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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

余裕のない「現在バイアス」と、余裕に漂う傲慢

2016-03-14 17:33:01 | 日記
A.困窮の前には計画的に生きる余裕はない?
 毎日食事をした後パチンコ屋の前を通ると、どうしても入ってしまう人の話を聞いたことがある。たんなる習慣でも趣味でもなくて、それで稼ごうとか何か大きなメリットがあるとも思っていない。むしろ、時間的・金銭的に無駄になる可能性が高い行動だと自分でも思うが、やめられないという。ぼくはギャンブルに類することに嵌ったことはないが、そういうことはあるのだろうなと思う。人間とは100%合理的・計画的になど生きられないし、実際そうはしていない。
人間は計画的・合理的に自分の生活を無駄や無理のないようにコントロールできなければならない、と子どもの頃「生活指導」される。受験勉強などではもっと綿密に、日々の生活を計画的に効率的に過ごすことが望ましいとされ、それができる人間が「できるヤツ」とみなされ自分でもそう思う。そして自分でも計画的に生きてきたと思う人は、同じ金額のお金をもらうのに毎月もらうのと3か月まとめてもらうのとどっちがいいか、と言われたら、すぐ困るわけじゃなければどっちでもいい、貯金するにせよ使うにせよ、いずれにしても計画的にすればいいことでしかないから。でも、すぐ困る人の場合、今月もらうか3か月先にもらうかでいろいろ生き方まで違ってくる。

今日の朝日のこんな記事があった。
「フォーラム 公的手当のまとめ支給:児童扶養手当や児童手当など公的手当の多くは、数カ月おきの「まとめ支給」になっています。これが、低所得世帯の収入を不安定にし、家計破綻の危険を高めると、昨年末に記事[ひとり親 波打つ収入、綱渡り]で指摘しました。その上で、少しづつでも毎月支給する方が、家計を安定させるのに有効だと提案しました。記事に寄せられた意見や、毎月支払いを実践している例を紹介します。
上手にやりくりできず
「まとめ支給」と家計のやりくりについて、ひとり親の方々から経験談が寄せられました。昨年離婚した佐賀県の40代女性は、同年12月、最初の児童扶養手当を受給しました。ひとまず2か月先の家賃と子どもが通う保育園の保育料が確保できて一息つく一方で、4か月に一度しか入ってこないことをつい忘れてしまい、上手に使いこなせず、苦慮しています。「臨時収入のような感覚になり、財布のひもが緩んで、いつもより買い物をしてしまった。せめて隔月支給にしてもらえたら、家計を把握しやすいし、気持ちの面でもかなり楽でしょう」
中高生の子ども2人と暮らす千葉県の女性(44)は「まとめ支給を見越して収支をとらえ直すのは、1人でやるのはなかなか難しい。ましてやパートなど、仕事の収入が不安定な状況ならなおさら」といいます。
偶数月に児童扶養手当や児童手当を受給していますが、入金直後に別の銀行口座に移し、大きな出費の時以外はなるべく手を付けません。月々の生活費は、パートの給料11万~13万円と元夫の養育費5万円で暮らすようにしています。「手当はないものと考えて家計を運営している。もうすぐ手当が入るからこれを買おう、などと出費のあてにしていると、手当のない月の赤字を埋められず、自転車操業に陥ってしまう」朝日新聞2016年3月14日朝刊9面、オピニオン欄。

この記事に大竹文雄氏(経済学者・大阪大学特別教授)の次のようなコメントがついていた。
「公的手当の支給頻度を上げることは、低所得者の生活破綻を防ぐ有効な方策です。
 「自制心がないから計画的にお金を使えない」という批判もあります。ですが、「不合理」ともいえる人間の行動や意思決定について研究する行動経済学の観点で見ると、「自制心」で片付けられない問題とわかります。
 私たちが計画的にお金を使えないのは、将来より境を優先してしまうという人間共通の性質のためです。1年後の1万円か、1年と1週間後の1万100円か、という選択では、今日の1万円を選ぶ。遠い将来なら我慢強い選択ができても、今のことならせっかちになるのです。
 ダイエットの計画を先のばしするのも、将来の健康より、目の前のごちそうを優先した結果。こうした行動特性は、行動経済学で「現在バイアス」と呼ばれます。最近の研究では、貧困状態に陥った人は、今日明日を乗り切ることにはたけるが、急を要さないことは先延ばしにする傾向が強まるということが知られています。自制心がないと言うより、私たち誰もがもつ「現在バイアス」が、困窮状態に陥ると、顕在化してくると言った方が正しいのです。
 こうした人間の性質を踏まえると、公的手当のまとめ支給が、差し迫った支払いをどうするかで頭がいっぱいの人には、どれだけ酷な制度か分かるでしょう。支給を小分けにすれば、支給前後の現金不足の心配が減り、先々のことを考える余裕も生まれます。
 行動経済学の成果を政策に活用する動きは、海外ではすでに始まっています。日本でも、実証に基づいた政策づくりを本格化すべき時期です。」

 NHK「オイコノミア」で行動経済学をわかりやすく説く大竹先生のことは、ぼくはずっと前から自分の論文にも引用しているので知っているが、ここでは別のことも考えた。
 ぼくとぼくが普段親しくしている人たちは、いちおうこの国で「すぐ困る」ような追いつめられた生活をしていない。生活保護や児童扶養手当をもらう必要のある人がいることは知っていても、自分がそうなるとは思っていない。それが計画的・合理的に考えれば愚かな行動をしてしまう人たちに対する視線を冷たいものにしていないか。ひょっとすると、なんでこんな簡単なことができないんだ、自己管理、自己責任ができない人間にそんな配慮は要らない、などと言いかねない。そしてそれはお金の問題だけではなく、知的な判断の場合にも流れ込んでいないか。余裕のある人が余裕のない人に賢く計画的に暮らしなさい、と垂れる説教ほど傲慢なものはない。



B.「サロメ」のイコノグラフィー
 絵画を見るということは、ただ視覚に入ってくるものを感じ取ればいいという、つまり感受性の問題なのではなくて、そこに表現されている意味や意図をちゃんと受けとる必要がある。それには、図像の謎解きをしなければならないような作品がある。「イコノロジー」の「イコン」というのは東方教会からロシア正教に伝わった聖像、キリストや聖母などの画像のことで、その宗教的な意味を読み解くのが「イコノロジー」で、そこから絵画など図像一般が表現する意味内容を解明するのが「イコノグラフィー」である。

「絵画にせよ、彫刻にせよ、一般に造形芸術作品を理解するためには、構図、デッサン、色彩、ヴォリューム等の形式的特徴の分析とともに、その作品のあらわしている主題、ないしは意味内容を的確に把握することが必要であるのは、言うまでもない。例えば、一人の婦人像をあらわした作品でも、それが単に造形的モティーフとして表現されている場合もあれば、聖母マリアとかサロメ等、歴史上、伝説上の特定の人物をあらわしたものである場合もあるし、さらに、「希望」とか「勇気」等を意味する寓意像である場合もあり得る。問題の婦人像のがそのいずれであるか、言い換えれば、作者はその婦人像にどのような意味内容を与えようと意図したか、を明確ならしめるのが、イコノグラフィー(図像学)と呼ばれるものの役割である。
 むろん、造形表現はさまざまの技術的、歴史的条件によって制約されるものであるから、同一の主題が必ずしも常に同一の表現形式をとるとはかぎらないし、逆にまた異なった主題が類似の表現を与えられる場合も少なくない。時代により、地域により、芸術家により、その他もろもろの条件によってもたらされる表現上の差異や類似を正確に記述し、分類することもまたイコノグラフィーの領域に属する。例えば、ファエンツァの絵画館に所蔵されているフランチェスコ・マッフェイの作品のひとつは、かつては「サロメ」を描いたものとされていたが、現在では「ユーディット」を描いたものと解されている。そこに描かれた女性が、はたしてサロメであるのか、ユーディットであるのか、何故にサロメではなくてユーディットであるのか、を決定してくれるのがイコノグラフィーなのである。
 ところで芸術作品というものは、一方ではそれ自体充足したひとつの自律的存在であると同時に、他方ではある特定の歴史的、社会的、民族的、精神的背景の中の産物として、自己の表現の中にそれらの背景を集約し、象徴している。それは、はっきりと意図された主題、ないしは意味内容を担うものであると同時に、その時代的背景、精神的風土、歴史的条件を反映するものでもあり、その意味において、表面的意味内容の奥に、カッシーラーのいう「象徴的」価値を秘めたものである。イコノグラフィーが、作者によって明確に意図された表面的な主題、ないしは意味内容を探るものであるのに対し、その奥に隠され、時には作者自身にとっても意識されないままで止まっているその「象徴的」価値を対象として、その意味を探求し、解明することを目指すものが、イコノロジーの役割にほかならない。
 ある作品の主題、ないし意味内容が何であるか、あるいは逆に、ある主題はどのような作品にどのように表現されているかを問いただすのは、イコノグラフィーの仕事である。しかしさらに進んで、何故にそのような主題が選ばれ、何故にそのような表現がとられたかを問題とし、その表現がその時代の歴史的背景や精神的風土、あるいは作者の内面的世界とどのように結びつき、どのようにからみあっているかを探ろうとする時、われわれはイコノロジーの領域に踏み入る。パノフスキー教授の引いている例を挙げるなら、ミラノにあるレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画について、それはひとつのテーブルの周囲に十三人の人物を配した構図であって、聖書の中に出て来る「最後の晩餐」をあらわしてものだと言えば、われわれは純粋に作品の図像学的特質を問題としているのであり、もしそれをレオナルドという一人の天才の内面世界の反映として、あるいはイタリアにおけるルネッサンス文明のもたらしたひとつの達成として、またはある特定の宗教思想のあらわれとして理解しようとすれば、われわれはすでにイコノロジーの問題を扱うことになるのである。
 とするなら、イコノロジーは当然にイコノグラフィーの成果を前提とするものでなければならないであろう。ある作品に描き出された女性がサロメであるかユーディットであるか、あるいはある食卓の図が「最後の晩餐」であるか、「エマウスの巡礼」であるか、その主題が明確にされないかぎり、その作品にひそむ「象徴的」価値を完全に理解することはできないからである。いわば、イコノグラフィーの終わったところからイコノロジーが出発すると言ってよい。」高階秀爾「サロメ」―イコノロジー的試論(高階『西欧芸術の精神』所収、青土社、1979.pp.276-278.

 高階先生はこのように言って、そのひとつの実例として「サロメ」を採りあげ、まず「サロメ」の主題の元が福音書の記述にあることから始め、それが予言者ヨハネをめぐる物語から図像的表現にどのように表されてきたかを追っていく。場面としては3つに絞られる。
(1) ヘロデの饗宴とサロメの踊り
(2) 洗礼者ヨハネの殉教
(3) ヨハネの首をヘロデヤに捧げるサロメ
ほとんどすべてのサロメ図像はこの3場面のどれか、あるいはその組み合わせで描かれているという。サロメの主題が画家や彫刻家によって盛んに取り上げられたのは3つの時期があり、中世、ルネッサンス、および19世紀末から20世紀初頭の「世紀末」に作例が集中しているという。そして、それぞれの時期でサロメの描かれ方はかなり違う。それを具体的作品の表現から見ていくと同時に、時代的背景とどう結びつくかも考えていく。
高階先生の文章を引用するとやや長くなるので、ぼくなりに要約してしまえば、中世におけるサロメはアクロバティックな動きで激しく踊りまくる若くしなやかな曲芸師のような踊り子、というものである。これは中世の人々にはきわめて見慣れた旅芸人のイメージがあり、領主の宴席や祭りの広場などで人々を楽しませる見世物であった。当時の受難劇においてサロメが「踊る小娘」danserelleとして描かれ、それは聖ヨハネの殉教の物語と結びつくことで宗教的秩序と調和していた。
それがルネッサンス期になるとまったく一変して、聖書の宗教的含意は世俗化して、テーマは殉教ではなく「ヘロデの饗宴convito」、つまり貴族や領主の集まる宴会の賑やかさを描くことに重点が移った。サロメは芸人・踊り子ではなく、華やかな衣装で優雅に上流社会の客たちの注目を集めるプリンセスのような優雅な姿に描かれる。人びとの服装も室内の家具も、古代オリエントではなく15世紀イタリアの貴族の邸宅になっている。
そして、19世紀末の3度目のサロメへの主題のディープな関心のあり方は、もはや聖書とも宴会の賑わしさとも無縁な妖しい「女性の悪魔性」の表現になっていた。きっかけはギュスターヴ・モローの二つの作品、油絵の「ヘロデ王の前で踊るサロメ」と水彩画の「出現」である。この絵の中のサロメは、ほとんど裸に近く官能的な恍惚に浸り、怪しくも美しい雰囲気を発散している。彼女は切り落とされた男の首が空中に浮いているのを不気味に喜んで眺める。この絵に刺激されてルドンがまた「出現」を描き、イギリスの耽美派作家オスカー・ワイルドが戯曲「サロメ」をフランス語で書く。それがビアズリーの木版画のさし絵付きで英語版も出版される。さらに作曲家リヒャルト・シュトラウスが楽劇「サロメ」を発表し、それに霊感を得てオーストリアの画家クリムトが「サロメ」を描く、というように波及していった。
 高階先生は、この「世紀末」の「サロメ」が、画家・作家・音楽家たちにどのようなイメージで捉えられたのかを、このようにまとめている。

 「ユイスマンスは、先に引用した「出現」の記述に続けて、さらにこう言う。
  「……ここではサロメは正真正銘の女である。火のように激しい残酷な女の気質に、彼女はそのまましたがっている。そしていっそう洗練された野蛮、いっそうの呪わしさと繊細さをもって生きている……」
 この一節は、モローのサロメにかぎらず、そのまま世紀末全体のサロメに適用することができるであろう。
 主題になるサロメの解釈がこのように変化したのに応じて、その表現の形式も、中世やルネッサンスとはまったく一変している。何よりも大きな差異は、サロメが中世の曲芸師の服装やルネッサンスの豊かに波打つ衣装を脱ぎ捨てて裸体に近い服装になったことと、踊りの場面を描き出しているにもかかわらず、ほとんど動きを見せていない点であろう。
 ユイスマンスが述べている通り、モローの「出現」のサロメは、華やかな金銀の装飾をじかに肌につけているだけで「ほとんど裸体に近い」し、ビアズリーの木版画においても、クリムトの油絵においても、表現形式こそ異なっていてもいずれも豊かな胸や腹をことさらに誇示している。すなわち世紀末のサロメは、中世の無邪気な明るさやルネッサンスの優雅さとは対照的に、サロメの女としての官能性を強く表現しようとしているのである。
 それと同時に他方、その世紀末のサロメたちは、ほとんどつねに静止、または静止に近い状態で描き出されている。聖ヨハネの幻影に驚かされたモローのサロメは「爪先立ったままその場に動けなくなっている」し、モローのもう一つの油絵「ヘロデ王の前で踊るサロメ」の中の彼女は、題名とはおよそ逆に片手を前に突き出したまま、祈るような姿勢でじっと黙って立っている。ビアズリーのサロメも、僅かに腰をひねっているだけで、両手は体側につけたままである。中世のあの激しくアクロバティックな動きはもちろんのこと、ルネッサンスの優雅な手ぶりさえ見られない。そこではあたかも時間が停止したようであり、その結果彼女たちは、現実世界から離れた「永遠の女性」に近い存在となる。すなわち、世紀末のサロメは、裸体に近い服装という点でなまなましい官能性を示しながら、同時にその不動のポーズによって現実離れのした抽象的存在にまで高められているのである。モローのきわめて異国的な豪奢な背景も、あるいは逆にビアズリーやクリムトの背景(舞台設定)に対する完全な無関心も、ともにサロメのこの「現実離れ」のした性格を強調するのに役立っている。
 一方においてなまなましい官能性を表現しながら、他方において「現実離れ」のした抽象的存在としてのサロメを描いているということは、とりもなおさず、世紀末の芸術家たちの追求したものが、現実の女性であるよりはむしろ「女性というもの」の観念であったことを物語っている。中世やルネッサンスのサロメ図像が、多かれ少なかれ当時の現実生活を反映していたのに対し、世紀末のサロメは当時の芸術家たちの頭の中で考えられていた女性像の観念を反映しているのである。
 かつて中世の教会の門扉や柱頭において活発に跳ね廻っていた健康な少女は、ルネッサンス期に上流社会のしとやかな淑女に育ち、世紀末に至って遂に一人の「女」にまで成熟したが、それと同時に、生きた生身のからだを失って、「永遠に女性的なるもの」に変貌してしまった。モローの作品がいちじるしく象徴的であることも、またビアズリーやクリムトの作品がきわめて装飾的であることも、この「現実離れ」の傾向と無縁ではあるまい。そしてさらに大きな目で見れば、この時代は造形芸術の全領域において、「現実的なもの」が大きく退潮して行くまさにその転換期でもあったのである。」高階秀爾「サロメ」―イコノロジー的試論(高階『西欧芸術の精神』所収、青土社、1979.pp.294-296.

 今日「サロメ」といえば、この「世紀末のサロメ」、モローやビアズリーのサロメを思い浮かべるのが普通だろう。しかしそれももう100年以上昔のイメージである。21世紀に「現実離れ」のサロメが復活することはあるのだろうか?
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