令和四年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を毎週楽しみに見ている。源平合戦を舞台に、最後は執権として武家政権の実権を握った北条氏からみた平安末期から鎌倉時代の物語。軍記物はやはり多くの人の心をとらえ、視聴率も堅調のようだ。
先週の第五話では、源平争乱の火蓋が切って落とされ、緒戦の様子が壮大に描かれていた。
三島大社の祭りにあわせ、平家方の目代山木兼隆、伊豆権守、堤信遠を討ち取り首検分を果たしたシーンから間もなく、国衆の土地分配を頼朝が行ったことに激怒した平家方は、その筆頭各たる相模の大庭景親、北条義時の祖父伊藤祐親は鎌倉に向かう北条、源頼朝一行を石橋山の麓で挟み撃ちにする。雨で身動きのとれない頼朝一行であったが、援軍の三浦氏を待っていた。川の増水に阻まれ北条軍に合流できない三浦軍。義時の盟友三浦義村は「小四郎、すまぬ」の一言で引き返してしまった。このあと描かれていなかったが、三浦軍は引き返す途中、武蔵の畠山重忠と衝突している。
石橋山合戦のハイライトはその戦の始まりとなる北条時政と大庭景親との罵りあい。
これは中世まで合戦のならいとされた「言葉戦」=ことばいくさと呼ばれる合戦の作法だそうだ。
相手の所業を罵ることで、味方の士気をを高めたらしい。
「平治の乱」にて頼朝の父源義朝つき敗戦。平清盛に助命された恩から平家につき、清盛の信頼が厚かった景親。
「平家からの恩は海よりも深く、山よりも高い」
そう叫んで北条時政を罵った。
一方、歌舞伎役者坂東彌十郎演じる北条時政は「あー情けなや情けなや。一時の恩で代々の源氏の恩を忘れるとは」と応じている。
時政はドラマを通じて戦上手の交渉下手として描かれている。まさしく、挑発をしながら挑発にのり、数で劣る負け戦の端を引いてしまった様子が非常に面白く、史実とドラマを織り混ぜた見ごたえのある場面であった。
このあと、頼朝挙兵の立役者北条宗時(義時の兄=片岡愛之助)は北条館近くで伊藤家の刺客、善児にあっけなく殺されてしまったのが歯がゆくもはかない展開であった。
「源氏も平家も関係無い。俺は坂東武者の世を作りたいだけだ」
そう志した宗時が奔走したお陰で頼朝は挙兵したのだった。
坂東武者
親が死んでも、子が殺されようともその屍を乗り越えて戦う
都の平家にそうささやかれて恐れられていたのが関東の土着の武士団だったという。
例え身は滅ぶとも魂は受け継がれる。武士道の精神はここ関東の地から受け継がれてきたに違いない。
今後の展開が楽しみだ