な時間である。さてその日々の2時間ばかりの時間に、ぼくは何を考えているのか?スポーツクラブでウェイトトレーニングをしたり、6キロ必死で走ったり、本を読んだり映画を見たり、ときには絵を描いたりピアノを弾いたり、アルコールを飲みながら言葉を書きつけたりしているのだが、そのことにどれほどの意味があるのか?わからない。
 誰にとっても24時間の時間と空間は平等に与えられているはずだが、それをどう使うかは難しい問題だ。駅前のパチンコ屋の前を通り過ぎるとき、どうしてこんなにたくさんの人たちが、ガチャガチャと騒々しいパチンコ台の前に座って、自分の人生の4分の1の時間を過ごそうなどと考えるのか?いや、たぶんそんな超越論的な思考をしているのではなく、ただ家に座ってぼ~っとしていることに生理的に堪えられないから、ふらふらとパチンコ屋に来て、穴に落ちる玉と自分を同一化しながら一瞬の出玉の喜びに萌えたいのだろう、と想像している。どうしようもなく淋しい人がいっぱいいる。救われない悲しみに悩む人がいる。だから猫を貸してあげる。
 ぼくのうちにも猫がいるのだが、一日家を空けると猫はしつこいほど「遊べ」「カマって!」とすり寄ってくる。猫はぼくの24時間にとってわずかな数分間を占有しているにすぎないのだが、それがあることによってたぶん、この世界に生きることの実質を気づかせてくれている、のかもしれない。
どうも去年の秋からテレビのニュースを見るたびに、ペシミスティックな気分に襲われて、本を読んでものを考えても、ふつふつと怒りの感情に捉われた。「栄光の経済成長もういちど」「日本は何も悪いことはしていない」「日本人の優秀な能力と道徳や伝統は世界に誇るべき美質である」「外来思想の人権や個人主義などはとるに足らない妄想で、日本には固有の万世一系、唯一正統な天皇という価値を戴くからこその優位があるのだ」などという言説が、大手を振ってまかり通る奇妙な風景が画面に現れる。それは安倍政権が国民の多数の支持を得ている(投票率と作為的な選挙制度のまやかしを問わない限りで)という幻想によって、確かに日本の状況が局面転換していることは間違いない。
  ぼくの生まれた日本、ぼくの育った日本の文化、ぼくの話している日本語、ぼくの関わった親しい日本人たち。排他的な「国家」という観念ではなく、人がこの世で生きるときに大切にすべき間主観性のざらざらした手触りの感覚。それを信じられるなら、現在のこの気味の悪さはどうしたら反転させることができるだろうか?
  たとえば今この現在ぼくは、荻上直子という監督が作った「レンタネコ」という実に楽しい映画のエンディングを見ている。流れている音楽は『ドドンパ!』♪この歌詞は「すきに~ィなあったら~♪、離れェられなあ~い、それは~・・初めての人、ふるえ~ちゃうけど、やっぱり~ないている。それは初めてのキス、甘いキッス~、夜を焦がして、胸を焦がして、はじめるリズム~♪、ドドンんパ!ドドンんパ!ドドンんパ~!はあたしの胸に、消すに~消せない火をつけたあ~♪」
  東京ドドンパ娘とは今をさる1961年に、渡辺マリというド派手な歌手がヒットさせた4ビート強調「ドドンパ ソング」である。 作詞:宮川哲夫、作曲:鈴木庸一。 ドドンパブーム真っ只中にヒットした リズム歌謡でありポップス。洋楽のリズム・マンボと日本のリズム・都々逸(ドドイツ)が融合した奇跡的な歌謡、今はもう忘れ去られた音楽である。いや~、何が感動的かといってこれほど感動的なものはない。



B.世界は絶望するにはあまりにも愉快で、いくらでも変わるし、困ったことに日本は無節操だ!

 1972年8月という過去のある一時点で、2人の人物が語り合っていた。ほんの1年前まで隣の中華人民共和国を忌まわしい共産主義国、日本を脅かす敵と考えていた日本は、6月佐藤栄作首相が退陣し、次を争った自民党の実力者「三角大福」のうち庶民宰相田中角栄が国民の喝采のうちに勝ち抜いた。9月田中首相は北京を訪れ周恩来、毛沢東と会見。日中は国交を回復した。
  その頃ぼくは、しょぼくれた大学生だったが、この年に何があったか、ぼくはもう忘れていた。もう歴史の部類に入るこの年を、本を引っ張り出して確認してみた。 1月、横井庄一軍曹グアム島のジャングルで救出帰国。2月に軽井沢で連合赤軍「浅間山荘」銃撃戦。3月、日銀は世界銀行に1000億円の円資金貸付調印(世銀史上最大規模)。4月、韓国で反体制詩人金芝河連行される。5月末、アラブ過激派PFLPと連帯した日本赤軍の3人が、イスラエルのテルアビブ、ロッド空港で銃を乱射、2人は射殺、残る元鹿児島大生岡本公三は逮捕。6月、西独過激派バーダー・マインホーフ逮捕、日本では中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)結成。7月、田中内閣成立、大平外務、中曽根通産、三木国務、「ぴあ」創刊。8月、ハワイで田中・ニクソン会談。やがてこのときの飛行機売込みが田中内閣を滅ぼすロッキード事件につながる。9月、ミュンヘン五輪でアラブ・ゲリラのイスラエル選手団全員殺害事件。10月、ルバング島で日本兵2名が銃撃戦、1名射殺。上野動物園にパンダのカンカン、ランランが到着。11月、国鉄北陸トンネル内で火災、死者30人。12月、衆院選で共産党38議席、野党第2党に。
  この年流行ったCMコピー、「若さだよ、ヤマちゃん」(サントリービール)、「杉作、勉強せいよ」(レナウン)、「酒は大関心意気」。TVは市川崑・中村敦夫の「木枯らし紋次郎」、小説は有吉佐和子の「恍惚の人」、司馬遼太郎「坂の上の雲」、丸谷才一「たった一人の反乱」、山崎朋子「サンダカン八番娼館」、井上ひさし「手鎖心中」。日本映画は、「旅の重さ」「忍ぶ川」「夏の妹」「一条さゆり濡れた欲情」「子連れ狼」。洋画は、「ゴッドファーザー」「時計仕掛けのオレンジ」「わらの犬」「ダーティハリー」「暗殺の森」。ん~ん、そうだったのかあ~。この年は出産率も高く、戦後第2次ベビーブームのピークだった。複雑性の混沌なのに、今からみると鮮明なイメージが浮かんできた。
 
 「加藤周一:ちょっと歴史意識からはずれるけれども、グループの目的が比較的単純に提起されている場合は、ダイナミズムがもっとも有効に作用する。グループ自体が目的を選択しなければならない場合には、選択のメカニズムがグループの内部でよく機能しないで、ひじょうに困るんじゃないか。
 たとえば経済成長というのは、儲ければいいのだから、目的そのものは簡単ですね。しかし、政治問題になると、目的の選択そのものが複雑な仕事です。戦後、経済大国・政治小国になっちゃったのは、それはもちろん占領にはじまるいろいろな要素や情勢もありますけれども、今いったことからも説明されるのじゃないですか。
丸山真男:軍事行動と経済行動は目標自体の多元性がないという点では似ていてね、ミリタリー・アニマルからエコノミック・アニマルにきりかわることはわりに簡単だけれども、エコノミック・アニマルからホモ・ポリティクス(政治的人間)になるのは大変なんだな。
加藤周一:政治での目的選択は複雑で、その上に歴史意識の問題がからんでくる。だからますます欠点がさらけ出される。経済活動のほうは、歴史的な問題が比較的からまないからいい、ということもあると思うんですね。
 “なる”歴史観の“なりゆき”主義が一方にある。ところが政治問題の提起そのものが歴史を自分でつくるということを意味する。歴史の観念が入ってこない限り、目的選択の仕事はうまくゆかない。そのことと、今いった集団の構造とがからんできて、「政治の貧困」ということになるのじゃないでしょうか。
丸山真男:日本人は、一方では相対主義でありながら、他方では歴史は直線進行的で、過去は過ぎ去ったものだとして、いつも、最新のファッションをもとめる。歴史というものを現在の状況の中での目標選択の栄養にするという思考は、逆に弱いですね。
加藤周一:歴史的主体の持続性がない。丸山さんが書かれている“いま”の“いきほひ”ですね。それが主体にとって、与件としてあるわけでしょう。過去があったから現在の勢いが生じたわけだけれども、その過去も、おのずからなったわけでね。結局、おのずからなったということで、両方要約されちゃうわけで、現在の情勢というのは所与のものになる(に:原文欠)したがって、それにいかに順応するかということだけが問題として出てくる。過去の情勢と現在の情勢をつなぐ、歴史的主体というものがないから、その意味で、現在の時点における大勢への順応主義ということになる。それならば、主体としての責任の問題もないし、計画の問題もない、ということになるんじゃないでしょうかね。
丸山真男:またそれで何とかなって来たものでね(笑)。ただ、プラスに白マイナスにしろ、持続低音をつづかせていた条件は、「まえがき」にも書いたけれど、日本の民族的等質性で、これは世界をとびあるいている加藤さんにはよくお分かりだけど、まったく高度工業国のなかの例外的現象ですね。やっぱり日本の地理的な位置が大きかったと思うんです。地理的条件はテクノロジーの急激な発達で大きく変わるから、今後は分りませんね。むしろ今までの何千年かがよほど特殊な条件にあった、とみるべきじゃないか。だから宿命論的になって悲観するのも、逆に、これまでの条件のなかから未来の可能性をひきだすほかない、と決めてかかるのもぼくはおかしいと思いますね。
加藤周一:ぼくは、昨日、中国上海舞劇団の『白毛女』を見に行ったんですけれどもね。いろいろな方が来ていて、上野の文化会館いっぱいなんですよ。その上野の文化会館の舞台に、赤旗がひるがえった。変われば変わるものだと思って、まったく今昔の感にたえませんでした。赤旗は、つい昨日までは悪の象徴だったでしょう。その赤旗が舞台にひるがえり、貴顕紳士淑女が笑って拍手してるわけですからね。
 それからもう一つ、その赤旗を日本人が持って走り回っているんじゃなくて、中国人が持っていたということですね。昨日までは、赤旗を見ればたちまち警察権力を集めて警戒するという状況から、こんどはみんなして拍手喝采するという状況まで・・・・・その百八十度の転換に何の矛盾もない。滑らかというか、あっけらかんというか、じつに・・・・・。
丸山真男:だけど、挙国一致という点は同じなんだ。しかも急に一斉転換するというだけじゃなしに、ニクソン訪中がなかったら、はたして自分たちでしたかどうか。だから二重に情況主義的・・・・・。
加藤周一:そうなんだ。敗戦の御詔勅がくだってガラッと変わっちゃったときのことを思い出しましたね。あれがフランスだったら、たとえドゴール治下でも、小劇場では赤旗の出る芝居が続いていましたよ。もちろん、いろいろ軋轢はあったけれども。日本みたいじゃないね。ある日突然赤旗がひるがえって、拍手喝采じゃないんだ(笑)。きのうはじつに、ある日突然という感じだったな。じつに印象的でしたね。
 丸山さんの分析された「古層」が今まで続いていて、持続低音はまさに生きて流れている。
丸山真男:絵巻物がそこまで来たんだよ。どんどん巻きすすんで、右側のほうは巻き終わった部分だから、見えない。見えているのは「いま」のところだけで、過去は巻いちゃってるからね、もう済んだことなんだ・・・・。いや、ぼくは現代論はやらないことにしてるんだけれど、どうも加藤さんのペースにはまって現在を語っちゃったな・・・・。(1972年8月10日)
 丸山真男・加藤周一「歴史意識と文化のパターン」(加藤周一対談集『歴史・科学・現代』ちくま学芸文庫、2010、pp33-36.

 東大法学部教授、「政治学の神様」丸山真男が、こんなにリラックスしてユルい発言をしているのは、1972年という特殊な時代のせいか、あるいは対談者の加藤周一に巻き込まれたせいか。
 おそらくあの時代を知らない大方の人々にとって、上野の文化会館(今も変わらずある)で、上海舞劇団の演じる赤旗ショーを、旧来の左翼ではなく日本の与党政治家や財界人セレブまでが、にこにこと喜んで鑑賞し拍手していたことを、信じられないだろうと思う。あの頃、日本中が日中国交回復を寿ぎ(それは台湾国民党をちゃっちゃと袖にすることでもあったが)、上野動物園のパンダを見ようと子供連れの群衆が並んでいた。なんだか嘘みたいだ・・・。世の中はちょっと変ったのだ。
 今の日本をそう悲観することもないかもしれない。要するにこの国のひとたちは、自分の確固とした世界観・価値観、自己のトータルな存在から考え抜かれ、異質な他者にたいして相手を尊重しながらはっきりと対決し主張するような気構えと根性をもったことはないのだ。「雄々しいサムライ」「大和魂」「特攻精神」いろいろ勇ましい言葉は発するが、それはたんにむふむふした気力や言葉に過ぎなくて、中身は、ね、わかるよね!の「空気」なのだ。だとすれば、どうせポリシーなどいい加減なのだから、どんなに流された状況であっても、そんなものはあっというまに反転する可能性は常にある。
 あの安倍晋三総理大臣の言動をみても、一見「美しい日本」の確かな信念に満ちているかにみえるが、やっていることの政治的選択は、“やうやうなりゆく”雰囲気と仲間内のちやほやしか見ていない。アベノミクスにしてからが、日本の長期的な経済的安定の基盤をつくるために、金融緩和のカンフル注射で一時的な株価やデフレ指標のいじくりをやって大成功などと喜んでいる暇があるなら、回避してきた年金・福祉の社会保障改革や、増大する若年層の貧困化、障害者・高齢者・母子家庭などへの本格的支援、それに大震災と原発事故の被災者を未来を見据えてどうするのか示してほしい。しかしどうみても、安倍政権はそんな課題はまともに考えてはいない。ただ、イノベーティブな企業が頑張って経済成長すれば、すべての課題はみごとに解決される、という夢のなかの嘘のような楽観的な期待だけで政治をやっている。
 ある意味で、1972年8月の丸山真男と加藤周一は、当時の日本の状況にたいして楽観的だったようにみえる。日本の政治にとって常にリアルな課題は、つきつめれば中国とアメリカという国とどう付き合っていくかになる。1972年に起っていたことは、日本のカビの生えた保守政治家の思惑を超えて、アメリカ・ニクソン大統領がいきなり毛沢東の中国と手を結んでしまったという事態に、田中角栄という政治家は国民の人気をバックに、世論を中国友愛にチェンジすることに成功した。その頃の中国は、膨大な貧しい人民を抱えた発展途上国だったし、経済大国になった日本は上から目線で助けてあげるよ、という余裕もあった。忌まわしい日中戦争の記憶や、尖閣などの領土問題は、中国の経済成長という目標にたいしてとりあえず目をつぶる方が、お互いメリット十分だった。20世紀最後の20年の資本主義にとって、巨大な労働者と資源と協力的な政府をもつ中国が、どれほど有り難い貢献をしたかを忘れているが、それは歴史を無視する無知だろう。
 2013年の日本の現実をみると、41年前の1972年と比べてあまりにも異なっているけれども、それは日本のふつうに生きている人々にとって救いようもないほど絶望的だろうか?「レンタネコ」という映画を見ていたら、こんな悲観的な気分になっている自分は、世界を実に狭く見ていたように思う。日本の世論など、一夜明けたらがらっと変わってしまう。昨年末の衆院選で現実となったアベノミクスの先にくるものは、TPPによる旧来の産業の破壊容認、規制緩和という名の人権を無視した過酷な競争原理と階級分断、アメリカ覇権の悪あがきに付き合う軍事と外交の従属、そのための情報管理と意思決定の閉鎖的集中、国内の文化・思想のアナクロ「臣民化」への傾斜、仕上げは戦後秩序の土台である「憲法」の破壊。それは日本人の未来にとってとんでもなく危険なことだが、日本人(「日本人」という言葉は、そのまま固有の民族を超えた当たり前の「人間」という意味をかぶせて使っているのだが)は、いやなことは見たくない、考えたくない人が大多数だとしても、既得権を維持するために国家が破滅する戦争を支持するほど愚かだとは思いたくない。
 丸山真男や加藤周一が生きた時代は、「激動の昭和」で一日6時間は真剣にドイツ語やフランス語や英語の最新文献を読んで考えていた。これからの時代、ぼくたちが知るべき事柄、考えるべき課題は、70年代の丸山・加藤たちが考えていた世界よりもたぶん3倍は多くの情報収集と考察が必要だろう。ぼくはもう若くなく当時の丸山や加藤の年齢も過ぎているし、そんな偉い知識人でもないので、ただ趣味の愉しい時間を味わいたいと思っていて、インターネットや極秘情報を探索して反対の論陣を張る気は毛頭ない。だが、「国家安全保障会議」と「国家機密保護法案」が「維新の会」と「みんなの党」の合意を取りつけて整然と国会を通ってしまうとしたら、時代は再び昭和の10年代に逆戻りしたことは、どうやら疑いもない。最初の東京オリンピックは、世界大戦のために中止になった。今度の東京オリンピックも戦争と原発放射能で中止にならないと誰が保証できるだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

40年前の対談、80年前の演説、2013年の男子高校生の未来について

2013-11-17 20:28:46 | 日記
A.スポーツ系男子高校生の頭の中について
 最近、何人かの高校生の男の子と話す機会があった。そのうちの二人くらいは日本の歴史が好きだというので、ほう、日本史のどのあたりに興味があるの?と聞いたら、「坂本龍馬です!」と答えた。龍馬のことを書いた本やマンガが大好きだという。幕末の日本が直面した政治情勢については、坂本龍馬のつながりでひと通りは知っているようだったが、要するに爽やかでカッコいいヒーローが薩長同盟の仕掛け人となって、最後は暗殺に倒れるというドラマに惹かれたのは、いかにも体育会系男子である。
 もう一人は、修学旅行で沖縄に行って戦争体験者の話を聞いたときに、じぶんたちが一方的に被害者だと感情的に語る言葉に「押しつけ」の違和感を感じたという。沖縄戦でアメリカ兵も多数死んでいるのだし、自分たちばかりがひどい目に遭ったというのは納得できなかったという。それと、最近の尖閣諸島への中国の態度は、尖閣が日本の領土だという明確な証拠があるのに、なんで中国はそれを認めずに紛争になっているのか、理解できないという。いずれ異文化コミュニケーションについて勉強したいという。彼もスポーツの部活で活躍している体育会系男子だった。沖縄戦がどういう意図で一般住民を巻き込んだ殲滅戦になったのか、そもそもあの戦争がなぜ行われたのか、のかを彼に説明してごらん、と要求するのはちょっとかわいそうだし、丁寧に教えてあげる時間もなかった。
 「草食系‐肉食系」という一時流行った大雑把な男の子の分類は、もうさっさと捨てられたみたいだが、草食系‐文科系、肉食系‐体育系という二分法は、なにか意味があるのだろうか?それと体育系が文科系に知的レベルで劣る、という偏見もどの程度根拠があるか、あやしい。ぼくは人間の性格や行動をタイポロジーで仕分けして、なにかが解ったような言説は基本的にまやかしだと考えるので、たとえば肉食系の男の子が女性のフェロモンを掻き立ててモテ、草食系は女の子に無視されてアキバのムサい電車男のイメージ、などという馬鹿な評論に何かをコメントするのは時間の無駄だと思う。
 ぼくも考えたら、高校時代はひたすら毎日トレーニングに励み山登りばかりしていた体育系男子だった。どうしたら女の子にモテるかなんて、たまには考えたが、それよりは筋肉を鍛え汗をかく方が気持ちよかった。おしゃれや受験勉強にしか関心のない文科系男子は、軟弱で軽薄な奴だとばかにしていた。それはたぶん偏見だったが、若い体育系高校生の日本の現代史への知識は、当然お粗末というか、歴史の授業ではせいぜい大正デモクラシーぐらいで終ってしまった。戦争を実際に経験した親たちはあまり戦争の理由について語らなかったし、ただ昔ひどい時代があったというだけだった。町が焼かれ人が大勢死んだ。もう戦争はいけない。そこで話は終わった。
筋肉で汗を流すいまの体育系男子は、ちゃんと社会のことにも歴史のことにも関心をもっている。そこまではイイ。問題は、今の日本が雪崩をうってある方向に流れており、歴史教育は過去の日本の醜い側面を消して「美しい日本」ばかりを刷り込み、若い有為な高校生が社会や歴史を学んでみようと思った時に、エスノセントリックな偏見と他民族蔑視のナショナリズムに、じわじわと汚染されている、としたらもはや21世紀の日本は孤立し滅びてしまう。それは中国や北朝鮮から軍事的に攻撃されて滅びるのではなく、日本国民の内部から湧き出る愚かなイデオロギーによってみじめに滅びると思う。もちろん、そうならないことを祈るのだが・・。いつの時代も若者は、公教育と時代の雰囲気に流されるのは仕方ないとしても、今の日本はこのままいくと常軌を逸してしまうのではないか。



B.ほんとの「有識者」の対談を引っ張り出す.
 人間が到達できる知識のレベルは、一定の限界はあるとしても教育で養えば、誰でもそれなりの賢い判断ができるようになるだろう。しかし、世界レベルで現代の諸問題を読み解く場所に達することができるのは、ごく限られた条件を満たした者だけなのかもしれない。戦前の日本社会で、高等教育つまり大学で学ぶことのできた若者は、国民のたかだか3%に過ぎないエリートだった。彼らは恵まれた家庭環境と、飛びぬけた知的能力によって「幅広い教養」を獲得し、教育のない愚かな庶民を領導して、望ましい未来をつくりだす、と期待された。丸山真男と加藤周一という名前は、戦後を代表するビッグ・ネームであるのだが、21世紀のいま、彼らが何を考え、何を危惧していたかを読もうとする若者はいるのだろうか?たぶんいないな。高等な「知」とは、たんに役に立つ技術やノウハウを教えてくれるものか、それともただ難しいだけで特殊な頭をもつ人だけのものになっている。

「丸山真男:話を元にもどしますけれど、一般常識的な意味で、歴史というのは、現世の出来事の時間的な変化を追ってゆくということでしょう。ところが超越的な世界宗教が出てくると、この世における人間の営みを絶対的な立場から審判する。それにたいして人間はどう永劫の責任を負うか、ということが大きな関心事になる。キリスト教だけじゃなくて、仏教の業(カルマ)とか輪廻(サムサラ)とかだって、やっぱり、そういう問題への答えでしょう。まさに逆に、日本のようにそういう超越者の意識がうすいところでは、昔から出来事をみる目が歴史主義的だったということがあるんじゃないか。ヨーロッパでいうと、かえってギリシア・ローマの異教的世界の時代にすぐれた歴史家がいて、中世以後で本当に歴史の世紀が来るのは十九世紀ですね。
 たとえば、ヘーゲルは歴史哲学の元祖みたいにいわれるけれども、ヘーゲルの歴史哲学は根本的に弁神論ですよ。むろんドイツ観念論のなかではいちばん歴史内在的な見方をするわけだけれども、結局歴史というのは神の世界計画の実現の過程で、目的論的ですね。だからランケとかランケ以後の歴史主義の発展というものは、ヘーゲル主義の呪縛からの解放のためのものすごい苦闘を経て、いわゆる歴史的個体性の認識と時代的な相対性の見方を成熟させていった。ところがあらゆる時代を内在的に理解していこうというのを押しすすめてゆくと、歴史上の人物にしても出来事にしてもそれなりに分っちゃうことになってね、峻厳な価値判断がくだせなくなる。ニーチェがほとんど本能的に反撥したのはそこでしょう。いわゆる「すべてを理解することはすべてを許すことだ」。それで今度はトレルチやマイネッケなんかが、歴史主義の危機を論じ出すようになる。
 日本は、その意味で絶対者の規準がはっきりしないから、ヨーロッパが十九世紀でようやく開花したような見方――歴史は過去をありのままに(wie es gewesen ist)書くものだ、というランケのような考え方――は、何だそんなことはあたりまえじゃないか、ということになる。素朴な形ではあるけれども、昔からそういう見方が強いから・・・・。
加藤周一:その通りだと思いますね。だから、近代的な歴史観が明治になって入って来たときに、そのままつながろうというところがあったと思う。ただ歴史主義の発展はヨーロッパでは、三段になっていて、一つはヘーゲルからマルクスまでかな、歴史の法則を求めるという・・・。
丸山真男:摂理史観のヴァリエーションですね。
加藤周一:マルクスも、拡大して考えれば摂理史観ですね。そのあとが、今おっしゃったような実証主義的な歴史主義、人間史学が出てくる。しかし、そこには、壊すことのできない人格の統一性にたいする信頼がある。人間の劇としての歴史ですな。そのもっとあとで、こんどは人格の統一性にたいする信頼が失われる。それはいろいろなインパクト、フロイトもあるでしょうしいろんな要素があって、結局、人格の統一性にたいする懐疑の時代に入って来た。それが「現代」だといえますね。
 日本は、いわばはじめから、ヨーロッパの第三段階ですね。現在の第三段階に近いところがある。近代的というよりも、もっとも最近のヨーロッパの風土になまにつながる類似性があるんじゃないでしょうか。」(「歴史意識と文化のパターン」初出:「日本の思想6『歴史思想集』別冊、1972,筑摩書房」)加藤周一『歴史・科学・現代 加藤周一対談集』ちくま学芸文庫、2010. Pp.23-25.

 ここでは歴史学が話題になっているのだが、1970年という時点で加藤のいう第三段階というのは、王様だろうが英雄だろうが特定個人など超えた大きな歴史法則に従って世界は動くのだという「摂理史観」の第一段階の大きな物語にたいして、第二段階はランケに始まる実証主義歴史学、その時代に生きていた人間が書いた文献資料だけを手掛りに、勝手な解釈・物語は許さず登場人物に則して彼らが何を考え何をしたのかに注意を集中する。そして第三段階は、フロイトの精神分析的文化論とレヴィ・ストロースの構造主義やソシュールの言語学など(ここでは加藤ははっきり名を出していないが)を背景にあらわれた歴史への新しい態度、それはやがて「書かれた歴史」をこえるアナール派なども視野にはいっていたかもしれないが、いわゆる言語論的展開に沿ったものだろう。はたして当時の日本の歴史学が第三段階にはじめから達していたかどうか、それは大学で教えられていた歴史学ではなくて、日本の伝統的な歴史への態度というものを指しているのだろうから、さらに半世紀近く経ったいまからみればどうなるかが問題だろう。丸山真男の「日本の思想」の文脈では、自然(じねん)に「なりゆく」ところの「いきほい」を、人の時間的なうつろひ、つまり歴史意識の「古層」とよぶ丸山理論からすれば、精密な実証主義がついに根づくことなく、都合のよい「事実・史実」あるいは事実すら消去して恣意的な歴史観を子どもたちに教え、自律的な個人の創造的作為を封じようとする国家は、たとえアドルフ・ヒトラーのように熱狂的に権力を握ったとしても、すぐに打倒されるであろうし、されなければならないことになる。

「加藤周一:同じことになると思いますけれど、マルクシズムは本来、思想が歴史的・社会的に制約されているということ、主観的には個人の自由意志の決意であるかのようにみえても、じつは歴史的にはブルジョア階級の利益を擁護しているにすぎない、ということを強調する。だから、対ブルジョアのきわめて戦闘的な思想になるわけでしょう。歴史は自由な個人の“つくる”ものだというのが、ブルジョア思想の根幹だから。そういうブルジョア思想がなければ、戦闘的イデオロギーではなくて、今までつづいてきた伝統的な文化の再確認になってしまうんでね。
丸山真男:それに関連して、前にもどこかでいったと思うんですが、ぼくはとても印象的な記憶があるんです。
 1933年にナチが天下を取って、授権法を出したわけです。共産党の国会議員は全部、ライヒスターク〔国会議事堂〕の放火事件で逮捕されていた。社会民主党はまだ合法政党だったけれども、一部分は逮捕されていた。結局、ナチと中央党が賛成して社民党だけが反対して授権法が通った。あれはヒットラー独裁の法的基盤になるわけですね。あのときに、社会民主党のオットー・ウェルスの反対演説というのがすごいんですよ。何しろ国会の回りは武装した突撃隊員がぐるりと囲んでいる。傍聴席もほとんどナチ党員で、彼らの野次と怒号で演説はほとんど聞きとれない。そういう中で顔面蒼白になってやるんです。印象的だからドイツ語で覚えているんだが、”In dieser geschichtlichen Stunde, bekenne ich mich zur Idee der Freiheit, des Friedens und der Gerechtigkeit…”すこし違っているかもしれないけど、つまり「この歴史的瞬間において、私は自由と平和と正義の理念への帰依を表明する・・」そのあとに、「いかなる授権法もこの永遠にして不壊なる理念(diese ewige und unverletzliche Idee)を滅ぼすことはできない」といって、以下「全国の迫害されている同志に挨拶を送る・・・」とつづくんです。まずはじめの「この歴史的瞬間」というときの「歴史」ね、それはもう周囲の大勢のことごとく非なる「歴史的時間」なんですね。明日にも強制収容所ゆきになるかもしれない、しかも見える限りの人民はあげてハイル・ヒットラーでしょう。国家権力対人民なんていう二分法はまったくアクチュアリティがなくなっている。ウェルスは、そういう重たい、今の歴史的現実にたいして、自由と平和と正義を「永遠不変の理念」として対峙させた。もちろん彼がそういう歴史と永遠という言葉の意味を考えながらつかったわけじゃないでしょう。けれどね、ぼくなんかの学生時代の教養科目では、エンゲルスが、『反デューリング論』でしたかね、自由・平等の理念の永遠性についてのブルジョア的幻想とおしゃべりをこきおろして、そういう「観念」の歴史的制約を暴露したのが頭にこびりついている。それだけに、鳥のまさに死なんとするや、その声かなし、じゃないけれど、戦前の最後のマルクス主義の世界観政党の首領が、「歴史」に追いつめられた絶体絶命の場で、「永遠にして不壊なる理念」へのコミットメントをうめくように洩らしたのは強烈な印象だったんです。ちょうど大学生時代にかけて日本は雪崩をうったような転向時代でしょう。それ以後の「歴史的動向」はナチほどではないにしても、周囲の情勢ことごとく非、という実感だったことは加藤さんも同じだったろうと思うのです。そういうなかでずっとぼくの頭からはなれなかった問題は、歴史をこえた何者かへの帰依なしに、個人が「周囲」の動向に抗して立ちつづけられるだろうか、ということです。一概にはいえないけれど、マルクス主義をもふくめた歴史主義の洗礼を受けたインテリよりも、ある種の「非歴史的」なオールド・リベラルのほうがしっかりしていた、という実際の見聞もあってね・・・。どうも直接の本題から脱線しちゃいましたけれど・・・。」(「歴史意識と文化のパターン」初出:「日本の思想6『歴史思想集』別冊、1972,筑摩書房」)加藤周一『歴史・科学・現代 加藤周一対談集』ちくま学芸文庫、2010. Pp.26-28.

 改行がなくて長すぎる文章だが、もとが対談なのでまあしょうがない。安倍晋三をヒトラーと比べる気などないが、今の日本の議会をみれば、1930年代のライヒスタークにむかっているような気さえする。最大野党はヴァイマール・ドイツの社会民主党SPDほどの理念も力もない「民主党」だし、戦後を担った最大万年野党「社民党」はいまや風前の灯である。
 今の若者、大学生や高校生と話をしていると、大方はみんな明るく元気である。日々を楽しみ仲間ともうまくやっている。悩みもあるだろうが自分が生きている世の中について、そんなに悪い社会だとは思っていない。この気分はたとえば若い社会学者、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』講談社などを読むと伝わってくる。ぼくたちはそんなに「可愛そうでもないし、悲観してもいない」よ。オヤジたちは「お前らはやる気がなくてダメだ」、というし、おばさんたちは「あんたたちは差別されイジめられてるのに反抗もしない」というけども、ぼくらの日常のリアルからは、そんなことは感じない。そんなことを考えているより、もっと建設的で明るいことがいくらでもあると思う、というご意見。でも、ぼくはやっぱり、もう棺桶に片足突っ込んで考えてみると、これからの日本を生きる若者のことがとても心配になる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古いような、新しいような、変わったような、変わってないような・・

2013-11-15 23:48:58 | 日記
A.寒くなる日本
 このところ東京もかなり寒くなった。北海道や東北ではすでに雪が降り始めたという。「寒い」は気温のこと、空気の体感温度のことだけれども、「お寒い」は、ものごとへの対応、精神の感度が頼りにならない、衰弱している、という意味で使われる。いま国会で審議されている「特定秘密保護法案」について担当大臣である森雅子少子化担当相の、説明答弁は聞いていてまことに「お寒い」。どうして少子化担当相にこんな役目を負わせているのかも意味不明。日本の少子化をどうやって食いとめるか、は重大な政治課題だから特別に大臣をもうけて対処する。これは国民誰もが理解できる。でも、その大事な課題を果たすべき大臣が、安全保障や軍事情報の管理という問題にかかわる重要法案の担当者になっているのは、理解に苦しむ。日本版NSCの担当とされる防衛大臣や外務大臣が責任をもって、ちゃんと説明すべきではないか。森担当相をはじめとする政府の説明は、このような情報管理がなされなければ、アメリカとの同盟関係が維持できないから、どうしても必要だとの一点張りである。
 「特定秘密保護法案」について、日弁連などの法律家からは明確な反対意見が出されている。藤原紀香、伊勢谷友介といった芸能人も批判発言をしている。でも、大手メディアのジャーナリストや社会科学者はどのような態度を示しているだろうか。いち早くその危険性を指摘して反対表明をした人も多いが、他方で東アジアの軍事情勢と日米軍事同盟の再編を重視する論者は、「特定秘密保護法案」を必要とする立場か、まったく無関心を決め込むふりをしているようだ。政府の説明がどんなに頼りなく「お寒い」ものであっても、今の国会は自民党・公明党が絶対多数を確保している以上、政府の通したい法案は無理矢理でも通ってしまう状況にある。
 このような事態の中では、専門家・学者・研究者などという人間は、いかなる意味でも軽視される。あるいは為政者の意図の実現に奉仕する道具にされる。そして、問題は一般大衆の人々も、もはや専門家・学者・研究者などになにか有効な方策を聞こうなどと思っていないことだ。学問など、たかだか重箱の隅を突っついて、つまらないことを重要なことのようにわざと難しく語って、自分たちの既得権とセコい権威を威張っているだけの存在に見えていることだ。それはたぶん、専門家・学者・研究者が自分の役割を、ごくごく狭い特殊な細分化された世界に限定し、自慰的な自己満足か、業界内の権威をかさにきて金儲けの道具にするか、大企業や政治家と結託してタイコモチを演じるか、に流れたつけが回っているといわれれば、その通りなのである。
 原子力ムラにいた専門家・学者・研究者が、戦後のはじめに希望に満ちた「原子の火」によって豊かな日本を築き上げると理想に燃えて学問・研究に身をささげようと思ったことは理解できる。しかし、それは結局、政治家が決めた国策に奉仕する道具であって、もしそれに疑問をもったり、原子力の危険について学問的に述べたりすれば、たちまち研究者としての居場所を奪われ、生活すら危うくなった。しかし、科学というのは政治やイデオロギーに関係なく、確実に確かなことはなんなのか、一生懸命時間をかけて実験や観察や調査をして、これだけは間違いないという結論に達したことについては、責任と良心をもって主張するのが学者であるはずだ。しかし、学者も人間であり、研究を続けるためには時の権力におもねて研究費をもらわねばならない。
 そんなことは、半世紀近く前にすでに見抜かれていた。いやもしかしたら、千年前から人間がやっていたことの愚かさは、わかる人にはわかっていたのかもしれない。



B.社会が学者・研究者に問うこと、について
 たまたま文庫本で、「加藤周一対談集」というのがあって、電車に乗りながらぺらぺら読んだら、次の文章に出会って、ふ~む、と考えさせられた。この対談が行われているのは1970年のようなので、それから40年以上経っている。

「久野収:たとえば、戦争直後に行われた座談会「新学問論」(『潮流』1947年新年号所収)では、主流は、戦前の学問の政治権力への「タイコモチ的」性格と政治権力からただ身を守るだけの「象牙の塔」的性格の両方を自己批判して、戦後の学問を近代的意味での生産労働、生産力としてとらえ、学問を近代的労働過程をモデルにきたえ直そうとする傾向が強かった。現在の特色は、彼らの主張の一方では実現であり、他方では、社会や国家の方が、彼らの期待どおりすすまなかったために、歪曲になる結果が重大だと思います。
 戦争直後は、国家、社会の方が、学問に聞こうとしたが、現在は学問の方が、国家や社会や経済に聞こうとする。学問が社会全体を編成する分業の自覚的一部門になり、社会や経済の方から課題と方向を与えられ、現代社会の分業のもつひずみ、分業の分肢の内側からは、分業の全編成が見透せないという、丸山真男氏のいい方を借用すれば、タコツボ的ひずみが出てくると同時に、学問の内側での専門化的分業がますます異常なまでに亢進して、相互のコミュニケーション疎外、言語不通がいちじるしくなる。このユガミは、社会や経済をかえなければ直らないのか、かりにそうだとしても、学問の側で、内側と外側にたいしてどういう態度をとれば、ユガミを直せるかという問題が出てきていると思います。
 加藤さんが鋭く指摘されたように、日本の特殊の問題である側面もあるが、それに、高度工業地域全体に通じる学問の問題と二重うつしになり、両方の比重関係はどうなっているのかという問題・・。
加藤周一:「新学問論」の座談会は、じつによく戦後の一時期を表していると思います。敗戦直後、さっきマルクス主義のことに触れましたけれども、必ずしもマルクス主義だけではなくて、大きな価値の転換が期待されていて、日本の社会全体が方角を探していたというか、価値を探していた。そのときには価値の体系が全体として問題にされた。少なくとも学者は、そういう大きな問題に直接向きあっていたと思うんですね。しかも、他方にはこういうこともあった。そのころの社会科学者の間では、まだ極端な専門化が進んでいなかった。学者が極端に専門化していなかったから、学問・社会の全体を論ずることができたし、また社会も学者にたいして、そうすることを要求していたのでしょう。要するに全体にたいする問いかけがあったばかりでなく、その問いに応えようとする用意が学者の側にもあった。
 ところが、戦後第二の時期というか、60年代からは学者の専門化が進んできて、そのために知識の増大ということは一方にあるわけですけれども、他方では、社会の学者に要求することが技術的な協力であって、社会全体の方角についての再検討ということではなくなってきた。社会は「目的」について問うのではなく、与えられた目的を達成するための「手段」について問うようになった。」
「戦後学問の思想」加藤周一・久野収、(初出:戦後日本思想体系10『学問の思想』1971.所収)「歴史・科学・現代 加藤周一対談集」ちくま学芸文庫2010.筑摩書房、pp.87-88.

 加藤周一も久野収も、もうこの世にない。日本が愚かな指導者の妄想によって有為な若者を大量に殺し、空襲と原子爆弾とによって壊滅的な敗戦を経験し、その深刻な反省の結果をまともに考えた人は実はそんなに多くなかった。でも、いま安倍晋三内閣によって、戦後の傷ついた日本人民のすべての努力をまるで津波で流し去るような愚劣なバックラッシュが目前に迫っている。人類の信じる英知、長い人類の歴史のなかで、真に意味のあることは何で、ど~でもいいことは何なのか?

「加藤周一:学問は知識の体系で、世界について、信頼度の高い情報を社会に提供するものでしょう。学問が発達すると、ますますたくさんの情報が提供される。その情報の社会的な役割には、二つの側面があると思います。
 一つは、特殊な問題に関する特殊な情報、たとえば原子爆弾をつくるための情報とか、生物兵器・細菌兵器をつくるための情報。軍事研究などはその一つですね。はっきりした特殊な目的があってその目的を達成するために役立つ情報を提供し、またその情報を組織すること。日本でも、アメリカでも、大学で軍事研究拒否の運動が、学生側や若い研究者の間から起こってきているわけですけれども、そういう研究を拒否するというのが、悪しき目的に奉仕する研究にたいして、学者のとるべき態度だといえるでしょう。
 もう一つの問題は、そういう特殊な目的に集中された、学問的・技術的な知識の集積ではなくて、もっと一般的に、そういう種類の情報でも、現体制のあるかぎり、現体制がそれを何らかの意味で利用していくだろうということがあります。どんな技術でも学問でも、それが進歩すれば必ず今の体制に役立つんじゃないか。こういう問題には、単純には答えられない。現体制への反対に徹底すれば、学問の研究をやめる、学者を廃業する、これはいわば伯夷叔斉式解決、首陽山方式ですね。社会が豊かで、土地が広く、気候も温暖だという条件(たとえばカリフォルニア)があれば、「ヒッピーズ」になる。体制に反対しながら、研究をつづけるとすれば、学問外的な学者の市民としての立場・行動の問題となるでしょう。
 どんな種類の学問であってもみんな利用されるのだから、学問の内容の問題にはならず、学者の社会にたいする態度の問題にならざるをえない。市民としての学者は、特定の産業社会がいわゆる新植民地主義の形で拡大していくということの全体にたいして、反対の立場をとることもできるし、賛成の立場をとることもできる。それは学問をこえたイデオロギーの面で社会的責任をとらなくちゃいけない。そういう二つの面があるんじゃないかと思うんですね。」加藤周一・久野収「戦後学問の思想」(初出:戦後日本思想体系10『学問の思想』1971.所収)「歴史・科学・現代 加藤周一対談集」ちくま学芸文庫2010.筑摩書房、pp.92-93.

 40年も経つと、国の内も外も環境は大きく変わり、社会の雰囲気も変わり、世代が入れ替わって人々の考え方もかなり変わる。学問はそういう時代の流行のようなものからは、距離をとってもう少し長い視野で確実な知識を蓄積し、次の世代に伝えるのが使命、ということにはなっていた。しかし、科学研究は目の前の出来事・現実に細かく目を凝らしているうちに、大きな変化を見逃しそれについて考えることも難しくなってしまった。「科学の進歩」は日々進んでいるように思っていたが、進歩ばかりしていたとはいえないかもしれない。 
 ぼくは自分が幸運にもある大学に職を得ていて、曲がりなりにも専門家・学者・研究者というカテゴリーにかろうじて入っているといっても、ま、嘘ではないとしても、正直に言って、ぼくが30年以上仕事としてやってきたことは、教師としては2流、そして学者としては3流だと思う。自分としてはもうちっと世間のお役にたつ仕事がしたかったとは思うが、ダメだった。せめてぼくのゼミにいた学生さんたちにとって、少しは役に立つ教師でありたいと思ったが、これもたぶんダメだった。だからぼくは19歳以来ず~っと大学で遊んでいたに過ぎない。ごめんなさい!と土下座しても、蹴飛ばされてもしょ~がねえわけですね。
 このブログでぼくが考えてきたのは、5年、10年、50年という視野ではなく、100年200年という時間の中でも変わらないもの、古いのに古びてこないもの、そしてさまざまな時代の条件の変化の中でも変ったものと変わらないものについてだった。まだお粗末なことしかできていないが、せめてそこを確認してみたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひ・ちゃくしゅつし・こんがいし・けっこん・かぞく・・・いま!

2013-11-13 19:40:10 | 日記
A.イエ社会は消滅しているのか?
 このごろゼミなどで女子学生と雑談していると、「結婚」というものをどう考えているかについて、以前とは大きく変わってきているような気がすることがある。いうまでもなく、ぼくの学生時代には当然であった誰もがいずれ結婚するものだ、と考える前提は消滅している。結婚はある年齢までにはしなければいけない、という意識もほとんど希薄である。それに比べれば、子どもはいずれ産んでみたい、という願望はそんなに変わっていない。そうすると、若い女性の前にある選択肢(ほんとは選択肢といえるかどうかも含め)は、昔よりずっと広がっているはずで、将来の自分の可能性を豊かにし援助してくれるような誰か(とりあえず異性として)に出会い、精神的経済的に向上するための結婚なら喜んでする、という結論に達するのは当然で、それは以前ととくに変っていない。シンデレラ的な夢のようなロマンチック・ラブを信じるほど、女性たちは愚かではないにしろ、男の犠牲になる気はもとより皆無である。
 問題は、それを実現できるチャンスが以前より狭まっていることだ。そこで、20世紀のうちは、とりあえず仕事をして自分の足場は固めておいて、いずれ完全に理想的ではないとしてもこの相手なら許せる男がいたら結婚しようと考えていたと思う。フエミニズムが女性の心に響いていた時代は、親たちが期待する古臭い結婚にこだわらず、あたしも一人前に働いてもっとイイ女になれるはずだし、結婚はそのうちイイ男に出会ったら考えればいい、とにかく頑張ろう!だった。そして順序は前後しても、子どもができちゃったなら、このへんで手を打つか、と結婚する人は多かった。
 しかし、今となってはそれがたやすく実現する状況にはない、ということを20歳になれば察知している。では、どうするか?社会学者山田昌弘が名づけた「婚活」は、それが出た頃は30過ぎた自覚的な女性の課題であった。しかし、どうやらそんな呑気なことは言ってられないらしいのだ。恋愛も結婚も出産も、高いハードルを自力で越えなければならず、自分だけを大事に愛してくれるイイ男なんて、待っていても現れない可能性が高い。少なくとも、社会学を勉強するほどの女性なら、それに気づいているはずだ。早くイイ男(どういう男が真にイイ男かを見極めるのは難問だが)をつかまえて結婚に持ち込むことが、女の人生を左右する、と考える女子大生が増えている、かもしれない。やっぱ、男好みの女になって、結婚してシロガネーゼ奥様になるのが勝ち!ですよね。ね!しかし、同意を求められても、半分は笑いながら、半分は彼女たちの未来を心配して、それは一歩間違うと旧い過去へ戻る道なのかもしれないよ、と思う。

 親子、家族、男女のあり方について、戦後の日本社会は大きな変化を遂げた、ということはいえるだろう。第二次世界大戦の終わった後に生まれたぼくも、戦前の日本社会がどういう家族観で営まれていて、それが「イエ」という秩序を基本にしていたこと、民法改正によって男女の平等、人権の尊重、差別の否定などが法律の上で原則的に認められた戦後になっても、われわれの生活の中に「イエ」の意識が根強く残っていたことは、日常的経験の中で知っていた。
 1970年代に社会学という学問を学ぶようになって、福武直、有賀喜佐衛門などの農村社会学、川島武宜の法社会学などの著作を読んで、戦前の日本社会が基本とした「イエ」社会が、近代の市民社会の論理とは相容れない要素を多分に含んでいるという指摘に頷いた。とくに、「イエ」社会が家産を管理する家長、その地位を受け継ぐ長男、そして重層的な「イエ」連合を基礎とする共同体、「ムラ」社会を支え、その下で多くの裏役割を期待される女性、娘、妻(さらにその秩序から弾かれる女性たち)に、重い犠牲を強いる構造になっていたことを知り、ぼくの母を見ていてまさにそうなっていた、と考えるようになった。
  現在の民法は、戦後の日本社会をどのような形にしていくか、という点で、「イエ」社会から人権と平等を基本とする近代家族の方向へと切り替える梃子の役割を担っていると思った。そしてその民法のもとで、戦後60年の歩みは、「イエ」社会の負の側面を克服する方向にすすんできたといってもいい。「イエ」の重圧に苦しんできたと思っていた日本の女性たちにとって、戦後の民法が実現した社会は「解放」だったはずだった。しかし、今の若者にとっては、「イエ」社会など想像もつかない遠い昔の物語にしか思えず、自分の親たちを見てもそんなことは考えたこともない。周りを見渡してみても、女の子たちは自由に着飾り、美味しいものを食べ、楽しく遊んでいるように見える。ただこれがいつまでも続くわけではない、ぐらいは感じている。さて、自分はこれまでやさしい家族、仲良しの友人、可愛いねと言ってくれるカレシと、ユルく日々を過ごしているだけでいいのだろうか?
  そこまできて、彼女たちが漠然と構想する未来は、どうも明るいとはいえない。では、これからの日本社会で、親子、家族、男女のあり方は、どうなっていくのだろう?自分の人生をどうするかは、基本的に個人の選択と自己責任、といえばそれはそうなのだが、その基盤を提供する法、そして社会システムの底に流れる思想は、時代と国家に依存する。困ったことには、今の日本で進行する事態は、個人を単位とする市民社会の自由と人権という思想を否定して、過去の「イエ」社会の方が望ましい、と考える人たちが政治的権力の中に巣食ってきたことだ。

 

B.なにを保守するのか?
 昨日、結婚していない男女間の子(婚外子)の遺産相続分を法律上の夫婦の子(嫡出子)の半分とする規定を削除する民法改正案を閣議決定した、という報道があった。これは、最高裁が九月に同規定を違憲と判断したのを受けた対応であり、谷垣禎一法務大臣は記者会見で今国会で「一日も早い成立を目指したい」と述べたという。法案は婚外子の相続分を嫡出子と同じとするもので、一見世の中の現実的変化に対応した法改正で、問題はないかに読める。だが、これに関連して、出生届に嫡出子かどうかを記載する規定のある戸籍法の改正案提出は見送られた。民法改正案をめぐって自民党法務部会で一部の保守系議員から「家族制度が壊れる」などの異論が相次いだので了承が難航し、戸籍法改正は先送りになったという。
 「東京新聞」では「法務省は、父の家業に長く従事した子などを念頭に、財産の維持や増加に特別の貢献がある場合は、現行民法規定に従って相続割合が増えると指摘し、遺言によって財産の一定割合を特定の遺族に相続させることも可能と説明している」と付記している。同紙コラムでは「差別変わらない 怒り」の見出しで、戸籍法改正を見送ったことへの反対意見を並べている。出生届を出さないと、生まれた子どもはこの社会で人として扱われる基本的人権が保証されない。出生届を出すにあたって、親が法的に婚姻していない場合、戸籍に嫡出子と記載することができないので、婚外子と記入しなければならない。生まれた子どもは、それを自分の意志では選べない。これが法的な差別を招く。最高裁の判断は、純粋に法律論として「法の下の平等」原則に反するから、改めるべきだというものだ。たんに財産相続だけのことであるなら、実質的な利害は遺言や裁判で個別に処理する道もある。たいした財産もない庶民にとっては、とくに大きな不利益は想像できない。これまでの事例には、婚外子に生まれた事情が、過去のさまざまな歴史によって(たとえば巨額の資産家や政治家などが正妻以外に産ませた子が多くあったという過去の事実)、現実的な処理を必要とした法律的な問題が考慮されている。
  しかし、よく考えると現代の日本社会に生きている多くの国民にとって、問題はむしろ法律論ではなくて、「自民党の一部の保守系議員」が信念としている思想の方にあるような気がする。彼ら(あえて彼らと言う)は、婚外子に嫡出子と同等の権利を認めることは、「日本の麗しい家族制度を破壊する」と考える。その家族制度として想定されているものは、「イエ」を継承する息子が嫁を娶り、生まれた子どもが血統を守って先祖と親を敬い、子孫の繁栄を第一に考えて生きるのが理想という固定したイデオロギーである。それは、西洋起源のロマンチックな愛情で結ばれた両親とその子からなる近代核家族という概念からも、ちょっとかけ離れた社会モデルである。あえて推量すれば教育勅語に示される明治国家が作りだした「イエ」社会を、望ましい家族のあり方とするものだろう。夫婦相和し朋友相信じ、子は親を敬い妻は夫に仕え、謙虚に秩序を守り、天皇と国家に逆らわない。
  それがどうしていけないのだ、という保守系議員に対しては、こう言うしかない。21世紀日本の社会の現実を冷静に見てください。たとえばあなたの結婚生活、家庭をよく見てください。あなたの家庭で妻や娘や息子たちに「イエ」的原理を押しつけ貫こうとしたら、どんな事態が起こるか考えてください。「イエ」を維持するために嫁をもらって結婚して、子どもを産まない妻は失格だと難詰する親族がいたらあなたはどうしますか?そもそも子どもたちが結婚できなかったら、あるいは離婚という選択をした場合、「イエ」が想定する秩序は崩壊します。現代日本では、30代の未婚者は30%をこえています。大都市圏ではもっと多い。「イエ」的結婚制度が維持されていた時代には、表むきの一夫一婦制の裏で、まさに「イエ」的家族制度を維持するために、妾と呼ばれる婚姻制度から隠された性的関係と非嫡出子が不断に生み出され、それを家族制度を破壊する「不倫」の名で差別していたのです。実は陰で自分が合法的な「不倫」をやっている人が、表では「不倫はけしからん」と言っていた。それは道徳の問題ではなく、自分の利害を守るタテマエの問題だったからです。
 今の若者たちは、ある意味で女性を守る制度であった結婚からも排除されかかっている。保守系議員が前提とする、「麗しい家族制度」に誰もが参入することはできなくなっている。彼らのいう家族制度を維持することは、結果的にそこで保護される国民と排除される国民を分断することになる。日本の過去の「イエ」制度は、通常考えられている中国の儒教的倫理から来たものではなく(個人と血縁と普遍性を基本とする儒教の教えは、まったく違うものだと思う)、日本史でいう中世初期に開発農民としての武士が生き残るために形成した独特のもので、それを階級社会だった江戸時代に家父長的な社会システムとして整備したところから構築された思想だと思う。外来思想としての儒教や朱子学の倫理は、ただ言葉として輸入されたに過ぎない。明治維新は、それを部分的には否定し、部分的には拡大して焼き直した。親子、家族、男女という人間関係の基本的秩序については、武士や上層階級にだけ適用していた「イエ」秩序を、一般庶民の統治の手段として拡大し、明治民法に反映させた結果、昭和のはじめに完成したと思う。
 敗戦は、ある意味では完成していた「イエ」的秩序を根本から崩壊させた。そのとき人々は、とくに苦しんでいた女性たちは、次の時代が「イエ」的秩序以外の選択肢もある、ということに気づいてエンカレッジされたと思う。女には許されてこなかった自己表現、自己決定、生む性の肯定、男と対等の権利要求。そのとき結婚という制度は、選択肢のひとつになった。それから半世紀以上が経ち、グローバル化した世界の趨勢も子ども、女性、障害者、貧困者、移民難民など、理不尽な権力・暴力によって危険に晒されてきた人々の側に立って、よりよい未来を構想する流れができている。にもかかわらず「イエ」秩序を是とする人たちが、憲法も民法も無視した主張をしている。

 ぼくは保守思想一般を否定しようとは思わない。ぼくたちの課題を真剣に克服するためには、新しい流行の思想や大胆な変革だけを見ていては失敗する。過去の歴史や思想の蓄積を大事にして、「イエ」社会の秩序についても、歴史的に日本という社会が発展する重要なプラス要素になったと思っている。だからこそ、グローバル化した現代において、「麗しい日本の家族制度」という硬直した観念に拘泥する「一部の保守系議員」の妄想は、現実的にも政治的にも神経症的時代錯誤だと結論する他ない。現職総理大臣、安倍晋三氏がこのような観念になにか「美しい日本」の理想を重ねているとしたら(その疑惑はぬぐえないが・・)、ぼくもその一員であるトラッド・ジャパンを継承する「美の精髄」は、泥にまみれると思う。悲しいかぎりである。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

むかし学校で先生から・・・ぼくは何を教わったのか?

2013-11-11 13:50:15 | 日記
A.ある映画の感想
 最近の日本映画は、マンガが原作の映画化が多い。とくに青少年を主な観客に想定した映画は、ある程度ヒットしたマンガ・アニメの映画化なら観客動員が見込めると考えるからだろう。たまたま「鈴木先生」という映画を見た。これは武富健治という人の描いた連載漫画を、連続TVドラマ(テレビ東京)にして、放映時はさほど視聴率はよくなかったらしいが、その後評判になり同じスタッフ・俳優で映画にしたものという。ぼくは映画しか見ていないので、あくまで映画作品だけの印象なのだが、一見楽しく愉快な青春学園ドラマ、それもマンガやヒーローもののアイテムをまぶした娯楽作、かと思うと、どうもそうではない。
 主人公は東京郊外の公立中学国語教師で、背の高いイケメン長谷川博己が演じているが、黒縁メガネにループタイという少々妙な風体で、独白を繰り返す頭の中も卑猥な妄想や、職務への懐疑にとり憑かれた人物である。しかし、教室では理想の教育を実践する意欲的な教師を演じる彼には、従来の多くの学園ヒーロー教師像が描く熱血の皮の下に、煩悩具足の自己の欠点を自覚するリアルがある。冴えないダメ人間が超能力を得て正義のヒーローに変身するのではなく、ダメ人間のままでなぜかヒーローになっているという作りだ。そういう部分に反応したり、マンガ的に過剰な映像と若い役者たちに共感する観客もあるだろう。
 しかし、ぼくにはそれはど~でもいいし、映画としてもさほど良くできたものとは思えない。だが、この「鈴木先生」の中に出てくるドラマ上の2つのテーマは、かなり気になった。それは生徒会役員選挙と、卒業生による学校乱入事件の描き方である。つまり、「選挙」と「教育」への不信と批判が、若い世代に訴えるものがあるとするなら、考える価値がある。
 生徒会選挙は、中学生にデモクラシーのプロセスを教える大事な行事なのに、その実態は教師も含め仕方なくいい加減にやっているに過ぎない、ということが解っていて、教育を立て直そうとする「空気の読めない教師」の空しい努力が成功するかにみえるが、それを逆手にとって反抗しようとする生徒会長候補が出る。乱入事件の方は、かつてこの学校で受けた理想の教育を信じて世の中に出たものの、現実の生活は理想とかけ離れた惨めなもので、自分を差別される敗北者と認めた青年が、学校と教師への復讐のようにナイフをもって中学に潜り込み、女子生徒を拉致する。さあ、どうする?鈴木先生。
 どちらも、現代日本の学校教育に対する嫌悪、あるいは小学校、中学校、高等学校という世界を潜り抜けてきた青少年たちの実感に沿っている、かもしれない。だとすれば、それは真の敵を見据えているだろうか?「選挙」は民主主義の重要な手続きで、国民の自主自律と決定責任の政治的根拠になるもの、と教えられる。しかし、実態は投票しても目に見える変化はなく、無意味としか思えないので、投票率はどんどん下がる。この現実を見れば生徒会選挙みたいなものは棄権することが認められないのなら、いい加減に人気投票か冗談くらいに考えればよい、となる。学校乱入事件の方も、そんな行為自体は愚かで無意味なものだが、犯人が述べる学校への批判は、それなりに「理想の教育」の失敗を反映している。いくら学校で先生が語る理想を素晴らしいものだと真に受けて努力しても、そんな考えをしていること自体が社会では不利に働き、理想は空想に終わり、一部のエリートや要領のいい奴ばかりが成功していく。学校も教師も理想を語る奴ほど信用してはいけない、というやけっぱち。学校なんて、ただの通過儀礼かせいぜい技術か資格の学習場所で、余計な理想なんか教える方が間違っている、そんなものを信じた自分はバカだったという諦念。
 戦後教育の空虚な理想の担い手、日教組がすべてをダメにした!という言説を、ある意味ではこの犯人の世界はなぞっている。鈴木先生はもはや日教組的教師ではないが、学校教育に追求すべき理想と教育技術を諦めてはいない。その意味で彼は、悩める凡人であるがゆえにもしかしたらヒーローになれるかもしれないのだが、そもそも学校教育にそこまで期待していた方が間違いだったかもしれないのだ。日の丸・君が代に青少年の理想を詰め込もうとする人たちの教育への力の入れようが、冗談みたいなものになってしまうのと方向は反対だが、日常生活世界としての学校空間、短く濃密な時間を生きる若者たちのリアリティに、学校教育と教師がちゃんと目を向けていない、という事実は変わらない。
 もちろんそう考えれば、ぼくも学校という場所で教師をやっている以上、自分への批判でもあるのだが。



B.フッサールの「世界の構成」について
 中学生だった自分が、世界をどういうふうに見て感じていたか、今はもう遠い昔で思い出せない。しかし、今と同様、そのときはそのときで一瞬一瞬を生きていたはずだから、周りの人たちを他我として関わりあいながら、自我のようなものを構成していたのだろう。まだそれを言語化するほどのリテラシーはもっていなかったが、そういうことを時折考えていたような気はする。フッサールの『デカルト的省察』は読みやすいとは到底言えない本だが、そこで扱われている問題の及ぶ範囲は狭いようで広い。

 「《客観的世界》という存在の意味は、私の原初的世界〔私の自我がいわば独我論的な立場で最初に構成する世界〕を基盤にして、幾つかの段階をへて構成されるのである。その第一段階としては、他我Andereもしくは他我一般、すなわち私自身の具体的存在(原初的自我としての私)から排除された(他者の)自我を構成する層が剔出されねばならない。そしてこの層が明示されると同時に、それが動機になって、私の原初的世界の上に〈普遍的な意味〉の上層が構築され、そしてこの上層に媒介されて私の原初的世界は、ある一定の客観的世界、すなわち私自身も含めた万人にとって同一の世界の現出となるのである。従って本来第一の他者Fremde(最初の非‐自我)は他の自我であり、そしてこの他我が他者〔私以外のすべてのもの〕の新しい無限の領域、すなわちすべての他者と私自身を含む客観的自然と客観的世界一般の構成を可能にするのである。純粋な(まだ世界の意味をもたない)他者から出発して上昇するこのような構成の本質には、次のことが含まれている。すなわち私にとっての他者はいつまでも孤立した状態にあるのではなく、むしろ(もちろん私自身の固有の領域においてではあるが)私自身を含む自我の共同体が、相互扶助的に共存する多数の自我の共同体として構成され、最終的にはモナド共同体が構成されるということ、しかもこのモナド共同体が、(その共同化された構成的志向性によって)一つの同じ共通世界を構成するのだということ、が含まれているのである。」(E・フッサール『デカルト的省察』H. I, 137)

 学校という世界でぼくが出会った具体的な経験は、まったく個別的なもので、友人など他の生徒が出会っていた経験がぼくと同じものであったかといえば、たぶん同じではない。それでも、ある時代、ある場所で一緒にある出来事を経験したという事実は、共同的ゲマインザームであるから、そこから各自が個別に構成していく世界もなんらかの意味で《客観的》世界でははあるはずだ。

「しかし世界はやはりわれわれ全員の世界であり、その固有の意味での客観的世界としての世界は、単に私に対してだけではなく、誰に対しても《常に真に存在する世界》という範疇的形式を備えているのである。〔・・・・〕構成的な経験としての世界の経験というのは、ただ単に私の全く個人的な経験のことではなく、共同体的経験Gemeinschaftserfahrungのことであり、世界それ自身は意味的には〈原理的にわれわれのすべてがそこへ到達する経験の通路をもっている同一の世界〉であり、〈われわれ全員がわれわれの経験を《交換》することによって、すなわちわれわれの経験を共同化することによって、それについての相互理解を獲得できるような同一の世界〉である。《客観的》な証明とはまさに相互の賛同と批判によって成り立つものだからである。(E・フッサール『論理学』FTL. 209)

 同じ顔ぶれの人間が毎日出会う学校という世界が、メンバーの個別的経験を交換する共同体的経験である、とするならば、そこで構成された自我と《客観的》共同性は、学校を作り運営している人々が想定している「理想」に重なるものだろうか。学校教育という社会システムは、子どもの成長にとって役に立つ無駄のない技能知識を与える、と称して人を集めるが、いかに生きるのが正しいかという理想を語りはじめると、子どもたちはそれを《欺瞞》ではないかと疑う。なぜか?学校の外の社会の現実(それもまたひとまとめに構成された観念にすぎないが)が、約束された理想を実現しておらず、そのことを大人たちも教師も実は知っているらしい、と感じるからだろう。でも、もしフッサールの現象学が有効な方法であるならば、なぜ人がそのように自分のありようを考えたのかを、精密に説明できるはずだ。

 「日本語の〈世界〉は〈過去、現在、未来の三世の時間を意味する世〉と〈東西南北、上下など十の方角を示す空間を意味する界〉との合成語ですが、英語のworldやドイツ語のWeltは、who(wer)とold(alt)の合成語で、oldは〈成長した、という語義のラテン語のaltus〉から派生しました。それゆえこの英・独語の原義は〈人の年齢や世代〉を表わし、その後しだいに〈人類の居住地〉を意味するようになりましたが、しかし元来〈成長する、成熟させる〉という意味を含んでいるため〈各自の環境世界は外部から一方的に押しつけられるだけのものではなく、各人各様にそれに意味付与して、形成しうるものでもある〉とする考え方が生まれやすい構成です。フッサールの生活世界の概念には、まさにこの意味が生かされています。確かに乳幼児にとっての生活環境はいわば運命的に与えられたものです。しかし自分で考え、意欲し、努力しうる青年・成人にとってはそうではないはずです。」立松弘孝『フッサール・セレクション』、役者解説、平凡社p.311.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする