A.いまドストエフスキーはいるか?
亀山郁夫氏の本に導かれて、ぼくはドストエフスキーの生涯とその作品の意味を、あらためて考えてみたのだが、やはりその長編小説をまた読んでみる必要があるように思った。そして、19世紀後半のロシアで、彼はロシアという国の現状と未来をかなり悲観的にみていた。ロシアのインテリゲンツィアが、フランス革命と西欧近代の文化的優位に内心憧れ、振り返って近代以前ともいえる祖国ロシアに大きな変革が必要だと思いつつ、立ちはだかる皇帝権力と正教会の壁に、いずれは挑戦する動きがやってくることに期待していたであろうと思う。そしてそれは20世紀はじめに、第1次世界大戦というものを契機に、ロシア革命という現実になった。
そして、その革命政権が作ったソヴィエト連邦は、冷戦時代の一方の極として世界に存在感を示したが、20世紀の最後にあっけなく崩壊した。今のロシアにかつての栄光と実力はもうない。大量の核兵器はもっているが、世界戦争を始めれば多くの犠牲を払っても、みじめな敗北に終わることは間違いない。だから、身内と思っていたウクライナの離反を防ぐために、局地戦をやって結局消耗するだろう。しかし、これは確かに新しい事態だ。
現代日本に、ドストエフスキーのような小説家がいるだろうか?つまり、ただ人間の日々の日常を個人の目を通して文学で表現し、それを人々の感情や意識に訴えて覚醒させるような文学は、もちろんどこにでもある。娯楽としての大衆文学は、相変わらず花盛りともいえる。でも、時代の表層の現象を超えて、人間が生きていることの最深部で問われる問題を、長大な言葉の塗り重ねで作品化するような作家は、いるだろうか?いないこともないかもしれない。
日本で、ドストエフスキーに深い影響を受けた小説家、たとえば先頃亡くなった大江健三郎や加賀乙彦、あるいはもっと前だが埴谷雄高などは、ドストエフスキーの世界に接近しようとしたのかもしれない、とは思う。だが、いまの日本の状況は、戦後の20世紀後半の社会とはかなり変わってしまった。つまり明らかに経済的に衰弱し、さらに政治的文化的に劣化が進んでいる。ある意味で、ドストエフスキーが生きた19世紀末に向かうロシアと似ているのかもしれない。だから、むしろこれからドストエフスキーのごとき作家が出てくることを期待したい。
「もしもドストエフスキーが1881年1月に死ぬことがなかったならば、歴史は別の道を歩んだかもしれない、という突拍子もない空想がしきりに頭をよぎるのである。ここで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の歴史論や、カオス理論の一つである「バタフライ効果」を持ち出すわけにはいかないが、その可能性を全然に否定することはとてもできないとわたしは感じている。ドストエフスキーの突然の死と衝撃はそれほどに大きい事件だったのだから。
そして、ここでもう一つの仮説が生まれてくる。もしかするとドストエフスキーは、『カラマーゾフの兄弟』の連載がはじまった段階で、皇帝暗殺という事態を予想していたのではないが、つまり、そうした事態を見こし、序文の内容をあえて、将来どのような書き方も可能にするあいまいなものにしておいたのではないか。
しかし私なりに断固として書きとめておきたい。
アレクセイ・カラマーゾフが皇帝暗殺者になることはありえなかった、と。
では、ドストエフスキーが友人のジャーナリストに語った言葉は嘘ということになるのか。
一言で答えよう。
かりにドストエフスキーがその言葉を吐いたとすれば、本音が出たのである。それは妻のアンナに対しても同じであった。しかしその本音は、信念からはほど遠かった。いや、執筆の可能性からは程遠かった。
二十八歳での死刑宣告以後、ドストエフスキーは生涯をとおして二枚舌を強いられてきた身である。彼は、時流を見分け、それを使い分けることで生きのこりを図ってきた。アレクセイ・カラマーゾフがかりに革命思想に近づくとしても、皇帝暗殺の実行犯となることはなかった。裏を返せば、「第一の小説」と「本質的な統一」を保つ「第二の小説」には、それにふさわしい主人公が他にいたということである。
このエピローグまで来て、私は本書に託したテーマから少し逸脱しているかもしれない。議論の道筋を見失ったとの叱責を避けるため、すぐにも本題に戻ることにする。いや、𠮟責は不当である。なぜならわたしは、「第二の小説」の全体像を少しでも紹介しようと念じながら、「第二の小説」の主人公となるニコライ(愛称コーリャ)・クラソートキンの運命に思いをはせていたのだから。
読者のみなさんは、このコーリャが、「第一の小説」のエピローグに叫ぶ次のような印象深いセリフを憶えておられることだろう。
「ぼくたちみんな、死からよみがえって命をえて、おたがいにまた、みんなやイリューシャにも会えるって、宗教は教えていますが、それって本当なんでしょうか?」
今日のドストエフスキー研究では、このニコライ(コーリャ)・クラソートキンの言葉に、少年と同じ名前をもつニコライ・フョードロフの「共同事業の哲学」から受けた作家の影響を見てとるのが定説である。
フョードロフが説いた哲学とは、人類が共同して父祖をうやまい、死せる父祖の物理的な復活に努力することこそキリスト教の奥義がある、というもので、弟子たちによって纏められた際、「共同事業の哲学」と名づけられるにいたった。一言でいうなら、人類が一致団結しておこなう「死の克服」の事業である。
人類がその事業を遂行するうえで最大の障害のひとつとフョードロフが見ていたのが、男女の性愛だった。なぜなら性愛への熱中は、その行為そのものが父祖を忘れさせることを意味するからである。フョードロフは次のように述べている。
性欲および出生は、父祖をよみがえらせる事業にあっては、消滅していくところの一時的な状態であり、動物的な残滓にすぎない」
性愛にたいするこの厳しい否定は、去勢派の思想となんと似ていることか。
そして、個人の解放は「共同事業」を否定するものであるとし、「奴隷制が善となりうる」とまで断言する。
自称「社会主義者」であるコーリャ・クラソートキンは、「不幸な人間」になることを運命づけられた少年である。将来その「不幸」がどのような形で少年に降りかかるかはわからない。しかしそれが、誰からか「人間の物理的な復活」という理論を聞きつけてきた彼の、気負いと理想主義の結果として生じることはおそらくまちがいない。その性急な変革の夢がかえってあだとなるのである。より端的に言ってのけるなら、コーリャはもしかすると、このフョードロフ哲学への心酔と社会主義の理想の実現をとおして、ロシアの、いや世界変革の夢を抱くことになるのかもしれない。しかし、フョードロフのいう「死者の復活」が実現し、この世界が性愛を必要としなくなるのは、世界に「終わり」が訪れ、神の国が実現するそのときである。フョードロフによれば、世界はすでに終わりを迎えようとしている。だからこそ、性愛も出生も意味を失い、ひたすら父祖の、そしてキリストの復活の可能性を夢見ることが許されるのだ。こうしてこのフョードロフの世界観の実現を夢見るなかで、コーリャの青春には、性愛の否定という思想に取り込まれる時が訪れてくるのかもしれない。「時間」が消滅したその世界では、唯一キリストの理想があるだけなのだ。
わたしはここで一瞬、既視感のようなものに襲われる。フョードロフのこの「終わり」の思想はどこかで聞きおぼえがある。
ドストエフスキーはかつて妻マリアの遺体を目の前にしながら、こうノートに書きつけたことがあった。「娶らず、嫁がず、御使いのごとく生きる」―-。
ドストエフスキーが見ていたキリストの理想が成就する「終わり」の世界もまさにこのような世界であった。
しかし、このような性なき世界にどのような夢があるのか。わたしたち子孫は、父祖の復活のためにみずからの性愛を、性愛がもたらす喜びをすべて犠牲にしなくてはいけないのか。
ドストエフスキーの脳裏に、このような問いかけが生まれる瞬間もあったにちがいない。現実に彼が、癲癇という恐ろしい「罰」に耐えながら経験する生命と現実の豊かさには、なにものにも代えがたい輝きがあったはずである。人は、キリスト教の完成の生贄となるために、調和の犠牲者となるために生きているのか。世界の「終わり」はそもそも人々に幸福を約束しているのか。
こうしたリアルな問いかけをもった登場人物として十三年後のコーリャ・グラソートキンは想定されていたと、わたしは想像している。社会主義の理想とフョードロフ哲学への共感は一体でなければならない。一体化した先には、ばら色の楽園が開かれているにちがいない。その理念のもとでなら、ロシア社会の果てしない不幸と堕落から救う道を探りあてることができるだろう。スメルジャコフが、父フョードルの堕落を徹底して嫌ったように、コーリャもまた、ロシア社会の堕落を嫌いぬき、ロシア社会を自壊から救うため、何がしかの行動に出ることだろう。そしてアリョーシャは、いきり立つ彼の額に、何も言わずに、しずかな祝福の口づけを与えるにちがいない。
では、逆にアリョーシャ・カラマーゾフはどのような人生を歩むことになるのか。カラマーゾフ家の一員である彼は、カラマーゾフの姓にこめられた「黒」の生命力を取り戻すことになるのではないか。生命力そのものであり、自然と世界の全一的な肯定という思想によって生きることになるのではないか。コーリャは、みずからの性の刻印をぬぐい、アリョーシャは性の喜びを回復することで、たがいに訣別の道に立つのではないか。」亀山郁夫『ドストエフスキー 謎とちから』文春新書、2007.pp.242-251.
ちなみに亀山郁夫氏と私は同年生まれなので、個別のドストエフスキー体験がどうであったにせよ、ある共通の時代を生きてきた記憶があるように思う。日本では、ロシア文学が非常に特別なものとして読まれる時代と、時代から無視される時代が交互にあって、それは時々の政治と入り組んで扱われてきた。いまはウクライナの戦争が続いて、またロシアへの敵意が強まっている時代だが、それはもちろんドストエフスキーにはなんの関わりもない。
B.自民党保守派の現実無視
第2次安倍政権が長く続いたことで、一番日本が世界から立ち遅れた点といえば、基本的人権と平等の保障を怠ったために、いまだに自由な性と幸福の追求に関し、社会の実態を知ろうとしない家父長的家族観への固執と、性教育への時代錯誤なイデオロギーを手放そうとしない頑なさにある。こういう人たちが、学校教育に横槍を入れ、「偏向教育」だなどと言いがかりをつける。「偏向している」のは、どっちなんだ。
「さて、日本に戻ろう。「国旗・国歌を尊重し、わが国の将来を担う主権者を育成する教育を推進します。不適切な性教育やジェンダーフリー教育、自虐史観偏向教育などは行わせません」
これは、自由民主党『総合政策集2022 J-ファイル』の中の教育に関する政策項目、パラグラフ722「わが国を愛する心を養う教育と体験活動などの推進」の中に掲げられている内容である。この文言は、2012年11月に、安倍晋三(当時、自民党総裁)が「日本を、取り戻す。」というスローガンのもと発表した衆議院選挙における公約から掲げ続けている「政策」である。
こうした政策項目が、政権与党の政策集の中に掲げられ続けているという点において、日本の性教育をめぐる問題の特殊性がある。つまり、日本の学校教育において性教育が遅々として進まない原因の根源が、教育への政治的介入というあってはならない問題によるところが大きいということである。
実際、2002年に性教育バッシングのターゲットとなった、厚労省監修で作成された中学生向け教材『思春期のためのラブ&ボディBOOK』は、衆議院文部科学委員会で問題にされ、回収、廃棄処分となる(2002年)。前述した七生養護学校事件は、校長会などで高く評価されていた「こころとからだの学習」が、東京都議会一般質問で問題にされ、教員の処分、教材の没収が強行された。2005年には、吹田市教育委員会が作成した性教育副読本が、参議院予算委員会で攻撃されている。いずれも、国会、都議会といった場で、特定の委員、つまり党派性をもった政治家による攻撃だったのである。
前述の自民党が示す政策において、何をもって「不適切」とするのか、「適切な」性教育(あるいはジェンダーフリー教育)を推進するという方向性が示されないのはなぜなのかといった点も問題にしなければならないが、ここでは、「性教育」、「ジェンダーフリー教育」、「自虐史観偏狭教育」が並べられ「不適切」と冠されていること、さらにこの政策内容が「わが国を愛する心を養う教育の推進」という項目に位置しているという点に着目したい。
このことは、2000年前後の性教育・ジェンダーフリーバッシングが、「慰安婦」バッシング、「夫婦別姓」批判とも連動していたこと、また、1999年に「国旗および国家に関する法律」が成立し、「国旗・国歌」が学校現場へ強制されていく時期と重なっていることとも符合する。この流れの中、で2006年に教育基本法が改定され、「我が国と郷土を愛する」という、強制される「愛国心」が「教育の目標」の中に位置づけられるのである。
さらに、「新しい歴史教科書をつくる会」元理事の桜井裕子は、その著書の中で次のように述べている。
「男女共同参画という名のフェミニズム思想と学校で跋扈する過激な性教育こそ、民族を滅ぼす元凶であり仕掛けであり人権侵害の最たるものといえる。(……)この危機的状況を救う道ははっきりと見えている。一、男女共同参画社会基本法・基本計画・条例一式の廃棄、二、性教育の停止、三、徳育の復活」(桜井裕子『性教育の暴走』扶桑社、2007)というものである。
ジェンダー平等を目指す教育や性教育への攻撃に、政治的権力の明確な意図があることを理解することなしに、日本に生きる子ども・若者たちに、包括的セクシャリティ教育を保証する道を拓くことはできない。
( 中 略 )
1999年に、文部省が初めて「性教育」という用語を正式に使用した『学校における性教育の考え方、進め方』を発行したことは前述したが、バッシングによって十分に活用、展開されることのないまま、その存在はほとんど意味をもっていない。
さらに重要なことは、現在に至っても、文科省は性教育という用語を意図的に避け、「性に関する指導」という表現にすることにこだわっている。それは単なる言葉の問題ではなく、「性教育」には取り組まないという意図の表れである。
( 中 略 )
文科省は、「安全教育」を推進するために、多くの教材と指導の手引きをHP上で公開している。それぞれの教材についての批判的検討を丁寧にする紙幅がここにはないが、こうした教材を無批判に使うことで、子どもたちの人権を脅かす危険があるということを指摘しておきたい。
第一に、人権が基盤にされていないという決定的な問題がある。「安全教育」では、「自分のからだの大切さ」が強調され、「自分のからだは自分のもの」であるということから、そのことが「触らせてはいけない」という禁止に結びつけられている。しかし、包括的セクシュアリティ教育では「誰もが、自らのからだに誰が、どこに、どのようにふれることができるのかを決める権利を持っている」という「からだの権利」を学ぶことが重視されている。そもそも、暴力が人権侵害であるという指摘さえも見当たらない。
第二に、性をポジティブにとらえるという視点が完全に欠落している。禁止や危険性だけを問題にするということにも典型的に現われているが、人間関係が「距離感」の問題に矮小化され、「距離感を守る」ことだけが強調され、ポジティブな人間関係がどういうものであるのかについては扱われていない。こうした「安全教育」は、あやまった性暴力理解と対処方法を教えることになり、被害を受けたときにイヤと言えない自分が悪かったのだといった自己責任論に陥り子どもたちを危険にさらす可能泥もある。
そもそも「安全教育」を性教育に位置づけるつもりがないのであるから、こうした批判は無い物ねだりということになるだろう。このことは、性交を教えることを抑制する学習指導要領の「はどめ規定」を死守する文科省の姿勢からも明らかである。「性交」も含め、性を科学的に教える基盤がないところで性暴力を扱おうとすれば、禁止や脅しに傾倒する、「正しさ」を教える「性道徳」になるしかない。そうした「性の指導」では子ども・若者たち自身が、自分の性行動に責任を持って、ウェルビーイング(幸福)を実現する選択をする力が育まれることはない。」田代美江子「包括的セクシュアリティ教育の可能性」(岩波書店『世界』2023年4月号。pp.192-196.
この古式右翼的な人たちは、そもそも「人権」「平等」「権利」「フェミニズム」といった言葉が、心底嫌いなんだろうな。そういうことを主張するやつらとは、顔を合わせるのも嫌、口は聞きたくない、という態度があからさまに出てくる。そうしたいならご勝手に、と思うが、そういう人が権力を握ると、社会が息苦しくなり、生きにくくなる。今はそうなっている。
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