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ニッポン現代アートの旗手 9 奈良 美智さん ノーベル賞なんて?

2019-10-29 04:35:02 | 日記

A.少女と犬の形象

 数年前、ぼくは駅で新幹線に乗るために待合室にいたとき、少しダイヤが乱れて30分ほど待つことになった。乗客が増える中、5,6歳くらいの少女が母親とやってきた。見るともなく見ていると、彼女はじっと座っていることができず、待合室の中を走り飛び、みんなの顔を眺めながら激しく表情を変えていた。大きく笑ったかと思うと口を尖がらせて上を向き、すぐにばさっと下を向いて髪を翻す。動作も少しも静止せずに足を広げ閉じ、上下に跳ねる。ぼくはこれを見ていて、子どもがこうしているのは誰もとくにおかしなこととは思わないけれど、つまりこれは健康な子どもの動きとしてはよくあることなのだが、もし同じことを大人がしたら、気が狂ったと思われて病院に連れていかれるかもしれないと思った。そして、もし優れたダンサーが、この少女の動きを真似てダンスにしたら、すばらしいアートとして評価されるかもしれないと思って、とても不思議に思った。

 幼い子どもの表情は、クルクルと変わる。大人は表情というものを慣習的にいくつかの類型で理解してしまうので、哀しみには悲しい表情、嬉しさには嬉しい表情、そして感情の起伏がない状態を無表情にして平板化してしまう。でも、子どもが一瞬一瞬になにを感じているのか、わかっているわけではない。それは大人が「子どもとは無垢で単純で、ものごとを表面的にしか見ない」存在として見たがっているからだ。しかし、「無邪気な子ども」という通俗イメージは、ある時代に作られたもので、アートの歴史の中でも作為的に構築されてきた形象のひとつだ。

 奈良美智さんの少女は、そういう子どもの姿をとりながら、「愛すべきカワイイ」女の子というステレオタイプを、その表情において踏み破っている。そのことの意味と、それが当の女子にとって少なくとも面白がられていることがなぜなのか、を考えさせる。

 「[White Riot] 全身真っ白で等身大を超える巨大な女の子の半身像である。上体は腰まで、左右の腕も途中で切断されているので、われわれはいきなり、鋭い眼差しで睨みつける少女の大きな顔と対峙させられることになる。左右が異様なほど離れた吊り上がった眼、丸っこい団子鼻、大きくふくれた頬などは、たしかに子供っぽい特色をよく示しているが、睨みつける眼は見る者をたじろがせるほど強い。横に長くのばされた口の両端に白い牙が見えるのは、内心の小さな悪意を表わしているのだろうか。それでいてこのあどけない小悪魔は、見る者を惹きつけずにはおかない愛らしさを失ってはいない。

 この作品は、2009年奈良美智が信楽の滋賀県陶芸の森にアーティスト・イン・レジデンスとして滞在した時に制作した陶芸作品だが、そのモティーフとなっているのは、これまで長いこと、主に絵画作品においてさまざまなかたちで表現して来たちょっと小生意気な女の子である。無垢で無邪気なあどけなさのなかに、強情で意地っ張りな一面を秘めたその特異な少女像は、ほとんど奈良のトレード・マークのようになって広く知られ、国際的にも高い人気を集めて来た。それは、誰しも身に覚えのある子どもの本質を、きわめて独特な、説得力のある表現で世に示したからである。

 もちろん、歴史をふり返ってみれば、愛らしい子どもの姿というのは、これまでにも数多く描かれて来た。特に西欧世界では、十八世紀から十九世紀にかけてのロマン派の時代に、世俗の塵にまみれた大人よりも、「汚れのない」純粋な子供の方が優れた存在だという「無垢の礼賛」の思想が強く主張され、フィリップ・オットー・ルンゲの作品や、詩と絵画を融合したブレイクの『無垢の歌』に見られるような清純な子供像を生み出した。詩人ワーズワースもまた、天空の虹を歌った名吟のなかで、「子供は大人の父」という忘れ難い一句を残している。

 しかしながら同時に、子供にはいささかの毒を含んだ、我儘でやんちゃな一面があることも否定できない。奈良美智の手柄は、複雑微妙な子供の心理を的確に捉え、たしかな存在感を持った一人の愛すべき女の子の姿を造形して、奔放に活躍させた点にある。彼がこの少女像を生み出したのは、ドイツのデュッセルドルフで学生生活を送っていた時のことだという。一見勝手に振る舞っているように見える少女に、どこか孤独な影がまつわりついているのは、そのためであるかもしれない。」高階秀爾『ニッポン現代アート』講談社、2013、p.032. 

 子どもは一見大人に依存して生きるほかない存在だと思われながら、日常世界では常に周囲の大人たちに対立し反抗し自己主張している。それを「無垢」とか「純粋」とかといった言葉で無害化するのは、教育の論理とも文化の深化とも逆行する大人の傲慢な秩序ではないか。

 「もう一つ、日本的なものとして、「かわいい」という話をしようと思います。

 村上隆と並んで海外で評価の高いアーティストに、奈良美智がいます。

 図8の〈サヨン〉は、一見すると、コマの中に単純化されたキャラクターがいる、とてもシンプルな絵に見えます。そのためか、このイメージはカリカチュア(戯画)や漫画のキャラクターからの流用だといわれることが多い。でも私は、奈良さんは突然、漫画家ら現れてきたのではなく、そのもっと前の文脈とつながっていると考えています。

 〈サヨン〉は、奈良さんがつくりだしたキャラクターの一つ、「怒れる(アンファン)子ども(テリブル)」です。彼の作品には子どもと動物しか登場しません。それは未成熟なもの、無垢なるものの象徴です。無垢なものだけがもつセンサーは、不安な状況に疑いをもって反応し、鋭く吊り上がった目でこちらを睨みつけているのです。

 絵の中の子どもたちは、現代日本の大人の世界、不安と混乱を招いている世界への拒絶という、時代の感性を抽象的に表しています。奈良は、日本の漫画の表現にならって、愛らしくデフォルメした人物たちの、無関心のそぶりの背後に批判と抵抗を含ませています。その感情は生で外に放り出されるのではなく、宙吊りのままで、ピュアで毒のある詩的な絵画空間にとどまり続けています。

 その姿が私たちの心を惹きつけてやまないのはなぜでしょうか?

 それは、日本人が、人形や箱庭、細工された菓子など、小さくて技を凝らしてつくられたものを愛ずる気持ち、「かはゆし」の精神ではないかと私は考えます。

 「かわいい」は、古くは「かはゆし」といって、あまりにもかわいそうで、見ていられなくて、思わず顔を背けてしまうような感じを表す言葉でした。あるいは、あまりに珍しくて、輝かしいので、顔を背けてしまう、というニュアンスもあったようです。

 奈良さんの絵を見ていると、この言葉の意味が納得できてきます。その「かはゆし」力が、国を越え、民族を超えて、ヒットする理由ではないかと思うわけです。こんなに小さいのに、こんなに輝いている。そこに、おもしろし、おかしとさまざまな興を感じ、惹きつけられていく。

 アメリカの美術館に行くと、インターンの女の子たちが奈良さんの絵を護符のようにブースに貼っているのをよく見かけます。決して、映画スターやミュージシャンの写真なんかでなく、〈サヨン〉みたいな絵が貼ってある。

 それを見て私は「やはり」と思います。力なきものが、睨みつけることによって生み出す、アンバランスな強さ、それは、子どもの姿をした守護神の力です。身につけるお守りは、ただかわいければよいというわけにはいきません。無垢であるがゆえに発せられる、呪術的な力があるのです。

 音楽やファッション、漫画といったサブカルチャーや、ローカルで人気のあるキャラクターなど、ヴァナキュラー(土着的、土地固有的)なものもすべて吸収して、アートに変容させてしまうのがポップアートの一つの特徴です。その吸収の過程で、予期せぬ混合や変異が起こる。こう考えると、ポップアートそのものが呪術的であるということができるかもしれません。」長谷川祐子『「なぜ?から始める現代アート』NHK出版新書、2011、pp.44-47. 

 長谷川氏の論はどうも、これまでの通俗モダニズム芸術論を否定したいあまりに、社会科学的なテクノロジー優位論や単純フェミニズムや現代思想的なハイ・イメージ論に引っ張られて、結局へんなナショナリズムやプレモダンに傾斜しそうな危うさを感じるのだが、奈良美智のつくる形象は、それとは少し違って、世界への違和感を少女や犬という地点から射ることの戦略性にあるとぼくは思う。

 

B.国家の経済的盛衰と文化の成果

 ノーベル賞の受賞が話題になるこの季節、事前予想もあれこれ取り沙汰されたあげく、日本人が受賞するとまるで国家の名誉のように万歳するのが恒例になっている。自然科学3賞はこのところ日本の研究者が毎年出ているので、オリンピックの金メダルのように誇らしい勲章のように報道される。でも、それは日本が経済的に余裕のあった「昭和」末期までの、一種の「遊び」的研究環境の産んだもので、平成以後のこの国の科学技術や文化への考え方は、悪しき短期的な成果主義、効率主義、競争原理、反知性主義の政治的意思によって瀕死の状態に追い込まれているという記事。

 「記者解説 Commentary後退する基礎研究:0から1生む力 競争政策で弱まる

/起点は純粋な好奇心 試験管に封入されたその物質は輝いてた。「銀ピカでアルミ箔そっくり。これが本当にプラスチックなのか」。ノーベル化学賞に決まった旭化成の吉野彰名誉フェローは、電気を通すプラスチック「ポリアセチレン」と出会った時の驚きをこう振り返る。

 1981年、日本は経済成長を遂げ成熟期に入っていた。産業界では、ポリ袋のような素材用プラスチックから、付加価値の高い先端素材の開発が求められていた。そこに登場した常識外れの物質に好奇心をくすぐられた。のちに、電池の電極への利用に照準を絞り、紆余曲折を経てリチウムイオン電池の開発に結実した。

 自然の原理の発見やまったく新しい物質の創生など、「0から1を生む」研究を「基礎研究」といい、研究者の純粋な好奇心から始まる。吉野さんによると、当時、旭化成では、一定の割合の研究者を基礎研究に割り当て、事業化の目標が明確な応用研究とは切り離して研究させていたそうだ。

 「遊ばせておくんです。基礎研究はあまりお金がかからないので、勝手にやらせておけと。2年たって方向が間違っているとわかれば、次をやる」。「アンダー・ザ・テーブルの研究」と吉野さんは表現する。

 ポリアセチレンは2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹・筑波大名誉教授が発見したものだ。その源流には、1981年に同賞を受賞した故福井謙一博士の業績がある。物質を支配するミクロな世界の原理から、逆に「こんな性質の物質がつくれるはずだ」と予測する理論だ。ポリアセチレンはまさに理論が予測した物質だった。

 福井市の予言と白川氏の発見を、産業界の吉野さんが引き継ぎ、モバイル社会の実現、接続可能な社会への貢献というイノベーションに結びつけた。福井氏の孫弟子にあたる吉野さんは「これが本来の産学連携」と考える。

 国立大の資金難響く

 ノーベル賞の自然科学3賞(医学生理学、物理学、化学)の日本の受賞者は24人になる。世界6位だ。2001年以降だと18人で米国に次ぐ2位。ただし、ノーベル賞は対象となる業績が出てから受賞まで平均27.8年かかる。吉野さんも場合も、1980年代の元気な研究現場が生んだ「昭和の遺産」だ。

 近年の日本の基礎研究はどうか。

 論文数では、この10年間で世界シェアは2位から4位に、注目度の高い論文数に限ると4位から9位に落ちるなど退潮が著しい。博士課程への進学者数は03年度をピークに減り続け、人口当たりの博士号取得者の数は米、英、独などの半分以下だ。先進国で日本だけ減っている。将来も危うい。

 企業はバブル崩壊とともに基礎研究への投資を大幅に縮小し、日本の論文の多くは国立大学が生み出しているのが実態だが、その屋台骨に元気がない。

 国立大学の弱体化の背景には国の「選択と集中」の政策がある。04年の国立大学の法人化以降、教員の人件費や自由に使える研究費など、大学運営の基盤に充てる補助金(運営費交付金)を削減し、代わりに国の審査を受けて勝ち取る「競争的資金」を増やしてきた。運営費交付金の一部にも競争を導入し、ぜい肉のない経営体への「体質改善」を求めている。

 その結果、何が起きたか。

 国立大学は予算難のため教員の正規ポストを減らして新規採用を抑え、高齢化が進んだ。審査で有利な東大など一部の大学に資金が集中。多くの中堅の国立大学は資金難にあえぎ、人材育成の場である研究室の維持にも事欠く状態に陥っている。研究の「層の厚み」が失われつつある。

 競争的資金の柱の一つにイノベーションを目指す研究費がある。政権の経済政策「アベノミクス」を受けたものだが、スケールの大きな研究とはいいがたい。「環境にやさしいIT機器」「放射性物質の低減」といった個別テーマが設定され、進め方や予算の使途が縛られ、頻繁に成果報告を求められる。現場の教員は予算獲得の雑用が膨らみ、研究時間が削られている。トップダウン式の限界が指摘されている。トップダウン式の限界が指摘されている。

 吉野さんは、国の政策に振り回される大学の現状を「中途半端で最悪の状態」と危惧し、「百の一つのとんでもないリターンを生み出すイノベーションには、福井謙一先生のような真理を探求する基礎研究が必要」と言う。自らの賞金を原資に日本化学会に設置した「吉野彰研究助成」では「一切好きなように使ってもらいたい」と話す。

/目先の成果急いでも

 国は競争政策の資金配分の基準として、大学側に細かい数値目標の設定を求めている。財源難の中、企業と同等の手法を大学経営に適用し、生産性の観点から国の眼鏡にかなう大学を重点支援する。生産性とは投入コストによる割り算だ。しばしば引き合いに出されるのは、その大学が生み出した論文数や特許などの成果を、投入した運営費交付金で割った値だ。

 そもそも、基礎研究の成果は生産性ではかられるべきなのか。

 数値重視の背景には、政府が進めるEBPM(証拠に基づく政策立案)がある。予算配分の合理性を高めて国民の理解を得るためとされ、科学技術分野では国の第5期科学技術基本計画(16~20年)に導入が盛り込まれている。

 しかし、研究者からは「測りやすいデータだけで評価されている」「基礎研究や学生の教育といった非定型の業務に数値目標はそぐわない」などといった批判がつきない。運営費交付金のかなりの部分は論文作成以外にも使われており、もっと精緻な議論が必要だとの指摘もある。

 博士課程の人材育成を専門に担う総合研究大学院大学の長谷川眞理子学長は、「データは政策判断を正当化するためにあるのではない。いまの政策は生産性向上が目的化している」と憤る。「学生たちは職探しにきゅうきゅうとし、すぐに成果の出る研究を目指さざるを得ない。指導する先生も余裕がなく、成果を急ぐと学生にしわ寄せがいく。これでは、飛び抜けたアイデアなど生まれようがない」。政策が生む悪循環を肌で感じている。」朝日新聞2019年10月28日、朝刊9面、オピニオン欄。

 ぼくは、自然科学に比べれば一桁少ない研究予算の社会科学分野で、わずかながらも国の科研費などをもらって細々研究活動をしてきた人間だが、それでも1980年代には自由な共同研究に国が予算を配分してくれた環境を享受できたと思う。基礎研究には、大きなお金はなくてもできる

 「現場を信じ、「苗床」作るのが国の役割  個々は「賭け」でもGDP押し上げ

 日本の国家予算は「借金」の返済と社会保障費が6割を占める。科学技術や教育、公共事業の予算額の割合は、平成の30年間横ばいのままだ。国の成長を考えれば将来への投資は必要だ。しかし、社会保障費を削ってでも「好奇心の赴くままの自由な研究」にお金を回す価値が本当にあるのか、疑問に思うかもしれない。

 個々の基礎研究は「賭け」のようなものだ。だが国全体でみると、基礎研究力と経済力には相関がある。大学経営に詳しい鈴鹿医療科学大学の豊田長康学長によると、OECD(経済協力開発機構)の人口当たりの統計では、論文数とGDP(国内総生産)は比例する。GDPとイノベーション力、GDPには、相互に押し上げ合う関係があると推定できる。

 ノーベル賞を受賞した日本の研究も昨年の本庶佑・京都大特別教授のがん免疫治療薬「オプジーボ」、2014年の赤崎勇・名城大終身教授ら3人による青色LEDなど、世界的な市場を切り開いたのもは多い、日本の経済活性化の好機となったのは間違いない。

 これらの業績は、いずれも真理を探究する大学でも基礎研究に端を発している。自然の仕組みの解明を至上の価値とするノーベル賞の伝統からみれば当然だが、一方でイノベーションに光を当てる近年の受賞の潮流にも沿ったものだ。真理探究の成果が貧困問題の解決や地球環境への負荷低減など、人類共通の課題にどう貢献したか。公共財としての科学研究の価値を近年のノーベル賞は強く意識している。

 そして、イノベーションの成果は市場を通じて普及する。日本が「百に一つのリターン」という大きなインパクトを得るには、いたずらに競争を促すのではなく、現場を信頼し、豊かな好奇心の「苗床」を作る施策が求められる。」朝日新聞2019年10月28日、朝刊9面、オピニオン欄。

 朝日新聞を含め、優れた科学研究の成果を、国という単位で考える思考が、相変わらず支配的であることをぼくは疑うべきだと思う。日本人が優れた研究成果を出すことは、どこにいて研究をしたかとか、日本人であるかどうかとは今日ほとんど関係はない。そのことは、逆にある時代にもっとも知的に生産的な場所が、経済的政治的にも世界の中心であるような場所に資金も環境も集まるということであって、「昭和」末期の日本はそのような場所のひとつだったということだ。おそらく従来も、有能な知的創造力のある若者は、世界でどこにいけば自分の可能性を最大限に発揮できるかを考えて移動するだろうし、その成果がしっかり評価されるのもどこなのかを知って考えるだろう。

 でも、ノーベル賞の背後にある人類の進歩と知的革新という思想は、日本とか日本人とかいうコンセプトとは無関係だというのは、いうまでもない。問題は、日本という国がそういう人類に貢献する研究者を生み出す条件を、経済的衰弱によってかつての栄光を失いつつあるということであろう。でも、それがどうした?という視点もあっていい。

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