鎌倉期に入ると、治承四年伊豆で挙兵した源頼朝は武蔵国入国にあたり氷川神社の再建を土肥実平に命じ、また社領を寄進したと伝えられている。また建武三年(1336)足利尊氏が参拝し、足立郡大調郷を寄進している。江戸期に入ると徳川家康はたびたび社領を寄進したことが『徳川家康寄進状写』によって伝えられる。忍藩との関係として、寛文六年(1666)阿部忠秋によって社殿が修繕されている。
氷川神社の歴史において一層重要視されているのが明治天皇の行幸である。天皇は明治元年、都を東京に遷し、祭政一致の方針に基づき氷川神社を「武蔵国鎮守勅祭社」と定め「勅書」を発布している。
明治天皇は氷川神社に行幸し、御自ら御親祭を行っている。この様子はのちに長大な絵巻となって描かれ、明治二十六年に奉納されている(明治天皇行幸絵巻)また昨年は明治百五十年にあたり、奉祝行事が行われている。
祭祀に関しては「夏祭り」にあたる例大祭・神幸祭と「冬祭り」にあたる大湯祭が特に重要な祭祀とされている。また氏子区域となる旧大宮市は「大いなる宮居」と称えたことに由来しする。氏子の伝承する芸能として里神楽が残っていて、郷神楽祭、鎮花祭などで奉納されているという。