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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

国家の最高権力者の発言と、その根拠について

2013-10-03 22:09:21 | 日記
A.造語の妙?について
 総理大臣安部晋三氏は、外国に行くとなにか気分を新たに目立ちたくなるらしく、とくに最大の同盟国、アメリカ合衆国に行くと新しそうな言葉を見つけて、得意満面で語るようだ。この間も「積極的平和主義」という造語をもちだして、日本の立場を表明したと伝えられる。日本にいて日本のメディアだけを見ていると、なにか画期的なことを安倍首相が言って、世界に注目された、かのような印象を受けるのも無理はないが、今の日本の大手メディアの多くは、卑屈なほど安倍政権に同調していて、この「積極的平和主義」についても、これまでの日本の外交・防衛政策の基本方針を大きく変える理念を語った、とよいしょしている。
 でも、「積極的平和主義」って何?安倍氏の頭のなかを想像するとたぶん、いままでの日本政府の態度は(とくに軟弱で中途半端な民主党政権を嘲笑しているのだろうが)、戦後の硬直した「平和主義」を引きずったままの、「消極的平和主義」であり、自分が率いる新しい日本は、世界の平和に積極的に貢献する平和主義なのだ、といいたいのだろう。この場合、問題になるのは「平和」という言葉と「積極的」という言葉の、具体的な意味内容である。アベ氏のいうところの「平和」とは、要するにアメリカを中心として形成されている先進国グローバル経済秩序を脅かす危険な国家やテロリストを、武力で叩き潰すという状態である。そして「積極的」という形容詞の意味するところは、その国際紛争に日本も武力を以て参加するという意志をもつということだろう。より具体的には、日本の軍隊・自衛隊を世界の警察の一員として、地球の裏側でも動員したい、という意志表明である。
 安倍氏個人というよりは、日本の政府や政治家の一部に、こういう試みに非常な情熱を燃やす人たちがたくさんいることは知っている。彼らの論理はある意味では一貫していて、日本が世界秩序の維持(それが彼らの「平和」だが)に、実質的に貢献(つまり軍隊で貢献)しなければ、日本はいつまでも世界から馬鹿にされる(馬鹿にすると想定されるのは「世界」ではなくて実際はアメリカであり中国だろう)という「卑屈な態度」に起因するのだと思う。だとすれば、これは日本国憲法のおよそ想定外の事態と思想であり、そういう思想を外国で総理大臣本人が表明すること自体、憲法違反といってもいいのではないか。
 もし、そのような政策、そのような思想を、日本政府としてとるのであれば、これは法治国家として憲法を改正してからでないと、いくらなんでも不可能である。すでに日本国憲法は実質的にぼろぼろになっているとはいえ、その条文、とくに第9条は誰が読んでも自衛隊が他国の国際紛争に武力で介入するなどという事態を認めているはずがない。
 「平和主義」をどのようなものと考えるかは、学問上いろいろ議論はあるにしても、従来の国際関係論や政治学のなかでは、19世紀以来の「平和主義」に対する反対の立場は「現実主義」であって、国際紛争や内戦に対してそれをどう対処するかについての基本的な考え方は、正義を実現するためなら武力で戦争をすることを認める立場が「現実主義」、たとえ正義のためでも武力介入は避けて別の手段を模索するのが「平和主義」という理解は、大方の常識であるだろう。「平和主義」に積極的と消極的がある、という理解は不可能ではないが、安倍晋三氏の言う「積極的平和主義」の内容は、どうもそういう議論からははみ出して、実質的に「現実主義」の立場に、言葉だけ「平和主義」という理念をまぶしただけ、という気がする。



B.イスラム教の担い手と、世俗権力としてのタリフとはなに?
 また、橋爪大三郎「イスラム教の言説戦略」に戻ってみます。
 ヨーロッパもアメリカ大陸も、そして日本や中国のような東アジアも、現世の政治権力はいちおう宗教的権威とは無縁な存在として、国民から権力と支配を委託されているのだ、という認識は定着している(そうでない場合も実はあるけれども)。そうなるには、長い宗教戦争や悲惨な権力闘争と宗教教団の争いがあったのだが、とにかく現在では、宗教をまるごと政治に持ち込むことは、明らかに間違っている、そんなことをすれば恐怖の国家になり、不自由この上ないという理解はある。でも、イスラム教という宗教ば、それを原理的に許せない、というより許しようがないようにできている、ということらしい。したがって世俗権力のように見えるカリフという王様のような存在は、同時にイスラム教の体現者、ムスリム秩序の担保者でもある。これがどういうものか、ちょっと日本人には理解しがたい。

「【16】運動としてのイスラム教のモチーフは、以上のべたように、イスラム法学のなかによく現れている。それは、ひとびとの従うべきルールの記述をまず、積極的なテキストのかたちで与え、そこにひとびとを確実に内属させることであった。ところがこの戦略は、もう一方で、きわめて特徴的な政治権力の形態――カリフ制――を生み出すことになる。イスラム社会はおそらく史上はじめて、権力を、特定の形象のかたちで単離するすることに成功したのだ。
 カリフ(イマーム)出現の経緯について、簡単にさらってみよう。
 ムハンマドは、後継者を指名せぬまま死んでしまう。ムハンマドに服属していた諸勢力は、一斉に不穏な動きをみせ始める。そこで、初代カリフ、アブー・バクルが、急遽、話しあいによって選出された。カリフとは、アッラーの使徒ムハンマドの代理人(ハリーファ・ラスール・アッラーフ)の意であり、神の代理人ではない。(つねに現在する神について、代理はありえない。ただし、神との連絡は断たれてしまった(註11)。)カリフが継承するのは、ムハンマドの諸権能のうち、世俗的(政治・軍事的)な指導者としての地位である。カリフはウンマの正統な守護者である。ウンマが単一でなければならないから、その相対であるカリフも、ただ1人でなければならない。
 カリフの地位は、どちらかといえば偶然的な事情によって生まれたが、正統カリフ時代⇒ウマイヤ朝→アッバース朝と次第するにつれ、ウンマになくてはならない形象として、イスラム教のなかに組み込まれていった。
(註11)人間は、神への義務である告白・礼拝・断食・巡礼・喜捨によって、神へのコミュニケーションをはかることができる。しかし、神からの連絡を受けることはできない。
【17】カリフを王権と区別しなければならない。王権は世襲を原則とする。それに対してカリフは、ウンマとの関係で確立する地位である。ウンマの承認(ムスリムの同意)が要件であれば、血縁的な世襲原則は二義的とならざるをえない(註12)。ウマイヤ朝・アッバース朝で、カリフはいくぶん世襲化したけれども、それはあるべきカリフ像からの逸脱であるともひとびとに映じた。そこで随所に、叛徒の首領としての、または待望される(隠れた)理想像としての、カリフ=イマームが対置されることになる。カリフの形象が、ウンマの間を浮遊する。
 カリフ職は、イスラム教を現実の社会勢力として維持していくために、必要なものである。けれども、カリフ職は、『コーラン』のなかにその基礎をもっていない。ここに最大の困難がある。
 政治権力と法秩序との関係を考えてみよう。王権であれば、法秩序の正当性の根源を王の権威に帰することができる。しかし、イスラム教の場合、すべての正当性はアッラーの権威に由来しなければならない。カリフがイスラム法を基礎づけるのではなく、イスラム法がカリフを基礎づけるべきだ。ゆえに、論理的に考えて、カリフ職はイジュマー(合意)に根拠をもつ以外にない。――この論理が明確になるにつれ、はじめウンマの慣行として発足したカリフ職の観念は、イスラム的に彫琢されていく。
 こうして、カリフの行政権力とイスラム法学者の権威とは、互いに独立とならざるをえない。イスラム特有の二元性である(註13)。この関係は、アミールやスルタンなど、カリフに下属しつつそこから半ば独立するようになった行政権力の場合でも、同様である。
 註12 彼らの事情は、古代ユダヤ人たちの場合と若干類似していた。ダビデは、ユダヤの正統な支配者(王)の代名詞であるが、それは、彼が族長たちとの契約によって王位についたからだった。けれども、王であるゆえに、その位は父子相続を原則とする。そしてキリスト(真の支配者)もまた、ダビデの系譜から現れると信じられたのだ。
 註13 実際には両者の相互牽制関係は、はるかに複雑だが、ここではたちいらない。」
 橋爪大三郎「イスラム教の言説戦略」(橋爪『仏教の言説戦略』所収、勁草書房、1986. Pp196-198.

 王様というものが、古代以来あちこちに存在して人々を支配していたことは、人類の歴史に当たり前のようにあることは知っている。王様が支配する権力でありうるのは、神が王に権力を与えたという王権神授説が代表的なように、宗教は世俗権力をバックアップするのだが、生きている人間である王様は、いい王様もいるがひどい王様も出る、しかも世襲制でバカ息子が王様になってしまう、という危険がある。そこで、ムハンマドのイスラム教は、そういう世俗的なバイアスを排除して、『コーラン』に書かれたことだけを根拠にイスラム法学を確立した。したがって世俗の権力を、どのようなものとして実現させるか、は大きな課題になる。王様ではなくカリフが、強大な権力を握りながら、それはイスラム法学者の上に立つ者ではないいという。では、カリフとは何か?

「【18】カリフは、ルール環の事実性の担保者である。運動としてのイスラム教を審判のいるゲーム、たとえば野球になぞらえてみれば、カリフはそのコミッショナーのような存在者である。イスラム教のルール環(ウンマ)は、何によって脅かされるのか?そこには二つの(潜在的な)対抗関係(=イスラム教のゲームと矛盾するゲームの可能性)がある。
 第一には、伝統的な部族的連帯(アサビーヤ)。イスラム教は、さもなければ相争うひとびと(諸部族)を同一のルールに従わせることによって、平和と共存をもたらそうと図った。けれども、父系血縁集団は、社会の基本単位としてまだ存続しており、さまざまにかたちを変えて、イスラム共同体のなかに入りこんでくる。これを抑止することが、ひとつの眼目である。
 第二には、外敵。イスラム教のルールは十分に普遍的であったため、その版図は世界的帝国の域に達する。イスラム教は、ひとりでも多くをおのれのルールに巻き込もうという、やみがたい衝迫である。そしてその結果、イスラム共同体は、残余の社会空間と永続的な交戦状態におかれることになった。平和を意図したはずなのにこの帰結は逆説的だが、避けがたい。それは、ゲームとしてのイスラム教が抱えもつ事実性の端的な発現である。
 第一のテーマは、ル-ル環の単一性を保全すること。第二のテーマは、ルール環の事実性を保守すること。カリフはこれらに応えなければならない。
イスラム教は、使徒ムハンマドを通じてアッラーが設定したゲームであった。その運営は、カリフの行政権力と独立している。そのため、カリフの権力は、社会過程に外在する純粋権力として目撃されるのである。」橋爪大三郎『同書』、pp.198-199.

 うう~む。どうも判ったようでいまひとつ解った気がしない。井筒俊彦と橋爪大三郎を往復するしかないか。
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