A.スターの不幸
ひばり・チエミ・いづみの「3人娘」は、同じ年に生まれ、同じ天才少女歌手としてデビュー、そして互いに厳しい戦後の芸能界で活躍し、競い合いながら似たような境遇ゆえに、親友として励まし合って成功した。歌だけでなく映画やテレビでいろんな役を演じて演技者としても知られた。ある意味、社会がどんどん豊かになっていくなかで、彼女たちは戦後社会の明るい側面を反映していた。しかし、結婚し離婚するあたりから、人生の影の部分がしだいに露わになってくる。じつは彼女たちは、貧しい家庭と親や兄弟の生活のために、小学生の頃から歌を唄って仕事をし、少女の身で必死で一家を支えてきたために、幸福な学園生活も普通の穏やかな友人関係も縁がなかった。そして、一番早く結婚して夫のために芸能界は引退すると言っていた江利チエミは、結局最後までミュージカルや映画やテレビなどで歌手として働き続け、ある日突然、この世を去ってしまう。その日のことは、かなり詳細に語られている。
「電話に出たのは、法道の弟子だった。チエミは自分がつけた子犬の名前がよほど気に入っているのか
「法道ちゃん、ル~イって優しく呼ぶのよ。絶対に、可愛がってネ」
昨日の今日である。法道は急いで応対に出ると、電話の相手はチエミではなく由利に代わっていた。
「チーちゃん、風邪は治ったの?」
「私は由利です。チエミさんはいま、風邪薬を飲んでいます」
おかしな事に、互い違いの電話のかけっこのような応答であった。そんな会話を聞きながらチエミはもう一度言った。
「ル~イを可愛がってね」
電話が切れた。
チエミは、赤と黒のブルゾンに赤のブラウス、朱色のパンタロンのまま、仮眠をするようなしぐさを見せた。しばらくまどろんでから入浴し、着替えをすることが多い。
由利は、チエミがベッドに横になるのを見届けると、いつものパターンで、明日は午後二時に迎えにくると念を押して高輪ヒルズを後にした。
二月十三日――由利は、渋谷区幡ヶ谷の自宅を出て、地下鉄・泉岳寺駅を降りチエミのマンションへ向かった。
高輪ヒルズの玄関ロビーから、406号室を呼び出した。しかし、返事がない。寝込んでいるのかもしれない。そこで由利は、インターフォンでなく電話をかけた。何回も何回も繰り返すがやはり応答はなかった。
由利は、監理人に訊いた。
「チエミさん、ここを通りました?」
「いいえ、お見かけしませんでしたよ」
「おかしいなあ」
この日、由利はチエミと共に東京を三日間留守にするので事務所の社長である夫の隆にチエミの部屋の鍵を預けてきた。愛犬のモンの世話をしてもらうためだ。
部屋は、昨夜由利が鍵をかけて帰ったままの状態で人の気配はなかった。
不吉な予感が走った。
急いで連絡を取った事務所員から鍵が届いたのは、午後三時近く、隆は、チエミに何が起こったのか、全く分からぬまま午後四時の飛行機の搭乗は間に合わないので帯広の仕事先へ緊急連絡し、マンションに直行した。
406号室に入ると、由利が放心状態で立ちつくしていた。
「どうしたの?」
隆は、チエミの寝室である、十二畳の洋間に駆け込んだ。瞬間、血の気が引いた。
チエミは、バルコニーに面したダブルベッドで身体を極端に窓側に寄せ、左手を右手の上に乗せて横向きに寝ていた。
「チエミさん!起きて!起きてください!」
身体を揺すっても、チエミは答えてはくれなかった。チエミの動かない手を両手で握りながら、同じ言葉を叫びつづけた。
「チエミさん‥‥‥」
由利は、虚脱したように呟くとマリンブルーの絨毯のうえに倒れ込んだ。
「そんなわけがない。夢でしょう?何かの間違いだわ。これからやることがいっぱいあるのに‥‥まさか…まさか」
ただひたすら夢であることを心の中で祈った。どうすればチエミが目覚めてくれるのか。チエミは笑っているように横になっている。昨日と今日とまったく変わっていない。変わっているのはチエミがちっとも動かないことである。隆の思いも同じだった。
頭の中で言葉がきしみ、何をどうすればよいのか朦朧としていた。一刻もはやく時を昨日の状態に戻さなければならない。隆は、藁をもつかむ思いで119番した。
医師と救急隊員が駆けつけ、閉ざされた空間がざわめきに変わったのは間もなくであった。チエミの身体はベッドから床に降ろされ、蘇生の作業が行われた。酸素吸入のための処置によってチエミのむくんだ皮膚のその箇所が剝がれるほどの緊急作業であった。
チエミは夢から覚めることはなかった。舞台ではない現実の時の流れがそこにあった。死亡後、かなりの時間が経過しているようであった。愛犬のモンが鳴いていた。
この日の朝、千駄ヶ谷宅で多紀子はチエミのヘア・デザイナーからの電話を受けた。
「チーちゃんが知り合いの結婚式に出る時の打ち合わせをしたいの、チーちゃんを連れて来てくれない?」
「はぁい。でも、今日は帯広に行くので、帰ってきたら連絡します」
多紀子は、そう返事をした。チエミは友人の結婚式に出る時の髪型をヘア・デザイナーに頼んでいた。
「チーちゃんたら、自分がお見合いする時に合うような髪型にしたいって言うの」
「ほんとう。楽しみだわ」
多紀子は、笑いを浮かべて言った。
千駄ヶ谷宅には、山口県から多紀子の親類の伊藤光が訪れており、伊藤はかつてチエミが暮らしていた部屋を綺麗に掃除してくれていた。伊藤の娘が東京に就職することが決まり、チエミが住んでいたその部屋に寄宿するためだ。
「まあ、きれになって、新しいお部屋のようだわ」
多紀子が言う。庭から寒椿を一輪折ってきた伊藤が花瓶にそれを飾りながら言った。
「不思議だなぁ。庭の土手のところに陽炎みたいな、靄みたいな白いものが風に揺れているんだよ。何だろう?」
「何でしょうね」
「春の陽炎かなぁ」
「寒椿がもうこんなにきれいに咲いていたんですね。そういえばチーちゃん、よく庭から取ってきてお部屋に飾っていた」
二人はそんな会話を交わした。
しばらくして、多紀子は山口へ帰る伊藤を東京駅まで送った。その東京駅の構内で、多紀子の名がアナウンスされたがその声は彼女の耳には届かなかった。多紀子が帰宅すると、玄関は脱ぎ捨てられた靴の山だった。
「何があったの?」
多紀子は、益己に尋ねた。
「ママ、驚かないでよ。今、車で高輪ヒルズにパパを送ってきたんだ」
益己は、言う。
「何で?」
「ちょっとママ、座って聞いて!」
「いいわよ」
「ママ‥‥お姉ちゃんが死んじゃったんだよ」
「もう一度言って?」
「チー姉ちゃんが‥…」
「ふざけないでよ。パパもチーちゃんも冗談ばかり言うんだら‥‥益己までそんな事を」
「警察から連絡があって‥‥‥本当なんだ」
「まさかあの陽炎が…」
多紀子はそう呟くと、益己の車に乗って高輪ヒルズへ走った。
マンション前は、数え切れないほどの報道関係者でごった返していた。多紀子が部屋に入ると、高輪警察署の担当官が木村隆、由利に事情聴取をしており、益雄は寝室の隣の居間で大きな肩を震わせていた。
「お父さん、お話を聞かせてください」
「‥‥‥」
益雄は、警察官から何を聞かれても虚空をにらんだままで、何かに憑かれたようにブランデーグラスを口に運んだ。居間にはピアノが置かれ、ステレオ装置の脇には、チエミが最期に主演した二本の映画の台本があった。
「教育は死なず」と「命の輝き」のシナリオである。
どちらも独立プロダクションによって制作され、チエミが主演した教育映画である。「教育は死なず」では、非行の生徒を信じ、体当たりでぶつかってゆく女教師を演じている。もう一本の「いのちの輝き」は差別問題をテーマにした作品で、部落出身の母親役を演じている。共に人間の生きる力の尊さを訴えた作品である。しかし、チエミの系譜からはみ出した観があり、メジャーでなかったので知る人は限られる。
ボランティア活動で知られる俳優・杉良太郎が真っ先に駆けつけた。杉と共演した時代劇「新伍捕物帳」がチエミのテレビ出演の最後の作品となった。
清川虹子は、新宿コマで島倉千代子の舞台に出ていた。午後の部の幕があがろうとした時、重苦しい気持に襲われた。清川は島倉千代子が演じる娘の母親役だった。しかし「千代子」と呼び掛けたはずなのに「チイコ」になった。島倉の顔にチエミの面影がかさなって見えた。何かが変わっていた。いつもなら冗談を言って笑わせる由利徹までが押し黙っている。」藤原佑好『江利チエミ 波乱の生涯 テネシー・ワルツが聴こえる』五月書房、2000年、pp.234-239.
1982年2月13日、今から40年前、45歳の急逝は早過ぎた。この彼女の最後の主演映画「教育は死なず」と「命の輝き」をぼくは見たことがない。40年の歳月は、あれほどのスターでももう忘れられてしまうほど、長い時間と世の中の変化が進行したのだ。
B.戦争にむけたお膳立てか
戦争が勃発するきっかけは、些細な事件だったりするが、国際関係の緊迫は突発的に起こるわけではなくて、かなりの時間が費やされて国同士の一触即発の条件がなければ、いくらタカ派の政治指導者でも簡単に戦争のボタンは押せないと思う。いま進行している事態は、ウクライナでのロシアの動きや、北朝鮮や台湾をめぐる米中の緊張が高まるという形で、10年前よりずっと戦争へ傾斜する恐れが感じられる。問題は、日本政府はそれに対して、アメリカに追随して自衛隊を「有事」に使うつもりなのか、という点だ。つまり米軍と一緒に自衛隊が動けば、それは直ちに戦争に参加することを意味し、日本のどこかが武力攻撃を受ける可能性を開く。戦後75年、武力で国際紛争に関与してこなかった日本という過去を捨ててしまうということだ。その覚悟は、岸田政権にあるのだろうか?
「離島の「戦場化」許されぬ 日米2+2共同発表:白鳥龍也
外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)は、共同発表で「緊急事態に関する共同計画作業の確固とした進展を歓迎」と表明した。米軍と自衛隊は台湾有事を想定して南西諸島に展開する作戦の原案を策定しており、これを推し進める狙いがあるとみられる。島々が戦場化すれば、住民が巻き添えになるのは必至だ。犠牲を是認するような作戦立案は断じて許されない。
作戦原案は、米海兵隊が2019年に打ち出した「遠征前方基地作戦(EABO)」に基づいて練られ、米軍と自衛隊は昨年十二月、北海道と東北で共同訓練を行った。
台湾海峡の緊迫の度合いに応じて、海兵隊は小規模部隊を複数の離島に分散して展開し、臨時のミサイル、航空基地などを構築する。中国の海洋進出を阻止するのが主眼だ。日本政府が、日本の平和と安全に対する「重要影響字体」と認定した段階で、自衛隊はまず兵員や物資輸送、弾薬提供、燃料補給などの後方支援を行うことになろう。
海兵隊展開の候補地は、二百近くある南西諸島のうち約四十カ所に上るようだ。大半が有人島で、中でも陸上自衛隊がミサイル部隊を配備している鹿児島県の奄美大島や沖縄県の宮古島、配備予定の石垣島は有力となる。
米軍の展開先は当然、中国から狙われる。海兵隊は攻撃から逃れるため島から島へ移動するとされるが、それだけ標的となる範囲は広がる。
自衛隊が後方支援とはいえ米軍と一体化して作戦を行えば、自衛隊基地も狙われる。2プラス2では、南西諸島の自衛隊基地を中心に日米の共同使用施設を増やすことでも一致しており、離島の戦場化がより現実味を帯びてくる。
米軍の拠点を新設するには土地使用や国民保護の法整備も必要になるが、狭い島で住民の安全な避難場所をどう確保するかまで考えて作戦が立案されるとは到底思えない。
法整備や国会での議論に先んじて、日米の軍事当局のみで住民を巻き込む可能性が高い作戦計画を立てるとすれば、文民統制(シビリアンコントロール)の危機でもある。
日米両政府が台湾有事を念頭に安全保障面で連携を強める背景には、中国の海洋進出や台湾に対する軍事的圧力があるにせよ、日米共同の作戦計画立案や共同訓練は、中国側には挑発的な行為と映るのではないか。
安倍晋三元首相は昨年十二月、台湾関係の会合にオンライン参加し「台湾有事は日本有事」と述べた。麻生太郎元首相も、台湾有事は「存立危機事態」に当たり、集団的自衛権の行使もあり得るとの認識を示したことがある。
ともに、台湾を巡り米中が衝突すれば、日本も戦争に参加することになる、との趣旨だが、危機を煽るのではなく、台湾海峡の平和と安全に向けた外交努力を促すのが、首相経験者としての役割ではないだろうか。(論説委員)」東京新聞2022年1月26日朝刊、6面視点欄。
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