皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

災い伝説一本木

2017-03-09 20:22:38 | 神社と歴史 忍領行田
当地区皿尾から上池守に向かうとすぐに、大きなケヤキの木が立っています。このけやきの木を「一本木」と言って、切ると祟りがあると言われています。子供の頃は「呪いの木」と読んでいました。明治時代には枝を切り落とした後に、切った人が死んでしまったと伝えられています。また、近くの農民が寒い晩秋の日に、麦の種蒔きをしていたところ、そこに子供たちが寒そうに通りかかったので、この木の小枝や葉を集めて焚き火をすると、その晩、農民の膝が腫れ上がってしまったそうです。これは一本木の祟りではないかと考えて、木の前でお詫びすると腫れがひいたとされています。
この蚊喰塚の災い伝説は何処からきているのかというと、その昔この木は罪人の「仕置き場」にされていたことにあるそうです。罪人が出ると、この木に仕置きとして、裸で吊るされたそうです。蚊が集まるように、頭から酒を浴びせたこともあったようです。一晩明けると、蚊に喰われむごたらしく死んでいる。それらの怨霊が、祟りとして伝わったとされています。昔の事ゆえ、罪もない人が罪人に仕立てあげられたこともあったと、押して知るべきでしょう。戦後区画整理事業が進められるなかで、この塚を移すことも試みられたようですが、実際に今日までこの地にたたずんでいます。平成7年に当時の地区団体等で、記念碑を建てています。20年以上が経過し、枝葉が伸び環境整備の観点から、水利組合の働きかけで、木の整備をするに当たり、お祓いをさせて頂きました。
昨年の星宮小学校開講130周年記念事業として、地区にまつわるカルタが作成されました。句のなかに、「蚊喰塚災い伝説一本木」と詠まれています。
木を切ると祟りがあるとの話は、行田市内に於てはこの蚊喰塚の他に、埼玉地区の小埼沼に残っているようです。地域の伝説として、大切に後世に伝えていきたいと考えています。
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2 コメント

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Unknown (にょん)
2023-07-07 09:57:52
行田には小学校の途中から数年間住んだ事があり、皿尾の一本木の事も聞きました。
私が聞いたのはもう40年近く前でしたが、筆者さんの書かれている内容と同じでした。
何度か伐採をしようとはしたものの、その度に変◯や急◯、重症者が出たため諦めたと聞きました。
30年くらい前に皿尾の一本木に落雷があり、半分から上の部分が折れた事がありました。
コゲはあるものの、折れた木の部分も落ちる事なくぶら下がっていました。
私が見ていた頃は、写真の様に幅広で赤い感じの木ではなく、もっと黒っぽくて横幅もなく暗いイメージです。
お祓いをしてキチンと管理したからでしょうか。
昔よりも木が穏やかに見えます。
Unknown (hisaizuraiden)
2023-07-07 13:46:25
にょん様
コメントをお寄せいただきありがとうございます。蚊喰塚の歴史は子供の頃は知るよしもなく、ただ呪いの木として近づいてはならぬと教えられてきました。神職を継いで郷土史を読むようになってから、罪人の処罰にこの地が当てられたことを知り、人の無念がなんとなく感じられるようになりました。
地元の農業組合さんの尽力で区画も整備され、その際にお祓いの祝詞をあげさせていただきました。木が少し穏やかに見えたとのことですが、そう感じていただけたのなら、地元の神職としてたいへん嬉しく思います。
歴史に学び平和でより良い世の中を次の世代に引き継いでいくお手伝いができたらといつも思っております。
お近くにいらした際にはどうぞ神社の方へも足をお運びいただけたら幸いです。

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