皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

同担拒否

2021-05-25 21:56:07 | 心は言葉に包まれて

カルチャースポーツのみならず、人が人として生活するうえでそれぞれ好みは分かれるもの。なんの分野にしろ自分の好きなものにはこだわりがあり、その領域を広げたり、より深く掘り下げることで人生が豊かになっていくものだ。

同じものを好きな人同士が意気投合することもあれば、そうでもないこともある。かえって同じものを好むことで反発しあうこともあるようだ。

『同担拒否』

1990年代にジャニーズファンの間で生まれた言葉らしい。

 あるグループのメンバーのファンであることを『担当』といい、同じメンバーを担当するファンを指して『同担』と呼ぶ。『同担拒否』とは自分がファンである対象のものが他の人と被りたくないことを指す用語。

 アニメゲームを始め、サブカルチャー全般に浸透しているという。独占欲からくるものなのか、他者とのコミュニケーションをとることが苦手なのか、理由は様々なようだ。

対義語は『同担歓迎』。

できれば『担当』を通じて人の輪が広がるほうがよさそうに思えるが、考え方はひとそれぞれだろう。

 

 

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報・連・相 は おひたしに

2021-05-20 21:02:19 | 物と人の流れ

 

ほうれん草のレシピといえば、おひたし、胡麻和えなど、そう多くはないが素材を活かしたおいしい調理法がある。学生になって初めてデニーズで食べたバターソテーの味が忘れられない。

またほうれん草といえば、子供のころに見たポパイのアニメだろう。アメリカの漫画が原作で、私たち世代の多くが子供のころに見て、ほうれん草を食べなくてはと思ってしまった。

 ポパイはほうれん草を食べて、天敵のブルートをやっつけるのだが、恋人がオリーブだから油でいためる調理法が一番合うのだろうか。

ところで社会人となってすぐに社内研修等で「報連相」というのを教わるものだ。自分も就職してすぐにこの言葉を教えてもらった。コミュニケーションを図るためのビジネス用語で、ある証券会社の社長が社内キャンペーンで使ったのが起源らしい(諸説あり)

①報告とは 部下による上司への仕事の経過報告

②連絡とは 関係者への状況伝達

③相談とは 業務の判断が困難なさい、上司への意見伺い

定義としてはこのような感じであるが、実際に現場では上司から部下へ情報伝達あるいは収集のための躾としてとらえられるようだ。「どんなことでも報告しろ、必要な相手には連絡を怠るな、抱え込まないで相談しろ!!」

といった上司の鬼の形相が目に浮かんでしまう。

近年、所属部署の半期目標なるものを掲示する習慣がある。設定するのは部署の責任者。今季の目標は「報連相の徹底」だ。

数値目標でもなく、責任範囲も設定せず、なんとなくやってる感が否めない目標だ。

「報連相」本来は上司のための部下の努力目標ではなく、組織が問題点を集約し業務を円滑にするための手段なのだそうだ。

だから重要なのは報連相をする人よりも、それを受ける相手の方が責任が重い。だから報連相を受けたものの心得もあるらしい。それが「おひたし」

①お・・・(お)怒らないで聞く

②ひ・・・相手を(ひ)否定しない

③た・・・相手を(た)助けてやる

④し・・・相手を(し)指導する

上司なるものそのくらいの気構えと、マネジメントに対する指導力は必要だ。

マネジメントとは指揮者のタクト、元は羊飼いの棒を指し、皆が進むべき方向を示すもの。

志のない言葉には部下はついていかないものだ。

 

 

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悲しみにさよなら

2021-05-18 21:55:54 | 物と人の流れ

トヨタ自動車が販売店ごとの取り扱い車種を撤廃して、どのお店でもすべての車が商談できるようになって久しい。若い人がアルファードやヴェルファイアといった高級ミニバンを颯爽と乗り回しているのをいつもうらやましく思う。残価設定プランの導入が大きいのだろう。資産である高級車を乗り継ぎながら、ドライブLIFEの最先端を行く。「いつかはクラウン」といった価値観は自分が子供のころの団塊の世代の合言葉だったのに。

そもそも貨幣経済の根本も揺らいできている。大学時代労働基準法の中で賃金とは労働の対償として使用者が労働者に支払うもので、特に第24条の規定によって賃金は通貨で直接労働者に支払わなければならないとされてきた。

自分が労働者となって約30年。まさか通貨の仕組みが変わる時代になるとは思ってもいなかった。いつしか私自身の給料も電子マネーで支払われる日もそう遠くはないだろう。ただしそこまで自分がサラリーマンでいられるかの方が不確定だ。

コロナ禍の社会となってすでに1年以上過ぎるが、先行きが見えない国と出口が見えてきたところと別れてきたようだ。アメリカにおけるワクチン接種率は40%を超えたという。かつてNYの病院の惨状をメディアが伝えたのはいつのことだったか。出口が見えることで、企業活動の先行きが見通せることから、金利上昇に舵を切るらしい。要するに体力のある企業に自由に活動を任せる。自由主義経済の流れを堰き止めない。金利のコントロールはそれほど難しいのだそうだ。

翻って日本ではワクチン接種率は先進国として最低レベルで、出口どころか高齢者を除く一般市民の接種がいつになるのかさえも全く見えてこない。金利など上げようもない状況がずっと続いているのが現状だ。

よって投資先も国債を中心とした安全投資で、企業業績も本業の成績よりも保有する株式や金融資産で決まることばかり流されている。そう行先は安全地帯。

いつまでぐずぐずしているのだろうか。思い切ってリスクをとるのはいつだれなのだろう。

 

 

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動き出す時間~平川時計店

2021-05-06 20:46:21 | 日記

浮き城通りと称される旧国道125線。行田市役所前信号交差点に昔ながらの時計店が建っている。

眼鏡・時計・宝石との看板があるが、現在では時計の電池交換や修理を専門にしている。

「平川時計店」

創業は昭和8年。現在の御主人で2代目だそうだ。満州事変の翌年、日本が戦争へと突き進んだ時代。この地で貴金属関連の商売を始めたのころの苦労はいかほどのものだったのだろう。

子供のころ、家の居間の壁には振り子時計が掛かっていた。いつのころか外し、裏の物置へ置いたきり行方知れずになったまま。どうして大事に残しておかなかったのだろう。今思えば若いころ時間そのもの価値に気づかなかったのだと思う。歴史の重さにももちろん触れることもなかった。ただ未来は永遠のように感じていたのかもしれない。 この歳になってようやく自分の未来はそうは長くないと思うようになった。もちろん身体の具合が悪いだとか、将来を悲観するといったものではなく、確実に自分に残された時間が、これまで生きてきた時間よりも短いことを実感できるようになっただけだろう。

 

御主人とは自分の子供が幼稚園に上がった時からのお付き合いだ。私も卒園した幼稚園の送迎バスの運転手をされていた。もう十二年も前になる。下の子が卒園すると同時に、バスの運転手も引退されて、お店の仕事に専念されている。

 八十代を目前に控えてなお、手先や眼も変わらず、

 

修理の仕事をこなすという。

いつも電池を替えてもらう時計はもう二十年以上使っているもの。スマートフォン全盛の時代。時計をする人も少なくなったというが、どうしても習慣で仕事の時は腕時計をしないと落ち着かない。

替えてもらっている間、自分の子供たちのこと、平川さんの同世代の人の話など、話題に事欠かない。

行田市消防団第三分団長を引退して十年以上経つが、現在でも消防関係者とのお付き合いも続くという。平川さんのような人によってこの町はずっと支えられてきたのだと思う。

時間、人、浮き城の町

大切にしてきた職人の手により、直してもらった時計。

これからも大事にしていきたいと思っている。

 

 

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うるさいか厳しいか

2021-05-05 23:09:00 | 先人の教えに導かれ


 立夏。新緑の生命力に溢れる季節。
多くの新社会人や新入生もGW休み明け、本格的にそれぞれの役割を担う頃になる。五月病などというのも日本独特のものだろうが、季節は過ごしやすくも、心を病んでしまう人も出てくるところだ。


職場には昨年入社の若い社員もいて、連日周囲からの期待や叱責に悩みながら試行錯誤の日々を重ねている。二年目というのも良かれ悪しかれで、ようやく後輩が入って来て、注意がそちらへ向くはずなのに、むしろ先輩のくせにと見られてしまうこともあるだろう。


彼らを見ていて、彼らの周囲のひとの振る舞いについて気に留めている。できない子にうるさく指導するタイプ、大雑把に指示する人。厳しく指摘する人。優しく褒めてやる人。最近ね流れは、所謂コーチング重視。教えるのではなく、導くことを良とする。基本的には褒める事が多い。取り組みを褒め、できるようになる過程を褒め、結果を認めてやること。たとえ失敗しても。
至れり尽せりのよう。


今思うと、うるさくて厳しい人の方が其の場は辛く煩わしくもとも、数年後ためになる事を感じる。
うるさいだけの人もいるし、厳しいが根はいい人とわかる人もいる。
うるさくて厳しいひとは嫌われるかも知れないが、父がそうであったように、そういう人のおかげで今の自分がいるように思う。

一番困るのは何も言わない人。
愛情の反対は無関心
そう言ったのはマザーテレサ
煙たがれても嫌がられても必要なことは言える人でありたい。
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